第30話
摘み上げられたチップ状の電子機器は、ほぼ水平に跳んで旗山の胸部に命中した。直後に響いたバシリッ、という鋭い音。落雷のように、目を刺す白い光。そして、
「ぐわあああああああ!!」
辺りに轟いた、旗山の絶叫。
旗山は、立ち上がろうと片膝を立てた姿勢を崩した。そして光が消滅した時には、うつ伏せにばったりと倒れ伏していた。
それを見届けたかのように、
「はあっ!!」
荒い息をつきながら、ヴィルはやや腰を落としたまま立ち上がる。
「残念だったな……。お仲間の仇討ちができなくて……。だがお前もすぐに連中に会わせてやるから、安心しろ」
そう言いながら、ヴィルは愛銃を拾い上げ、ゆっくりと旗山の方へと歩き始めた。
ヴィルを止めるべきだろうか。もはや旗山に戦闘力は残されていないのだから。しかし、今のヴィルを止めようとしたら、私まで殺されかねない。そんな残忍なオーラとでも呼ぶべきものを、今のヴィルは放っている。香森の時とは比較にならない。
私が躊躇っている間に、ヴィルは着々と歩を進め、旗山との距離を詰めていく。もう五メートルと離れていない。既に有効射程圏内だが、きっと零距離で仕留めるつもりなのだろう。
ガチリッ、と嫌に大きな金属音――撃鉄を上げる音が響く。
ゆっくりと旗山の頭頂部に銃口が当てられる。
ヴィルがすっと目を細め、引き金に力を込める。
次の瞬間、四十四口径の弾丸は、旗山を撃ち抜いていた。旗山の――耳を。
「!?」
ヴィルの動揺が私にも伝わってきた。
何故狙いが逸れたのか――。理由は単純。旗山がヴィルの腕を握り込み、照準をずらしたからだ。
愛銃を取り落とすヴィル。ここぞとばかりに、旗山は力技でヴィルを振り回した。僅かとはいえ、全身を電流に蝕まれたとは思えない力量だ。
驚きと疲労で動きの鈍ったヴィルは、そばのコンテナに思いっきり叩きつけられた。彼の身体の型を取るかのように、コンテナが凹む。続いて、旗山のストレート。ヴィルは咄嗟に腕を上げ、肘での防御を試みたが、続いて聞こえたのは
「ぐあっ!?」
というヴィルの短いうめき声と、何か硬質なものが砕けるような音だった。ヴィルの腕の骨が折れたのだ。恐らく意志に反してだろう、左腕がダラン、とぶら下がる。
しかし、旗山とて万全の状態ではない。次のストレートは、屈み込んだヴィルにあっさりと回避された。
体勢を下げながら、ヴィルは先ほど投擲した鉄棒を右手で拾い上げ、
「うおっ!」
思いっきり突き出した。
鋭利な刃物状になった鉄棒の先端は、易々と旗山の腹部にめり込んだ。倒れ込む旗山を、ヴィルは寝転がるようにして回避。カタン、と鉄棒はアスファルトに落ちて、その上に旗山はうつ伏せになった。遠目ながら、吐血しているのが見える。
「畜生、余計な手間かけさせやがって……!」
立ち上がり、愛銃を再び拾い上げるヴィル。その手が愛銃に触れたか否かも定かでない中、
「おい、何をしているんだ!?」
「!?」
防弾ベストを身に着けた警官が二人、懐中電灯と拳銃を手に、コンテナの隙間からこちらにやってきた。
すると、旗山は思いがけない速度で跳躍した。警官一人に跳びかかり、その腕を握り込む。その銃口をもう一人の警官へと向け、綺麗に眉間を撃ち抜いた。最初に襲われた警官は、既に首を捻られて息絶えている。
その時、私ははっとした。確か今週は、沿岸部の警備強化週間ではなかったか。麻薬などの違法密輸物を取り締まるべく、定期的に行われている。具体的には、数十名規模で警官が沿岸部を巡回し、必要に応じてコンテナの中身を確かめるというものだ。
その詳細な情報は、警視庁内でも最高機密だ。いつ、どこに警官が現れるのか。その機密に触れることができたということは、やはり旗山はGFという自らの立場を活かしたのだろう。そして、始めは丸腰でありながら、まさにこのタイミングで拳銃を手にすることによる形勢逆転を狙っていたのだ。
撃たせまいとして、ヴィルは旗山の元へと駆ける。相手が拳銃を所持していても、接近戦に持ち込めればまだ勝機はある。
スライディングの要領で、低い体勢から旗山にぶつかっていくヴィル。しかし、既に旗山は立ち上がり、いつでも撃てる状態にあった。
旗山が初弾を発射するのと、ヴィルの足が旗山の体勢を崩すのは同時。弾丸の行き着く先は、骨折したヴィルの左腕だった。
「ぐっ!」
辛うじて掠り傷で済ませるヴィル。そのまま右手一本で逆立ちをし、開脚してカポエラを繰り出す。しかし、旗山はそれを読んでいたのだろう。すぐさまバックステップをして、二発目を発射。立ち上がりかけたヴィルの右肩を掠める。
ヴィルは辛うじて致命傷を避けている。だが、今旗山が握っているのは装弾数十五発のオートマチック拳銃。残り十三発を回避しきることは絶望的だ。何としても格闘戦に持ち込まなければ。
そしてヴィルが再び接近を試みた瞬間、一際大きな発砲音が響き渡った。
その場で動きを止める、ヴィルと旗山。
瞬間的な停止状態を破ったのは、ばしゃり、とヴィルが倒れ込む音だった。硝煙を上げる旗山の拳銃。その拳銃に向かって、ヴィルはうつ伏せに倒れ込んだのだ。
「……!」
私は息をするのも忘れ、二人の男を見つめた。
最初は格闘戦、次に打撃武器戦、そして銃撃戦と、ステップを踏むかのように戦ってきた二人。いや、それ以前から二人は戦い続けてきた。片や妻を殺され、もう片や部下の命を奪われて。
その決着も、今こうしてついてしまった。
旗山はじっとヴィルを見つめながら、拳銃の照準を両腕でしっかりと構えた。
「聞こえているか、銀翼」
旗山は訥々と語りだした。
「最後に私は、貴様に感謝せねばならない。正々堂々戦いたいという私の意を汲んで、マグナムの使用を控えてくれたのだからな」
ヴィルは倒れたまま、言葉を返す気配はない。
「私がどれほどこの日を待ち望んでいたか、分かるまいな、銀翼。一対一で戦い、貴様を仕留めるという日をどれほど熱望していたか」
旗山は微かに首を傾げるようにして、言葉を続けた。
「正直、貴様が私の部下の手にかかるようなことがあってはどうしようかと、悩んだことがある。これは私のリベンジマッチだ。『必ず生きて帰す』ということを部下に約束してきた私の、私怨による復讐劇だ。誰にも渡すわけにはいかん」
私ははっとした。ヴィルもそうやって、小隊を率いてきたのではなかったか。
旗山もそれと同じ思いと責任感を、ずっと強いられてきたのではなかったか。
「これでようやく、彼らの魂も鎮まるだろう。さらばだ、銀翼」
旗山の挙動は速やかだった。アスファルトにヴィルを縫いつけるように、拳銃を連射する。私は今度こそ、思いっきり目を逸らした。
しかし、銃声は二、三発で止んでしまった。そして最後に響いたのは、パン、という軽い銃声ではなく、ズドン、という大口径拳銃の発砲音だった。
ヴィルが、撃ったのだ。
恐る恐る顔を上げると、ヴィルは折れたはずの左腕に愛銃を握らせていた。それも、無様に倒れ込んだ状態で。
対する旗山は、全く動きを止めていた。すっと手元から拳銃が落ち、口元からは新たな血の塊が溢れ出ている。そのまま姿勢を変えずに、旗山はゆっくりと向こう側へと倒れていった。
「ヴィル!!」
私は駆け出していた。ヴィルはがっくりと左腕を下ろし、頬を地面に押しつけている。
「ヴィル、しっかり!!」
見れば、手の甲が貫通され、右腕の上腕部にも銃弾の掠めた痕が認められた。
そんな彼に肩を貸し、立ち上がらせながら
「どうやったんです?」
「……何がだ?」
「どうやってマグナムを左手に握らせたんです? あんな一瞬で……」
「見世物じゃないんだがな。賭けに出た」
ヴィルによれば、旗山に撃たれて倒れる瞬間、愛銃のバレルがギラリ、と輝いたのが見えた。そこで、コンバットブーツの踵側の隠しナイフを突き出し、トリガーガードに引っ掛けて無理やり空中に放り上げた。
その時には、既に旗山に右手を撃ち抜かれていたが、その痛みを無視。宙を舞った愛銃を左手に握らせた。その時、銃口が旗山の胸部に向いていたのはまさに僥倖という他ない。そして、震える左腕を意志の力で固定し発砲、旗山を仕留めたのだという。
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