第27話

 連れていかれたのは、警察署の面会室のような場所だった。薄く透明な、しかし防弾性を兼ね備えた特殊樹脂のパネルが、壁と天井を完全封鎖している。

 蟻の這い出る隙もない、とはまさにこのような場所のためにある言葉だろう。

 数年前から、面会時、パネルの向こうとの会話はマイクとイヤホンで行われることになっている。無論警備の警官はそばに控えているが、万が一脱走のための機材の遣り取りが行われないとも限らない。


「さあ、座ってくれ」


 旗山は紳士的な態度で椅子を私に勧めてきた。私を油断させるつもりなのだろうか?

 などと勘ぐっていた私の耳に、重厚な、それでいて空気を裂くような鋭利な金属音が飛び込んできた。パネルの向こう側、ヴィルが来るであろう方向からだ。

 完全な閉鎖空間は、このパネルの向こう側にもあったらしい。そこはきっと拷問部屋なのだろう。当然と言えば当然なのだが、この時ばかりは私も当事者なのだと釘を刺された気分になった。

 ガチャリ、と向こう側の鉄扉が引き開けられる。後ろ手に手錠をかけられ、上半身裸でやってきたのは、


「ヴィル!!」


 思わず叫んでしまった。

 そんなことに構いもせずに、ヴィルの後ろにいた警備員は、ヴィルを突き飛ばすようにしてパネルにぶつけた。


「そんな!」


『乱暴しないで!』と言いたかったが、寸でのところで私は言葉を飲み込んだ。あまりにもヴィルの肩を持ちすぎるのは危険だ。先ほど思ったばかりではないか、自分も口封じに殺される可能性があると。

 私の後ろから旗山が、ヴィルの後ろから警備員がそれぞれ退室し、自動小銃を握った別の警備員――恐らくはGFの隊員たち――が後から任務を引き継いだ。

 ヴィルは嫌味のつもりか、折れた歯をプッと吐き出したが、警備員二人は何の反応も示さない。興味がないのか。


 それにしても、ヴィルは酷い状態だった。ぱっと見、骨や内臓に異状はなさそうだが、全身痣だらけ。額からは今も、僅かずつではあるが出血している。

 とにかく、本人の状態を把握しなければ。私は急いでマイクとイヤホンを身に着けた。手錠をされたままのヴィルも、警備員にイヤホンを装着させられる。マイクはスタンド式で、スイッチがオンにされた。


「ヴィル、大丈夫ですか?」

《ご覧の通りだ》


 いかにも彼らしい、突き放した物言いだ。私は少し安堵したが、それを露骨に態度に出すわけにもいかない。

 何を言うべきか私が迷っていると、ヴィルの口から思いがけない言葉が飛び出した。


《神矢、あんた、俺の、話を、聞いて、くれないか》


 荒い息遣いの中で、ヴィルはそう言った。

 私は抗しがたい力に促され、こくり、と一度、大きく頷いた。


         ※


 十年前。二〇二〇年、中東某国。

 ヴィルは米軍特殊部隊の一員として、隠密任務にあたっていた。小隊長を歴任し、前線での指揮能力は抜きんでていたし、そもそも彼自身の戦闘力には並外れたものがあった。

 しかし、彼には決定的な弱点があった。メンタリティ、精神力だ。

 それは何も、彼が特別臆病だったとか、心にやましいものを抱えていたとか、そんなことではない。前線に立つ兵士であれば、誰しも抱く恐怖ゆえのものだった。

ベトナムで、イラクで、アフガニスタンで、多くの兵士が命を落としてきた。が、無事生還した兵士たちも、心に傷を負ったままの生活を余儀なくされていたのだ。

特にヴィルの場合、小隊長に任命される度に、『必ず部下を全員生還させる』と誓っていた。それゆえに部下の死は、骨の髄まで届くような凶器となってヴィルの精神的をいたぶっていた。


 そんな彼が除隊し、アメリカ本国に戻ったのが八年前。そこで、運命の出会いが訪れる。傷痍軍人病院で検診にあたっていたキャロル・オーエンとの邂逅だ。

 キャロルは若いながら、ヴィルの精神的な救いとなるべく、身を粉にして寄り添った。


《最初はありがた迷惑だったんだが、だんだん心が開けてきたようでな……》


 ヴィルの口の端が微かに持ち上がる。

 彼が自宅療養の宣告を受けてから、キャロルは病院の看護師を辞め、すぐに結婚した。


《俺はちゃんと言ったんだ。俺と暮らすと、命が狙われる恐れがあると。それでもいいのかと。だが、そんな問いかけも彼女には愚問だったらしい》


 二人はヴィルのセーフハウスでの生活を始めた。拠点は日本、軽井沢。

 また、前々から把握はしていたが、キャロルはジャックの妹だった。通信任務という重責にありながら、飽くまで普通の兄として愛情を注いでくれたジャック。そんな彼に、キャロルは大変感謝し、敬愛していたという。

 その彼女にとって、ヴィルはもう一人の兄貴分のように見えていたのかもしれない。ジャックからも、おしどり夫婦に見えていたという。最も、ヴィルは照れ隠しにずっと否定し続けていたが。


 しかし、そんな穏やかな生活は、一年と経たないうちに破壊された。GFがヴィルのセーフハウスを襲撃してきたのだ。

 ヴィルが襲われた理由は、現在遂行中の特殊部隊や諜報員の情報を得るため。

 では何故退役したヴィルに矛先が向けられたのか? 理由は簡潔だ。かつての彼の部下が小隊長を務める作戦が目立っていたからだ。

 現役時代、彼らを鍛え上げたヴィルなら、彼らの行動を読める。すなわちGF、ひいては日本にとって不利益を及ぼす作戦を、前もってヴィルから聞き出すことができる。そのために、ヴィルは生け捕りにされることになったのだ。

 無論、GFがヴィル以外の人間に興味を示すはずもない。セーフハウスの玄関――と言っても、鍵は十錠もかけられていたが――は、爆発物により一瞬で突破された。

 GFは、ヴィルほどとは言わずとも隠密作戦に長けている。


《流石に現役を退いて丸一年もすれば、勘も鈍っちまう。完全に俺の落ち度だ》


 ヴィルはそう言って目を伏せた。

 

 爆破で突き飛ばされたキャロルの姿を、ヴィルははっきりと認めた。

 そして、とどめとばかりに彼女を射殺した張本人、香森を。続いて自動小銃で武装した今回の首謀者、旗山を。

 ヴィルに突きつけられた選択肢は二つ。キャロルの元に駆けつけるか、それとも彼女に背を向けて裏口から脱出するか。

 判断は一瞬。ヴィルは後者を選んだ。キャロルは眉間を撃ち抜かれており、蘇生の余地はなかった。仮に生きていたとしても、キャロルの元へ向かえば自分がハチの巣にされる。


《恨まれただろうな、もしもキャロルが生きていたら。いや、今も成仏できずに俺を呪い続けているかもしれない》


 彼女の死を招いたのは俺だ。

 彼女に背を向けたのは俺だ。

 彼女を裏切ったのは俺だ。


 ヴィルはずっと、胸中で自らを責め続けた。そしてその自責の念は、ジリジリと復讐心へと転嫁された。

 キャロルの仇を討つ――。それがヴィルの、唯一にして最強の生存目的になった。

 半年間、再び中東へ赴き、危険な任務に積極的に参加して勘を取り戻した。実際、ヴィルにとっては生ぬるいものではあったが。

 それらが一段落した時点で失踪、近隣諸国に派遣されていたGFメンバーを次々に殺害。その模様を録画して、日本の各省庁へ送りつけた。次は貴様らの番だ、とでも言わんばかりに。

 そして日本に戻ってきたのは二年前。連絡を取り合っていたジャックやフレッジャー兄弟と合流し、福生市を中心に各所を点々としながら、国内のGFメンバーの動向を探った。


《その結果がこのザマだ。結局旗山を仕留める前に、こちらがくたばっちまう。俺は何のために生きてきたのか、もう分からん》

「……」


 私は返答に窮した。まあ、そんなものは求められてはいなかっただろうが。

 すると、私の背後でドアが開いた。


「神矢巡査部長、お時間です」

「……はい」


 私はヴィルを一瞥したが、彼は俯いたまま、これ以上口を開こうとはしなかった。


《ほら、行くぞ。とっとと動け!》

《ぐっ!》


 椅子ごと蹴り倒されて、ヴィルは短いうめき声を上げた。

 退室しかけていた私は慌てて振り返ったが、


「神矢巡査部長!」


 という大声に回れ右をさせられ、そっと背に手を当てられて、あてがわれた病室までとぼとぼと歩いていくしかなかった。

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