第31話
「ヴィル……」
かけられる言葉が見つからず、私は彼の名を呼んだ。しかし次の瞬間、
「ぐはっ!!」
「ヴィル!!」
ヴィルが吐血した。事切れた旗山に比べればマシかもしれないが、明らかに内臓にダメージを受けている。
「ヴィル、しっかり!」
私はヴィルが自ら押さえていた腹部に手を遣った。手を重ね合うようにして、出血を押さえようと力を込める。しかし、
「うあ!?」
ヴィルの身体に、自分を立ち上がらせるだけの余力は残っていなかった。
「横になってください、すぐに綺麗な布か何かを調達して……!」
「駄目だ、神矢」
振り返りかけた私を、ヴィルは穏やかな口調で引き留めた。
慌てて視線をヴィルへと戻す。
「ヴィル……?」
私は自分が止められたことよりも、今まで聞いたことのない、ヴィルの安らかな声音に驚いていた。
そして続いたヴィルの言葉に、私は愕然とすることになる。
「俺を、殺してくれ」
「……?」
何を言われたのか、瞬時に理解することは不可能だった。
「ヴィル、あなたは何を言って――」
ヴィルは無言で、右手を撃ち抜かれた痛みに顔をしかめつつ、愛銃の状態を確かめた。
「あんた、リボルバーを扱うのは初めてか」
「いえ、リボルバーもオートマチックも、扱いは研修で受けて――」
「なら支障はないはずだ」
ほら、と言って、愛銃のグリップをこちらに差し出す。
「俺は銃を持ってる人間が怖い」
そう言って、微かに顔を背けるヴィル。以前そんな話をされたことは、私も覚えている。
「だが、あんたは別だ、神矢忍。あんたには、自分の『正義』を貫こうとする気概がある。俺なんか、まともに見ちゃいられない。眩しくてな」
ヴィルの口の端に、微かな笑みが浮かぶ。この状況を面白がっているのか、皮肉の表れなのか、そこまでは正直、分からない。
「旗山を――キャロルの仇を討った時点で、俺の存在意義はなくなった。だが、俺の命を狙っている連中はまだ居残っているだろう。そんな連中の相手をするのは、もう疲れた」
ヴィルの頬から、笑みがするりと滑り落ちる。
「本来だったら、自分で自分にケリをつけるのが筋ってもんなんだろうが……。俺はいつの間にか、自分自身でさえも、拳銃を持っているのが恐ろしくなった。だから、あんたに頼みたい」
私はごくり、と唾を飲んだ。
「俺を、その銃で殺してくれ」
ヴィルの震える左手と、私がおずおずと差し出す右手。
撃ちたくない。ヴィルを殺したくなんかない。そんな叫びが、私の胸中で跳ねまわる。しかし、そんな私に向けられたヴィルの真摯な思いは、私の意志など無関係に私をつき動かした。
どのくらい時間が経ったのだろう。ぽつり、ぽつりと降りだした雨は、あっという間に土砂降りになって私を、ヴィルを、そして旗山の屍を濡らした。まるで、私たちの今までの罪を洗い流すかのように。
ヴィルは、決して私を急かそうとはしなかった。時折私と目を合わせては、何も言わずに天を振り仰ぐ。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。
「……すまない。無理を言ったようだな」
そう呟くと、ヴィルは腕を伸ばし、旗山が使っていた拳銃を取り上げた。素早く状態を確認してから、自らのこめかみに押し当てる。
「じゃあな、神矢忍。俺のことはこれ以上引きずるなよ」
「待って!!」
次の瞬間、発砲音が響き渡った――ズドン、と。
「あ、あ……」
私は撃った。否、私『が』撃った。カツン、という軽い音を立てて、ヴィルの手から拳銃が落ちる。私はばしゃり、と音を立ててひざまずいた。ヴィルの愛銃を握りしめたまま。
「う、うわ、うわあああああああ!!」
結局、正しかったのはヴィルなのか、旗山なのか。私はどちらに加担してしまったのか。そして今の私の行動は、『正義』だったのか――。
「やっぱり、あんたに俺は殺せなかったか」
「……え?」
私は雨に打たれるがままになっていた顔を、まっすぐ前方に戻した。そこではヴィルが、両腕を使って何とか立ち上がろうとしていた。
「ヴィル……?」
「あんた、射撃は下手なんだな。こんな奴の撃った弾に殺されるなんてことになったら、死んでも死にきれない」
顔を上げて見ると、ヴィルの頬に新たな擦過傷があった。無論、致命傷とは程遠い。
ヴィルは私に歩み寄り、右手を差し出した。私は預かった時と逆の動作で、ゆっくりとヴィルの愛銃のグリップを彼の手に握らせる。
「自殺、する気ですか?」
「いや……」
ヴィルは多少口ごもってから、
「もう少し生きてみようと思う」
思いがけないその言葉に、私は目を丸くした。
「だってヴィル、あなたはさっき、『自分の存在意義はなくなった』って……」
「あんたはどう思う、神矢?」
私はヴィルをどう思っているのか――。その答えは、思いの外すらすらと出てきた。
「私は、あなたに存在意義があるかどうかを判断することはできません。それはあなた自身にしか分からないことです。でも私は、他人だけれど、あなたに生きていてほしいとは思います。たとえあなたが犯罪者、それも殺人犯だったとしても」
「何故だ?」
「あなたにとってはそれが『正義』だったからです」
私はすっと深呼吸し、言葉を繋ぐ。
「あなたの『正義』と旗山の『正義』――。どちらも間違っています。人を殺めるのですから。それでも、あなたの心には『愛』があった。『守るべきもの』と、それに伴う『後悔』もあった。だから私がどうこう言える立場ではありません」
ならば、死んでしまうよりは生きていてほしい。それが私の願い――と言ってしまうと大げさだが、少なくとも今ここでヴィルに死んでほしくはない。
「……そうか」
ヴィルは小さく頷いた。すると、
「最後に一つだけ、頼みがある」
「はい」
「俺はここからトンズラした方がよさそうだ。手伝ってくれるか、忍?」
私は頷く代わりに、じっとヴィルの瞳を見つめ返した。
「ただし、条件があります」
「何だ?」
「これ以上、人を殺さないでください。たとえ自衛のためであっても」
「もし殺したら?」
「――私があなたを殺します」
※
三日後。午後二時三十八分、警視庁メインエントランス。
《事件から三日を経過するも、犯人の行方は未だ判明せず――》
《恐怖の一夜を過ごした港区民は――》
《影沼公安部副部長は自らの関与を全面的に否定しつつも――》
《GF、すなわち『グリーンフィールド』の存在を警視庁は正式に認め、一般国民をも標的とした対テロ部隊は解体されることに――》
私はぼんやりと、ニュースに聞き入っていた。
結局、三日前のあの雨の中、私はヴィルの逃亡を手助けすることとなった。
迫るパトカー群を、旗山の制服からかっぱらったGFの身分証明カードで引き留めた。職権乱用もいいところだが、『旗山隊長の指示で代理をしている』と告げたところ、警官隊は素直に引き下がった。その隙に、ヴィルはクレーンに乗り込み、輸送コンテナの隙間を走り抜けながら現場を後にした、というのが事の顛末だ。
予想外だったのは、私が一時間以上警官隊を足止めしていたにも関わらず、旗山は生きていた、ということだ。
無論、もはや戦闘に出られる身体ではない。だがそのせいで、ヴィルの復讐劇は成功なのか失敗なのか、うやむやになってしまった。
思えば、旗山にだって『部下の弔い合戦』という立派な名目があったのだ。ヴィルの『妻の弔い合戦』に負けず劣らず、これもまた一種の『正義』だったのだろう。それでフレッジャー兄弟やジャックの無念が晴らされるとも思えないが。
ヴィルはと言えば、当然ながら足跡は全く残していなかった。現場で採取された血液のDNAと、過去の犯罪者リストにあるDNAの照会は行われたものの、それは上手くいかなかったのだ。
詳細は伏せられているが、ジャックが遺した何らかの電子機器妨害装置が使われたのだろう。今や警視庁のDNAデータバンクは機能不全を起こしており、結局それが捜査の足を引っ張ることとなった。
ヴィル……。あなたは今、一体どこで何をしているのだろう?
「はあ……」
私はいつも通り、膝の上に肘を、掌の上に顎を載せて、大きなため息をついた。
すると背後から、
「どうしたんです、先輩?」
「ああ、村山さん……」
振り返ると、そこに私服姿の女性刑事が立っていた。
村山美穂。二十二歳。波崎巡査部長と丸木警部補の殉職を受けて、補充要員として警視庁に配属となったと聞いている。
「先輩呼ばわりはやめてください、村山刑事。私の方が年下ですし」
「でも、実戦経験は豊富でいらっしゃるでしょう? ほら」
村山の指さす先には、顔出しNGの上でインタビューを受ける私の姿が、メインスクリーンにでかでかと映っている。
《つまり、人質としてやむを得ず協力を迫られた、という認識でよろしいんですね?》
《はい。拳銃を突きつけられたことも一度や二度ではありません》
《ではその犯人――ヴィル・クラインは現在も脅威であるとお考えですか?》
《はい。第一級のテロリストとみて間違いはありません》
村山は私の背後、ソファーの背もたれに乗りかかりながら
「よくこんな状況で生きて戻られましたね、先輩」
「運がよかっただけですよ」
するとスクリーンでは、
《ではこれ以上の質問はご遠慮願います。佐藤巡査部長、こちらへ》
佐藤というのは私の偽名だ。佐藤巡査部長は、カメラに背を向けながら軽く肩を竦めていた。同時に肩を下ろす、現実世界の私。
と、その時だった。
《待機任務中の全署員へ。三十秒前、東京湾横浜港のコンテナ群に爆発物を仕掛けたとの通報あり。詳細不明。総員、防弾ベスト並びに装備Bで出動準備》
《民間人数名が人質に捕られている模様。SAT、SIT、直ちに現場急行せよ》
私はすっくと立ちあがった。
「昼間っから性懲りもなく……」
そう言って憂鬱なため息をつく村山に対し、
「さ、急ぐわよ」
と言って私は肩を叩いてやった。
ヴィルがいてくれたら、こんな事件さっさと解決するだろうに。そんな愚痴は、私の胸の中だけに留めておく。
私はどこかで、ヴィルとの再会を待ち望んでいるのだろうか。私と方向性は違うけれど、それでも『正義』に生きた彼を忘れられずにいるのだろうか。
ヴィル・クライン。どうか無事でいてほしい。けれど、彼に拳銃のない人生を送れというのは無理な相談だろう。
それでも。それでもどうか、私との約束は守ってほしい。それが破られた時、私はあなたを――。
「先輩、ぼーっとしてないで、出動ですよ!」
「ええ、分かってます。予備弾倉は最低二つ持っていくように!」
「了解!」
私も私の信じる『正義』を貫いて見せる。ヴィル、どうかあなたも。そして元気で。
THE END
銀翼のマグナム.44 岩井喬 @i1g37310
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