スターチェイサー

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星を追う魔女の物語

 音の壁サウンドバリアを突破した。会話は既に念話ベースに移行している。落下位置の予測が正しいなら、このままカラドボルグ隊が迎撃コースに乗れるはずだ。今のところ脱落者はなし。防護魔法の効果時間にも余裕がある。全て正常オールグリーンだ。


「コントロールより、カラドボルグ。コース変更の要請だ。地上で戦闘が始まった。魔女の戦争行為への介入は国際法で禁止されている。ザールハイム方面を迂回し、星の頭を押さえろ」

「カラドボルグ隊長機リーダー、了解。各機、進路変更せよ」


 ・・・まただ。

 魔女たちが命を懸けてこの星を救おうしているその足元で、人間は無意味な殺し合いを続けている。


 魔力の残量が心許ない。確実に破砕するためには、攻撃魔法のために力を温存しておく必要があった。本来ならコース変更なんかしている余裕はないのだ。他の隊ではもう、あの隕石には追いつけないというのに。


「カラドボルグ2番機ツー、ニニィ、コース変更だ。復唱どうした?」

「カラドボルグ2番機ツー、ニニィ、了解」


 やるしかない。そう決めたのだ。できる限りのことをして、この星を、あの街を守ってみせる。

 ザールハイムとの国境――そこにはモレルがいるのだろうか。はるかに遠い地上を見下ろして。


 ニニィは、ホウキを握る手に力を込めた。




 フィラニイの街の外れにある小高い丘の上には、大きなけやきの木が立っていた。この大木は、太古の昔からこの街でおこなわれてきた人々の営みを見守ってきたに違いない。良いことも、そして。

 悪いことも。


「ニニィ、大丈夫か、おい、ちょっと」

「あばれないで、モレル。じっとしててくれないと、うわぁあ」


 どすん。

 やはり不慣れなうちでの二人乗りには無理があったようだ。ニニィの操るホウキは見事に空中でバランスを崩し、モレルもろとも地面に投げ出されてしまった。

 下が柔らかな草地であったため、大事には至らなかった。「あたた」とお尻をさすりながら、ニニィは立ち上がった。ざわり、と春の暖かさを含んだ風が吹きすぎてゆく。青く大きな月明かりに照らされて、ニニィの赤銅色の長い髪がゆらゆらと揺れた。

 すぐ近くで、モレルがやはり体のあちこちを気にしながら起き上る気配がした。まだ少し、目が夜の闇に慣れない。カンテラはどこに落ちただろうか。それよりも、ホウキだ。あれがないと今夜中には帰れない。あわわ、とニニィのうちに様々なあせりが込み上げてきたところで。


「ほらよ」


 ぽっと、だいだい色の灯りが辺りを包み込んだ。

 モレルの綺麗な金髪が、きらきらと光を反射している。その手にはつい先ほど、どこかに放り出してしまったカンテラと。


「これ、大事なモノだろう?」

「えへへ、その通りです」


 二人をここに落っことしたじゃじゃ馬、高速機動仕様のホウキが握られていた。



 ニニィ・チャウキとモレル・アスマールはここ、フィラニイの街の出身だ。二人とも、今年で十六歳になる。明日からは一人前の大人になったと見なされて、忙しい生活が始まることになっていた。

 モレルは軍役を果たすために、一兵卒として国軍に入隊する。ここ数年、隣国のザールハイムとは国境周辺で幾度となく小競り合いを繰り返していた。世界が大変な時期になれば、ザールハイムは狙ったようにその混乱に乗じて攻め込んでくる。火事場泥棒のようなもので、実に困ったものだった。


「フィラニイの街や、ニニィのためでもある。俺は頑張って、この国を守るよ」

「うん。でもモレル、気を付けてね。怪我とかしちゃ嫌だからね」

「俺に言わせればニニィの方が心配だよ」


 ニニィは国際高空迎撃センターに、研修生として招集されていた。そこは国という枠組みを超えて、全世界から魔女の才能を持つ少女たちを集めて、特殊な訓練をおこなっている施設だった。四年毎にこの星を訪れる脅威を相手にして、世界が一つになって対抗するための国際的組織。魔女たちの力は今、そのために存在していると言っても過言ではない。ニニィはこの星の人々を救う、希望の魔女の候補生だった。



 この星は四年に一度、隕石の『巣』を通過する。

 かつてそこには、兄弟星があったと考えられていた。伝承によれば今から数百年前に、その星は未曽有の危機によって粉々に砕け散った。それから二つの星の公転周期に従い、四年間のインターバルを挟んで――兄弟星の残骸が降り注ぐ、大規模な『自然災害』が発生することになった。

 多い時には激しい破壊を伴うものが数百、大きなものだけでも十を超える隕石が地表をえぐり、そこに住む生き物たちの命を根こそぎ奪っていった。人間だって例外ではない。落ちた先に街があるのならば、次の年には地図の上から消えてなくなることになる。避難が間に合わず、逃げ遅れた人々の下には・・・死の運命だけが待っていた。


 隕石の落ちる場所は、ある程度は予想することができた。予言者たちは落下地点を知るために、常にてんてこ舞いだった。あそこに落ちるぞ。逃げる。こっちに落ちるぞ。逃げる。安全と思える場所の取り合いで、人々の間には争いが絶えなかった。


 そんな中、隕石を迎撃する手段として、魔女を用いるというアイデアが生まれた。ある特定の血族において、一部の女子に低確率で発症する『魔女』という力。まともな存在ではないとおそれられ、人々から忌避されてきた魔女たちは、不意にこの星の歴史の表舞台に立たされることとなった。

 予言士が隕石の軌道を予測し、魔女たちがそれを追跡、破壊する。それは言うほどにたやすいことではなかった。隕石の落下速度は、空気中を伝わる音よりもはるかに早い。また、適切に破砕をおこなわなければ、広範囲に破片をまき散らし、被害をいたずらに拡大させる結果となってしまう。

 『星を追う者スターチェイサー』は、厳しい訓練を受けたほんの一握りの魔女たちに与えられる、名誉ある称号だった。



「ニニィが『星を追う者スターチェイサー』とか、何の冗談だって話だよ」

「まぁ、私だってまだ自信とかないけどさ」


 モレルの横で、ニニィはむむっと顔をしかめた。二人は並んで、けやきの木の根元に腰かけていた。ここはずっと昔、二人がまだ幼い子供の頃によく遊びに訪れた場所だった。丘から見渡せるフィラニイの街の景色がとても素敵で、ニニィは当時からここが一番のお気に入りの場所だった。

 ポケットから小瓶を取りだすと、モレルはぐいっと嚥下えんかした。さっきの墜落の衝撃で割れるかと思っていたが、流石に軍からの支給品は頑丈だった。壮行会で出された酒は、今までに飲んだことのない上物だ。のどの奥が焼け付いて、身体中が熱くなってくる。ニニィの顔が、まぶしく見えてくる。

 モレルはそっと、ニニィの手を握った。ニニィも握り返してくれる。ニニィの体温を感じて――モレルは心の中までもが温かい熱で満たされたみたいになった。



 明日には、二人は別々の街へと出発してしまう。モレルは入隊訓練のため、首都近くの新兵向けの兵舎へ。ニニィは魔女の訓練のため、国際航空迎撃センターの研修所へ。長い間、顔を合わせるどころか手紙のやり取りでさえ困難になると考えられた。

 壮行会の会場を抜け出して、モレルは月を見上げていた。軍役に参加することは、別に嫌ではない。フィラニイの街はモレルにとっては大切な故郷だ。そこを守るために戦えるというのなら、それは望むところだった。

 ただ、このままこの街を去っていくことが――

 子供の頃からずっと一緒だった、小さな魔女に会えなくなってしまうことが、少しだけ心残りだった。


「やっほう、モレル」


 だから、夜空に浮かぶ月の中からニニィが姿を見せた時にはとても驚いたし。

 素直に、嬉しかった。



「モレル、私ね、この街を守りたいの」


 この星に住む者を、情け容赦なく叩き潰そうとしてくる隕石の雨。落ちてくる場所は、人の都合など何一つ勘案してくれない。そこにあった生命を、文明を。跡形もなく、ただの巨大なクレーターへと変貌させてしまう。善意も、悪意も、敵も味方も、何もかもが関係しない。果てしなく冷徹なおしまいだけが、限りなく平等にもたらされるのみだった。


「フィラニイの街だって、いつ隕石が落ちてくるか判らない。私は魔女の力で、フィラニイの街を守るんだ」


 隕石の落ちた街からの避難民を、ニニィは何度か目にしたことがあった。家も、友人も、家族も。親しかった人も、愛する人も。何もかもを失って、絶望に打ちひしがれた人々の群れ。隕石の破砕に失敗した魔女たちが、涙を流して頭を下げていた。非難の言葉ですら、誰一人ぶつける力を持っていない。そこには深い悲しみと――どうしようもないという虚無感だけがあった。

 地上に隕石が落着する前に、破砕に成功する確率は未だにそう高くはない。それでも魔女たちは飛ぶ。超高速飛行と、精密な極大攻撃魔法による作戦は、決して気楽なものでもでも安全なものでもなかった。時には事故によって命を落とす魔女だっている。彼女たちがなぜそこまでして隕石に迫るのか、同じ魔女の力を持つニニィにはよく判る気がした。


 ――守りたいのものがあるのだ。



「ニニィ、約束してほしい。今度、この木の下で君と会うことがあったら――」

「判ってる。だから、お互いに頑張りましょう。またこの木の下で会えるように」


 モレルはニニィと唇を重ねた。ずっとこの街で、一緒に育ってきた小さな魔女。彼女はいつかこの星を守る、偉大な『星を追う者スターチェイサー』になるのだと聞かされていたが。

 モレルにとっては、ただのニニィだった。赤銅色の髪と、ほんのりと赤い瞳を持つ、負けん気の強い女の子。

 この街を、国を、守りたいと思わせてくれる、大切な初恋の人。


 いつかまた、ここで会って、家族を作る――それは何よりもかけがえのない、二人だけの未来だった。




「破砕失敗! 破片が分断する!」


 何をやっているんだ。ニニィは歯を食いしばった。空気との摩擦が邪魔だ。防護魔法がもたない。これは予言士のミスだ。想定をはるかに超えるサイズの巨大な隕石に亀裂が走り、中央から大きく複数に分解した。


「目標が大きすぎる。全てを処理するのは不可能」

「落着コース予測補正、最大破片の落下予想位置、フィラニイ!」

「避難勧告を出せ! 早く!」


 風が吹いて。

 けやきの梢が揺れて。

 そこにいる、モレルが笑っている。


 ニニィのことを、待っている。


「カラドボルグ2番機ツー、何をする、無茶だ!」


 冗談じゃない。一体何のために、ニニィは『星を追う者スターチェイサー』になったんだ。防護魔法を極限にまでカット。進行方向だけ何とかなっていれば良い。後は加速。最も大きな破片と並走する。


「カラドボルグ全機、2番機を援護――」

「やめてください! 他の破片だってあるんです!」


 『星を追う者スターチェイサー』の使命は、この星を守ることだ。フィラニイの街を守ることじゃない。

 その使命を負っているのは、ニニィだけなのだ。


 隕石の実体は鉄だ。氷なら溶かしてなんとかなるかもしれないが、この隕石は特別に頑丈なものだった。

 分解したといっても、こいつはまだ小さな家ぐらいの大きさがある。砕けばまた破片が飛び散るだろう。溶かすには超高温が必要だ。考えている時間がない。


「カラドボルグ2番機ツー、ニニィ!」


 相対速度、ゼロ。隕石の上に、ニニィは貼り付いた。こうしてしまえばホウキの分の魔力は使わないで済む。本当なら防護の方にはもう少し配慮が必要なのだが、贅沢は言っていられない。

 ここからなら、がっつり超高温で蒸発させてやれる。残りの魔力、全投入だ。


 ――ごめんね、モレル。約束、守れないかも。


 フィレニイの街の皆の笑顔と、泣いて頭を下げる魔女。モレルの唇の感触。そしてまばゆい白い閃光が、ニニィの視界を奪った。




 夢を視ていた。

 これは、隕石の記憶。消えてしまった、兄弟星の思い出だ。

 大きな戦争があった。そこでは戦いとは関係のない、多くの人たちも巻き込まれていた。大きな力が一撃で街を焼き払い、そこに住む人々を皆殺しにする。兄弟星ではそうやって毎日のように、大勢の人たちが死んでいた。


 戦いには、魔女の力が使われていた。魔女たちは人を殺すために作り出された、心を持った兵器だった。兄弟星では、魔女たちが殺し合っていた。より強力な魔法が開発されて、その度に沢山の人が死んで。それでも、戦争は終わらなかった。


 そしてついに、魔法の力によって兄弟星は砕け散った。争いを嫌った魔女たちの一部は、この星に移り住んできた。もう二度と、あの悲しみを繰り返してはいけない。魔女たちはその力を隠し、ひっそりと生きていこうとした。


 それなのに、まだ――




 ざわざわ。

 木の葉の擦れる音がした。春の陽射しを感じる。

 驚いてニニィが目を開けると、けやきの木の下だった。身体に痛みは、特にない。起き上がってあちこちと確認してみたが、怪我の一つもないみたいだった。

 辺りを見回すと、フィレニイの街の丘の上だった。すぐ近くには、ニニィのホウキが転がっている。隕石を破砕した後どうなったのかは、記憶がはっきりとしなかった。ただぼんやりと、誰かの声が聞こえていたような気がしていた。


 確か、こんな言葉だった。


「――このままでは、また――」


 ニニィは遠く、国境の方角に目を凝らした。そこでは今でも、戦争が起きている。モレルが戦っている。ニニィの立っている、この場所を守るために。


「カラドボルグ2番機ツー、無事か? 応答せよ」


 隊長の呼びかけコールが聞こえた。ニニィがするべきことは何だろう。モレルのために。この星のために。ニニィ自身のために。

 ・・・戻らなければならない。答えは判り切っていた。ニニィは魔女だ。そして、『星を追う者スターチェイサー』だ。あやまちは繰り返させない。


「カラドボルグ2番機ツー、ニニィ、感度良好」


 ホウキを拾い上げる。破損している様子はない。けやきの幹に触れると、ニニィは空を見上げた。昼の光の下であっても、そこには無数の流れ星――砕かれた隕石の破片が大気との摩擦で燃えて、きらきらと輝いていた。

 この場所を、守り通してみせる。愛するモレルは、きっと帰ってくる。ニニィは強く拳を握り締めた。

 戦争だって、いつかは終わる。あの兄弟星の悲しみを、魔女たちはみんな心の底に受け継いでいるのだから。その想いは、この星に生きる全ての人間たちにも必ず伝わるはずだ。


 絶対に、あきらめない。


 新たな覚悟と共に、ニニィは再び大空へと飛び立った。そして、星を追いかける。その向こうに、幸せな明日があると信じて――

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