第29話

 私はアメリカで受けてきた研修に感謝しなければならない。ちらっと見かけたこの施設の案内図――病室に貼られていたものだ――が、しっかり頭の中に入っていたのだから。

 裏口の場所はしっかり把握している。その先にある、一般警備員の車両駐車場の位置も。

 私とヴィルは無言。だが何かを伝える余裕はなく、ましてや必要もなかった。

 私は自分で、ヴィルと旗山の決着を見届け、何が『正義』なのかを見極めなくてはならない。

 だが、そのためにはGFの基地であるこの施設からは一旦脱出しなければ。ヴィル対GF一個小隊、などという状況になってしまっては、ヴィルも私も一瞬でハチの巣にされてしまう。

 どうすれば旗山一人をおびき出せるだろうか?


「何を考えてる、神矢?」


 突然真横からかけられた声に、しかし私は驚くことなく


「ヴィル、あなたが狙っているのはもう旗山一人だけでしょう?」

「ああ」

「どうすれば彼一人を連れ出せるか、そしてどうやってあなたと一対一で戦わせることができるか、考えているんです」

「戦わせる?」


 怪訝な空気を思いっきり漂わせながら、ヴィルは口をへの字にした。


「俺たちがやってるのは、見世物の試合じゃないんだぞ? 俺は旗山を殺せればそれで――」

「嘘、ですね」


 私は即答した。


「あなたが、一番の標的である旗山との戦いに卑怯な手段を持ち込むはずがない。そんなことをしたら、奥さんの仇を討つ、という自分の心にやましさが残る」

「何が言いたい?」


 私は乱れた呼吸を正しながら、


「あなたが望むのは、旗山とほぼ同じ条件下で勝負し、相手の息の根を止めること。違いますか?」


 すると、ヴィルが珍しく顔を逸らした。図星らしい。


「最初に私をさらった時、あなたは言いましたね。爆殺でも何でも、手段は選ばないと。でも、それが復讐になりますか? 正々堂々勝負をしないで、あなた自身の『正義』が達成できると思っているのですか?」

「……」

「私はそうは思わない。たとえ憎しみから生まれた『正義』だとしても、それが今のあなたの生きる道、あなたの心の核心部分。私の説教から目を背けることはできても、自分の心に嘘はつけません」


 無言のヴィルを先導するうち、私たちは裏口を突破した。そこに広がっていたのは、いつかカーチェイスで使った臨海工業地帯。

 私は周囲を見回し、逃走用の車を探した。今はまだ退却しなければ。


「今頃、GFは事態に気づいて、血眼になって私たちを探しているはず。一対一で旗山と戦うには分が悪いでしょう。今車を――」

「その必要はない」


 私は驚いて顔を上げた。突然割り込んできた、第三者の声。

 木の葉が掠れるような、しかし暴力性を秘めたはっきりした口調。

 旗山が、前方に立ちふさがっていた。


「ご苦労だった、神矢巡査部長」


 そう言いながら、自らの耳に装着していたイヤホンを外し、地面に落として踏みにじる。

 警備の薄さに多少の違和感を抱いてはいたが、やはり監視の目はあったようだ。まあ、それはたった今旗山が自分で壊してしまったのだが。


「意外に聞こえるかもしれんが、私も貴様と一対一で勝負をしたかったのだ。私の部下の半数近くが、貴様に命を奪われた。その無念、指揮官である私が晴らさずに誰が晴らすという?」

「ほう、望むところだ」

「余裕だな。それでいいのか? ヴィル・クライン」


 軽口を叩くヴィルに、旗山は表情一つ変えずに問いかけた。


「拷問や自白の強要など、私の趣味ではない。だからこそお前は今もそうして立っていられる」


『本気で拷問するつもりだったら、今頃貴様は這いつくばったまま動けない状態だっただろう』――。その言葉に、私は背筋が凍る思いがした。マーカスとケインのフレッジャー兄弟の、無残な殺され方が思い出されたのだ。


「私が直接手を下すからには、楽に殺してやろう。いずれにせよ、部下の魂を鎮めることには変わりない」

「ああ、そうかい。俺が逆の立場だったら、自信はないぜ」


 丸腰である旗山の意を汲んだのか、ヴィルはゆっくりと愛銃を地面に置いた。

 そして、ゆっくりと腕を上げ、ボクサーのように拳を顔の高さにまで上げた。


 コンテナに四方を囲まれた、荒いアスファルト上の空間。派手な色彩の回転ランプが、二人の姿を闇に浮かび上がらせる。一陣の海風が、微かに私の前髪を撫でた。

 次の瞬間、


「はッ!」

「ふッ!」


 二人は同時に駆け出した。十メートルほどの隙間は一瞬で零になり、バシン、という打撃音が響き渡る。二人は互いに殴り飛ばされながら、すぐさま距離を取って体勢を立て直した。

 次に動いたのはヴィルだった。旗山に対し、斜めに駆けだして軽く跳び、コンテナを蹴ってさらに跳躍。強烈な回し蹴りを見舞う。対する旗山は、腕一本でこれをガード。ヴィルの着地の隙を狙ってローキックを繰り出すが、ヴィルは既にバックステップで距離を取っていた。

 間髪入れずに、ヴィルは体勢を低くして拳を思いっきり引いた。そのまま一瞬で距離を詰め、アッパーカットを狙う。それを察したらしく、旗山は膝を持ち上げて腹部を守る。腕を跳ね上げられたヴィルは、しかしその勢いで縦に一回転。今度は顎を狙ったサマーソルトキックを繰り出したが、旗山は上半身を思いっきり反らして回避した。


 私はどちらの勝利を願うこともできず、胸の奥が焼かれるような気持ちでその様子を見つめていた。ヴィルが攻め込み、旗山がガードし、そのカウンターをヴィルが回避する。そんなルーティンがしばし続いた。


「これでは埒が明かんな!」

「ああ、俺も飽きてきたぜ!」

 

 二人は互いに不敵な笑みを浮かべ合う。だが、私は確かに感じた。この笑みは、楽しさや喜びから生まれるものではない。憎しみだ。憎しみから生じた負の笑みだ。

 すると、旗山は何のガードもなしにしゃがみ込んだ。そこに転がっていた小石を掴み上げる。ヴィルもそれを妨げようとはしない。

 旗山は立ち上がり、すっと小石をヴィルに向かって投擲した。大した速度ではない。ヴィルは片手で、易々とそれをキャッチする。

 ヴィルはそれを、無造作に背後へ放った。

 直後、二人は全くあてずっぽうな方向へと駆け出した。私も慌てて距離を取る。

 すると、ヴィルは鉄筋の棒を、旗山はロープを手に、再び向き合った。どうやら、ただの打撃戦ではなく、その場にあるものを使って戦う所存らしい。


 今度は、旗山が先に踏み込んだ。だが、大した距離ではない。ロープを鞭のようにしならせ、ヴィルに打ちつけようとする。対するヴィルは、二メートルほどの鉄棒を器用に振り回し、防御を試みた。しかし、


「ぐっ!」


 ロープの方が上手だった。鉄棒に巻きついたロープは、鉄棒を握るヴィルもろとも勢いよく振り回したのだ。ヴィルは呆気なく振り回され、


「がはっ!」


 コンテナに叩きつけられた。

 続けざまにロープを振り回す旗山。ヴィルは咄嗟に鉄棒から手を離したが、ロープの先端に巻きつけられた鉄棒は連続してヴィルを打ちすえた。

 辛うじて致命傷を避けるヴィル。だが、打撃力で言えば旗山に分がある。このままでは、一気に片をつけられてしまう。

 すると旗山は、ロープを手繰り寄せて鉄棒を握りしめた。


「ここまでだ!!」


 真っ直ぐに、凄まじい勢いでヴィルに向かって投げつける。この軌道では、ヴィルの頭部が貫通されてしまう。

 私が目を逸らしかけたその時、ガァン、と鋭い金属音が響いた。そっと目を遣ると、ヴィルは首をぐっと曲げて鉄棒を回避していた。鉄棒はコンテナに突き刺さっている。


「チッ!」


 旗山が舌打ち。その手元にロープが引き戻されるまでの間に、ヴィルは背後のコンテナに突き刺さった鉄棒を引き抜いた。ぽっかりと空いた穴から、細かな電子機器が零れ落ちる。それを目の端に捉えながら、膝打ちで鉄棒をへし折り、投げつけた。

 片方を旗山へ、もう片方をその頭上へ。

 旗山は、しゃがんで横転しながら回避する。が、頭上にまでは注意が回らなかったらしい。

 彼の頭上にあったもの。それは、給水タンクだった。旗山の頭上から、そこに滝が出現したかのような勢いで水は降り注ぐ。

 びしょ濡れになりながら立ち上がる旗山。彼に向かって、ヴィルは小さな『何か』を投げつけた。後ろのコンテナから零れ出していた、小型の電子部品だ。

そうか、旗山を感電させる気か!

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