第二十八話・幼馴染

「ふにゃぁ~……、ん?」


 ふわふわと良い気分だ。このあたたかい温もりの中でずっと微睡んでいたい。

 そんな幸せを感じていた矢先の出来事だった。

 

「シャル、シャ~ル」


 シャルロットは自分の名を愛おしげに呼ぶ別の声を捉えた。

 親しみを感じさせる、……懐かしい声。誰の音だっただろうか。

 強い警戒の気配を纏っているシグルドの険し気な顔を見上げ、シャルロットはその視線の先を追ってみる。バルコニーの奥で、こちらに向かって片手を差し出している一人の男。

 見知らぬ誰か……、いや、自分は知っている。シャルロットはシグルドの腕の中で微かな震えを覚えると、その名を口にした。


「……る、でぃな~ど」


「シャルロット?」


 シグルドの牽制に臆する事もなく、すぐ近くまで歩み寄って来た男。

 もうずっと……、互いに顔を合わせる事さえなくなっていたというのに。

 彼の顔を見ると、時が当時に巻き戻ってしまう。

 誰よりも近く、誰よりも繋がりの強さを感じていた相手。

 

「らふぉる、でぃな~ど……」


「ははっ。舌がまわってないぞ~、シャル。酒を飲むなら、俺の前だけにしとけって、そう言っただろう?」


「…………」


 ラフォルディナード・アルティヴァス。

 魔界の大貴族、アルティヴァス侯爵家の跡取りであり、……シャルロットが幼き頃より、傍にあった男。あぁ、酔いが一気に冷めていく。

喜びと痛みが混じり合っていくかのような、複雑な感情と共に。

 あのイベントに参加する以上、近くにいるとは読んでいたが……、まさか、このタイミングで来るとは。

ラフォルディナードとシグルド。

 二人の男が水面下で散らしまくっている火花を感じながら、シャルロットは腕の中を抜け出そうとしたのだ、が。


「しぐるど君……、はなしてくりぇっ」


「駄目だ。お前を不審者に近づかせるわけにはいかない」


「あははっ。不審者はそっちだろう? 酔っぱらってるシャルに」


「うるさい。黙れ。失せろ」


 見事な三連撃を冷たく放ったシグルドだが、生憎と目の前で笑っている男は不審者ではない。

 幼い頃からの友人であり、他人という枠の異性としては……、このラフォルディナードほど近しいものはいないという、シグルドにとっては残念なおまけつきだ。

 まぁ、話すと大暴走が目に見えているので、ここでは黙っておくが。


「すまにゃいが……、わたしの、しりあい、なんだ」


「知り合いじゃなくて、だ・ん・な、だろ?」


 シャルロットに、というよりは、シグルドに対する嫌がらせなのだろう。

 まるで手品でもしてみせるかのようにシャルロットを攫い、昔からの友人は再会を喜ぶスキンシップを押し付けてくる。勿論、それを見せつけられてしまったわんこ天使は――。


「~~っ。嫁、旦那、嫁、旦那……っ、嫁、よめ、ヨメ、旦那、だんな、ダンナ……!!」


「し、しぐるど君、おちつけっ。い、いま、しぇつめい、してやる、からっ」


 無自覚でも、本能はいつでも素直なわんこ天使である。

 自分にとってラフォルディナードが何なのか、すぐにわかってしまったらしい。

 シャルロットを全力で抱き締め、現れた強敵に地獄の番犬の如き唸り声を向けている。

 対するラフォルディナードは余裕そのものだが。


「あ~あぁ。変なのに好かれちゃってまぁ……。ふふ、頼もしい番犬だな~。けど、この場合お邪魔虫なのは、アンタの方なんだぞ? 俺とシャルロットはガキの頃からの付き合いで、結婚してもおかしくない関」


「らふぉるでぃなーど、それいじょうのおしゃべりはきんしだ。むかしのことは、すぎしゃった……、ただのじじちゅだと、きみもわかっていりゅ、のだろう?」


「勿論。今の俺は、魔界の姫君に恋い焦がれる臣下の一人。ゼロ地点どころか、マイナスからの不利な出発をするしかない。……だが、俺とお前の間で育った絆は、割り切れるものじゃない」


 狂っているわけでも、思い込みの激しさからそう言っているわけでもない。

 幼馴染の瞳に浮かんでいるのは、何十年の時を経ても消える事のない……、シャルロットへの確かな愛情。たとえ、……その想いを何度拒まれても、彼はその心を捨てようとはしなかった。

 だから、シャルロットは告げたのだ。異性として自分を見続けるのなら、もう友人ではいられない、思い直してくれるまで、距離をとろう、と。

 何十年という月日……。再会してわかった事は、互いに変わっていないという事だった。

 

「……とまぁ、変えられない事実があるわけだが。なぁ、シャル」


「にゃんだ?」


「……」


「……」


 真剣に見返すシャルロットの視線を捉えながら、昔からの友人であった男は不意に表情を緩め、ぷっと噴き出した。


「くっ、ははっ、ははははっ!! や、やっぱ、今はっ、無理っ!!」


「……」


「い、今の、お前っ、……ふふっ、喋り方が可愛すぎてっ、ははっ、シリアスと、全然、合わねっ、はははっ」


 真面目な雰囲気の漂う場面に適応しようと頑張っていたシャルロットに対し、なんたる侮辱!!

 まぁ確かに……、今の状態では全然呂律が回らないし、眠気も半端ないのだが……。

 シャルロットとシグルドが顔を見合わせ、半眼になって闖入者を睨みつける。


「しちゅれいだじょ。らふぉるでぃ」


「あ~はっはっ!! し、しちゅれい、って、お前っ、ははっ、か、可愛すぎっ」


「シャルロットを笑うな……!」


「ははっ。……けど、アンタもそう思うだろう? 酔っぱらったシャルは、最高に可愛い、ってな」


「ふざけるな……!! シャルロットは……、最高の遥か上をいく可愛さだ!!」


「激しくどうでもいいわ!! この馬鹿共が!!」


 恋する男共は哀れになるほどに残念な盲目さを見せつけてくるが、シャルロットにとっては面倒臭い事この上ない光景だ。シグルドの頭をはたき、シャルロットはラフォルディナードに命じる。

 今日のところは、舞踏会に参加するなり帰るなり、自分達と関わらないのであれば、何でもいい、と。


「まぁ、中には顔見せがてら寄る予定だが、……やっぱり、まだ怒ってるんだな。『あの日の事』」


「べつに。何とも思っていない。もう、な……」


 幼い頃から仲の良かった相手。その関係が新たな形に変わってゆくのを拒んだのは……、シャルロット自身。彼女は、被害者であり、加害者でもあった。

 寂しげに情を揺らすラフォルディナードとシャルロットの間で、シグルドには見えない水面下で……、昔と同じ問答が起きている。

 自分の愛を受け入れてほしいと望む男と、それを拒む女。

 時が過ぎれば、心も移ろうと、ラフォルディナードは信じている。一途に……。

 だが、シャルロットは幼馴染から視線を逸らし、中に戻るようにとシグルドに指示を出した。


「――シャル。今日は挨拶だけにしておくが、また後日。ゆっくり話そう」


「……」


 シャルロットは何も答えず、不安を感じているらしきシグルドを急かして中に戻っていく。

 愛していない……、特別な情を抱けない相手に、希望を残したままには……、したくない。

 振り返る事なく華やかな世界に戻りながら、シャルロットはふと、改めて気付いた。

 ――なら、無意識にとはいえ、自分に対し恋愛感情を抱いているのだろうシグルドを遠ざけない自分は、何なのだろうか、と。

 ラフォルディナードとの時は、相手が自覚済みで告白も済ませていたから、すぐに断りを入れる事が出来たし、友人でいようと説得する事も出来た。

 だが、この無自覚なわんこ天使に対し、突き放しはしたが……、最後にはそれを良しと自分が考えられなくなってしまったのは。

 相手を拒絶し、悲しみに満ちた顔をさせてしまった共通点もあるのに、どうして……。


「どうした、シャルロット」


「……う~ん、わからん」


「何がだ?」


 よろけるシャルロットを支えながら、シグルドがあどけない少年のように首を傾げる。

 異種族で、わんこで、頑固で、どうしようもなく鈍感で、天然過ぎる男……。

 友人として受け入れはしたが、……実際のところ、自分にとってこの男はどんな存在なのだろうか? その心に何があるのかを知っているのに、やっぱり……、よくわからない。

 今は考えなくて良い事だと決めていたはずなのに、せめて……、シグルドが自分の気持ちに気付くその日まで、ただの友人同士のままで当り障りなく接していればいいと。


「シャルロット? 大丈夫か」


「……しぐるど君、屈んでくれ」


「ん? あ、あぁ……」


 壁際で自分に水を手渡そうとしていたシグルドが言われた通りに背を屈めてくると、シャルロットはふさふさの獣耳が生えているその頭をよしよしと撫でた。

 男性的な面も強いのだが、自分に懐いてくる可愛らしいわんこにも思える男。

心地良さそうに目を閉じながら自分の名を口にするシグルドを観察していたシャルロットは、自然と身体が動き、その頬にキスを贈っていた。

パッとシグルドが瞼を開き、不思議そうな顔つきでシャルロットを見つめながら、自分の頬に手を当てる。


「シャルロット……?」


「……」


 無意識に、だった。自分に撫でられ、幸せそうにしているシグルドの表情に心を惹かれ、彼に触れたいと思った行動が、頬へのキスだった。

 シグルドよりも長く昔から一緒にいた幼馴染とも親愛のキスや抱擁をする事はあったが、ラフォオルディナードやエリィに対するものとは違う。そんな気がした。

 シグルドを喜ばせた自分の行動に戸惑いと恥じらいを覚え始めていたシャルロットだったが、会場から沸き起こった女性陣の大きな喜声に思考を打ち切られてしまう。

 

「なんだ……?」


「あぁ、多分」


 シャルロットがシグルドの手を掴み、注目の的となっている場所に案内してやると――。

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魔界の姫君は、わんこ天使に手を焼いておりまして。 古都助 @kotosuke12

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