第28話

 私の部屋の前には、拳銃を腰に差した人物が立っていた。通常の警備にあたる制服を着込んでいる。GFのメンバーではないらしい。


「今後は我々があなたの警備を担当します。外室する場合はドアそばのパネルから一言、お願いします」

「はい」


 私は何も考えられずに頷き、部屋に戻った。心が一杯になっている。ヴィルの過去を明確に、本人の口から聞かされてしまったからだろう。諦念と絶望感で胸が張り裂けそうだった。


「はあ……」


 フラフラと部屋の中央へと足を進め、丸椅子に腰かける。気力が抜けきってしまうようなため息が、私の足元へと降りかかる。

 両の掌で顔を覆い、感情が出るのを隠した。現実逃避の一種かもしれない。もう何が『正義』なのか分からない。自分を支えてきた心理的な支柱が崩れていく音が聞こえてくるような気さえした。


 こんな狂った組織の歯車でいることが『正義』なのか。

 そんな組織に戦いを挑む、孤高の殺人者に手を貸すことが『正義』なのか。


「もう分からないよ、父さん……」


 涙はもう、流れてはこなかった。それより私は、体中の水分よりも魂が抜き取られていくような感覚に囚われていた。


 どのくらい時間が経っただろうか。気づけば、窓から夕陽が差し込んでいた。  眠っていたわけでもないのに、ほんの数分前までヴィルと話していたような気がする。記憶が断絶しているのだ。

 その時だった。


《神矢忍巡査部長》

「……」

《神矢巡査部長?》

「はい」


 シカトしたかったわけではない。ただ、すぐに反応するだけの気力がなかったのだ。


《旗山隊長が、また被疑者――ヴィル・クラインと話をしてほしいそうです。よろしいですか?》


 そうか、ヴィルはまだ生きているのか。よかった。でも、一体どんな顔をして会えばいいのだろう? いや、そもそも顔を合わせるだけの資格が、私なんかにあるのだろうか?

 私はゆっくりと腰を上げ、スライドドアへと向かう。しかし、


「おっと!」


 足がもつれた。ずっと何も考えられずに、同じ姿勢で座っていたからだろう。

 両腕を前に突き出して、顔が床に接触するのを防ぐ。

 全く、何をやっているのやら――。膝を見下ろすと、僅かに擦り剥けている。無論、致命傷ではない。

 またため息をついてスライドドアへ視線を遣った、その時だった。


(何をやっている、忍)


 何だ? 聞き間違いか? いや、しかし確かに……。


(ほら、さっさと立て。先に行くぞ)

「と、父さん……?」


 父の声がした。いや、正確にはそんな『気がした』と言うべきだろう。

 ここに父がいるはずがないのは確実だ。では、今の声は幻聴なのだろうか? スライドドアの方を向き、私に背を向けている制服姿は幻視だろうか?


(その程度の怪我で泣くんじゃない。死にはしないぞ。さっさと立たないか、忍)


 幼い頃、私が公園の砂場で転んで膝を擦り剥いたのと同じ現象が起こっている。今まさに、私の目の前で。

 そうだ。死にはしない。

 もちろん、少しばかり擦り傷を負うのと、ここからヴィルを脱出させるというのでは全くわけが違う。かなりの危険が伴うはずだ。

 だが、今それができる人間は私しかいない。

 ヴィルを『悪』と断ずることができなければ、GF――旗山を『善』と見なすこともできない。

 それを見極めるには、私が自分自身の『正義』を信じるしかない。


《神矢巡査部長? 大丈夫ですか?》


 再び警官の声がする。


「はい。今出ます」


 私はそう言いながら、警官に少しばかり申し訳ない気持ちになりつつ、ドアを開錠し――渾身の膝蹴りを彼の腹部にお見舞いした。


「がはっ!?」


 腰を折って、完全に体勢を崩した警官。私は彼の背後に回り、拳銃を腰のホルスターから抜き取った。セーフティと弾倉の状態を一目で確認し、撃鉄を上げて彼の背中に当てる。


「あなたの命は保証します。しばらく人質になってください。まずは目標の――ヴィル・クラインのいる独居房へ私を連れていってください」

「はっ、はいっ!」

「私はあなたについていく態度で歩きますから、あまり距離を取らないように。さあ」


 幸か不幸か、私の膝蹴りに大した威力はなかったらしい。すぐに背筋を伸ばした警官は、しかし拳銃を突きつけられているために私の言いなりになってくれた。


「巡回の警官に出くわす可能性は?」


 私は鋭く尋ねた。すると警官は


「いっ、いえ、今部外者は神矢巡査部長だけですので、巡回の必要はありません」

「つまり、ヴィルの独居房までは誰にも会わずに済むということね?」

「はい!」


 これはまさに僥倖だ。出たとこ勝負だったが、懸念要因はだいぶ少なくなった。

残る問題は、警官が嘘をついて私をGFの詰所に連れ込むのでは、ということだった。

 しかし、その時はその時だ。私は音を立てないように気をつけながら、ぐっと警官の背中を拳銃で一押しした。


 しばらく歩き、数枚のドアを通り抜けて、私たちは留置エリアに到着した。鉄臭い、いかにもといった感じの牢屋が並んでいる。そこにも警備にあたる人間はいなかったが、監視カメラは稼働中だった。ヴィルのいる牢にその矛先を向けている。


「あなた、鍵は?」

「え? あ、はい、今開けます……」


 銃口で警官の背を押しやり、いかにも彼だけがヴィルに接近しているかのように見せかける。

 警官が取り出したのは、今時珍しい差し込み型の金属製の鍵だった。ギチリ、と鈍い音がして、開錠されたことを告げる。すると次の瞬間、


「!」


 驚いたのは私と警官の二人。ヴィルが、突如として警官に跳びかかったのだ。無理やり後ろを向かせ、喉元まで腕を回す。首をへし折るつもりなのか。

だが、今度はヴィルが驚く番だった。私が拳銃を突きつけていたのだから。

 声をかけることはできない。そうしたら、私がここにいることが警備員室でバレてしまう。だが、私は顎をしゃくって見せた。ヴィルに対し、警官を解放するようにと。

 するとヴィルは、柔道で相手を『落とす』のと同じ要領で、警官を気絶させた。乱暴に床に寝かせる。

 ヴィルの外見は、相変わらず酷いものだった。しかし、先ほど私が面会させられた時以上の負傷は認められない。私は銃口で元来た通路を指し、ヴィルに脱出を促した。

 ヴィルは気絶した警官のそばにしゃがみ込み、器用に鍵束を扱って、自分を拘束していた手錠を外した。そして声をひそめながら、


「あんた、意外とやるもんだな」

「あなたほどではありません。さっきの警官に聞きましたが、この先の通路に裏口があって駐車場になっているようです。そこまで走れますか?」

「ああ。その前に――」

「これでしょう?」


 私は『それ』をゆっくり床に置き、滑らせた。ヴィルの愛銃――通称『銀翼のマグナム四十四口径』だ。


「どこにあった?」

「途中で火器保管庫に寄ってきました。もっと強力な火器を、とも思いましたが……。あなたの相棒はそれだけでしょう?」

「分かってるじゃないか」


 するとヴィルは、シリンダーの中身を確かめた。


「リロード済みです」

「自分の手で確かめないと気が済まなくてな」


 微かに口の端を上げる。


「で、裏口は?」

「あっ、その前に――」


 私の危惧に気づいたのか、ヴィルは相変わらず無造作に、しかし精確に監視カメラを撃ち抜いた。


「これでいいか?」

「ええ。私があなたを助けたことが判明するのに時間がかかるでしょう」


 すると、ヴィルの顔にさっと陰が走った。らしくない。


「どうしたんです?」

「いや。こんなことをしたとバレれば、あんたの立場がないだろうが」


 確かにそれは私も考えていたことだ。しかし、思いの外気楽な言葉が口をついて出てきた。


「死刑にはならないでしょう。今のGFの立場からすれば、自分たちの存在をうやむやにするのに必死で私には構っていられない。もしかしたら、私は不起訴処分で済むかもしれません」

「随分と胆が据わったようだな」


 ヴィルは腕を組んだ。そんな彼の顔を見上げながら、


「あなたほどじゃありません。それより、走れますか?」

「問題ない」

「ではこっちへ」


 足の長いヴィルに先行できるよう、私はほぼ全力疾走で裏口へと急いだ。

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