第28話 始まりの凱旋


「――今日ここに、我々が集ったのは。他ならない、この地球の為に命をかけた、九名もの尊き命に感謝を述べ。共に共感し、思いを馳せるためです」

 フィーガの事務総長はその代表として、国連が主催となった追悼式典で別れの挨拶に立っていた。

 大聖堂の中は超満員状態となっており、宗教や国家の隔たりも越えた、各国代表の主要長たちも喪服姿で出席している。

 親族枠の最前列には、きりりとしまった顔で写るグレヴリーの写真立てを持った姉妹とその家族や、関係者らの姿もある。

「彼らの活躍により、アスタロトの脅威は去り。あれ以降、この地球に、飛来外来種がやって来ることもなくなりました」

 全てはフィーガの主軸だった八人と。未成年ながらも勇敢に力を貸した一人の少年による、かけがえのない犠牲の上で平和が訪れた――。大聖堂の中に入りきれなかった大勢の人たちも悼み、祈る姿が街中にも溢れ返っている様子を捉えた、映像を流しているメディアのリポーターも口々に賛辞を述べている。

 惜しい者たちを亡くした。いつかひょっこり、帰ってくるのではないのだろうか――。淡い希望と、途方もない悲しみと憶測も飛び交う地球では、粛々と追悼式典が進んでいた。


「――うぅあああああーっ!」

 歪みから落ちたピックスは、三両編成の車体をくねくねとよじらせながら、雲と雲との間を抜けて落下の一途を辿っていた。

「アンディー!」

 持ち主であり製造者でもある運転席に座る男は、歪みを通った電磁摩擦の衝撃を受けて失神していた。ピックスを操るマスコンやペダルに、だらりと下がった手や足は乗っていない。警告を発する警報音だけが鳴り響いている。

 サロン車の床では宗谷も倒れていて、オーガの上に重なるように倒れ込んでいた碎王も気を失っているようだ。

「あぁ重いっ!」

 意識があるのは、当初の帰還組だけだった。

 碎王をどかしたオーガは、加重な落下重力が持続する中で。這って覗いた窓辺より、砂漠地帯らしき乾燥した茶褐色の地表を目の当りにする。

「くっそ! このままだと墜落しちまう!」

「アンディー!」

 サロン車からの絶叫は届かない。その天井で、ガコン、ゴンゴンと叩くような音がした。

「何だ!?」

 確かめようにも、落下の重力加速度により体は全く動かない。

「あああっくそったれ!」


 その天井では、素顔の半分を機械仕掛けにしたフィーニーが、フィーインと半融合したままで大きな両翼を広げていた。

 三両目の天井枠に、鷹の爪ごとくの足場をめり込ませ。二両目と一両目にワイヤーアンカーを打ち込んでいる。

 回転しながら垂直落下をしていたピックスは、フィーニーたちの翼力を借りて。車体の下部を上に向かせ、地表と平行する体勢には戻った。

「上がれーっ!」

 若干の浮力により、わずかに浮いた形にはなったものの。これまでの降下スピードが速すぎた。また、ピックス自体の重量も重すぎて。フィーニーたちだけでは、落下する引力に逆らうことは敵わなかった。

「上がれってば!」

 フィーインも必死に、浮力を得ようとジェット噴射を最大出力で噴出し続けていた。ところが、推力エンジンの一基がオーバヒートのバックファイアを起こし、カスン、カスンとしか反応しなくなった。――こんな時に限って。

 地表も待ったなしで迫り来ている。

 運転席のモニターが、衝突する旨のプルアップ警報をけたたましく発している。残りの高度が千を切り。九百。八百、七百。あっという間にメモリは下がった。


 夕夜は、意識のない宗谷の手に手を伸ばしていた。

「み、さき、さ……」

 自身も倒れ伏し、薄れゆく意識の中で夕夜は。宗谷の手を握ろうとしたその手の中から、こぼれて落ちた懐中時計の蓋が開き、針がゼロ秒を示しているものを薄らと見届けた。メロディーが鳴らなかった。――帰れたのかな。そう思っていた。

 そして。

 ――お願い、ロスティ。

 その名が誰のものかも知れずに、夕夜は心の中で念じていた。知らない誰かであるはずなのに、ずっと傍に居てくれていたような気がしてならない。

 ――アンディの夢を、終わらせないで。


 夕夜の左手が、サロン車の床にぴたりと添えられた。

 その瞬間に、二両目で沈黙していたピックスの動力源に活力が戻っていた。

 それが、床面から伝導した摩擦によるショックであったのか。消失したパワーの供給を得たのかも分からない、不思議な現象であったことには違いない。

 ――ブオオオオーン!

 天井上のフィーニーたちにも、車内のグレヴリーたちにも再始動の振動が伝わっていた。

「え? 何!?」

「何だいったい!?」

 眠っていたピックスの前照灯が煌めき、三両編成の車両は空を舞う力を取り戻していた。


 地表までの衝突距離を、あと百メートル以下にまでした地点で。ピックスは浮遊と前進の推進力を回復させて急浮上を試みた。けれど、落下の勢いには逆らえず、三両目のサロン車はドスンと後尾を尻もちさせて、大きくバウンドしていた。

 二度目の尻もちをつく前に、ピックスの車体全体はふわりと宙に浮き上がっていた。地表から大よそ三十センチほどのところに、目には見えないレールでもあるかのような浮遊力に包まれ、なだらかに地表をドリフトしてゆく車列の勢いは止まらない。

 そこに、意識を回復させたアンディのマスコン捌きと操縦技術を復活させて。ピックスはみるみる内に走行機能を取り戻してゆく。

「停まれーっ!」

 減速と緊急停止を試みて吠えたアンディの目の前に。絶壁の渓谷が迫ってきていた。このままでは猛々しいグランドキャニオンに真横から突っ込んでしまう。

「あぁやばい! ぶつかるぞ!」

 一難去ってまた一難。

 尖った船の先端のように突き出た渓谷の舳先に、三両目が腹を突き刺されそうになるものを。アンディは咄嗟に二両目と三両目を強制パージで切り離した。

「うおおおおうっ!」

 引っ張ってくれていたものより見放された三両目は、側壁衝突だけは避けられたものの。遠心力によって振り回される前に、フィーニーとフィーインの手助けにより停止することを叶えていた。


 一両目と二両目はというと、切り立った渓谷に真横から突っ込んでいた。反動で跳ね返った外殻装甲の強度も示し。衝撃から立て直した片輪で車体を支えた後は、浮いた片輪を大地にめり込ませながらも停車していた。

「ふー……っ」

 安堵の息を整えたのは、サロン車にいる面々も同じであった。

 額を手で押さえながら、碎王が膝をついて周囲を窺う。

「あぁ……。酷い、船酔い気分だ」

「よう、お目覚めかい?」

 グレヴリーの声がして、彼らが無事であることにまずは安堵した。

「みんな、無事か?」

 ジルとオーガは無言の手を挙げ、碎王も壁を背に座り込んだ。その目に、床で大の字となっている夕夜へ呼びかけている宗谷の姿が映る。

「聞こえる? ねぇ、夕? わかる?」

 どこかで聞いた台詞だと思った夕夜は、酷く眠くて重たい瞼を上げられずにいた。

「……う、ん。海咲、さん?」

 どこで聞いた呼びかけであったのかを、ぼんやりと思っていた。それは最近であったような。遠い昔のような気もして遠のく意識を手放した。


 グレヴリーは、現状はともかくアスタロトの顛末を碎王に訊ねていた。

「――どうなった?」

「ん? ……んん」

 碎王はすぐに答えず、少しの間を置いてから口を開いた。

「あれぞ。天命だったのかもな――」

「天命?」

 グレヴリーはジルやオーガと視線のキャッチボールをしてから。「――いや、天罰か」と呟き、一人で完結した碎王へと戻している。

「あれが十五番目だったのかも知れんし、ただの偶然か、歪みの所為なのかも分からんが――。オロバスが、歪みから現れてな?」

 稲光が走り、収縮するまでのほんの一瞬であった。

「アスタロトをひと飲みして消えたよ」


 座り心地の位置を変えた碎王は語った。

「オロバスは、実に正直な奴でね。害を及ぼさないものに対しては、自ら攻撃をすることもないから。あれ自体には害はないんだ」

「そんな外来種がいるのか?」

「あぁ。不思議な事に、オロバスは絶対に人も襲わないから。こうした――生命の営みがある惑星にも、飛来した事は一度もない」

 常にどこかを彷徨い、気ままな旅をしている謎多き放浪種だという。

「へぇえ?」

「ただ、食欲には誠実でな。特に――燃費のいいものを好む」

「燃費?」

「んん。腹持ちのいいやつってことだ。細胞や分子レベルになっても再生するアスタロトなら。オロバスの腹の中じゃ、それこそ永久機関になるだろうよ?」

 グレヴリーは渾身の笑みを見せた。

「そいつはいいや! とっておきのデザートってか?」

「そうだな。もう二度と、世に出て来ることはないだろう」


 ぐったりと伸びている夕夜より、顔を上げた宗谷が碎王を呼んだ。

「将一さん。夕を、早くドクターの所へ連れて行かないと?」

「ん? あぁ、そうだな――」

 いつまでも座り込んでいても仕方がない。オーガやグレヴリーたちも碎王に続いて立ち上がった。

「アンディ?」

『――今、そっちへ行く』

「そういや、フォックスは?」

 見当たらないメンバーを気に掛けたところで、窓の外からガラスをノックする音がした。フィーニーとフィーインだ。

『――僕らの貢献度、忘れないでよね?』

 碎王たちは車内から感謝のビーバーサインを送って応じた。

 オーガは、窓の外に見える乾燥地帯を窺っている。

「ってか。ここどこだ? 碎王たちがいたって言う側の、地球か?」

「あぁ。多分そうだ。問題は――あれから、俺たちが歪みに落ちてから、どれだけ時間が経ってるのか……だな」


 碎王とオーガが窓辺で話し込んでいる反対側に、グレヴリーはジルを呼んで話しかけていた。

「――お前、何であの時。俺を止めたんだ?」

 ジルはすぐに、オーガを助ける為の行動に対しての質問であることを察した。

 宗谷のリバース能力がなければ、オーガとジルはアスタロトに食われていた。

「……グレヴリーには、帰りを待つ人が沢山いるじゃないか」

「お前なら良かったってか?」

 ジルを睨み据えた顔には、確かな怒りが浮かんでいた。

「ふざけんなよ!」

 射撃の腕はグレヴリーのほうが上であった。そこに次世代型のシューターが現れ、意気投合もした二人はコンビを組んだ。

 やがて、絶対に狙いを外さない射撃の王とその相棒となり、名の知れた存在になった。

 ジルが唯一の肉親を亡くして孤独の身となった時に。彼を最も支えたのもグレヴリーであった。そのアラスカの激戦地で、生き残れたのはグレヴリーのお蔭でもあった。

 命がけの仕事をしてきていたから、いつも生死は稜線上が常だった。

 その中でもいつか、ジルは恩返しをと思っていた。

 庇うことが美談だとは思わない。グレヴリーのプライドが傷つくことも解っていながら。考えるよりも先に、体が動いてしまった。

「……すまない」

「簡単に謝るんじゃねぇよ!」

 グレヴリーは立ち上がったのもつかの間。壁を背に力なく、ずるずるとしゃがみ込んでしまった。顔と頭を抱え込み、震える声で呟く。

「……頼むから。まだお前と、コンビ組ませてくれよ?」

 彼の本心を初めて聞かされたジルは、茫然と座り込んだグレヴリーを見下ろした。

 最初で最後の、グレヴリーの我儘を。ジルは素直に受け入れるしかない。

「嬉しいよ。そう思ってくれていて」

 ジルが狙撃手を目指したのは、入隊当時。驚異の狙撃率を叩き出していたグレヴリーの存在があったからこそだった。彼に憧れ、彼のような絶対的狙撃手になりたいと思い、辛い訓練にも耐え。彼の隣に立てるよう人一倍の努力もしてきた。

 それがようやく――、報われた気がした。


 ピックスの一両目と二両目が、三両目と合流して連結したところで。深く眠っている夕夜を除いた八人が顔を付き合わせた。

「全員、よくやってくれたよ。ありがとう」

 一番の功労者は疲労困憊で伸びきっており。宗谷によってリクライニングソファーへと運ばれ、ぐっすりと眠っているようだ。

 グレヴリーは向こうの地球と変わらない、こちら側の空を窓越しで見上げる。

「本当に、歪みは閉じて。向こう側の地球には、外来種が飛んで行かないんだろうな?」

 顔の再生を自力で行っているフィーニーが口を挟む。

「磁場は安定してるから。もう、歪みは発生しないと思うよ?」

 碎王は、パンツのポケットから取り出した懐中時計に目を落とした。針は零時を指している。

「――全部、片付いたようだ」

 ただし、歪みがなくなった分。向こう側へ抜けて出ていた外来種が、こちら側に集中して飛来することに変わりはない。

「そうか――」グレヴリーは気づいた。「向こうには、もう外来種が飛来しねぇなら。俺たち、向こうじゃ要無しじゃねぇか!」


「こっちでなら、仕事は幾らでもあるぞ?」

 碎王は、軽くおどけてから改まった。

「なぁ。お前たち――」

 グレヴリーとジル、そしてオーガの顔を眺めた。

 連れて来るつもりは毛頭なかった。こちら側へ戻って来られたのは、ただの偶然で奇跡に近い。それを、もう一度歪みを歪ませ、向こう側へ帰そうとすれば。またどのような歪みや摩擦が生じるか分からない。

「――構わない」ジルはぽつりとそう言った。「覚悟は出来てた」

 向こう側に何の未練もないとは言い切れない。如いて言うなら、親兄弟の墓参りに行けなくなったくらいだろうか。それに――。

「そうそう。退屈しなくて済みそうだしな? 射撃間隔が空くと腕も鈍っちまう」

 あっけらかんと言い放ったグレヴリーの性分を理解し、サポートしてやれるのは己くらいなものだろう、なる保護者的気分も正直大きい。

 オーガも述べた。

「俺も、英雄扱いされるのは好きじゃないし。もう、相棒を失うのはうんざりだ」

 アンディと無言の視線を合わせて締め括られたものに、碎王は言った。

「だが――、残された者は。そう簡単に踏ん切りがつくものじゃないぞ?」

 寄せられた心配にジルが答えた。

「それなら。ビクターサーティーンにドッキングさせた八両目に、万が一の時の為にって、メッセージを残しておいたから」

「メッセージ?」

「オーガと一緒に。もしもの場合に備えて」

「大事な事は、しっかり残しておくものだぞ?」

「マジか! お前らいつの間に!?」

「グレヴリーも誘っただろ? なのにずっと、初めての宇宙航行にはしゃいで。後でいいとか何とか言ってたろ?」

「そうだったかなぁ?」

 首を捻ったグレヴリーに、ジルは。やはりこの人には自分がついていないと――なる使命感を沸かせていた。


「どんなメッセージを残したんだ?」

 碎王に訊ねられたジルは、ビクターサーティーンが地球へ帰還した際に。無事に帰る者がいなくても。むしろ、任務は遂行されたと考えてくれと残した。

 そして今後は、飛来外来種に悩まされることもなくなるだろうとも告げて。残された家族たちには、充分な遺族年金などを受け取らせてやって欲しいとも伝えていた。

 それを聞いたグレヴリーも安堵した。

「それなら、ウチも大丈夫だな?」

「グレヴリーのところは、特に大家族だからね?」

「あれ、オーガは?」

「俺ぁ、根っから独り身だ。こっちでの生活を当面、エンジョイさせてもらうよ」

 そうした三者三様の心内を、碎王は笑顔で受け取った。

「――よし。んなら、途中で掛かりつけの医者の所へ寄ってから。家へ帰ろう」

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雷撃の波紋 久麗ひらる @kureru11

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