とある、出逢いの物語

とある、出逢いの物語

「もうすぐ着くからね」

 わたしの頭を軽く撫でながら、わたしを抱きかかえるその人は言う。

 その人の太もも越しに電車の心地よい揺れを感じていたわたしは、うとうととまどろみながら、撫でられたことによる気持ちよさに反応して、小さな声を上げた。


『――明日は、お出かけよ』

 一週間ほど前にわたしを引き取ったばかりのその人は、昨日の夜、突然そのようなことを言った。

 それほどまでに嬉しいのか、今まで見たことのないような――まだ、会ってからほんの少ししか経っていないのだけれど――とろけそうな笑みを浮かべている。

 この人の考えていることは、よく分からない。いい人なのか悪い人なのか、わたしをこれからどうしようというつもりなのか。

 疑うような目で、わたしはその人を見る。満足に言葉を話せない分、せめて態度で気持ちを示さなければ、と思った。

『え、なぁに。どこに行くのかって?』

 その人はわたしの気持ちをちゃんと……かどうかは分からないが一応読み取ってくれたらしく、こちらを安心させるような柔らかい笑みを浮かべた。

 わたしの、一番好きな顔だ。この人の笑顔は、どうしてかわからないけれど、とても安心する。

 そんな、わたしがホッとする顔――誰かをいとおしく思うときみたいな、優しい顔をしたまま、その人はこう答えた。

『あなたの、家族に会いに行くのよ』

 家族?

 言っている意味が分からなくて、首をこてんと傾げる。

 その人はそんなわたしを見てクスリと小さく笑うと、

『あの子も……あんなこと言ってたけど、ホントはあなたに会えることを楽しみにしているはずだわ』

 と、またよく分からないことを小さな声で呟いた。

 とにもかくにも、わたしはこの人に従わなければならない。この人を信じて、着いていかなければならない、と思う。

 それしか、今のわたしに出来ることはないのだから。


 電車を降りてから、その人は少し歩いた。何が楽しいのか、鼻歌交じりに今にもスキップし出しそうな足取りだ。

 わたしは抱きかかえられたまま、さっきと同じようにただおとなしくしている。その人の動きに合わせて、身体がゆさゆさと揺れた。

 そのまま灰色の硬い道を、歩くこと十分。その人は、大きな建物の前で立ち止まった。

 わたしを抱きかかえるこの人の住み家のような、古くて茶色い一軒家とは違って、そこにはたくさんの窓があった。窓はそれぞれ開きっ放しだったり、ぴっちりと隙なく閉ざされていたり、端っこで色とりどりの布が揺れていたりと、バラバラでまとまりがない。

 その人は中に入ろうとせず、わたしを抱えたまま、手に提げていた鞄から何かを取り出した。四角いピンク色のそれは今流行りのスマートフォンというやつらしく、片手の親指を慣れた手つきで何度か画面に滑らせる。それを耳に押し当てると、少しして出たらしい相手と二言三言、簡単に言葉を交わし、通話を切った。

「もうすぐ来るから、待ってようね」

 その人は、もう一度わたしの頭を撫でた。


 やがて建物の入り口がガチャリ、と開き、中から若い女の子が出てきた。

 ワンピースのようなゆったりとした服に、下はジーンズと、短い茶色のブーツを履いている。首の下あたりで軽く一つにまとめた、ふんわりと癖のある明るい髪の毛は、わたしが持つ自慢のそれとよく似ているような気がした。

 女の子はわたしたちの姿を見つけると、ほんの少しだけ頬を緩めた。「お母さん」と、彼女は言う。

 わたしを抱えているその人――『お母さん』が、嬉しそうに女の子へ向かって手招きする。女の子はパタパタと、小走りでわたしたちのところへやって来た。

「久しぶり。元気にやってる?」

「うん、まぁね」

 『お母さん』の問いに、女の子ははにかみながら答える。

 それから抱きかかえられたわたしに、ゆっくりと目をやった。おずおずと、引っ込み思案な子が発言を求められたときみたいな、不安そうな声と表情で尋ねる。

「その子が……そうなの?」

「えぇ、そうよ」

 『お母さん』は嬉しそうに答えた。その子というのは紛れもなく、わたしのことだろう。

 女の子はわたしをじっと見ていた。化粧っ気のない黒く澄んだ瞳と、わたしの大きな丸い瞳がぶつかる。

 『お母さん』が手を離したので、わたしはそのままその人の腕からぴょこり、と飛び降りた。とことこ、と近寄ってみれば、女の子は驚いたようにびくり、と身体を震わせる。

 茶色く光るブーツに包まれた、足の爪先近くで立ち止まる。

 わたしがそのまま気取るように身だしなみを整えていると、女の子はそっとしゃがみこみ、わたしと視線を合わせた。おずおずと伸ばされた指先に、顔を寄せる。

 目を閉じ、喉を鳴らしてみせれば、女の子は弾んだような声を上げた。

「可愛い……」

「でしょ?」

 そう言うと思った、と、後ろでひときわ明るく嬉しそうな声がする。

「あんた、なんだかんだ言って猫好きだものね」

「でも、やっぱり自信ないよ……お世話の仕方とか、分かんないし」

「大丈夫、お母さんがしばらくついててあげるって言ったでしょ。ほら、抱いてみな?」

 ゆっくりと、身体が持ち上げられる感覚。震える細い腕に、わたしは抱えあげられていた。不安定でちょっと怖いけど、ふわりと香る女の子の匂いに、何だか安心する。

「ほら、見て。目がとろんとしてきたわ。気持ちいいのかしら」

「そう、かな」

「撫でてあげて」

 わたしを片手で抱え直した女の子は、離した方の手でそっとわたしの毛を梳くように撫でた。その動きはぎこちなかったけど……何故だろう。不思議と、気持ちが良い。

 『お母さん』に撫でられた時より、ずっと。

「聞こえる? ゴロゴロって、喉を鳴らしているわ」

「ホント……可愛い」

 心底幸せそうな声で、女の子がわたしに頬ずりした。わたしを抱く手に、もう震えはない。ただ、心からの歓喜だけがそこにあった。

「飼う気になった?」

「もちろん」

「じゃあ、名前決めないとね」

「うん」

 ふふ、と嬉しそうに笑う母娘の和やかな空気に、こちらまで幸せな気持ちになる。

「これから、よろしくね」

 囁くような女の子――新しい家族の声に、わたしはにゃあ、と元気な声で答えた。

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とある、出逢いの物語 @shion1327

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