かわいい姪が無意識に鬼畜。

実緒屋おみ/忌み子の姫〜5月発売決定

かわいい姪が無意識に鬼畜。

 

 男の、屈強かつ威厳に満ちた顔は、今やそれらを微塵にも感じさせないほど青白く歪みきっていた。

 うむ、とうめいて己のスキンヘッドをなでるふりをし、垂れ落ちてきた汗を拭う。

 カントリー風のリビング、かわいらしい小物がふんだんに置かれてある部屋の中で、タートルネックの巨躯は非常に不釣り合いだと誰もが感じるだろう。だが、そんなことは今の男にはどうでもよく、また、家の主たる少女も気には止めてはいない。


「もうね、わたしおじさんが来てくれるっていうから張り切っちゃったの」


 甘い芳香を漂わせる、ほんのりとしたきつね色のバームクーヘン。焼きたての一品をテーブルに置いた少女は、部屋に似つかわしくない男に対して破顔した。


「おじさんと会える時間、なかなかないでしょ?」

「うむ……」

「誕生日ってステキね。忙しいおじさんにもこうしてちゃんと会える機会、作ってくれるんだもの」

「うむ……」


 神様からもプレゼントをもらっちゃった、とはしゃぐ少女に対し、男は適当な返事を返すばかり。時折うめき、腕を組み、頭をなでる男は完全にうろたえている。


「おじさんっ、ちゃんとわたしの話、聞いてる?」

「お、あ、ああ」


 頬を愛らしげに膨らませた金髪の少女の詰問に、いささか我に返ったのだろうか、男は胡乱げな瞳を鋭いそれに戻した。


「これは、その……全部お前が作ったのか」

「そうよ! どう、すごいでしょ?」


 誇らしげに胸を張る少女へ、男は心持ち力の抜けたような笑みを返す。しかしその目には一部の隙もない。

 男と少女の間にあるテーブル。そこには、種類様々の家庭料理が並べられていた。

 キャベツと玉葱のクラウトサラダ、取れたてのインゲン豆や人参などを使用したエルプセンズーペ、りんご酢が効いたロートコールに主菜は豪快、牛肉でピクルスなどをはさんで焼いたリンダールラーデンと、見た目だけではなく色、匂いからもどれもが手の込んだ一品だと思わせる。


「おじさんってほら、お体おっきいでしょ? だからいっぱい作っちゃった」

「……そうか」

「おじさん」


 口を一文字にしたままの男に、それでも少女は微笑んだ。


「のこさず食べてね!」


 その純粋な微笑みに、男はぎこちなく唇の端をつり上げて見せた。


 ――男は考える。


 確かに自分は健啖家だ。特殊部隊に入る前までは傭兵なんぞもしていたわけで、蛇や野草、砂漠にいたときはサソリなどの虫も食べたことがある。

 少女の料理の腕はもちろん信頼の置けるもので、だがそれだからこそ問題なのだ。

 なぜなら……。


「バームクーヘンにろうそく立てるの変かなあ」と、少女がつぶやいた矢先、ツー、ツー、と男のポケットから微かなコール音。

 男は組んでいた腕をとき、ポケットから取り出した携帯端末を耳に当てた。


「どうした」

 寄せられていた眉根が一度、動く。

「わかった、すぐに戻る。お前たちは先に準備をしていろ」


 少女の小さな疑惑の声が、通話を切る音にかき消された。

 小首を傾げる少女へ、男は困ったように、


「……すまない、仕事が入った」

「えーっ」


 明るく輝いていた少女の顔が、みるみるうちに悲壮な表情となり、青い瞳には薄い涙の膜まで張っている。


「そんなぁ……今日は私の誕生日だから、休めるって言ったのに……」

「本当にすまない、埋め合わせはちゃんと、必ずしよう」

「こんなにいっぱい、料理も作ったのに?」


 不服げな少女の唇はとんがっており、男はその様子の少女が一番苦手だった。


「そうだ、今日は、変わりに俺の部下たちに祝いをさせよう。そうしたらこの料理も無駄にならない」

「……おじさんの部下って、前に合わせてくれた人たち?」

「そうだ。女性士官もいるし、今日は非番だから安心だろう?」

「でもぉ……」


 男は立ち上がり、コートを片手にもう一方の手で優しく少女の頭に触れる。


「来週は必ず休みをもらう、今日の替わりに。そうしたら二人で――そうだな、カールスプラッツまで出かけてみるというのはどうだ?」


 スケートが好きな少女に、この一押しは効果覿面だったようだ。


「ほんとう!? 嬉しい、おじさん! ありがとう!!」


 抱きついてくる少女、もとい姪の額に軽くキスをし、


「では俺は仕事に出かける。部下が来るまで、料理を温めておいてくれ」

「りょーかいであります!」


 音を立てるかのように敬礼をしてみせる少女に苦笑を返して、男はその小さな家を後にした。

 心持ち安堵の念を込めた溜息と共に。



 ――後日、姪のありがたい手料理を食べた部下の一人が果敢にも、


「玉葱が食べられないからとはいえ、俺たちをだし・・に使わないでほしいであります」


 と男に述べ、地獄の特訓フルコースを命じられた、とはある特殊部隊の中ではもっぱらの噂である。

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