誓いと願い
その夜は、雪が降っていた。とめどなく、深々と。
花街の大通りにも雪が降り積もり、路傍にかき集められている。
赤提灯がいくつも照らされた花街は明るく、白い息を吐きながら人々が行き交っていた。
「飛燕、入るよ」
紫水楼の一室に、若くして楼主となった帰蝶は足を踏み入れた。
そこには寝台の上で荒い呼吸を繰り返す少女と、彼女の傍から離れようとしない、一人の青年が椅子に座っていた。
掌に顔を埋め顔を上げようとしない飛燕に、帰蝶はため息をついた。そして、持ってきた茶を無理やり押し付ける。
「……少しは休みな」
するとようやく、飛燕は面を上げた。
「……すまない、帰蝶」
そう言った彼の唇は色を失い、仄暗い目には深い不安と絶望が渦巻いていた。
彼は茶杯を受け取ると、目の前の少女を痛ましげに見つめる。
少女――颯凛が寝台でうつ伏せになっているのは、その背に大きな刀傷を負ったからだ。帰蝶は自ら処置を施したが、傷が思ったよりも深く、出血の具合もひどかった。それに加え高熱。こんな小さな体で、持ちこたえられるかどうか。
自身の中にある不安を掻き消すように、帰蝶は手巾で少女の額に浮かぶ汗を拭ってやった。
一方の飛燕は茶を流し込むと、自身と同じく憂色が濃い帰蝶の横顔を見つめながら口を開いた。
「美桜の行方は……?」
すると、帰蝶の手が一瞬止まった。
「……崖で、美桜の靴が見つかったと春燕様が」
「……っ」
飛燕は強く歯を食いしばった。ギリ、と音がするほどに。茶杯を握りしめる指に力がこもる。
帰蝶はそれに気づき、飛燕から茶杯を取り上げた。そして彼の手に自身の手を重ね、深く頭を下げた。
「……さっきは取り乱してすまない。おまえに、当たってしまった。おまえが一番、やるせないだろうに」
凛たち一家の訃報に、帰蝶は激しく混乱した。その流れで、目の前にいる飛燕を責めてしまった。彼は、何も悪くないというのに。自らも傷を負って、凛を助けて戻ってきたというのに。
飛燕は緩く頭をふって、逆に帰蝶の手を握り返した。
「気にすんな……。おまえにとっても、あの人たちは家族同然だったんだから、当たり前だ。……おれが、おれがもう少し、早く駆け付けていれば――! っ畜生……!」
震えを増す飛燕の声に、帰蝶は思わず、彼の頭を抱き寄せた。飛燕は目を見開き、息を呑んで固まった。
「おい、帰蝶……?」
「……泣いていい。わたしは、もう泣き叫んだから。次は、おまえが当たればいい。それで、おあいこだ」
「……っ」
飛燕はその言葉に帰蝶の背を強く抱きしめ、彼女の肩に額を押し付けた。そして、静かに涙を零す。大きな体を震わせながら。
帰蝶は何も言わなかった。苦しみを、痛みを分かち合うように強く瞼を閉じて、彼の背を抱きしめた。
「……何も、できないのが辛いんだ。見守るしか、できない、なんてっ」
「……それは、わたしだって同じさ」
帰蝶も苦し気に顔を歪め、重苦しい息を吐き出した。
「今夜が峠になるだろう……。あとは、祈るしかない。神なんてどこにもいないのに、今ばかりは神ってものに縋りたくなるね……」
「あぁ……」
飛燕は鼻を鳴らして面を上げると、涙で濡れた顔を袖で拭った。そして凛を見下ろし、小さな手を握りしめる。
この夜に誓う。
この先、どんなことがあっても彼女を必ず守り抜く。
この夜に願う。
だから、どうか――。彼女を、連れていくな。
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