運命の行方

 上に行くにしたがって伝わってくる衝撃も大きくなる。塔の屋上に出る扉を上げて覗き込むと、すぐ近くで爆発が起こった。遠すぎても困るので、むしろ都合が良い。けれどメルテの安全には気をつけないといけない。


「これくらいの距離なら大丈夫だよ」


 そう言って屋上に出た僕は、周囲を見渡した後、メルテに手を差し出した。




「それで、私はなにを?」

「……」

「おにいちゃん?!」


 メルテが首を傾げた直後、直上で激しい爆発が起こった。僕はとっさにメルテを庇う。後ろで塔の一部の崩れる音がして、破片が僕の背中に飛んできた。


「うぐっ!」


 僕の懐でメルテが何か叫んでいるようだけど、爆発音が耳に響いて聞こえやしない。背中に当たる石が痛くて、多分、出血が酷いんだ。こんな爆発にメルテを巻き込むわけにはいかない。

 爆発をやり過ごしてメルテに背中を見せないようにんなんとか立ち上がる。


 今回はやり過ごせたけど、もう一度同じのがきたら僕でも立ち上がれないかもしれない。


「おにい……ちゃん? 大丈夫?」


 ようやく爆発が収まって、僕の懐で丸くなっているメルテの声も聞こえるようになった。心配そうな声に、今メルテがどんな顔をしているのか想像できる。


「大丈夫だよ、メルテ」


 ゆっくりと上体を起こし、僕はメルテに向き直った。僕に両肩を掴まれたメルテは、キョトンと首を傾げている。


「メルテ、僕は君に謝らなきゃいけない」

「え、おにいちゃんは何も悪いことしてない……」


 慌てて否定するメルテに僕は首を振ってみせる。


「これからするんだ」


 今、謝るのは後でじゃ遅いからだ。


「君は君の意志でデキンに来た。だから僕は君に謝らなきゃならない。ごめんよ、メルテ。僕は僕の都合で君を利用しようとしている。それは僕の罪だ。だから……ごめん……」


 おかしいな、塔の階段を登る途中、たくさん考えたんだけど。


「ごめん……本当に」


 これ以上の言葉が出てこなくて、かわりに涙が溢れ出てきた。僕はメルテに見せないように慌てて俯いた。


 本当に馬鹿だ。僕が泣いてどうする。


 この間もメルテは黙って僕を見つめていた。そして、


「魔王さまのためですね」


 と、力強い瞳で彼女は頷いた。思わず瞠目してしまったけれど、僕は、


「違う」


 と、短く強く否定した。



 僕らは立ち上がる。塔の上は一部壁が崩れていて残骸が飛散しているため足場が悪い。その瓦礫の上をメルテの手を引いて進み、塔の端に立った。そして僕らがここにいることなんて知りもしない彼の名を叫んだ。


「レイ! 勇者レイ!」


 叫んでもすぐに戦闘は収まらなかった。激しい戦闘音に掻き消されて届かないのか、と僕が再び大きく息を吸い込んだ時、一際大きな爆発が頭上でひとつあって、それを最後に戦闘は一旦の落ち着きをみたようだ。

 やがて爆煙が晴れる。黒ずんだ煙のなかから、仏頂面の勇者が現れた。燃えるような赤い髪はボサボサで、土煙にくすんでいる。服もところどころ破れていて、戦いの激しさを物語っていた。

 どんな魔族でも、何十万の魔王軍でも、苦戦すら強いることができなかった勇者相手にここまで戦えるなんて。さすが魔王だ。


 しかしそのユキとハルの姿が見えない。僕は目だけを動かして辺りを見回した。

 すると地上から瓦礫の崩れる音がして、反射的に目を向けると傷だらけのハルが背丈の倍もある分厚い青銅製の門をどかすところだった。

 ゴワン、ゴワンと鳴らして石畳に倒れる門扉。ハルの背中、影に隠れてユキの姿も見えた。安堵の息を吐きかけた僕は、出かけた息をぐっと呑み込んだ。


「ユキ!」


 ドレスはあちこち破れて血に塗れている。頭からは白い肌を鮮血が伝い、滴って襟元をベッタリと染めていた。


 まだそんな時間じゃないはずなのに!


 むすっとした表情で二人を見下ろしていた勇者が、僕の声に反応してこちらを向いた途端、突然ぎょっと目を見開いた。その表情にはほんの僅かに喜びの色があった。彼の視線はすでに僕にない。僕の方を向いて入るが、その視線は僕の背後、メルテに向けられていたのだ。僕はほっと小さく、気づかれないように息を吐く。


 良かった。勇者がメルテに懸想しているというのは本当だった。


「動くな!」


 僕はメルテを盾にするように後ろ手に拘束すると、隠し持っていたナイフを取り出し、彼女のか細い首もとに押し当てた。当然傷つけるつもりはない。だからメルテも驚きこそすれ怯えた様子はない。しかし手を少しでも引けば彼女の喉は切り裂かれるだろう。そんな状況に勇者は息を呑んだ。


「なっ、なにを!」


 勇者は避難の声を上げた。メルテを見つけた時に上がった勇者の口角は歪み、こめかみからは一筋の汗が伝っている。期待通りの反応だ。下の二人。不思議そうに目をパチクリさせているハルと違って、ユキはぐったりしながらも訝しげに眉を顰めている。もう二度と口を聞いてくれなくなるかも。


 これじゃあ、本当に悪者だ。


 気づかれないように少し俯いて自嘲した僕は、顔を上げて勇者を睨む。そしてメルテの首元に押し当てたナイフを外し、手摺の崩れた塔の端からメルテの背を押した。


「さよなら、メルテ」


 塔から突き落とされたメルテは、振り向き際、小さく笑いながら口を開いたけれど、それは勇者の怒号によって上書きされてしまい僕に届くことはなかった。


「うおああああああああああああああああああああああ!」


 戦場の全てを無視して勇者は空を蹴った。


「ユキ! ハル!」


 ハルからの信頼も、ユキからの親愛も、全て失ってもいい。だから、


「メルテを撃って!」


 勇者への攻撃は躱されて終わるだろう。メルテへの攻撃なら? 勇者は、受け止められずにはいられないはずだ。

 それに気がついたハルは、僕の言葉通り、ありったけの力を込めてメルテに爪を向ける。


「ユキ!」


 ユキも気づいていないわけではないだろう。しかし彼女にとってメルテへの攻撃など容易くできることではない。


 お願いだ、ユキ!


 手負いのハルだけではきっと勇者は貫けない。だから、あと一撃だけでいい。たったあと一度だけ。ユキ、僕の願いをきいて欲しい。


「魔王陛下!!」


 僕は叫ぶ。たったひとつだけの願い。それを叶えるためなら、立場さえ利用してやる。


 これだけが叶えばもう後は何もいらない。


 たったひとつの願い。それは、


「生きて!!!!!」


 僕の悲痛な叫びは、血まみれになった彼女を動かした。


 彼女は胸を押さえながら苦しみの表情を浮かべ、そしてありったけの魔力を解放した。

 あの大人しいユキからは想像もできない、空を引き裂くような金切り声を上げて、血の涙を流しながら地面を蹴った。僕の目が捉えられたのはそこまで。


 次に僕が見たのは、ハルが勇者の左足を引き裂き、ユキが勇者の右腕を貫き、左足と右腕を失った勇者が、それでも後ろを振り向かずにきつくメルテを抱き留めている光景だった。


「安心して、もう大丈夫だから」


 優しげな声でそう囁くのは勇者だ。

 勇者は残った左足で空高く跳躍する。そしてこちらを見向きもせずに遥か西の空へ消えていった。最後、勇者に抱きしめられたメルテは、彼の肩から顔を出して僕たちを見つめていた。その顔は、今にも泣き出してしまいそうなくらい目に涙を溜めていた。

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