みえる、みえなくなる

奔埜しおり

みえなくなっても。

 物心ついたときには、もうすでにそこにいた者たち。

 それは、他の人には視えないようで。

 人はそれを、妖だったり、物の怪だったり、幽霊だったり、お化けだったり……。

 いろんな名前で呼んでいる。



 真矢ちゃんとかくれんぼをしていたら、気付けば人数が増えていた。

 真矢ちゃんと鬼ごっこをしていたら、気付けば鬼の子がいなくなっていた。

 皆そう言って気味悪がって。

 人数なんて、最初から変わっていない。

 そう訴える私を、今度は大人まで気味悪がって。

 気づけば私の周りには、他の人にちゃんと視えている人はいなくなっていた。

「真矢は変なのかな?」

 私がそう問いかける度、いつも傍にいる少年は微笑んで首を振ってくれる。

「真矢ちゃんは変じゃないよ。皆が変なんだ」

 そう言って、ギュッと握りしめてくれる掌は、驚くくらい冷たくて、でも、優しかった。



 中学生になっても、私は孤立していた。

 よくあることだとは理解しているけれど、お墓を潰してその上に建てた学校には、たくさん、人がいた。

 他の人に見える人も、視えない人も。

 一人でいることには慣れたけど、だからと言って、陰でこそこそ言われるのは気分が悪くて。

 私は、誰にも話しかけなかった。誰にも返事をしなかった。

 だって、その人が、見えるはずの人なのか、違うのか、わからないから。

 だけどそれでも、昔からの友達とは話をする。

 帰り道の途中にある、橋の下、ちょうど上からは影になって見えない、川の近くで。

「私、ずっとここにいたいな」

 友達と話して。笑ったあと、ポツリと呟く。

「ねえ、駄目かな」

 私の言葉に、少年はなんとも言えない笑みを浮かべる。

「僕は構わないけれど、真矢ちゃんの両親は心配するんじゃないのかなー?」

「……」

「それに、真矢ちゃん。僕たちはあと数年でお別れなんだよ」

 言われた言葉の意味がわからなかった。訊き返せば、少年が私から目をそらす。

 そのまま、彼はなにも言わなかった。


 もう十年以上一緒にいるのに、少年の背丈は変わらなくて。私は気付けば彼を追い越していた。



 高校生の夏。

 いつも通り川の近くで話していたら、同じ高校の男子に話しかけられた。

「なにかそこにいるの?」

 そう訊いてきた男子を無視する。

 だって、めんどくさいから。

 いると言ったら、気味悪がられるだろうし、いないと言ったら、ならお前は今なにをしているんだってなる。

 そう思って、無視をしていたのに。

「こんにちは、初めまして」

 男子はまっすぐに、私の視線の先へと手を伸ばす。

 その先にいるのは少年で。

 信じられない思いで、私は男子を見上げる。

「視えるの……?」

 すると男子は、ふにゃっとした笑みを浮かべる。

「ううん」

「ならどうして――」

「今は、視えないだけ。昔は視えていたから。きっとそこにいるんだろうなと思って」

「今は……? 視えなくなるの?」

 男子が頷く。

「昔、おばあちゃんに聞いたことがあるんだ。子供の頃に視えていたものは、たいてい大人になる頃には視えなくなるもんだって。ある日突然視えなくなる人もいれば、徐々に視えなくなる人もいるらしいよ」

「そう……なんだ」

 目の前で、少年が男子の手を握る。

 だけどその感触さえも男子には伝わらないようで。

 少年の手を、男子が握り返すことはなかった。



 男子は、高校でも、会うたびよく話しかけてくれた。

 最初は戸惑っていたけれど、段々と楽しくなってきて。

 毎日、高校に通うのが楽しみになっていった。

 男子は男女問わず友人が多くて。

 その子たちも皆、私と仲良くしてくれた。

 昼休み、雑談に夢中で予鈴に気づかずに授業に遅刻したり。

 放課後、教室に残って長話をしたり。

 帰り道、近所のコンビニでアイスを買って、食べながらはしゃいだり。

 本当に楽しくて楽しくて。幸せで。

 ただ気味悪がられていただけの幼い日々が、嘘の様で。


 気づけば私は、高校三年生の三月まで、一度もあの川に行っていなかった。



 いつの間にか、あの男子に惹かれている自分に気が付いて。

 それを友人に打ち明ければ、皆協力してくれて。


 放課後の空き教室、なんてどこの少女漫画だよ、と突っ込みたくなるようなシチュエーションで。

 私は彼に、告白をしていた。

 心臓がうるさくて。

 外の野球部の音さえも掻き消すんじゃないか、と思った。

 そのくせ、時計の針の音はやけにクリアに聞こえて。

 頭を下げたままの私には、今彼がどんな顔をしているのかわからなくて。

 だいぶ長い時間が経ってから、ごめん、と謝られた。

「私こそ、変なこと言ってごめん」

 無理矢理笑いながら顔を上げれば、なぜか泣きそうな顔をした男子がいて。

「真矢は謝ることないよ」

 そう言って、男子が笑う。

「俺さ。もう死んでるんだ」

 悪い冗談。

 そう思って笑いたかったけれど、儚げな笑みを浮かべる表情が、嘘ではないことを語っていて。

「……どうして、生きてる人のふりをしたの」

 騙されていたんだと気が付いた。

「いつも君と話していた少年、いるだろ? あいつに頼まれたんだ。真矢が自分たちのこと、視えなくなる前に、どうか生きている人とちゃんと一緒にいれるようにしてほしいって」

「どうしてそんなことをあなたに……」

「俺さ。力が強いみたいで。生きてる人にずっと姿を見せ続けること、できるんだよね。でも、少年たち……君の友達にはそんな力はなかった。だから頼まれたんだ」


 ごめん。

 そう言って頭を撫でた彼の手も、驚くほど冷たかった。


 彼はその翌日から、学校に来なくなった。



 鳥の声で目を覚ます。

 カーテンを開ければ眩しい太陽。

 今日は卒業式。

 だけどその前に、いつも通り、あの川へ。


 高校でできた友人とは、あのあともずっと仲良くしてもらっていて。

 そのうちの数人とは、同じ大学へ進学することになった。

 川へも、毎朝登校前に通っていて。

 いつも少年たちに挨拶してから学校に行くのが日課になっていた。


 川に着く。いつも通りのあの場所に。

 だけど、そこには誰もいなくて。

 必死に呼んだけど、誰からも返事はなくて。

 大人になってしまったんだと気付いて、ただ茫然としていたら。

 コツン、と石が突然すぐそばに投げられて。ハッと顔を上げれば、紙切れが一つ置いてあって。その上に重し替わりの石が載っていた。

 石をどかして紙切れを手に取る。

 そこには、卒業おめでとう、と書かれていた。

<う>が、ぼんやりと滲んでいて。

 へたっぴなその字は、きっとあの少年のもので。

 きっと紙もペンも、あの男子から借りたんだと思う。

 思わずその紙をギュッと胸元で握りしめる。


 その文は、温かくて、そして、優しかった。

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みえる、みえなくなる 奔埜しおり @bookmarkhonno

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