Paracelsus Lehrer.

虎渓理紗

 「埃っぽい……」

 死んだ博士の研究室は、一歩踏み入れると濃い花の香りがした。ふんわりと薫る、様々な花の匂い。アロマオイルを垂らした時とは違う。もっと濃い――、深い花の匂いだ。

 その死んだ博士というのも、華やかな香りが漂う研究室の真ん中で、机に伏してそのまま死んでいた。死体はフラスコの中の花に囲まれ、辺りは花で飾られていた。墓に花を手向けるように周りを飾るのだ。腐臭は、その花の香りでかき消されたらしい。

 死んでから数日――、過ぎていた。

 その葬式とやらも、博士には奥さんがいなかったのでささやかなものだった。私と、弟子、博士に関わったという研究者たちが何人か。

 博士の研究人生はここで終わった。

 世間には「なんの成果も得られなかった」と語られることであろう博士。文字通り、変な学者と周りは噂していた。研究内容もこの世界を変えるというほどのものではないだろう。

 しかし、私は知っている。

 博士に何年も教わった私は、博士が「なんの成果も得られなかった」などと後世に語るつもりはない。この研究室を片付けながら、私は考えるのだ。この研究が無駄なわけがない。

 あぁ、そうだ。

 博士が研究していたことを私が語る前に、私と博士の話をしようと思う。そんなに気張らなくても良い。気楽に聞いてはくれないだろうか。私も、その方が話しやすいというものだ。

 ――一人の教授と、助教の話だ。

 では、語ろう。


 私の名前はアオイという。

 漢字で書くと「葵」だ。私の見た目が男にも女にも見えるせいで、性別がイマイチ分かりにくいと言われる。一応「女」と周りには言っている。周りには、というのには訳がある。

 正確にいうと、私の性別は無いのだ。

 私は人工的に作られたモノ。

 自然な人間に見えるように人工的に作られた体は、人間のように肌の感触があるし、質感もある。聴覚や味覚、触覚、嗅覚、視覚……、人間と同じような機能が全て備わっている。

 感情も雰囲気を読むことも、人工知能が機能しているおかげで理解ができる。

 私の見た目は人間そのもの。

 私が「人間でない」と言わなければ、見た目では分からなかった。私は、人間によって開発された、人間そのものを作り出す機械人形オートマタだ。

 検体番号0002358406

 人間に最も近い人工の人間を創るために、人間に紛れ、人間の思考回路を近くで見て学び、自分に取り入れることを目的とする。この世に数多くのアンドロイドを送り込んだ、ロボット会社が現在研究している最大課題。

 人間にはアンドロイドであることを隠し、私は大学生から初めて現在まで普通に生活している。マンションに独り暮らしをして、たまに自分が作られた研究所に向かい、身体の検査をしてから大学生として大学に通っていた。自分の進路もプログラムではなく、自分自身で探すことも私の役目だった。

 やがて、学士号を取り、私は大学院に進み、博士に会った。官僚、政治家、大企業の営業と、周りのアンドロイド達はそれぞれ違った立派な進路を選んでいたけれど、私は研究がしてみたいと思った。私が作られた目的を、私は知りたかった。それは研究している人間のそばにいれば分かるのではないかと、私は自分で考える。

「アオイさん、研究につきたい教授さんはいた?」

「……いいえ。見つからないです」

「そろそろ決めて欲しいかなぁ。申請も……、手間がかかってしまうから」

 私はなかなかつきたい研究室が見つからなかった。アンドロイドでありながら、人間が作れなかったものが好きで、生物学の道に進んでいた。しかし、この環境破壊にも程がある世界で、生物学を研究している教授はなかなかいない。

「元々少ないから、気長に探しな、ね?」

 事務員は疲れているみたいだった。

 外は排気ガスで溢れている。私にはそれを排除する機能が備わっているため、マスクがなくても問題はないが、人間にとってこの環境は苦しいだろう。

 近年、どんどん減っていく人間が住める土地を、いかにして確保するかが議論になった。その中で一番の方法として挙がったのが『全世界都市化計画』だ。簡単に言えば、人間は住む場所を確保するのではなく、今ある土地をいかにして棲める環境に整えるかを充填したのだ。少ない土地を全て都市化し、自然な環境をビル群にし、人間が住むためだけに活用した。

 人間は自然環境を破壊することによってでしか、住む場所を確保することが出来なくなってしまったのだ。

 当然、環境破壊でしかない行為は、ますます環境破壊を促進することになる。それも、人間が生きる分の酸素を創り出すことができるようになった人間には、怖いものではなかったのだ。

 酸素を創り出す植物は大抵、地下で人工的に育てられている。私たちが見られるのは、町の植え込みや観葉植物。

 緑は極端に少なくなってしまった。

「あっ、でもこの人とかどうだろう。ちょっと変わり者だけどいい人よ」

 そう言って事務の人が私のディバイスに転送してくれたデータの人物。

 ――それが博士だった。

「おや、ずいぶんと若い人だね」

 大学を卒業したばかりだと伝えてはあった。まぁ、私の見た目は大学生を想定して作られているから、ずいぶんと若いのは自覚している。

 年を取らないアンドロイドは、自然に老いることはない。

「アオイといいます、よろしくお願いします」

「アオイ、漢字は『葵』かい?」

「……え、まぁ、そうですね……」

 私の名前は元々ない。割り振られた検体番号が名前といえば名前であるが、作られた研究所でしかそれは呼ばれない。この名前も自分で考えた名前である。ふと思いついたもので、本当は漢字など考えてはいなかった。

 しかし、漢字は無いというとそれはおかしい。なので、はぐらかすためにこう言ったのだった。

「アオイというのは、アオイ科に含まれる植物の総称」

 博士はポツリと呟いた。

「君はどんな花が好きかい」

「……え、えっと……」

 博士は戸惑う私を見て、本棚から使い古された図鑑を手に取って机に広げた。

「まず、タチアオイ。漢字で書くと『立葵』だね。西洋では『hollyhock』という。十二世紀ごろにシリアから十字軍によって運ばれて来た花。聖地の花という意味だ」

 指で図鑑をなぞる。説明してくれる声は穏やかで静かだった。

「花言葉は『あなたの美しさは気高い、豊作』という」

「素敵な言葉ですね」

「そうだろう。まだあるんだ」

 その後もアオイ科の植物を丁寧に教えてくれた。もう絶滅してしまって、見られなくなってしまった花もあった。よく考えれば、この世界で咲いている花など数えるほどしかないのだ。

 私も図鑑でしか見たことがないものばかりだった。

「質問はあるかね。なんでも聞いてごらん」

 フラスコの中では、絶滅してしまった花々が咲き誇っていた。私はこれこそが博士が研究していることなのだと察した。シャーレの中にはタネが転がっている。ぐっちゃぐちゃで何が置いてあるのかも分からない机の上。そこにも実験器具らしきものが放ってあった。くしゃくしゃの新聞記事は何語が書いてあるのか分からないものばかり。

 ――それが博士と私のファーストコンタクトだった。

 博士は、この世界に花を咲かせたいと言っていた。昔はこの時期には『お花見』といって、『サクラ』という花を見に、夜まで騒いだり、お酒を飲んだり――、その下で弁当などを食べることがあったのだとか。

 博士が子どもの時は、普通にあった習慣だったと昔を懐かしむように語ってくれた。この研究室の外の景色に、『サクラ』という花は見えない。博士はその思い出が忘れられなくてここで研究をしているのだと――。

「今は出来ないから、僕は、またあの花を見たい」

 それが博士の夢だった。


「検体番号0002358406――。君はこの後どうするんだ? 博士はいなくなったんだ。研究室に戻ってくるといい。君の能力があれば、こちらの研究も促進するだろう。是非活用したい」

 月に一度、メンテナンスをする。

 自分が造られた研究所に向かい、回線が悪くなっていないか、知能はどこまで上がったかを、研究所が記録するためだ。私は検査をする機械の中に入り検診される。

 人間ドックのようなものだろう。

「私は、博士の研究を継ぎます」

 たぶん、私がすべきことはそれなのだろう。

 造られた私が、今や大学で助教授として学生に教えていた。博士に色々な花のことを教わっていた。それが楽しかった。

「私は『アオイ』として、これからも博士の研究を続けようと思います」

 博士の夢を追いたかった。

 死なない私ならば、人間がこの先何百年かけても不可能である研究も完成させることができるだろう。私に、出来ることが何なのかを教えてくれた博士にならば、私の時間を使ってもいいと思ったのだ。


 フラスコの中の花は綺麗なピンク色をしていた。ガラスの中でしか生きられない青い花。黒板に書かれた黄金比率。管理が少しでも狂えば、その花たちは枯れ果ててしまう。

 シャーレの中の花たちも、小さい芽を出している。

 この研究室自体が、魔術を研究する場のようだった。聞いたことがある遠い昔の話。まだ化学など発展途上だった遠い歴史の彼方の話。研究をすれば異端だ、人的でないと処刑された、遠く、はるか遠い大昔の話。

 この世界の外に咲かせることなど到底出来ない花を、世間に公表など出来ないことを、こっそりと研究している。博士は魔法使いのようだった。魔法など、とうの昔に信じられていないこの世界で、博士は咲くと信じていた。

「アオイ先生」

 世間に価値などないと言われているこの研究を続けていた博士の研究を継いだ私は、やっぱり世間では博士と同じく、そう思われている。人工的に造られた私が、自然に憧れていたと言えばそうなのだろう。

 誰も理解できない。理解されないことをこれからも続けていく。

 人工的に作られた私は、誰よりも自然を愛しているのだ。




















Fin.

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Paracelsus Lehrer. 虎渓理紗 @risakuro_9608

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