校庭ペンギン

藍上央理

第1話

 スキという気持ちを信じることができなくて。

 校庭にたたずむ。

 黒い学らんに白いシャツ。そのコントラストはペンギン。




「相葉くん」

 不意に呼ばれて俺は振り向いた。

 庄司がそこにいた。風が長めの髪をなぶる。きめの細かい色白の肌。光を透かすと金色に光る細い髪。

 同じ年だが、一学年下に見えるきゃしゃな体。

「せんせい、呼んでた」

 どうせ、痴話げんかになる。あえて無視。

 庄司は気にせず、俺の足元にうずくまる。

「なに、やってんの」

 よくしゃべる。痴話げんかの原因。

 校庭の真ん中でたばこは吸えない。俺は両手をズボンのポケットに押し込む。

「ねぇ、相葉くん、スキな人いるの?」

 スキ。だれを?

「いねぇよ!」

 おれは庄司を置いて校舎に向かった。




 スキという気持ちを固く信じて。

 屋上に舞う。

 ひらひらとした長い両腕。その姿はバタフライ。




 強い風がなぶる。フェンスを越えた、僕の体。

 上昇気流が、雲のあいだを駆けあがる。

 心臓の音。軽やかなリズム。スキという気持ちに乗せて、舞う。

「何やってんの」

 相葉が見ている。

「踊ってるの」

「変な奴」

 硬質の鋼のような髪。つややかな光のリング。陽に焼けた肌。彫刻刀で削り出したような骨格。広い肩幅。

「こっちにこいよ」

 僕は首を振る。この境界線。越えられない限界点。

 相葉の目。惑乱の瞳。輝くブラックスピネル。スキという気持ちは、吸い込まれて消える。

 強い風、足がよろける。

 相葉が跳ねる。僕の肩に食い込む指。

「危ないだろ」

 スキという気持ちは届かない。

 フェンス越し。

 相葉の腕。僕は両手で包む。




 校庭ペンギン 屋上バタフライ 惹かれあう二人。


 

 

「別れた」

 庄司が顔を上げる。潤んだ瞳。薄い虹彩。なだらかで柔らかな唇。触れたい。

「なんのこと?」

 風が庄司の顔を隠す。乱れる茶色の絹糸。

 あやふやな心。言葉にならない感情。

 漠然とした哀しみ。掴み切れない。

「スキな奴いる?」

「うん」

 庄司の言葉に俺はたじろぐ。

「だれ?」

 庄司が俺を見る。笑う。

「相葉くん」

 そのまっすぐな瞳。強い光。俺は目を反らす。

「冗談」

 庄司の目が怖い。その優しい色に何もかも奪われていく。




 フェンス越し。庄司はうずくまる。強い風。

「なんで」

 庄司の問い。

「なんでもない……」

 ずるい返答。

 庄司に触れたい。指先を引っ込め、俺はフェンスを離れる。

 裏腹な行動。

 階段を下りる。背から受ける太陽。目の前の段に伸びる影。二つの影が重なる。

「スキだよ」

 庄司の腕。白い手。俺に絡みつく。

 軽くかかる体重。首筋に触れる庄司の髪。

 背中にかかる吐息。庄司の体温。

 持てあます俺の両手。触れたい。駄目だ。

 触れると転がるように、俺は流される。

 誰かが傷つく。俺は逃げる。スキという気持ちから。

 庄司のまっすぐさが怖い。




 スキという気持ちを信じる勇気。

 傷つくことを恐れない勇気。

 どれも持てあます。




 相葉を捕まえるにはどうしたらいい?

 逃げる背を抱きしめる方法がわからない。

 臆病な君。

 腕に残る相葉の体温。僕はどうしたらいい?

 空は広く透き通る蒼。流れる雲。

 相葉が振り返るのを待つ。

 唯一僕のできること。

 だから哀しさが切なさが胸を強く引っ掻いても、僕は信じる。




 庄司がいない。

 視界に存在しない。

 その姿を探してしまう。




 僕は踊る。

 つま先立ちし、両腕を広げ、恋に狂う、バタフライ。

「いつも踊ってんな」

 相葉の声。僕はわざと無視する。

 相葉の視線。僕は踊ることをやめない。

 ふわふわとした恋の踊りが、激情に駆られる。

 より早く、より激しく。舞い狂いながら、相葉に迫る。

 つま先が相葉の影を踏む。

 指先が相葉の鼻先をかすめる。

 振り返り、相葉の視線を捕える。

「恋の踊りだよ」

 僕は逃げない。君を捕まえる。

 頬をあからめ、顔をそむける、君がいとしい。

「変わってんな」

「バレエだよ」

 情熱を踊りで伝える。

「体、柔らけぇな」

 相葉の真剣な顔。

 うちももに伝わるコンクリートの固さ。上体をひねって、相葉の足に頭をつける。

 見下ろす相葉。見上げる僕。

 だらりと両腕をコンクリートの床に伸ばす。

 相葉の心配そうな目つき。

「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない」

 相葉、もっと僕に近づいて。




 口づけて、僕を奪い取って。

 指を解き、俺から逃げて。

 つかず離れず、俺たちの距離。

 見つめ合い、惹かれあう、僕たちの心。




「キスして」

 庄司がひざを抱えて言う。その白いうなじ。なだらかな頬。桜貝のような耳たぶ。

 キスしたい。抱きしめたい。そのきゃしゃな体をすべて包み込みたい。

 潤む瞳。目が離せない。一粒の琥珀。そっと風のように触れる。

「もっと」

 庄司の震える声。てのひらに感じるコンクリートの熱。

 触れるか触れないか、庄司の肩が俺の鎖骨に当たる。

 



 唇に触れる、優しい風。優しくつま弾くように、僕の心をかきならして。

 風に舞うバタフライ。君に届くよ。

 校庭に一人悠然とたたずむ君に。




 顎に触れる、優しい髪。その指先が、俺の心を激しくかき乱す。

 孤高のペンギン。お前と寄り添う。

 屋上に優雅に舞うおまえとともに。

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校庭ペンギン 藍上央理 @aiueourioxo

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