第二十七話・わんこ天使の衝動
「王女殿下は……、シグルドと、仲が良いのですか?」
「ん?」
シグルドとのダンスを終え、第六部隊長のアウレスと再びダンスの輪に戻ってからすぐ。
今度はゆったりとした曲調のリズムに身を委ねながら、シャルロットはその問いに首を傾げた。
これは、どういう意図を持った質問なのだろうか?
ただの興味か、それとも……。
「私とシグルド君の仲が良いと、君にどんな影響があるのだろうな?」
あえて意地悪な聞き方をしてしまったが、反応を見るには丁度いいだろう。
アウレスは意味深に笑ったシャルロットをじっと見つめながらステップを踏み、淡々と答えた。
「仲良くなる秘訣は、何でしょうか?」
「は?」
「どうすれば、絆を結べるのか、と……」
え~と、真顔で何を言っているのだろうか? この男は……。
困ったという表情さえ浮かべずに、ただどこか寂しげな気配で問いを重ねたアウレスに、シャルロットは意味を掴めないまま悩み……。
「あ~、……は、話をしてみれば、いいんじゃないか? 人と関わる始まりは、まず会話だ。相手を知り、自分を知って貰う工程を繰り返せば、いずれ仲は深まると……、うん、私はそう思うぞ」
「会話を、重ねる……、ですか。では、あまり話す機会のない相手の場合は、どうすれば」
「文通だ。文字に自分の心を託し、マメに手紙を届けあう。そうすればきっと、仲良くなれるだろう」
「なるほど……」
正直言って、自分とシグルド、どちらと仲良くしたいのか、アウレスの表情からは読めない。
だが、特に彼から悪意の類を感じなかったシャルロットは、至極真面目にアドバイスしてしまった。
もし、魔界の王女である自分目当てだったら、今までに迫ってきた男達にしたように、普通通りの対応でどうにかなる。……だが、しかし。もしも、もしも……、アウレスの目当てが。
「……あ」
自分とアウレスが優雅に踊っているその姿を観客の最前列から見ている、いや、突き刺すように睨んできているわんこ天使の姿に、シャルロットはびくりと震えてしまう。
今……、もしかしなくても、自分のやましい電波を逃さずにキャッチしなかったか?
アウレスとシグルドの間に、生BLが芽生えそうな予兆を感じ取ってしまった、シャルロットの爛れた好奇心を。シグルドの瞳から、「俺と別の誰かをカップリングするな!!」と、抗議の気配を感じる!!
「どうかなさいましたか? 王女殿下」
「あ、い、いやっ、……何でもない」
自分から率先して生BL素材になる時は良くても、自分の許可していない水面下での妄想は許さない。
シグルドが無言の圧を強め、シャルロットに再度言い含めてくる。うぅ……、視線が痛い。
だが……、本気で生BLとは思っていないシャルロットだったが、アウレスには真剣に悩んでいる事がありそうで、つい気になってしまう。
だが、それ以上何かを問う事は、シグルドの狭量な心をさらに刺激してしまうだけだと悟り、仕方なく……、そこからは他愛のない会話を何度か交わし、ダンスを終えるに至った。
「アウレス殿、他の娘達も誘ってやってくれ。きっと喜ぶ」
「はい……」
まだ何かシャルロットと話したそうなアウレスだったが、鬼神、いや、大魔王わんこ天使が近くにいるのだ。
舞踏会の場で大暴走をされでもしたら、歓迎会が台無しになってしまう。
「ではな」
捜さなくてもすぐに見つけられる距離に、さっきと変わらない位置にシグルドがいた。
しびれを切らしているわんこ天使に溜息を吐き、やれやれとシャルロットは足早に急ぐ。
「長い」
「心の狭い男は嫌われるぞ。ふぅ……、まったく。君は一度、自分の行動を客観的に見てみるべきだと思うぞ」
「客観的に、か……」
「あぁ。時に自分を冷静に見つめる事は、とても大事だ。特に……、自分の心を見つめる場合には、な」
「……そう、だな」
ヒントなど、与えて困るのはシャルロット自身のはずだった。
けれど、独占欲ばかりを剥き出しにして、その心の内にはまったく気付かない鈍感なシグルドを見ていると、ちょっとした苛立ちが衝動となって、そう言ってしまっていた。
だが、余計な事を口走ったという後悔はない。どうせ言っても……、意味がないとわかっているから。
「シャルロット、バルコニーに行こう。踊り疲れただろう?」
ほら、また現実から、目の前にいる自分から逃げるように、この男は視線を逸らして話題をすり替える。
自分の心と向き合うのが怖いのだろう。知ってしまえば、どれだけのショックを受けるか……。
急がせるべきでも、自覚させるべきでもない……、シグルドの中にある真実。
シャルロットは提案を断らずに先を歩き出すと、飲み物を提供している女官からグラスを受け取り、苛立ちを抱えながらそれを一気に飲み干した。
「ん……?」
炭酸のジュースかと思ったが、どうやら酒の類だったようだ。
ほど良い甘みはストロベリーのそれと同じ味。喉を通ったシュワシュワとした感触。
そして、その後に余韻として残る、少し熱っぽい感覚。
「シャルロット、どうした?」
「ひっく……」
「シャル、ロット……?」
「シグルド君……、いひょぐぞ」
「は?」
さっきの女官は、きっと新人だったのだろう。
古参の女官達なら知っている。シャルロットに公式の場で酒の類を渡してはならない、と。
教わっていて忘れていたのか、それとも、ジュースを渡したつもりが、手違いで酒になってしまったのか。
シャルロットはクラクラと揺れる始めた思考で歩きながら、シグルドを促してバルコニーに急ぐ。
魔界の王女たる自分が、公式の場で醜態を晒すわけにはいかない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふにゃぁあ~……」
「…………」
シャルロットが、……変だ。
舞踏会場の中から行けるバルコニーへ着いてすぐ、誰もいない事を確認した彼女は豹変した。
シグルドはバルコニーの奥にある長椅子に腰かけ、自分の膝の上に頭を乗せて可愛らしい姿を見せてくれているシャルロットに対応出来ずにいた。
まるで子猫だ。時折、シグルドの顔を見上げながら、「にゃあにゃあ」と繰り返す魔界の姫君。
その頬に宿った仄かな赤み。蕩けるように潤んでいる双眸。
本人にその気がなかったとしても、……これは。
「シャルロット、……その」
「んっ」
どうしたものかと行き場を求め彷徨っていた片方の手を、シャルロットの顔に近付かせたのが間違いだった。
その両手に捕まったシグルドの手は、愛おしいぬくもりに包み込まれ……。
「――っ!」
シグルドが彼女のぬくもりを求めて抱き締めたり擦り寄ったりする事があっても、その逆はあまりない。
いや、少し触れてくれる事ぐらいはあるのだが……、こんな風に、無防備な可愛さで求めてくれる事は……。
(見たところ……、酒酔いをした者と変わりのない症状のようだが)
恐らくは、シャルロットが給仕係の女官から渡されたアレが……、酒の類だったのだろう。
それを飲んだ直後にシャルロットが自分を急かし、バルコニーに着いた途端、完全に酔っ払い状態へと豹変し、現在に至る、と。まさか、酒の一杯で酔っぱらうとは……。
「……可愛いすぎるな」
夢と現を彷徨いながら甘えてくるシャルロットに微笑し、シグルドは一度自分の手を引き抜いて手袋を外した。
この姫に触れる時は、出来るだけ素肌がいい。特に、無意識にとはいえ、彼女から求められているとなれば、この貴重な機会を逃す手はない。
また戻ってきたシグルドの手をぼんやりとシャルロットが見つめ、今度はその唇を寄せてきた。
手のひらに押し付けられた感触。柔らかで、あたたかな心地良さ。
シャルロットが相手だからこそ、シグルドは好きにさせている。
彼女以外は……、他の女には、こんな風に寄り添う事もさせなければ、触れさせる事も、近づけさせる事もなかったというのに。
初めて興味を抱いた異性。知りたいと、友になりたいと願った女性。
だが……、シャルロットの友になれたというのに、シグルドの願いは、欲は、深まるばかりだ。
こんなにも近くに、触れ合い寄り添っていられるのに……、まだ、足りない。
シグルドはシャルロットの頭を撫でてやりながら、曇りのない綺麗な星屑の世界を見上げる。
「……自分の、心、か」
ラジエルと、シャルロットの言葉。
彼女の友人になりたい一心で行動してきたシグルドだが、一度も……、彼女への感情を静かに見つめた事はなかった。ただ、傍に在りたいと、彼女を独占したいという衝動に従うのみで……。
女など、好きにはならない。異性は自分にとって、害にしかならないと……、そう思ってきた自分。
なら、シャルロットは何だ? 異性であり、女であり、だが、……心から求めずにはいられない、焦がれるほどに欲しいと願ってしまう存在。
「シャルロット……。お前は俺にとって……」
知っている。己(おの)が心の中に、シグルドは答えを持っている。
シャルロットを傍に感じながら、安息と共に感じる胸の奥のざわめき。
「ん……、シグルド、君。さむ、い」
シグルドの胸元に縋り付き、酔っ払いの姫君が温めろと可愛すぎる要求をしてくる。
あぁ、可愛い、可愛い!! ぎゅぅううううううっと両腕に抱き締めて、お互いの匂いを擦り付けあって、このまま……!!
「はっ!! お、俺は……、今何をっ」
酒に酔い、普通の状態ではない彼女を自分の部屋に攫って……、その後の光景を思い描いてしまったシグルドは、顔を真っ赤にして両手をぷるぷると彷徨わせた。
い、今、自分は一体何を妄想した!? シャルロットを寝台に押し倒し、自分がその上に覆い被さって……、それから、それからっ。
「シグルド君……? ぎゅっ! って、してくれ。ふにゅぅっ」
「――っ!!」
ぁあああああああああああああああああああああああああああ!!
酔っぱらっているシャルロットは、世界中のどんな可愛い存在よりも罪深くっ、この心を鷲掴む!!
あぁ、駄目だ。我慢など出来ない!! シグルドの逞しい両手が意を決し、可愛すぎる生き物をがばりと抱き締める。あったかい、甘くて良い匂いのするシャルロット。
「シャルロット……っ。シャルっ、シャル……!!」
「ん~、あったかいなぁ。ふふ、シ~グル~ド~くぅ~ん」
酔っ払い最高!! シャルロットを壊さないように、けれど、堪え切れない衝動と共にシグルドは華奢なぬくもりを思う存分に堪能する。
バルコニーに近づく者は誰もおらず、まさに、邪魔者皆無の素晴らしい空間だ。
正確には……、シグルドが事前に結界を張って人払いをしているのだが。
「はぁ……、シャルロット。酒のひとつでお前がこんなにも凶悪的に可愛くなるなんて……、あぁ、無理だ。ただ抱き締めるだけの触れ合いじゃ……っ。シャル、シャル……っ、もっと、もっと……、お前が」
――欲しい。
シグルドは己の中から突き上げてくる衝動に抗えず、自分の胸元に顔を埋めているシャルロットの顔を上げさせ、……誘うように艶やかな唇にごくりと喉を鳴らした。
「シャルロット……っ」
「ふにゃぁ……?」
後で絶対に怒られる、いや、ド突かれて締め上げられる可能性が大だ。
だが、シグルドにとって今のシャルロットは難なく手に入れられる御馳走そのもの。
湧き上がる欲望の荒波と、彼女への感情が……、一気に膨れ上がり、そして。
「――っ!!」
シグルドの熱がシャルロットの無防備な唇を奪いかけたその時、徒ならぬ殺気がバルコニーに降り注いだ。
「誰だ……」
不躾に放たれてきた暗器の類。それも、複数。
シグルドは素早くシャルロットを抱いて宙に飛び上がり、真白の両翼で空(くう)を打って周囲をみまわす。
「ぐっ……!!」
上手く気配を隠しながらシグルドの背後を取った何者か……。
寸でのところで攻撃を躱したシグルドだったが、振り向きざまに右肩を傷付けられてしまう。
視界の中に映った、自分とは対極の色合いをした羽根。
舞い散るそれを認識しながら、シグルドは再びバルコニーへと戻り、片膝を着いた。
「手を出すなら、女が素面の時にしたらどうだ?」
この場合、悪者に分類されるのはどちらなのか。
シグルド自身も、今我に返った頭で冷静に判断した。悪かったのは、自分だと。
シャルロットの魅力に抗えず、彼女の了承も得ずに唇を奪おうとしてしまった。
――だが、突然攻撃の手を仕掛けてきた輩相手に屈する気はない。
「誰だ?」
シグルドへの強烈な殺気を滲ませているのに、笑顔を形作っている男。
貴族風の身形をしたその男が漆黒の両翼で空(くう)を打ちながら、バルコニーに舞い降りてくる。
跳ねた水色の毛先と、怒りを宿したアメジストの瞳。
魔族と思われるその男は、右手を差し出してこう言った。
「渡してくれるか? ――俺の嫁さんを」
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