Ⅳ ジェイルの素顔

「お、そこにおわすは我がアメジストが誇る警備隊の第一隊長様じゃあないか!」


女王府内の廊下を歩いていると、背後から自分を呼ぶ声がしたのでジェイルは驚いた。

突然声をかけられたからというわけではなく、それがひどく懐かしい声だったからだ。


「……これは驚いた。珍しい声に呼ばれたかと思えば、未来の情報府長官様じゃあないか」


振り返ると、やはりそこに懐かしい顔があったのでジェイルはつい口元を緩める。


「やあ、元気にしてたかい、ジェイル。相変わらず恐ろしい顔をしてるな君は」


満面の笑みを浮かべながら、そんなご挨拶をしてくるのは、ジェイルの長年の親友であるマルローだった。


「……久しぶりだな」

「ああ、久しぶり」


憎まれ口もそこそこに、どちらからともなく両手を広げる。

アメジスト国警備隊第一隊長ジェイルロック・ラズライト、諜報隊隊員マルロー・ウィリアーズの二人は互いに親友との再開を喜びながら抱擁を交わしたのだった。


「いつこっちに戻ってきてたんだ?」

「昨夜だよ。近く大陸会議クラリティが開かれるだろ? その関係で僕にも急遽お呼びがかかってね。活動は一旦引き上げ、ってわけさ」

「ほう。ではしばらくはこっちに?」

「どうだろ。あまり期待はしてないけど」


情報府諜報隊。

国内きってのエリートたちで構成される彼らの任務は文字通り他国での諜報活動が主だ。そのためマルローたち諜報隊員は普段から国許を離れて各地を転々としていることが多く、こうして顔を合わせても次の日には赴任地へ旅立っているということも珍しくない。


「なるほど……そういえばお前はどこを担当していたんだったかな」

「それは言えないよ。諜報隊の活動内容は内外ともに極秘。たとえ親友の君にだって話せることじゃあない。わかってるくせに」


いつまでその手を使うんだ、とマルローが口を尖らせる。

昔はよく会話の中に質問を織り交ぜるだけで、つられたマルローは秘密でもなんでもすべてジェイルに喋っていたものだ。


「……そうだった。いやなに、仕事が忙しそうだったんでちょっと聞いてみただけだ。少し痩せたんじゃないのか?」


まだ疑いの目を向けてくるマルローの顔を見てジェイルは言った。

もっともこの場合、痩せたというよりも線の細さに磨きがかかったという表現のほうが合うかもしれない。

もともと貴族生まれの整った顔立ちをしているマルローだ。長ずるにつれ余計な部分が削ぎ落ちたといった感じの顔つきは細く、しばらく会わない内に伸ばしていたのであろう長い髪を今は後ろで結わえていることもあり、その佇まいにはどこか繊細で中性的な雰囲気が漂っている。


「そうかな? 別に変わったつもりはないけど。そういう君こそ痩せた気がするね。なにかとお忙しいそうじゃないか。警備隊長様のご活躍はうちでも噂になってるよ?」

「嘘をつけ。噂になるほど大それた成果を挙げた覚えはない」

「ふふっ、なら国内の治安はすこぶる良いってことかな? 誇れることじゃあないか、ジェイルくん」


わかりやすい皮肉を交えて肩を叩いてくるマルローの挑発に、ジェイルは眉間に皺を寄せ、しかめ面をつくる。

とはいえ、決して不快に感じたというわけではない。

こうして相手にしてやらないと、今度はマルローがふくれっ面になるからだ。

手慣れた親友とのやり取り。

普通、常識で考えればジェイルとマルローが互いに軽口を叩き合うような間柄になることなどまずあり得ない。それは職務上での立場の優劣という理由の他に、二人の間には歴然とした身分の差があるからだった。

平民出のジェイルに対し、マルローは貴族の生まれだ。

したがってジェイルからすれば、本来マルローは気安く口をきいていいような相手ではないし、マルローからしてみてもジェイルはまともに口をきくような相手ではない。

ただ、昔から妙に馬が合った。

きっかけがなんであったかと聞かれれば、入隊したての頃に執り行なわれた貴族との模擬戦で、暗黙のルールを破り完膚なきまでに相手を叩きのめしてやった時だとジェイルは記憶している。しかし酒の席でその話をすると、マルローはいつも涙目になって「いいや逆だ。僕が叩きのめしたんだ」と譲らない。

だから、ジェイルはもう覚えていないことにしてやっている。

そんな貴族らしからぬ性格のマルローであるから、二人はいつしか身分の垣根を越え、こうして今も変わらぬ親交を持ち続けているのだった。


「まったくお前は……たしかに変わってないな。相変わらずだ」


ジェイルがそう言っていつものように肩をすくめると、マルローは嬉しそうにくつくつと喉を鳴らした。


「ところで君はこれから外かい?」

「ん? ああ……まあ、そのつもりだが」


と、ジェイルはここに来た用事を思い出した。


「その前に長官に話があってな。部屋に行ったんだが、どうも今朝から警備府を留守にしているらしい。いるとすればここだと思って来たんだが……」

「それは残念。たしかにここにはいるけどね、今は陛下と大事なお話中。お会いすることはできないよ」

「 ……陛下と長官が?」

「だけじゃない。うちの長官と国防府の大臣も呼ばれてるらしい」

「クラウス卿たちもか……それまたすごい面子が集められたもんだ」


アメジスト国内でも屈指の権力者である三人が揃って顔を合わせることなど滅多にない。

しかし、その顔ぶれを聞けば首をすくめるよりも口角が上がってしまうのだから不思議だ。


「大丈夫なのか? まともに話し合いができるとは思えんが」

「くっく、たしかに」


マルローも肩を揺らした理由は、三人の折り紙つきの仲の悪さだった。もともと家柄同士が犬猿関係である彼らは、隙あらば相手を蹴落とそうと日頃からことあるごとに噛みつき合っている。

そんな三人が仏頂面でオリガの前で控えている姿を想像すれば、ジェイルたちでなくとも笑えるだろう。


「しかもの話みたいだからね。大陸会議クラリティ並みに荒れるかもよ?」


マルローが指で独特の形をつくる。


「ああ、予算の話か」


一転。たしかに面倒だな、とジェイルも嘆息した。

なぜならそれぞれの府に割り振られる予算は均等ではない。情勢に合わせて必ずなにかしらの差が生まれるため、それはそのままあの三人の差を表すことに繋がるからだ。そうなるとまたしばらく長官の苦虫を噛み潰したかのような顔を拝まなければならない可能性だってある。

ジェイルはそれがたまらなく嫌なのだ。


「それでなくても今はジェイルのとこは大変じゃないのかい? 大陸会議クラリティ前に不祥事が起これば、真っ先に予算を削られるのは君たち警備府だぞ。責任重大だあ」


マルローはおどけて言うが、さすがにこればかりはジェイルも心の底から渋面を浮かべてしまう。


「お前のとこではどうなんだ。なにか変わったことはないのか?」

「というと?」


不機嫌そのままにといった様子でジェイルがたずねると、マルローは首を傾げた。


「会議に参加するクイーンたちの動向も掴んでいるんだろう。奴らが領内に入ればこちらもそれなりの備えをせねばならん。特にサファイアの一行が通過するとなると、近隣の街が心配だからな。今の時点で不審な動きがあれば聞いておきたい」


つまりからかうのは勝手だが、対価として少しくらい情報を寄越せということだ。

しかし、それを聞いたマルローはぐっと顎を引く。

任務の内容は極秘と言った側からの親友の催促に、視線が抗議していた。


「なにか起これば予算が削られてしまうそうだ」


ただ、ジェイルがそう冗談めかして肩をすくめると、しばらく口をもごもごさせていたマルローも諦めたのか、大きくため息をついて降参したのだった。


「……まあ、そっちはまだ問題ないみたいだけど」

「ん? 他に問題があるような言い方だな」


嫌そうにしぶしぶ答えるマルローではあるが、ジェイルは構わない。

サファイア同様、残りの二人も相当な曲者だ。他国の土を踏みながらでも面倒事を起こすことくらい平気でやってくる恐れがある。


「南がね。クイーン・トパーズが、今朝方の時点でまだ国を出立していないらしいんだよ」

「なに?」


マルローの言葉にジェイルは耳を疑った。


大陸会議クラリティはもう目前だぞ。あと数日でどうするつもりだ。まさか」


会議をすっぽかすつもりなのか? という予想の斜め上を行く問題にジェイルは眉をひそめる。


「はあ、やっぱり君もそう思うよねえ……僕たちも困ってるんだ。艦隊を集結させてる素振りもないし。なに考えてるんだろ、あの国は」


南の超大国トパーズの北には広大な砂漠が広がっており、もしクイーン・トパーズがここに来るとすれば、普段からその砂上で軍事演習を行っているすべての軍船に大号令がかけられるはずだ。

魔法石を背景としたそれら艦隊の威容と機動力がトパーズを大陸最強足らしめている所以の一つであり、クイーンが動くとなればまず間違いなく戦規模の陣容が整えられる。

その気配がないのであれば、そういうことなのだろう。


「だからこのあとトパーズから続々と上がってくる情報をまとめないといけなくてね。で、逐一陛下にご報告差し上げるのも僕の仕事、ってわけさ」


そう言って、お手上げだとばかりにマルローが首をすくめる。

これ以上喋るのはもう勘弁だよ?

と、暗にジェイルに釘も刺しているわけだ。


「てことで、ジェイル。ごめんよ。もう少し君と話していたいんだけど、そろそろ僕も戻ろらなきゃ」

「む? ああ……そう、だな。俺も一旦持ち場に戻るとしよう」


そうして互いに切り上げかけると、最後にもう一度自然に肩を抱き合った。


「……昔を思い出して楽しかったぞ」

「くっく、君がそんな台詞を言うなんて。じゃあ今度は酒でも飲みながらゆっくり話をしたいね」

「ほう、ちょうど今年一番の葡萄酒が出回り始めた頃だ」

「へえ、楽しみにしてる」


そんな別れの言葉を交わした後、ジェイルとマルローは名残惜しみながらもそれぞれ畑の違う職務へと戻っていったのだった。

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オズは彼女の魔法使い よつや @yotsuya

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