雪虫が告げる
青空のしたを雪が舞う。
まだ始まったばかりの冬は木々もわずかながらに葉を残し、吐く息も一瞬だけ冬の色を示すが直ぐに空へと融けて消えた。
この街では、冬、と呼ぶにはまだいささか早いのだろう。暦は別として。
シャツ一枚に学ランを羽織っただけでは寒いな、とボタンをしめる。
待ち人はまだ来ないな、とため息代わりに息を吐く。
ふっ、と息の流れに沿うように視界を雪が舞う。
白くふわふわと風にたなびくように揺れる。
雪に指先を伸ばす。
それは静かに爪先に乗って、融けることなく白く小さく震えていた。
空は抜けるような青空。雲一つ見当たらない。当たり前だが雪ではなかったのだろう。
まじまじと爪の上のそれを眺めていると、押し殺した笑い声が隣から聞こえてきた。
「何見てるの?」
「雪」
「雪降るにはまだ早くない?」
からかうような言葉に、ようやくそちらへと目を向ける。
頭ふたつ分したから、制服姿の少女が意地悪そうな笑みでこちらを見ている。
マフラーにすっぽり鼻先まで埋まり、寒いねー、と言いながら短いスカートから伸びる足はくるぶしソックスで白い素肌を晒している。
そりゃあ寒いだろう、と心の中で毒づきながら爪先に視線を戻した。
「先生の話終わったのか」
「うん、とりあえずこの前の模試の結果からして合格圏内っぽい」
「ふぅん、そりゃよかったな」
空は高くなり、やがて木々から葉は落ちる。冬に向けて、少しずつ変わっていく。
ふたつ季節が廻れば、彼女はこの街からいなくなる。
「ひとり暮らしになるんだっけ」
彼女の顔は見ずに言うと、うん、と静かな返答が返って来た。
それから打って変わって明るい声でまくしたてる。
「雪国だよー、雪国。こっちとは比べ物にならないぐらい雪降りそう。受験も心配だなぁ。大雪だから寒いだろうし。男子はいいよね、制服長ズボンだもん。いいなー、うらやましいなー」
「受験のときはくるぶしソックスはやめろよ」
「さすがにそんな馬鹿なことはしません!」
爪のうえで雪がぱたぱたと揺れ動く。
半透明の羽根が見えた。どうやら雪のように見えていたのは虫だったらしい。
隣の少女が爪先立ちで俺の爪の上を覗き込んだ。
下にあった顔が近くなって、ほんの少し気恥ずかしく彼女の顔の位置まで手をおろす。
そして、いつも通りの距離に安堵しながら、それを少し残念に思う自分を押し殺した。
こちらの逡巡になど気が付かず、彼女は「あっ」と嬉しそうに声を上げている。
「これは雪虫だね」
「ゆきむし」
言われた言葉を反芻する。
「そそ。見た目が雪っぽいから雪虫。たしかアブラムシだったような」
「アブラムシなのか」
言われてまじまじ見つめてみると、黒いまるまるとした体に白い綿毛のようなものがくっついていて、なるほど、触覚がある。
「ついでにいうと熱に弱くて、人の体温でも死んじゃうらしいから早く逃がしてあげて」
「え」
慌ててふっと息を吹きつけて爪の上から雪虫を逃がした。
ぱたぱた、と手で仰いでやると風の流れに沿ってまたふわふわと飛んでいく。
その姿はやっぱり雪みたいで。
なんだか気になってどうしても視線で追ってしまうのだった。
「雪国だと雪虫が出てくるとそのうち雪が降るんだって。今年はこの街にも降るのかな」
「どうかな、いつもみたいにすぐ止むだろ」
「積もったらいいのになぁ。積もったら遊べるのに」
「子供かよ」
そんなたわいもないやりとりをしながら、隣り合ったそれぞれの家に向かって歩き出す。
「ねぇねぇ、雪降ってて寒いから手繋いでよ」
赤い頬をして彼女がわらう。
寒くても雪なんか降ってないのに。
ほら、降ってるじゃん。
それは雪虫だろう。
いいの。だって、名前に雪って入ってるもん。
なんだよ、その言い訳……仕方ないな。
白く寒く、冬が来る。
季節が変わるように、この関係性も変わっていく。
掌編集 有里 馨 @kei_arisato
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