コーヒー豆殺人事件 2/2
「
ソファに座った四人の容疑者を前に、探偵が宣言した。
部屋を一瞬、どよめきが支配する。探偵は、その空気を微動だにせず受け流して、
「順を追って説明しましょう。食事会が終わり、星浦さんは自室に戻ります。犯人はあとを追いました。無論、すぐに動いたわけではないでしょう。怪しまれないように、時間を置いて、トイレにでも行くかのように自然にこの広間を出たに違いありません。犯人は部屋で星浦さんと二人きりになります。星浦さんに警戒の色はなかったでしょうし、恐らく犯人もこのときはまだ、星浦さんを殺害しようなどとは思っていなかったのでしょう。が、不幸なことに、犯人は部屋にあったトロフィーで星浦さんを殴り殺すことになってしまいます。後頭部を殴られ瀕死の星浦さんは、薄れゆく意識の中、犯人を名指ししようと最後の力を振り絞りました。その手段は、自分の前にあったコーヒー豆です。キリマンジャロ、モカ、ブルーマウンテン。この三種類がブレンドされたコーヒー豆の山。星浦さんはその中からひと粒だけを取り、握りしめました。警察による検視時、死体が握りしめていた豆は……ブルーマウンテンでした」
他の三人の目が一斉に
「ち、違う! 私じゃない! 私は居間でずっと電話をしていたんだ!」
青山は立ち上がって抗弁した。
「その通りです。星浦さんの死亡時刻、青山さんは居間で電話中でした。この家の電話は子機のないアンティークなもので、通話をしながら星浦さんの部屋まで移動することは不可能です」
探偵が青山のアリバイを保証すると、青山は落ち着きを取り戻し、今度は彼を除いた三人が互いに顔を窺い合う。
「ところで、ブレッドさん」探偵が外国人翻訳家に声を掛け、「あなた、コーヒーには詳しいですか?」
「いや、飲みはするが、星浦さんや
「僕もです」探偵は笑ってから、「さて、星浦さんは、ブレンドされて山になったコーヒー豆の中から、ひと粒だけを取っていました。これは明らかに意図的な行為です。これは星浦さんの残したダイイングメッセージだったのです。しっかりと握りしめていたという行為も、犯人にこれを気づかれまいとしたためでしょう。しかし、犯人がその行動に気が付いたとしたら? 星浦さんが今際の際に取った行動の意味を感づいたとしたら?」
「それは、つまり……」
「そうです。星浦さんは確かに犯人を指し示すコーヒー豆を握りしめた。ですが、それに気が付いた犯人は、星浦さんの手を開いてその豆を取り除いた。そして、自分とは関係のない別の豆を代わりに握らせておいたのです」
「それじゃあ、最初に星浦さんが握っていた豆は、キリマンジャロか、モカ?」容疑の圏外に逃れた青山は、桐間と
黙り込んだ四人を前に、探偵は、
「つまり、こういうことになりますね。犯人は、星浦さんが山からコーヒー豆をひと粒だけ手に取ったのを見た。もしくは、その現場を目撃はしておらず、絶命したあとに不自然に握られた星浦さんの手を見て気が付いたのかもしれませんね」
「それで、犯人は星浦先生の手を開いて、その豆を取り除き、代わりにブルーマウンテンの豆を握らせた。私に罪を着せるために……」
青山の喉がごくりと鳴った。探偵は、そうです、と頷くと、
「犯人は星浦さんのダイイングメッセージを見破って、逆に利用したのです。ですが……」ここで言葉を切って、「ですが、それは誰にでも出来ることではありませんよね」
「……どういうことですか?」
青山が探偵を見る。探偵も見返して、
「例えば、僕が犯人だったとしたら、星浦さんのダイイングメッセージを見破ることは不可能だったでしょう」
「……」
青山は言葉を詰まらせる。探偵は大きく頷いて、
「絶対に無理です。だって、星浦さんの握りしめた豆の種類が何だったかなんて、見ただけや香りをかいだだけでは分かりっこないんですから!」
四人は雷に打たれたように、はっとして息を呑んだ。三人は得心して、ひとりは自分の犯した過ちに気が付いて。
「三種類の豆がブレンドされた山の中から握り取られた豆。それがどういう種類の豆だったかを知ることが可能なほどのコーヒー通は、この中に二人しかいません。桐間さんと青山さんです。そして、先に述べたように青山さんには完璧なアリバイがあります」
ほぼ名指しされたに等しい、その人物の顔を、他の三人は一斉に見た。探偵もゆっくりと視線を向けて、
「桐間さん、あなたですね」
桐間は黙ったまま、焦点の定まらない視線を宙に浮かべていた。
「君の推理通り、星浦の手からブルーマウンテンの他にもう一種類の豆の欠片が検出された。キリマンジャロだった」
後日、探偵の事務所を訪れた警部は言った。そうですか、と探偵は警部にコーヒーを勧め、
「星浦さんが自分のスペシャルブレンドだと言って四人に出したコーヒー。あれはただのインスタントでした」
「星浦は、どういうつもりでそんなことをしたんだろう?」
警部はコーヒーをひと口、喉に流し込む。
「他愛のない稚気だったのかもしれませんね。台所にあったインスタントコーヒーは、加茂の勤める会社のものでした。お客の帰り際にそのことをばらして、十分に美味い商品を出しているのだから、有名人のネームバリューなど借りなくとも、もっと自分の商品に自信を持ちなさい、というメッセージを贈るつもりだったのかもしれませんね」
「コーヒー通の桐間や青山まで、偽りの星浦ブレンドを絶賛していたそうじゃないか。あれはただのおべんちゃらだったのかな」
「少なくとも、桐間だけは本気で絶賛していたのではないでしょうか。それが殺害動機のひとつになってしまったのだから」
「そうかもな」
桐間は犯行を自供した。
敏腕編集者は、陰でギャンブルに狂い多額の借金を背負っていた。今夜の勝負に飛び入り参加して優勝した桐間は、星浦が自室に引き上げた隙を狙ってこう持ちかけた。「先生ブランドのコーヒーの販売権を当社に譲ってもらえませんか?」人気作家星浦ブランドコーヒーの販売で手柄を立てて臨時ボーナスを、などと画策していたのだろう。星浦ひとりだけのときを狙ったのは、コーヒー会社の加茂と青山の目から逃れたかったからに違いない。しかし、星浦はその頼みを断った。今回のこともただの余興で、もし加茂か青山が勝っていても、自分ブランドのコーヒー販売は許可しないつもりだったという。星浦は桐間の借金のことも知っていた。それで功を焦る余り、博打のような企画をごり押ししては失敗、ということを繰り返していた桐間に、「私がデビューした当時のように、純粋に面白い本を作りたい、という気持ちに戻ってやり直さないか」そう声を掛けたという。そしてさらに、「このまま君の仕事ぶりが直らないようでは、次回作は他社から出すことも考えないといけない」そのひと言が桐間に火を付けた。語気を荒げる桐間に星浦も反撃する。「インスタントを絶賛したような舌しか持っていないくせに」桐間はスペシャルブレンドと知らされて飲んだコーヒーが、ただのインスタントだったことを聞かされた。
もう相手はしない、とばかりに机に向かい、コーヒー豆のブレンドを再開した星浦の背後に、自社が贈ったトロフィーを握った桐間が迫った。そのトロフィーの隣には、星浦と桐間が笑顔で収まる、受賞記念に撮影した写真も飾ってあったのだが、桐間の目には入らなかったのだろう。
犯行後、茫然自失としていた桐間は、星浦が完全に絶命しておらず、手を動かしたのを目撃する。手に顔を近づけるとコーヒー豆の香りがする。この香りは……。固く握られた手から指を剥がしてみると、果たしてそこにはひと粒のコーヒー豆が握られていた。キリマンジャロ。意味を察した桐間はその豆を山に戻し、代わりにブルーマウンテンの豆を握らせておいた。ここに来る前、青山が「電話を掛けてくる」と言って、携帯電話を握りしめて広間を出たままだったのを目撃しており、アリバイが不完全な青山に罪を被せるためだった。青山が携帯ではなく固定電話を使うつもりだったことなど分かろうはずもなかった。加えて、星浦の手から豆を取り除いただけでは、豆の香りが手に残ったままとなり不自然だと感じ、別の豆を握らせておく必要があったとも思ったのだという。香りに敏感なコーヒー通としての顔がここでも仇となってしまった。
「これも君の推理通り、机に残された豆の中から、桐間の汗の成分が付着した豆が出た。その豆は星浦が一週間前に買い付けてきたばかりのもので、桐間の汗が付着しているはずがなかった。君が叩き付けた推理に加え、この物証が決め手となったよ」
警部は満足そうな表情になってコーヒーをすすった。
「ところで警部、そのコーヒー、実は僕がブレンドしたものなんですよ。あれ以来、ちょっとコーヒーに目覚めてしまいましてね。どうですか? インスタントとは違いますか?」
探偵は期待を込めた目で警部を見つめる。
「ああ、どうりで……」警部はカップの中の褐色の液体を覗き込んで、「インスタントにしてはまずいと思ったよ」
探偵は苦笑した。
コーヒー豆殺人事件 庵字 @jjmac
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます