第二十六話・舞踏会にて1

「思っていたよりも……、今回は随分と盛り上がっているなぁ」


 大天使とその補佐官プラス、お付きの天使達が数人。

 という図での魔界訪問は時々あったが、こんなにも多くの天使達が公式の場に参加している光景は実に珍しい。

 相変わらずお互いを敵視している参加者もいるようだが……、まぁ、大半は友好的のようで何よりだ。

 特に、見目麗しく凛々しい男性天使達と貴族女性達の間には、友好……、いや、ある種の情が見え隠れしているが、まぁ、険悪にならず問題を起こさないなら許範囲だろう。

 会場中の注目を浴びた後、一通りの挨拶を終えて解放されたシャルロット。

 彼女はシグルドと一緒に、メロンソーダ的な味のする飲み物をストロー越しに味わいながら暢気な観察者になっていた。

 勿論、魔界の王女であるシャルロットに声をかけたがる者はまだ多くいるわけだが……。


「……シグルド君、そろそろ親しみやすい空気を作ったらどうだ?」


「普通にしているだけだが?」

 

「ほぉ~……? 君の今の状態が、普通、なのか? へぇ~……、ふぅん。――絶交してやる」


「――っ!!」


 参加者達を必要以上の恐ろしい眼力で牽制していたわんこ天使にニヤリと笑って立ち去ろうとすると、案の定シグルドはシャルロットの腕を掴み、泣きそうな目で懇願してきた。


「絶交だけは、嫌だ……っ」


「…………」


 へにゃんと垂れた獣耳とふさふさ尻尾。

 あぁ、凄い美形のくせに、相変わらず可愛い奴だ。

 シャルロットに大嫌いだと突き放された時のトラウマがあるからだろう。

 小さな声で、「努力する……っ」と呟き、折れたものの……。


「シャルロット王女殿下」


 賑やかな人混みの中から抜け出してきた二人の男性の姿に、シグルドがまた敵意を滲ませてそちらを睨んでしまう。荒ぶりし炎の力強さを従えているかの如き紅髪の天使と、よくいる貴族の子息を思わせる金髪の天使。

 確か、紅髪の天使が第六部隊長で、もう一人がその副官だったはずだ。

 クリスウェルト曰く、『シグルドを一番毛嫌いしている部隊』の筆頭だという話らしいが……。


「今宵の、我ら天界の者達への御配慮、改めて感謝申し上げます」


「こちらこそ、滅多にない貴殿らとの交流の場を持てて嬉しく思う。楽しめているか?」


 第六部隊、部隊長アウレス。

 物静かな印象を覚える強面の美貌を抱く男だが、無理に笑みを浮かべようとしないところが逆に好ましく思えた。シグルドに対して酷い事ばかりをする者が多いと聞く部隊の隊長にしては、話し方や声に嫌味気もない。

 丁寧な仕草で手を取られ、その甲に口づけを受けたシャルロットはちらりと彼の背後に目をやる。

 アウレスの副官、セイレス、だったか……。そちらも、特にシグルドへの敵意があるようには見えないが。


「王女殿下、よろしければ一曲、お相手願えないでしょうか」


「私とか?」


「はい。ご迷惑でなければ」


 魔界におけるダンスのルールは、既婚者であれば、その夫の許可を取らなければ別の男性と踊る事は許されない。独身の場合は、恋人の許可が、という掟があるのだが……。

 シャルロットには、非常に執着心の強い番犬がいるわけで。


「俺が先だ」

 

 予想通り、控えろと目で促しても控えてくれないわんこだった。

 そういえば、後で一緒に踊ると約束をしていたのだったか。

 

「シグルド君、すまないが……、君との約束は後に」


 友人のよしみで気を利かせて……、くれるわけもなかった。

 自分との約束を後回しにすると言い、アウレスの申し出を受けようとしているシャルロットを……、鬼神が!! 大魔王級の狂暴わんこが!! 凄まじい眼力で射殺しにかかってきている!!


「シャルロット……っ」


「あ、……あ~、え、えっと」


 なんだこの面倒な気持ちは……。まるで、恋人の目の前で他の男と浮気でもしているかのような、女の気分が云々。だが、シグルドの気持ちは考えるまでもない。よくわかっている。

 先に約束を交わしておいたのに、他の者を優先してしまうのは、礼儀を欠いていると言いたいのだろう。

 シャルロット自身もそう思っているし、悪いとは思っている、の、だが……。


「シグルド君、私と君は友達だろう?」


「あぁ」


「私は君を信頼しているし、君との約束も大事だと思っている。だが、こういう時は外交を優先すべきだと、そうは思わないか?」


 訳=友達なら、ちょっとは融通を利かせてくれよ。で、ある。

 シグルドも天界からの客人に違いないが、関係性が違う。友達と、ただの知り合いの間にある壁が。

 だからこそ、少しくらい甘えさせてほしいと訴えているシャルロットなわけだが、独占欲の塊にそんな事を言ったところで無駄なのである。


「アウレス、後にしろ」


「シグルド……」


「すまない、アウレス殿……。見ての通り、我が友人は狭量でな。優先してやらねば、すぐに拗ねるのだ」


「いえ……。では、シグルドとのダンスが終わるまで、控えさせて頂きます」


「ありがとう」


 アウレスは一度シグルドをじっと見つめると、意外にもあっさりと引いてくれた。

 副官の方もニコニコとした笑みを崩さず、……シャルロットとシグルドに小さく頭を下げて上官に従って行く。

 だが、その様子を遠くから見ていた一部の天使達、恐らくは、アウレスの部隊の者達なのだろう。

 彼らはこちらを見ながら口々に何かを呟いているように見えた。

 

(シグルド君を嫌っているのは、下の者達が主、という事か……)


 聞こえなくても、その口の動きと視線、向けられている気配からすぐに内容がわかってしまう。

 魔界にも純血の血統を重んじる者はいるが、小物の部類に属する者は総じてわかりやすく、そして、ああいう風に程度が低いものだ。特に危険視する事もないな。シャルロットはシグルドに向き直る。


「……悪かった。拗ねるな」


「ふん……」


 邪魔者が去って行って少しは機嫌が直るかとも思ったが、シグルドは苛つきを深めるばかりだ。

 見上げてくる大好きなシャルロットの事を咎めるように、いや、確実に咎めている目で睨み続け、鼻を鳴らした。……可愛くないな、この野郎。内心でシャルロットがプチ切れしたのも仕方がない事だろう。

 狭い、狭すぎるわんこ天使の心。先に約束を破り、アウレスを優先したシャルロットも悪いが、今のシグルドはあまりにも器が小さすぎて……。


「――ぐっ」


 つい、イラッときて、シグルドの脛をヒールの先で蹴り付けてしまった。

 所謂、弁慶の泣き所というやつだ。シグルドにも有効だったらしく、小さく苦痛の声を捉える事が出来た。


「私の友でありたいなら、もう少し寛容さというものを持ってくれ。私は魔界の王女で、断れない誘いや、君より優先しなくてはならない事もある。だが……、約束を破って悪かった。心から申し訳ないとは、思っている」


「シャルロット……」


「本当は、君と先に踊りたかった。だが、君ばかりを贔屓しては……、色々と、な」


 シグルド自身も、自分のやっている事が子供っぽいとわかっているはずだ。

 魔界の王女の友となる事の意味。その付き合い方……。

 近くにいても、心の距離が縮まっても、彼女には優先すべき事がある、と。

 

「……には、ならない、という事か」


「ん? シグルド君?」


「いや、……わかった。今度から気を付ける」


 苛つきから苦痛へ、苦痛から落ち込んだ気配へ。

 シグルドの変化の理由と、寂しさからだと解釈したシャルロットは、手を差し出す。

 

「さ、踊ろう。アウレス殿を待たせ過ぎては悪いからな」


「……あぁ」


 僅かな躊躇いを見せ、シグルドはその小さな手をひっくり返すと、シャルロットの前に跪いて甲にキスをした。

 アウレスの唇が触れた場所。そこに、シグルドの熱と柔らかな感触が触れる。

 他の男の痕を拭い去るかのように、一瞬だけ……、濡れた舌が手の甲の表面をなぞり、俯いていたその顔から彼の青い瞳が見えたかと思うと。


「……っ」


 気を付けると、そう口にしたくせに……。

 シグルドの瞳には、シャルロットに対する独占欲と執念の激しさが強く燃え揺らめき、譲る気などないと、改めて宣言しているかのように思えて……。


(はぁ……。これで無自覚とは、本当に困ったわんこだな)


『彼女』の生きていた世界でも、こちらでも、シグルドは所謂、重い男に分類されるタイプだ。

 執着され、好かれすぎると煩わしくなる女性も多い。勿論、男性からの立場でも、依存体質な相手は重荷に感じる事だろう。……だが、シャルロットは困ったなと思いつつも、まるで嫌悪感を抱かない。

 時には、一途に自分を慕ってくるシグルドの事が好ましく思えるほどだ。

 随分と懐が広い、と思わなくもないが、それもなんだか違う気がするのは……、気のせいだろうか。

 シャルロットは立ち上がったシグルドと共に会場の真ん中に向かうと、彼に腰を抱かれた。

 踏み始めたステップにたどたどしさはなく、シグルドは楽団の奏でる美しい音色に身を委ねながらシャルロットを見事にリードしてみせる。


「……こんな風に、天界でも女性をリードしているのか?」


「いや。母親の練習に付き合う内に慣れただけだ。それ以外では、お前が初めての相手だ」


「それは光栄な事だな」


 シグルドは根っからの女嫌いだが、軍に属しているエリート中のエリートが母親以外の女性と踊った事がないとは……。天界でも舞踏会などの類は多いと聞いているだけに、このわんこ天使が円滑に社交界を渡り歩けているのかどうか不安になってしまうところだ。

 

(だが……、そうか。私が初めて、か。ほぉ~、そうかそうか……)


 何だろう。このわくわくとしたあったかな気持ちは。

 シグルドの巧みなリードに身を任せながら、シャルロットは注がれている大勢の視線さえ忘れて微笑む。

 今までに自分のパートナーを務めた者とは感じる事の出来なかった、特別な感覚。

 この男の腕の中に身を委ね、一心に見つめられながら踊る事が楽しくて……、全身に喜びの情が満ちていく。


「――っ。シャルロット?」


 気が付けば、シャルロットは本来の姿に戻っていた。

 再び現れたその美貌にシグルドが一瞬だけ動きを鈍らせ目を瞠ったが、大衆に気付かれるミスは犯さないで済んだようだ。


「不意打ちは、困る……」


「ふふ。私は楽しいぞ?」


「……意地悪だな」


 この姿が、というよりは、大勢の目に晒される場で変化を遂げたシャルロットを今すぐに隠してしまいたい、という感情からなのだろう。シグルドは拗ねた子供のように視線を逸らし呟くと、挑戦的な動きでステップを踏み、シャルロットを翻弄し始めた。

 タイミング良く、曲の方も加速のかかった盛り上がりのある部分に突入したせいもあるが、あきらかに、驚かされた仕返しをしようとしている。

 勿論、踊り慣れているシャルロットには、朝飯前の挑戦状だ。

 見事にシグルドの動きに合わせて軽やかに舞ってみせながら、シャルロットは片目を瞑ってみせる。


「このくらいじゃ、私には勝てないぞ? ふふ、他の事など気にするな。今は、君と私だけの世界だ。存分に楽しもうじゃないか」


「シャルロット……」


「君とは、本当の姿で踊りたいと思ったんだ。だから許せ」


 他の者と踊る時は、いつも一曲が早く終わるようにと願ったものだ。

 魔界の王女という立場越しにシャルロットを見る者達、その身に眠る魔石ごと手に入れようと画策する者達。

 いつだって、シャルロットが誰かと対する時は余計な壁が存在していて……、自分自身もまた、彼らをそういう目でしか見る事が出来なかった。

 相手の目的がどうあれ、シャルロットが正体を明かした上で自分自身を見せた異性は少ない。

 こんなにも近くにいる事を許した相手も、……これで『二人目』だ。


「なぁ、シグルド君……」


「何だ?」


「君と一緒にいると、……楽しいな。とても。共に過ごす時が長くなればなるほど……、君の事を知って、君といる事が心地良くなって……」


「俺も同じだ。お前のこの手を離したくない。ずっと、ずっと、お前の傍にいたいと、俺だけを見てほしいと、願ってしまう」


「ははっ、欲張りな友情だな。安心しろ。暫くは特定の相手を作る気はないからな。何百年かはこうして仲良くしていられるさ」


 行動も、言葉も素直なのに……、彼はその思考だけを偽り続ける。

 その願いは、友人関係にしては行き過ぎたものだと、いまだ気付かずに。

 シャルロットが微笑ましそうに苦笑してみせると、シグルドは青い瞳に寂しさを揺らしながら呟いた。


「終わりが、あるのか……?」


 シグルドの鮮やかなリードで一度くるりと花ひらく蕾のようにターンしたシャルロットは、立ち止まらずに答える。


「終わりじゃない。私と君は、いつまでも友達でいられる。……だが、今日も言っただろう? 特別な相手が出来れば、その存在を裏切るような行いは許されない。たとえ、仲の良い男女の友達関係であろうと、必要以上の接触や関りは、な」


「……」


 繋ぐ手に、腰を抱くそれに、力が籠る。

 シャルロットにはわかっていた。感情を自覚出来ていない目の前の男が、本能の底から悲しみの情を叫び、胸の奥で涙を流している事を。昼間に話した時と、同じように……。

 

(まるで……、呪いだな)


 互いに、『友』だと口にする度に、二人の胸にある真実が濃く曇っていくかのようだ。

 だが、シャルロットはそれを薄々と感じていながらも、また、口にしてしまう。

 

「もし、離れる事になっても、滅多に会えなくなっても、生涯……、私達は、友達だ」


「……シャルロ」


「さて、一曲終わったな。アウレス殿の相手をしてくる。また後でな」


 誰にも邪魔されない、二人だけの夢。

 その時間が終わりを告げると、シャルロットは少女の姿に戻って人混みの中に消えてしまった。

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