第二十五話・麗しきは魔界の姫君
「姫様、シグルド様がお迎えに参られました」
「あぁ、通してくれ」
天使達を招いての歓迎会と称した舞踏会まで、あと一時間ほど。
女官達によって美しく飾り立てられたシャルロットは、少々重たく感じられる白のドレスに身を包みながら立ち上がった。
(ふぅ……。まさかエスコート役を引き受けるとはなぁ。どういう心境の変化なんだか)
シャルロットを友人だと、目指す立場は親友だと豪語していた男が、厄介な役目を引き受けた。
そう聞かされた時、シャルロットの胸にあったのは……。
(いやいや、別に何を動じる事もないじゃないか。ただの舞踏会だ。たとえ誤解されたとしても、天使達との交流ついでだと言えば、それほど変な噂が立つ事もないだろう。そう、あくまでシグルド君は、エリィちゃんの代理みたいなもので……)
シグルドがどんな恰好をしているのだろう、とか、顔を合わせるのがちょっと恥ずかしいなとか、余計な事を思う必要はない。妙にドキドキとする胸に手を当てながら、シャルロットが入室してきた彼に目を向けると。
「――っ!!」
「…………」
軍服と思われる凛々しい純白の衣装を身に纏った長身の逞しい一人の青年。
前髪はヘアワックスの類でスッキリと後頭部に向かって撫でつけられており、切れ長の力強い青の瞳がよく映えている。シャルロットの部屋に集まっていた女官達が小さな嬉声を上げかけ、ぐっと堪える姿が見える。
流石、王宮女官。根性で耐えているようだ。だが――。
(か、かかかかかかか格好良すぎじゃないか!! シグルドくぅうううううううううううん!! いやいや、元から凄い美形だと思っていたが、正装するとある種の破壊力が何倍っ、いや、何千倍、何万倍にぃいいいいい!!)
少女漫画のヒーローも霞んでしまうくらいに、美しすぎる!!
両手で顔を覆い、女官達と同じポーズを取ったシャルロットだったが、根性で理性を総動員させた。
その場に踏ん張り、自分は何も見ていない、何も感じてなどいない、くらりときていない、などと言い聞かせ、シグルドの方に歩み寄る。
「す、すまないな、シグルド君。こ、今夜は、ウチの父様が無理を言って」
「…………」
「ん? シグルドく~ん? おい、どうしたんだ? シグルドく~ん?」
変だ。返事がない。ついでに、表情が真顔のままピクリとも動かない。
――むに。試しに頬の肉を抓んでやると、ようやくシグルドの意識がシャルロットに反応した。
「……シャル、ロット?」
「お。やっと気づいたか。大丈夫か? シグルド君」
「シャルロット?」
何故、そんな不思議そうな顔で聞くんだ……。
シャルロットは怪訝な顔をしかけ、だが、すぐに気付いた。
今の自分は、普段の十代半ば程に見える少女の姿ではない。
本来の姿である二十代前半程の、大人の姿で彼の前に立っているのだ。
まぁ、そりゃあ驚くだろうなぁ、と、ある意味初めての対面仕様に、シャルロットは微かな笑みを零す。
だが、改めて自分はシャルロットだと告げた彼女に、――シグルドは。
「シグ、――うわぁああっ!!」
あろうことか、まさかの事態が起こった!
堪らん! と言わんばかりの表情でシャルロットを腕の中に閉じ込め、その首筋に顔を埋めた挙句に、クンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクン!! 全力で人の匂いを嗅ぎ始めたわんこ天使!!
「シャルロット……っ、シャルロット!!」
「そ、そうだと言ってるだろうがっ!! ちょっ、こ、こらっ、落ち着け!! シグルドくぅううううん!!」
クンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクン!!
確認作業? のようだが、恐ろしく熱烈なその行動に耐えきれなくなったシャルロットが無理矢理にシグルドを引き剥がすと、彼の顔は朱色に染まり、乱れた息が妙に色っぽく……。
「シャルロット……っ」
「ひぃいいっ!! そ、そんな声で人の名前を呼ぶんじゃない!!」
マタタビに酔い痴れた猫、いや、犬か……。
今のシグルドは、シャルロットに対して何らかの恍惚感を覚えているらしく、はにゃ~んとこちらを見ている。
匂いを嗅ぎたくて堪らない、抱き締めてスリスリしたくて辛抱堪らん、そんな様子だ。
だが、そんなシグルドと困惑しているシャルロットの様子に感想を述べる者達が現れた。
シグルドと同じ軍服姿に身を包んでいる、クリスウェルトとエクレツィオの二人だ。
「ふふふ、シグルドってば、何やってんだよ~。姫君が滅茶苦茶綺麗だからって、即発情とか、ちょっとみっともないぞ~」
「シグルド、落ち着け。相手は王女殿下だ。立場と状況を弁えられないのであれば、ただの獣同然だぞ」
男前が二人も追加された室内で、女官達が必死に抑え込んでいた萌えゲージの破壊に追い打ちがかかる。
耐えろ、耐えてくれ、精鋭揃いの王宮女官達よ! ここで萌え崩れたら、魔界の威信に関わるぞ!!
と、シャルロットを含めた全員が必死にエールを掛け合っていた水面下なのだが、クリスウェルトがパチンッと、愛嬌たっぷりにウインクをしてみせると、まず二人の女官が大破した!
そして、エクレツィオが眼鏡の中心に指を添えながら流し目を送ると、今度は眼鏡キャラ好きの女官が三人大破!
「しっかりぃいいいいっ!!」
「王宮女官がこのくらいでノックダウンされてどうするの!!」
「立ち向かうのよ!! 自分の中の萌えに負けてはいけないわ!!」
普段でも黄色い声援が胸の中で絶えないというのに、そりゃあバッチリ正装した彼らを見れば、理性など木っ端微塵だろう。だが、シャルロット的には……。
(確かに、クリスウェルト君とエクレツィオ君も素敵だと思うが、私は断然シグルド君だなぁ)
いまだに自分を見つめ、ブンブンッと嬉しそうに尻尾を振っているわんこ天使。
彼が一推しだ! と、心の中で主張したシャルロットだが、すぐにそんな自分に気付いて咳払いを落とした。
誰も聞いていないのに、何を誤魔化しじみた事をしているのだか。
シャルロットは気を取り直し、二人の天使へと近づいた。
「今夜は存分に楽しんで行ってくれ。魔界の者達と君達天使の距離が縮まるように、私も尽力させて貰う」
「いつもは、顔を合わせる度に険悪になっちゃう事が多いもんね~。でも今日は、大天使様達と魔王陛下公認の舞踏会だから、努力させて貰うよ」
「喧嘩を売られない限りは、節度ある行動を心がけるとしよう。ところで」
「ん? どうした?」
「本来の姿に戻り、美しく着飾っているところ申し訳ないのだが……、出来れば、少女の姿になった方がいいかもしれん」
何故に? シャルロットが首を傾げると、エクレツィオはぷるぷると震えているわんこ天使を親指で示し、こう付け足した。
「王女殿下の美しさと、ある種のフェロモンがダダ漏れになっているようでな。この通りだ」
クリスウェルトとエクレツィオが壁になってくれているお陰で助かっているが、その向こうにいるシグルドの状態はさらに悪化していた。両手をわきわきとさせ、「シャルロット、シャルロット……っ! ぉおおおおおおっ!!」と、抱き着く隙を狙っているわんこ天使……。
(はぁ……、女官達には悪いが)
身の安全の為だ。シャルロットは大人の姿から少女体へと変化を遂げ、服や装飾のサイズもそれに合わせた。
まぁ、たまにはこの姿で舞踏会に出席するものいいだろう。
「う~ん、残念。やっぱり、大人の姿の方がグッとくるものがあるんだけど、……シグルドが魔界の牢に入れられるのはアレだし、仕方ない、っか」
「魔界の地にて天使が罰せられるなど、醜聞でしかないからな。ふむ……、だが、やはり惜しいな。王女殿下は母君であられる王妃陛下と似た面差しと美を持っておられる。その顔に、俺がデザインした眼鏡を掛ければ、さらに美が引き立つと思うんだが」
「うん、エクレツィオ、それはまた今度な~。さぁさっ、時間もない事だし、俺達は会場に向かおうぜ。シグルド、姫君の事、ちゃんとエスコートするんだぞ~」
何をしに来たんだか。二人の天使は軽く挨拶をして部屋を出て行ってしまった。
恐らく、エスコート役を引き受けたシグルドとシャルロットがどうしているか様子を見に来てくれていたのだろう。彼らはとても友人思いのようだから、シグルド関連で気苦労が多いとみた。
「シャルロット……」
「お、少しは落ち着いたか?」
「……いつも」
「ん?」
「いつも、魔界の公式の場では、あの姿をしているのか……? あの美しさを、匂いを、他の男達に」
興奮状態は治まったようだが、シグルドの顔は不満そうだ。
その理由をシャルロットは知っているが、あえて知らないふりをしながら頷く。
これでも一応は魔界の王女だ。その威厳を民衆や貴族達に見せる為にも、本来の姿の方が都合が良い。
……まぁ、大人の姿でいると、別の面倒が起きる事もあるのだが。
そう説明してやったのだが、やはりシグルドは不機嫌さを前に出して言ってくる。
「男の前ではやめた方がいい。変な虫がついて、纏わりつかれる可能性が高い」
「あぁ……、確かにあるな、そういう事が。縁談の話が増えたり、どこからか視線を感じたり、差出人不明のプレゼントが届いたり。だがまぁ、いつもの事だから大丈夫だ。それに今夜は、この姿で行くしかないようだしな」
「……ずっとそうしてくれ。俺の前以外では」
その場に片膝を着き、シャルロットの手の甲に恭しく口づけるシグルド。
まったく……、その言葉の意味に、まだ気付かないのか?
若干呆れ気味にシャルロットは小さく息を吐く。相変わらずだ、と。
だが、その懇願に彼女はこう答えを返してしまう。
「考えておく」
微かに綻ぶ口元。シャルロットはシグルドからの願いにちょっとした喜びを感じながら、返したのは彼の心に沿う言葉だった。台詞的には曖昧な、どっちつかずのものだが……、シャルロットがくれた音に、シグルドは何かを感じたのだろう。彼は嬉しそうに表情を和ませ、魔界の姫の額へとキスを返したのだった。
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