未来は予測不可能
「降誕祭?」
雪花は差し出されたパンを齧りながら、風牙に向かって首を傾げた。
大国江瑠紗――。玻璃で負った傷を癒やすため、風牙の知人であるネイサンの元に雪花と風牙は身を寄せていた。
この国では、もうすぐ降誕祭という冬の行事が国の至るところで行われるらしい。
「ああ。この国も、玻璃と同じで聖教は切り離せないからな」
「ふうん」
「街にね、屋台を並べて市場をつくるの。まあ、いわばお祭りね。もちろんみんな、教会に礼拝しにいくんだけど」
ネイサンの妻であるジュリアが、雪花でも言葉が聞き取りやすいようにとゆっくりと説明してくれる。
風牙からこちらの言語を教わっていたものの、やはり口調が早いと、なかなか聞き取れない。
「ホットワインを飲んでみればいいわ。美味しいから」
「ホット……温かいワイン?」
野菜がたくさん入ったスープを口にしている風牙が、雪花の疑問に答える。
「ワインに、砂糖と果汁や香辛料を混ぜるのよ。甘いから飲みやすいし、体が温まるわ。……そうよねっ、ネイサン?」
「……俺にウィンク寄越すな」
ネイサンがげっそりした顔で、ジュリアの後ろに隠れる。ジュリアは口を大きく開けて、あははと笑った。
「ネイサンはもてもてねえ」
「嬉しくない! 亭主が貞操の危機なんだぞ!? ちっとは心配しろよ!」
「ふふふ。賑やかで楽しいからいいじゃない」
「そうよそうよ、ジュリアの言う通り」
「よくないだろ!」
雪花は軽くため息をつきながら、風牙のつま先を踏んでおいた。聞き取れない言葉はあるが、なんとなく空気で言っていることは分かる。
「ったぁああい!」
「少しは静かに食事ができないの? 他所の家でおいたはやめてよね」
「あははっ。セツカはしっかりしてるわねえ」
みんなで食卓を囲みながら談笑していると、部屋の奥からネイサンとジュリアの娘――ステラが、目を擦りながら起きてきた。
「あら、おはようステラ」
「おはよ……ママ、パパ」
「おはよう、ステラ」
ネイサンがステラを抱え上げて、ふっくらとした頬にキスをする。
「よく眠れたか?」
「うん」
「ちょっと待ってて。今、ミルクを温めるわ」
寝ぼけているのか、しばらくネイサンの腕の中でぼんやりしていたステラだが、目の前で食事をしている風牙と雪花の存在に気づき、ネイサンの腕から抜け出した。
「おはよ、フーガ、セツカ」
風牙と雪花の元へやってきて、ステラはにっこりと笑う。
「んーっもう! 可愛い、可愛すぎる!」
風牙がステラの頬に音をたててキスをすれば、彼女は更に笑顔になる。次にステラはじっと雪花を見つめて、抱っこ、と手を伸ばした。
「おはよう、ステラ」
「うんっ」
人懐っこいステラに、雪花も思わず笑顔になる。ステラを抱きあげれば、彼女から頬にキスをくれた。
「ステラ、セツカは怪我をしてるから、あんまり無理を言っちゃだめだぞ」
「セツカ、まだいたい?」
「ううん、おかげでもう大丈夫だよ」
「ほんと!?」
「うん」
玻璃で負った傷の治りが悪かったが、今はもう大丈夫だ。風牙もあばらを折っていて、今回はお互い本調子に戻るまで時間がかかった。
「ステラ、ミルクよ。熱いから気を付けて飲むのよ」
「ありがと、ママ」
雪花の膝に乗ったまま、ステラは湯気の立ったミルクに息を吹きかけ、慎重に口づける。
「ステラはセツカを気に入ったようね」
「うん、すき!」
「……あ、ありがとう」
太陽のように明るい笑顔で頷くステラに、いつもはぶっきら棒の雪花も、自然と笑みが零れ出る。膝に乗せてもらって満足げなステラの頭を、雪花はぎこちない手つきで撫でた。
それを見守っていた風牙たちは、顔を見合わせて小さく微笑む。
「そうだ、今夜みんなで市場に行ってみない? 楽しいわよ」
ジュリアがいいことを思いついたと、笑顔のままネイサンに振り返った。
「そうだな。せっかくの休みだし、行ってみるか」
「あら、いいの?」
「もちろんよ、フウガ。大勢の方が楽しいわよ。セツカも、主のお導きで良い人と巡りあうかもしれないじゃない?」
「……あのね、ジュリア。お祭りには行くけど、虫はわたしが追い払うから。雪花にはまだまだ早いから」
鼻息を荒くして目を尖らせる風牙に、ネイサンは呆れた目を向けた。
「……おい。おまえが一番の虫なんじゃないか?」
「なんですって、ネイサン!」
二人のやり取りにジュリアが吹き出せば、ステラも皆の空気につられてケラケラと笑う。
「ねえ。セツカの好きな男性って、どんな人なの?」
「え?」
ジュリアが楽し気に目を細めて、雪花に視線を向けた。
雪花はステラを抱きしめながら、難しい顔をして風牙を横目で見る――というより、睨む。
「……落ち着いてて、借金を作らず、真面目で、平凡な人」
そう答えれば、ジュリアとネイサンはぶっと吹き出した。
「要するに、フウガと正反対な人ってことね?」
「なんでよっ! 普通、お父さんみたいな人と結婚する、っていうのが定石でしょ!?」
「いやいや、おまえの場合は無理だ」
「無理って何よ!」
どこにいてもぎゃんぎゃん騒ぐ風牙に嘆息すると、下からステラが見上げていることに気づいた。
「あのね、セツカ」
「ん?」
「いつかね、おんなのこには、おうじさまがあいにくるんだって。ママがね、おしえてくれたの」
ふとジュリアを見れば、彼女は愛おしそうな眼差しを、ステラと雪花に向けていた。
「そうよ、セツカ。全く好みじゃなくても、なんでか惹かれちゃう人が出てくるから。気づいたら、恋に落ちてるのよ」
風牙とつまらない口論を繰り広げているネイサンを、ジュリアはちらりと見遣る。
(恋ねえ……)
そんなもの、自分には不要なものだ。自分が恋をする未来など想像もつかない……が、ジュリアの言う通りならば――。
(それって結局、風牙の同類を選んでしまうってことじゃないか?)
絶対にないなと思いながら、雪花は冷めた目でパンを齧るのであった。
花街の用心棒【番外編】 深海亮 @Koikoi_sarasa
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