89 別れ

 ……先ほど雨が降ったらしく、駅のホームは日差しに少しばかり輝いていた。

 駅のホームには、羽黒祐介と室生英治と赤沼麗華と稲山の四人の姿があった。祐介は事件を解決して、今、東京に帰ろうとしていた。その見送りに麗華と稲山のふたりが駆けつけたのである。

 麗華は、赤沼家の惨劇を終えて、母を失い、ひどい哀しみに暮れているに違いなかった。それなのに、彼女は凛としていた。あまりにも気高く生きようとしているようで、それが祐介には無性に痛々しく思えて辛かった。

 稲山はそう言えばと、根来からの伝言を思い出した。

「羽黒さん。根来刑事から伝言で、お前のような探偵に出会えて良かった、と……。いえ、根来さんの仰ったままに伝えるとこういう口調になりますが……」

「大丈夫ですよ……根来さんによろしくお伝えください」

「分かりました……」

 稲山は寂しそうに頷いた。

「羽黒さん、今までありがとうございました……」

 麗華さんは哀しげな微笑みをつくって言った。それを見て、祐介は耐えられなくなった。

「麗華さん、わたしは何の力にもなれなかった……」

「いえ、そんなことはありません……。これが赤沼家の宿命だったのだと思います。でも、もはや呪縛は断ち切れました。これからは、わたしたち自身が未来を創り出さなければならないんです……」

「そうですか……」

 麗華の瞳は、祐介の見えないずっと先の未来を見据えているようだった。そして、どうしてもあることを言いたくなって、麗華は一言付け加えた。

「鞠奈さんも、わたしたちの仲間ですから……」

 皮肉なものだ……。早苗夫人が殺そうと思って、十五年間で四人もの人を巻き添えにした鞠奈殺しはついに達成されずに、鞠奈は尚も生き続けている。そして、それは蝶々のようにこれから華麗に羽ばたこうとしているのである。

「電車がそろそろ発車します。もうお別れですね……」

 麗華は、英治を見つめると、何かを伝えようとした。しかし、その元気は今の麗華にはなかった。そのことを自分で悟って、麗華はただうつむいてしまった。

 英治も麗華に何か伝えたかった。でも、それはひどく場違いな気がした。それで、少し哀しげな声で、ぽつりと、

「がんばって……」

 ……それ以上、言葉にならなかった。

 麗華は、その言葉に、

「はい……」

 とだけ答えた。


 ……そして、別れの時が来た。悲劇に包まれた赤沼家ともこれでお別れだ。それでも、赤沼家の人間はこれからも生きてゆく。これからも物語は続いてゆくのだ。そのことを、麗華と稲山の姿を見て感じて、祐介は無性に胸が辛くなった。

 それでも、赤沼家には希望に包まれた明日が待っていると祐介には思えた。なぜだか、麗華を見ているとそういう風に思えた。なぜだか知れなかった。でも、祐介は確かにそう感じた。

 電車の扉が閉まって、走り出した。稲山はお辞儀して、麗華は手を振っていた。最後尾の車両だから、ふたりの姿は小さくなりながら、いつまでも見えていた。麗華はいつまでも手を振っていた。

 祐介は、この別れの哀しみの中に、自分の想像できないような希望が隠されているのだと思った。

 祐介は手を振った。ふたりに見えているのかはわからない。それでも良かった。ただふたりに手を振り返したかった。

 ……そして、ふたりの姿が見えなくなった時、祐介はこれからも生き続けようと思った。

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赤沼家の殺人 ―怪人と不可能犯罪の物語― Kan @kan02

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