追いかけっこ
真白(ましろ)
追いかけっこ
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ——
内臓がすべて心臓になってしまったような動悸を感じながら逃げた。
ナニからか。そんなことはこっちが聞きたい。呼吸すらままならず身体は悲鳴をあげていたが、本能が止まることを拒否している。
こんなことはありえない、そもそもなんでこんなことになった。いやそんなことよりなんで出入り口がみつからないんだ——
俺は雑誌記者をしている。
そう聞くと聞こえはいいかもしれないが、実際のところは売れない出版社の、その中でも特に売れてないオカルト雑誌の担当だ。ゴキブリすら殺せなさそうな薄い雑誌で、半分は読者の投稿ページだというのに、月に五通も送られてくれば多いと感じるような状況だ。仕事のほとんどは読者投稿の捏造だ。いや、どうせ読者だって作り話を送ってきてるんだから捏造とはいえないだろう。毎月投稿している熱心な読者が一人いるのだが、そいつを雇ってこの雑誌をまかせたほうがいいんじゃないかとさえ思う。こんな雑誌が廃刊になっていないのが一番のオカルトだ。
そもそもオカルトなんかこれっぽっちも信じちゃいない。どうせ勘違いや見間違いだろう。そこそこの誌面を割いている心霊写真のコーナーだって、手ブレやレンズの付着物など原因がはっきりしてるものばかりだ。それでなくても人間なんて点が三つあれば顔に見えるようないい加減な認識能力しかないんだから、それっぽければなんだってそう見える。特に最近はスマホだけでド素人でも心霊写真が作れる。だいたいカメラってのは光を捉えて写すんだ。肉眼では見えたのに写真に写っていないならまだしも、肉眼では見えなかったものが写真に映るなんておかしいじゃないか。まあ前者だとしたら心霊写真にはならないのだが。
そういうわけで、仕事の一つが心霊写真の撮影だ。もちろん、撮影した写真をどう加工するかが重要なのだが、元になる写真もそれなりの雰囲気が必要になる。普通の家族写真に見えるものや、なんでそんな写真を撮ったのかよくわからないいかにもな真夜中の神社とか。
いいかげん読者投稿や心霊写真の捏造をするにもネタに困っていたときに、一通の封筒が送られてきた。インターネットがこれほど普及しているこのご時世で、封書での投稿はめずらしい。
中を見ると、短い手紙と一枚の写真が入っていた。
写真はどこかの廃墟のようだ。三階建てと思われる建物はそれほど大きくはなく、たいして崩れてもいなかったが、周囲が木々で囲まれているせいかそれなりに異様な雰囲気を醸し出していた。遠目から撮影されてはいたが、三階の窓にはっきりと人が走っている姿が写っている。
手紙を見ると撮影場所と日時が書いてあった。どうやら最近撮影したもののようだ。
時間はよりにもよって真っ昼間で、正直に言えばただ廃墟を走っている人を撮影しただけにしか見えない。それはそれで、ある意味では幽霊よりも怖いかもしれない。
とにかくネタに困っていたので、その廃墟へ取材に行くことにした。送られてきた写真はそのまま使うにはあまりにも怖くない。しかし、廃墟の雰囲気はなかなかのものだったので、夜中に撮影し、少し加工すれば十分な記事になるだろう。幸い場所も近く、少ない経費でまかなえる距離だ。
簡単に調べてみると、どうやら廃墟は病院だったようだ。廃病院なら幽霊の正体に困ることもない。記事にするための設定を適当に考えながら廃病院に向かった。
廃病院に着いたのは夕方だった。車から降り、廃病院を見上げる。はっきり言えば拍子抜けだ。まだ日が落ちていないとはいえ、あまりにも普通の建物だ。もし肝試しでここに来たのであれば、がっかりしていたかもしれない。とはいえ、腐っても廃病院だ。中に入ればそこそこの写真は撮れるだろうし、どうせ加工するのだから関係ないと言えば関係ない。
日が落ちきる前に撮影場所の目星をつけるために、廃病院の中を探索する。中もそれほど荒れていなかったが、何ヶ所か撮影に使えそうな場所をみつけ夜になるのを待った。
いざ夜になると、多少の恐怖を感じる。幽霊がどうとかではなく、単純に灯がない廃墟はどこでも不気味なものだ。さっさと撮影を終えて家でビールでも飲んで寝たいと考え、いそいそとカメラを設定して写真を撮る。数カ月後に別の場所としても雑誌に載せられるよう、目星をつけた場所を順番に撮影していく。
そして三階にある病室を撮影しているときだった——
何か物音が聞こえたような気がして後ろを振り返る。急に心臓が鼓動を早めたが、どうせ気のせいだろうと撮影を再開する。
気のせいじゃない——
明らかに物音がする。誰かが走っているような足音が。
オカルトなんて信じていない。だが、これはヤバイと本能が訴えている。鼓動が今まで感じたことがないほどはっきりとわかる。慌てて機材を片付け病室を出た。
足音が階段を昇ってくる——
ヤバイヤバイヤバイ。この廃病院には階段が二ヶ所あった。もう一方の階段へ全力で走る。振り返ることすらできずとにかく階段に向かう。転げ落ちるように階段を降りて出入り口に向かう。
足音が降りてくる——
ない。出入り口がない。たしかにここに受付があって出入り口があったはずだ。しかし、そこには廊下しか見当たらない。半ばパニックになりながら、廊下にある部屋を片っ端から確認したが、出入り口どころか受付すら見つからない。
足音が近づいてくる——
そうだ、窓から出れば。そう思いたち窓に近づいたが、錠が見当たらない。普通の引違い窓なのに嵌め殺しになっているかのように開かない。窓を割ろうと近くにあった椅子で殴りつけたが割れるどころかヒビすら入らない。
足音が鳴り響く——
どうすればいい。どうしたら出られる。足音から逃げるためとにかく走った。一階も二階も三階もわからない。それでもとにかく走った。足音が近くから聞こえているのか遠くから聞こえているのかすらわからなくなる。自分の足音とナニかの足音の区別がつかなくなる。逃げているのか追いかけているのかすら曖昧になり、泣きながら走り続けた。
足音が真後ろで聞こえる——
意味のない言葉をよだれとともに吐き出しながら走る。もう駄目だと思った瞬間、目の前に受付が見えた。あった、出入り口だ。出られる。ここから出られる。呼吸も鼓動すら忘れて出入り口に走る。
足音が一つになる——
やっと外に出られた。もう足音は聞こえない。オレは走り続けて乱れた呼吸を整えようとするが上手くいかない。どれだけ走り続けたのかわからないが、そんなに時間は経っていないはずだ。しかし、もう何日も走り続けたように身体は疲弊していた。どうにか車を停めたところまできたが、自分の車が見当たらない。嘘だろ。ここまできて車まで消えるのか。
いや、さすがに車が消えたのは盗難だろう。木々に囲まれていても、山奥というわけじゃないし、肝試しにきた連中の車なんて盗みやすいだろう。なんせ不法侵入をやらかしてるんだから。
とりあえず帰ったらめんどくさい手続きをしなければならないようだ。しかもあれだけ走ったのに、これから駅まで歩かなければならないのかと辟易しながら、もう心霊現象をバカにするのはやめようと思った。この体験だって誰も信じないだろう。それでもこの世には、確かに理解できないことは起こるんだ。
追いかけっこ 真白(ましろ) @BlancheGrande
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