夏の入れ替わり作戦


 それは、初夏に起こった出来事だった。


「ねえ志輝。少しやってみたいことがあるんだけど」

「嫌です」

「何よ、まだ何も言ってないじゃない」

「珠華がそんな顔してる時は、どうせろくなことになりません」


 珠華と志輝は、二人向かい合って朝餉を摂っていた。

〝いいことを思いついた″と言わんばかり、目を輝かせている珠華は無視するに限る。生まれてこの方、彼女とずっと一緒にいる志輝は嫌という程分かっていた。

 本当に、ろくな事にならないのである。


「聞いてよ話」

「さっさと食べないと杏樹に怒られますよ」

「もうほとんど終わるし。志輝が遅いんだよ」

「珠華が早食いなんです」

「でね、話なんだけど」

「絶対に嫌です」

「この間杏樹から化粧を教えてもらってね。顔貸して」

「ごちそうさまでした」

「ちょっと。食事残す方が杏樹に怒られるよ」

「珠華に付き合うくらいならそっちを選びます」

「話くらい聞きなさいよー!」


 頬を膨らませた珠華は椅子から立ち上がると、そそくさと逃げようとする志輝の前に立ちはだかった。志輝はものすごく嫌そうな顔をして珠華を睨むが、彼女は全く譲らない。それどころか、とんでもないことを言い出した。


「あのね! 今日だけわたしたち入れ替わらない!?」

「はぁ?」

「双子あるある! やってみようよっ」

「……それはつまり、わたしに女装をしろと?」

「まあ、そうなるね」

「お断りです。寝言は寝てから言って下さい。じゃ」

「ちょーっとお! わたしにだって理由はあるんだって!」


 逃げようとする志輝の帯を必死に掴む珠華。志輝はますます面倒な顔をして、珠華をなかば引きずりながら部屋を出ようとする。


「わたし、最近ずっと誰かに見られてるんだって!」

「……自意識過剰なんじゃ」

「違うってば! 絶対に偏執狂ストーカーだよ!」

偏執狂ストーカー……?」


 訝しむ志輝に、珠華は大きく頷いた。



 ◇◆◇



「アハハハハ! 似合ってる……本当に似合ってる! なにそれ、違和感一切ないわね!」

「ぷ……。めっちゃ面白すぎる。ただの美少女じゃん。なんで珠華より色気あるわけ」

「……全然わかんねえ」


 珠華の服に身を包んだ、すこぶる機嫌の悪い志輝と。一方志輝の服を身に着けて生き生きしている珠華。そんな二人を目の前に、蘭瑛、白哉、翔珂は各々の感想を述べる。


「……笑うのやめてくれますか」


 志輝はおどろおどろしい空気を纏って、笑い転げる蘭瑛と、顔を背けて「ぷぷぷぷ」と肩を震わせている白哉を睨んだ。

 だが睨んだところで、それはそれで妙な色気さえ放つ始末だ。蘭瑛と白哉の二人はますます声をあげて笑い転げた。


「だ、だって……ふっふふ。色気むんむんじゃない。珠華がいつもガサツだから余計にに。化粧、すんごい似合ってる!」

「え、ちょっと蘭瑛。何気にわたしに失礼じゃない?」

「珠華も逆に似合ってるよねえ。君達、本当は性別逆だったりして」


 志輝の纏う空気がみるみるうちに凍り付き、一人怯える翔珂は、さっさとこんな茶番は終わらせるべきだと本題を切り出した。


「と、とにかく! 偏執狂を捕まえるのに協力したらいいんだな!?」


 珠華は大きく頷いた。そして人差し指を上に向けた。


「そうなのよ、翔! 最近一人でいると、やたら視線を感じるの。ってなわけで、協力して!」


 最近珠華は、誰かに付き纏われているという。いい加減気味が悪くなってきたと、珠華は思い切った作戦を立てたのだ。

 ――志輝を自分の身代わりにして、皆でそいつを捕まえるという作戦を。

 というわけで珠華に扮した志輝は不機嫌丸出しで、目的もなく、一人街中を歩いていた。

 そしてその後ろ姿を、物陰からこっそりと覗き見る珠華たち。


「……なんでだろう。不機嫌なほど色気があるように見えるのは」

「白哉の言う通りね。しかもなんか、歩き方も珠華より上品。みんな、いつもより注目してるし」

「うーん……。言われてみれば確かにそうかも。なんなの、あいつ。わたしの女らしさ、お腹の中で横取りしたんじゃないの」

「……おまえら、本当に殺されるぞ」


 すると珠華達の会話を察したかのように、志輝がくるりと振り返った。聞こえていないはずなのに、なぜ振り向く。ただでさえ冷たい目が刃物のような危ない光を放っていて、翔珂は肩を震わせた。


「ありゃー。志輝、ちょっと怒ってるね」

「どう見てもちょっとじゃないだろ!」


 のんびり笑う珠華に翔珂は思わずつっこんだ。

 すると白哉がいち早く、何かに気づいて翔珂と珠華の肩を叩いた。


「――あ。ねえ、あれじゃないの?」

「何がだよ!」

「ほら、偏執狂」

「!?」


 白哉の視線の先を追うと白哉たちと同様、建物の物陰で志輝をじっと見つめる人影があった。顔ははっきり見えないが、背格好からして若い男のようだ。

 手に何かを握りしめている。

 志輝が歩く後ろと、その男が後を追って動き出した。


「あっ、動いた! ほら、みんな行くよっ」


 珠華は鼻息を荒くして先頭を闊歩していく。


「ねえ、白哉。あの男、手に何か持ってない?」

「蘭瑛も気づいた?」

「うん。……刃物、とかじゃなかったらいいけど」

「……」


 二人は目を見合わせ、珠華と翔珂の手を引いて後ろへと引き下げる。


「えっ。どうしたのよ」

「……一応、珠華が狙わてるんだから、先頭を歩かないほうがいいわ」


 珠華の代わりに先頭に立った白哉の表情が引き締まった。そのことにいち早く気づいた翔珂も、同じく警戒する。

 すると志輝が、左の角を曲がり路地裏へと入っていった。男もそれに続き、足早に入っていく。そして、白哉たちも急いで後を追うが――。


「うわぁああああ!」


 突如悲鳴が聞こえ、白哉は片腕を広げて翔珂たちを静止させた。そして一人、路地に体を滑り込ませたのだが――。


「……あれ?」


 そこで見た光景に、白哉は立ち止まって首筋を掻いた。

 志輝が偏執狂の背に跨がり、彼の腕を締め上げていたのであった。ものすごく、不機嫌な顔で。


「ど、どうしたの志輝……」

「……」

「え、あ、いやさ。無言で睨まれてもね、おれ何も分からないよ。ね?」


 すると取り押さえられている男が「すみませんすみません」と謝りはじめた。

 志輝に聞いても何も喋ろうとしないので、白哉はとりあえず、男に尋ねることにする。


「えっとね、あなたは何をしたの?」

「わ、わたしはっ! ただ、恋文を手渡す瞬間を伺ってたんです!」

「……恋文?」

「はい……。で、でも、渡すタイミングが分からなくて……」


 すると白哉は、傍らに手紙らしきものが落ちていることに気づく。近づいてきた蘭瑛がそれを拾い上げると、断りもなくそれを開いた。そして、淡々と読み上げる。


「〝君はまさに、春の精霊の如し。君が微笑めば花は綻び、大地は――″」

「うわぁああああああ! 声に出すなよ!!」

「……でもコレを渡すだけで、なんで志輝に押さえられてるの?」

「そ、それは……」


 男は言いにくそうに言葉を濁したが、問い詰める皆の視線に耐えきれなかったのか、意を決して口を開いた。


「っふ、振り向いた彼女が、あまりに綺麗で……! お、思わず、なんでか押し倒してしまったんです……!」

「「……」」


 まず、一番に反応を示したのは蘭瑛だった。盛大に噴き出して笑い声をあげると、地面を手で叩いて笑い転げはじめた。

 翔珂は言葉の意味を理解できずに固まっていたが、蘭瑛の笑い声で意識を取り戻し、不憫な眼差しを志輝と男に送る。

 珠華は「なんだー。手紙渡すだけならさっさと渡してよー」などと、呑気なことを言っている。

 白哉は、腕で口元を隠しているが、完璧に笑っていた。目尻に涙が溜まっている。


「……わ、悪いんだけど、あ、あのさ。それ、珠華じゃないよ。彼、彼女の弟の志輝だから」


 白哉はひぃひぃと笑いながら、男に説明することにした。

 すると男は驚愕の表情で、志輝を見上げる。


「え……!?」

「珠華はそっち。珠華を付け回してる男がいるっていうから、捕まえるために志輝と珠華が入れ替わってたんだよ」

「じゃ、じゃあ男……!?」

「……」


 志輝は射殺しそうな眼差しで肯定すると、男の体を解放した。

 男は顔を真っ赤にさせると、蘭瑛の手から恋文を奪って「すみませんでしたぁああああ!」と脱兎の如く逃げだしていった。

 残された志輝はおどろおどろしい黒い靄を纏い、一人、背を向けて歩き出す。


「あっ、ちょっと、志輝ってば! 一人で歩いてたらまた襲われるよ!」

「ばかっ、おまえマジで殺されるぞ白哉!!」

「あー……お腹痛い。珠華、やっぱり色気で負けてるわね」

「でも、そもそも恋文はわたし宛だったんだから、負けてないと思うんだけど」


 後ろでやいやいと騒ぐ四人に、それはもう冷ややかな視線を向ける志輝。


「……珠華。早く、家に、帰って、化粧これを取って、服、返して下さい」

「分かったって、志輝。へへ、ありがとうね。あの人には、ちょっと悪いことしちゃったけど」


 不機嫌丸出しの志輝の横に、珠華は苦笑して彼の横に並ぶ。

 おそらくこの世で、こうなった志輝に近づけるのは、やはり彼女しかいないのだろう。

 珠華は、志輝の顔を伺い見る。


「ごめんね、志輝。嫌な思いさせて」

「……本当、二度と御免ですよ。やっぱり、ろくなことがない」


 でも、何もなくてよかったと、志輝は小さくつぶやいた。

 瓜二つの顔をした二人は互いに顔を見合わせ、並んで街中を歩いていく。そしてその後を、疲れた様子で、または笑いを堪えながら歩く友人たち。


 彼らはまだ知らない。

 この先、あの男と官吏として再会する奇妙な縁があるということを。



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