約束
■
その後、戦いがどうなったかというと、手負いの勇者が本陣に撤退してきたことで、人間軍は退却を決断、即時撤退を開始した。流石に片腕片足の勇者に鞭を打つ者はいなかったようだ。魔王軍の方も、とても追撃できる余裕はなくて、僕らに背を向ける人間軍に背を向けて、体勢の立て直しに奔走していた。僕が本陣に行って、勇者を撃退することができたと伝えた後は、兵士も十二氏族も総出で都市の復旧に着手した。
戦いから数日後、僕はハルを連れてユキの庭を訪れていた。
石畳や壁はすっかり元通りだけれど、破壊された草花はそう簡単には戻らない。まだむき出しの土の部分が目立っている。
「え、あの娘、ここの庭師だったの?!」
僕がメルテの素性を話すと、ハルは目をむいて驚いた。そして感嘆の息を漏らしながら修復途中の庭を見渡した。
「この庭を見れば魔王陛下がここをどれだけ大切にしているかはわかるよ。その庭を任されていた娘を……」
そうなんだよなぁ……。
あれからユキと顔を合わせるのは今日が初めてだ。ユキは療養中で絶対安静だったし、僕はずっと星の書のホロスコープにこもりきりだったから、時間をとることができなかったのだ。それでなくても、辛いことをさせてしまった僕に、よく面会許可を下ろしてくれたものだ。もちろん、だからといってメルテを襲わせたことを許してもらえたなんて思っていないけれど。
今日の目的はハルを紹介することだ。側近は信頼できる家臣がなるものだから、ハルがすぐに月天騎士か星天騎士になれるわけではないけれど、きっかけは必要だから。口利きをしてあげたいのだ。僕は星詠み卿としてユキの傍にはもういられないかもしれないから。それくらいの覚悟はしてるつもり。
いつものシロツメクサの花畑を囲むクレマチスの生け垣は、一部が根こそぎ掘り起こされて土がむき出しになっている。もとの姿を取り戻すのにどれくらいかかるのか、僕は知らない。
だから今は白い花畑が生け垣の端から覗いている。身体を傾けて覗き込むと、ユキの菫色のドレスの裾がチラリと見えた。
僕はハルにこの場で待つようにジェスチャーで表して、生け垣の向こう側に足を踏み入れた。
「……ユキ」
僕が名を呼ぶと、ユキはゆっくり肩越しに振り返った。顔も見たくないと思われていると思っていたので、僕は小さくほっと溜め息を吐いた。
「要件は……?」
小さく呟くような声でユキ。
「今日は、紹介したい人がいてっ」
慌てて僕は要件を口にした。
「そう……」
まるで生気の抜けた返事。
こんな状態のユキにハルを紹介していいんだろうか。日を改めたほうが良いような気もするけれど、こうでもしないと、とても敷居が高くて……。
「入ってもらうね」
僕は生け垣の外にいるハルに合図を送った。
「竜人族族長、リューディ・ロッテンベルグが娘、ハルヤート・ロッテンベルグと申します。お会いするのは二度目です」
ハルが跪いて仰々しく挨拶する。
「知ってるよね。ユキとともに勇者と戦ったハルヤートだよ。人間との最初の戦いのときに知りあって、レドネアでもお世話になったんだ」
「……」
「…………それで、ハルにもユキを護る助けになってもらおうと思って。ハルも女の子だし、ユキも安心できるかなって」
「護る? 勇者ならいーちゃんが追い払ってくれたじゃない」
やっとまともにこちらを向いたと思ったら「メルテと引き換えにね」といわんばかりの視線を向けられた。相当怒ってる。
「追い払ったっていっても、殺したわけじゃない。レイはもう勇者として戦うことはできないと思うけど、次代の勇者が誕生しないとも限らないから」
「……」
この数日間、ずっとホロスコープに篭って僕は何を占っていたのか。もちろん勇者の動向を探るのが最優先だったけれど、僕なりの罪滅ぼしを考えていたんだ。
「ユキ、聞いて」
宥め口調の僕に、ユキは苦い顔を見せる。
「僕は悪いことをしたなんて思ってないよ。僕にとっての最優先はユキだから。魔王だからとかじゃない。ユキに死んでほしくなかったんだ。そのためならなんだって犠牲にする。メルテも、たとえ自分の命でさえ」
「……」
魔王にとって、誰かが自分のために命を賭けることは当たり前のことだ。けれどユキは悔しそうに口元に力をいれた。優しいユキのことだ、四年に渡る大きな戦争があって多少の自覚が芽生えたとはいえ、そう容易く受け入れられないのだと思う。
「でも、悲しい思いをさせてしまったのは本当だから、だから約束」
「約束?」
僕は頷く。
「そう。僕が今よりももう少し星の書の使い方が上手くなったら、きっとレドネアに行こう。一緒に、メルテに会いに」
驚いたユキは目を見開いて顔を跳ね上げた。視界の端ではハルも息を呑んでいる。そんなハルに僕は言う。
「ハルも行くんだよ。もしものときに僕だけじゃ心もとないからね」
「自分で言う?」
ハルは肩をすくめた。
「本当のことだから。ていうかそれが騎士の役目でしょ。僕の役目は未来を示すこと。ハルはその未来を作ってよ」
僕はユキに笑う。
「でも……」
魔王となってから魔王城からすら出たことがないユキが、魔族の支配地域であるデキンを離れ、人間たちの棲む土地になんて行けるはずがない。そんなことは枢密院や占星院が許すはずがないと、ユキは暗い顔をする。
「大丈夫だよ。僕が未来を創るって言っただろう。その未来を見せつけて、ヒャクライさまたちを納得させてみせるから。なんていったって僕は、滅びの未来を変えた大占星術師だからね!」
わざとらしく胸を張って見せると、ユキは苦い顔で、なんとか笑顔を見せてくれた。
数日後、まだ補修の跡が残る魔王城の講堂で、ハルが正式にユキの近衛騎士に任命された。
そして運命を切り開く騎士”月天騎士”として誓いを立てたのが十年後。
僕がレドネアへの旅路の安全を確保できるようになるまで、さらに八年かかった。
僕たちがレドネアを訪れ、三十歳となったメルテと再会するのはまた後の話。
その時、メルテとレイの子供、小さな三代目勇者を見たのは、また別の話だ。
勇者伝説と叛逆のアストロロジー ふじさわ嶺 @fujisawa-rei
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