第2話 『死闘』――――それは馴れ初め。
「――――――私と戦い、勝利せんとする猛者はいないのかっ!?」
苛烈にして鮮烈。
幾千と刻まれた死闘を刻み、数万という大衆で埋め尽くされた荘厳たる闘技場に轟くのは、内から溢れ出る激情に震える典雅な声音。
そして続け様に石畳が砕け散る轟音が周囲の音を荒々しく飲み込み、闘技場中央で全観客の視線を一身に受ける少女が一人。
耳上から天を衝く様に伸びる黒き二対の角に、陽光に煌めく濡羽色の長い黒髪。
炎の如き光を灯す深紅の双眸、端麗な鼻梁に麗しい桜色の唇。
一見ドレスにも見える白を貴重とした軍服に包まれた華奢ながらも鍛え上げられた体躯。
見る者の意志に関係なく釘付けにする絢爛華麗な容姿と圧倒的なまでの存在感。
場の支配者たる少女は自身の背丈程もある巨大な紅刃の漆黒斧を突き立て、牙を剥き出しにまるで仇を射殺す様に苦い表情で挑戦者入場口を睨んでいた。
「此度の武闘大会優勝者への褒美は豪勢にしたつもりだったが今年も挑戦者が一人もおらんとは――――――世の武人共は皆腑抜けか!?」
無念、悲観、失望と感情が波打ち、再び憤怒が場を焦がす少女の声音。
絶世の美貌を紅蓮の激情で飾る少女――――アモン=S=シュトライテン。歳は十七。
世に名を馳せる七大国が一つ『シュテルケ帝国』の第一王女にして次期女王である。
数多の種族が存在する中で《最強》と謳われる【魔神族】で、その中でも持って産まれた暴虐的なまでの生命精神力――――――【魔力】の容量と戦闘の才能に恵まれ、世界五強に数えられる程の猛者。
気性も種族としての血と天賦の才が相まってか、戦いを好む傾向にあり、暇を見つけては城の兵士達相手に鍛錬に励んでいる。
その兵士達曰く「鍛錬なんて嘘っ!! 一方的なシゴキだっ!!」と年甲斐もなく情けない涙を流しているのはまた別の話。
「………………」
興が削がれたと虚しさを滲ませた面持ちで息を付くアモン。
殺害以外は何でもありの、一対一の血肉躍る戦いの場。
自分が生まれるよりも遙か昔、建国年から一度たりとも止むことなく行われてきた陽光温かな春時期に行われる年一度の恒例行事。
十年前、自分が七歳になった頃。城の兵達との鍛錬では物足りなくなり、参加したの切っ掛けだ。
並み居る猛者と数々の名勝負を繰り広げての初参加にして初優勝。
その時、見知らぬ強敵との出会い。その者達と心躍る死闘に味を占め、それを味わいが為に翌年から欠かさず参加している。戦馬鹿の自分にとって生き甲斐と言って良い程の数少ない胸躍る催し事……だったのも三年程前までだ。
それまでは腕に憶えのある者や士官目的の者が数千数とこぞってしのぎを削っていたが、その数は嘘の様に激減。その数は三年前の時点で百を切り、その次の年には二十。去年に至っては片手で事足りる程で、その誰もが自分を満足させたる猛者がいなかった。
そして現在、半年前から参加申し込みを開始したが参加者はおらず、苦肉の策として飛び入りも許可したというのに今年の挑戦者はゼロだ。
その現状にアモンは不満タラタラとため息を付き、その様子にアモン以外の誰もが心の中で苦笑した。
武闘大会の参加者が減った最大の原因――――――それはアモンにあった。
いくら【魔神族】とはいえ僅か七歳の少女が多くの武人達を退け、初の優勝。それだけでも自国は勿論、同盟国全土を騒がせるに値する大事。
それが翌年と連覇を果たし、更に次の年、また更に次の年と続き、気が付けばあれよあれよと前人未到の九連覇。それも年を重ねる事にアモンの力は増し、幾多の凄腕参加者達は肩を並べるどころか食い下がる事すら叶わず。
その圧倒的な力の前に誰もが心折れ、武闘大会の絶対王者に挑む者は誰もいなくなった。
武闘大会が始まって、かれこれ三時間。最後の望みと乱入者を待ってみたものの、燦々たる結果に終わりそうだ。
アモンは静かに後ろを振り返り、落胆の色に染まった瞳で闘技場最上位――――そこに位置する各国の王族達が居並ぶ国賓席を見やる。
遠目だが瞳に映ったある人物の姿に眉が申し訳なさに歪み、
「これも武闘大会を楽しみに来てくれた民達の為だ。アイツには私と共に僅かばかり見世物になって貰うとするか…………」
最悪の場合を考え、戦嫌いの親友に頼み込んで用意していた『模範試合』へ移ろうと落胆混じりに決めた。
そして瞳に映った親友へ合図を送ろうと斧を持ち上げ、あちらもの自分の意図に気が付いたのか、気が進まないという様に立ち上がろうとした時――――――
「――――――姫様に挑戦いたしますっ!!」
アモンの背後。挑戦者入場口から闘技場全体に響き渡る幼くも荘厳な声。
予期せぬ挑戦者へ沈黙に支配されていた観客達がどよめき、アモンも即座に背後を振り返り。
「――――なっ」
深紅の瞳に映し出された挑戦者の姿に、アモンは目を大きく見開いた。
腰元まで垂れる使い古した土まみれの外套を纏った小さな人影。
「ハァ……ッ、ァッ……ハァッ」
その人影は小さな肩を上下に揺らし、顔こそ見えなかったが苦しげに息を乱す口元が見えた。
背丈でいえば十歳そこそこ。声も比較的高めだったものの、程よく耳に残る芯の重さから恐らくは男子。
女の自分よりも華奢な印象を受ける幼く小柄な体躯は外套同様、土汚れのついた着古した麻のシャツと黒生地のズボンと所々はだけた革靴……と、お世辞にも小綺麗とは言い難い粗末なモノを纏っていた。
その風貌からおそらくは身分は平民、それも農民だろう――――――が、その風貌において唯一不釣り合いと言えるモノがあった。
それは挑戦者――――少年の腰元に下げられた一振りの剣。
目立った装飾こそないが、柄の先から鞘の先まで滑らか曲線を描く剣。
「……あの剣、見覚えがあるな」
アモンは少年が腰に下げる独特な剣に眼を細め、頭の隅にしまわれた記憶を引っ張り出す。
ここ『シュテルケ帝国』から遙か東。極東の小さな島国の鍛治師、その伝統技巧にして極技で打たれる流麗な曲線を描く剣。強度こそ剣に劣るものの、名匠が打ったモノであればその切れ味たるや鉄を容易く切断するという代物。
「確か『太刀』と言ったな……随分と珍しいモノを」
と、先程まで落胆に沈んでいた瞳に僅かだが光りが戻り、戦斧を地面へ突き立てる。
「待ちに待った挑戦者とはいえ、顔を見せ名乗る程度の礼儀は欲しい所だな?」
嫌味、というよりは切望した挑戦者がどのような顔をしているのかという純粋な興味からの一言。
「もっ、申し訳っ……ありません」
と、アモンの一言に少年は乱れた息を整える事もせず、急ぐ様に外套を払いのける。
瞬間、瞳に飛び込んできた少年の姿にアモンは驚きとは違う感情の揺れに息を飲み、観客席には小さなどよめきが生まれた。
項の辺りで結われた腰まで伸びる黒髪。
柔らかで愛らしい輪郭に収まった大きく丸い澄んだ緋色の瞳に、スッと通る鼻梁。
桜色の小さな唇は乱れた呼吸を刻み、その表情はどこか艶めかしく誰もが目を奪われる程の美しい少女にも見えた。
「…………………」
アモンは瞳に映った少年の姿に眼を細め――――初めて見る姿にまた感情が揺れる。
自分達【魔神族】の様に鋭い角はなく、耳も握り込んだ拳よりも小さく柔らかな曲線を描き、瞳の色も僅かだが異なっている。
美しい金髪碧眼の【ハイエルフ】に人型の狼や獅子といった【獣人族】。背に多種多様に渡る翼を有する【有翼族】や、拳大の小さな体躯の【小人族】。希有な者でいえば【竜族】や古きは神の使いと呼ばれていた【天使族】。更に特殊な者で【思念種】という決まった姿形を持たず精神体のみで存在する種族もある。
だが、目の前の少年はそのどれとも異なり……いや、正確にいえば多少似通った部分もあるが、少なくとも自分が見知った種族の中では当てはまるものがない。
種族不明の少年の姿に延々と思考を巡らせるアモンを余所に、少年は弾む息で名乗る。
「僕の、名前はル……フェ……ッ、ルーフェと申します!!」
ルーフェと名乗った少年は緊張に表情を強張らせてはいたが、アモンを臆することなく見据え――――躊躇無く太刀を引き抜く。
「むっ?」
瞬間。アモンの眉間に深いシワが刻まれ、観客席からはどよめきと共にいくつかの怒声が上がった。
ルーフェはその様子に苦悶の表情で唇を噛み、自らの行為を疎んだ。
武とは礼に始まり礼に終わる――――――そう剣を指南してくれた師から耳にたこができる程繰り返し教えられた。
そんな基本にして極地とも言える事を最も敬意を払わなければならない王族、この国の未来を担う王女相手に開始の合図はおろか膝をつき頭を垂れる事すらしなかった。
本来であれば無礼千万――――その場で首を跳ねられて当然、弁解が入る余地など塵程もない。
だが、今の自分には時間がない。だからといって無礼が許されるとも思っているわけではないが、たとえ死罪になろうとも叶えなければいけない、成さなければならない事がある。
疲労と緊張。更には王族に対する無礼への恐怖から汗が滲み流れ、
「作法を軽んじ、身分を弁えず高潔たる王族へのご無礼は重々承知しております。ですが、僕にはどうしてもやり遂げなければならない事があり、その件が済み次第いかなる罰も受ける覚悟です」
震える両脚に決意を込め、ルーフェは太刀を腰だめに構える。
「一分一秒が惜しい今……何卒直ちに仕合って頂きたいと存じますっ!!」
不作法な所作とは裏腹にルーフェから滲み出る己が信念を据えた真摯さ。
「む…………」
傲慢さから生まれる横暴な自尊心や他者を軽蔑し淘汰しようとする征服心といった不敬からは決して得られる事のない決死の覚悟。
その様子にアモンの表情から暗い感情が消え、
「…………いいだろう。だが、僅かでも体を休める時間は必要であろう? ちょうど腕の良い魔導師が」
「折角の心遣いですが、姫様へ無礼をはたらいた身。不敬の禊ぎになると思えませんが、罰としてご遠慮させていただきたいと思います」
「ふむ…………」
と、思わぬ拒否に顎を撫で、ルーフェを眺める。
「…………ならば、こちらの出す条件を呑んで貰う」
「条件、ですか……?」
「あぁ」
と、アモンは短く言葉を返し戸惑うルーフェに左手を顔の辺りまで上げ指を一本立てて見せる。
「一撃だ」
「えっ?」
「私の体や服、武具にどんな小さな傷でもいい。一撃入れられれば貴様の勝ちとしよう」
「そ、そんなっ……それでは」
ドンッ!! と戦斧の柄で地を叩き、ルーフェの言葉を遮るアモン。
「貴様とて幼いとはいえ武を歩む者。今の自分の状態くらいわかっているだろう?」
「それは…………」
と、アモンの指摘に言葉が詰まり、その意図に表情が強張り悔しさを滲ませる。
アモンの指摘通り――――今の自分はそう長く戦えるだけ力が残っていない。
故郷の村から三日三晩不眠不休で走り続け、体力的にも精神的にも限界を迎える寸前だ。それに付け加え、戦闘の要である魔力の量も元々大したものでもないのに残り少なく、絶対王者と対峙するにはあまりにも脆弱――――というか、万全な状態であっても役不足も良い所だ。
無力感に唇を噛みしめるルーフェを見据え、
「それに【魔導術】も使わん」
「【魔導術】もお使いにならないのですか?」
「気に止む事はないぞ、少年。ここ数年の間、武闘大会に限らず戦場ですら私に【魔導術】を使わせた者は誰もいない」
「っ…………!!」
憮然としたアモンの言い様に、驚愕と畏怖で瞳を見開くルーフェ。
【魔導術】――――それはこの世界においてあらゆる万象を意志で操る術。
炎や水、風や大地といった自然はいうに及ばず、術者の力量によっては怪我や病。時間や空間の操作、終いには無から生命を生み出す事も可能になる。
扱える力の種類や大きさは術者の先天的な資質によって異なるが、全ての種族が扱う事が出来る。
そしてその特性ゆえに種族差や魔力、力で大きく劣っていても【魔導術】の相性や扱い方一つで戦力差を覆す事が可能なのだ――――――が。
いくら最強と謳われる【魔神族】で、世界に馳せる五強の一人といっても【魔導術】なしで九連覇達成を成し遂げていただなんて馬鹿げてる。
と、心を折られる寸前で唇を噛み締め、戦意を振るいたたせ、太刀を強く握り直すルーフェ。
出された条件がハンデというのは男として、一人の武人として悔しさしか感じ得ないがそれは贅沢というものだろう。
今の自分はどんな事があろうとも負ける事は許されないのだ。王女自らハンデをかすというのなら喜ぶべき事なのだろう……それに【魔導術】のハンデに関してはこちらが多少有利になるのは事実だが、あちらも不利になる事は絶対に無いのだから。
ルーフェは脳裏で入り乱れる様々な雑念を吐き出すように小さく息を付き、その様子にアモンが頼もしげに笑みを溢し――――――上空から赤いローブ姿の女が漆黒の翼を羽ばたかせ、舞い降りた。
女はアモン同様【魔神族】の様で「僭越ながら審判を務めさせて頂きます」と胸に手を添え、静かに王女へ忠誠を込め会釈。それからルーフェへ冷たい視線で一瞥をくれ、
「審判。この少年には時間がないらしい。皆には悪いが口上なしで、早速仕合を始めさせて欲しい」
「はっ、承りました」
アモンの催促に再度会釈し、両者を分けるように右手を挙げる。
女はスッと小さく息を吸い、荘厳な声音を響かせた。
「これより王女アモン様と挑戦者の仕合を執り行いますっ!!」
場を鋭く駆け巡る女の声に観客達のどよめきが更に増し、闘技場全体に期待と緊張感が急速に満ちていく。
「両者、構え」
女の求めにルーフェとアモンは互いに武器を構え、
「初撃は譲ってやろう。つまらぬ一撃で興ざめさせてくれるなよ」
「…………はい、全力で参りますっ!!」
「さぁっ、かかってくるがいいっ!!」
ルーフェの応えに獰猛な笑みを向けるアモン。
二人のやりとりが終えたのを見計り、
「――――――始めっ!!」
気迫に満ちた女の合図と共に、アモンの莫大な魔力が一瞬で膨れ上がった。
瞬間。アモンを中心に黒い稲妻が弾け、轟風が闘技場を嬲る。
「っ!?」
アモンの桁違いの魔力の奔流に目を見開きながらも、吹き荒れる轟風と暴れ奔る稲妻に揺らぐことなく武器を構えるルーフェ。
魔力による【身体強化】と【物質強化】――――――戦闘訓練を受けていれば一般人でも扱えるモノだが、魔力とその制御精度が高ければ高い程、己の力を増大させる事が出来る基本戦闘術。
空間を押しのけるように膨れ上がった強大なアモンの魔力。
その圧倒的な力の奔流に闘技場全体が歓声に震え沸き、それ等に押し潰される様にルーフェの微弱だった魔力の気配が消える。
「むっ」
その様に「魔力切れか」と、アモンの戦意が落胆に沈みかけた瞬間――――背後から強烈な怖気が突き刺さる。
「なっ!?」
アモンの声が驚愕に揺れるのと同時――――闘技場に響くのは歓声を斬り捨てる鋭く重い金属音。そして観客達の瞳に映ったのは、突然斬り結んだ王女と挑戦者の姿。
『――――――ッ!?』
まるで時を飛ばしたように一変した光景に観客達は一斉に声を失い、予想だにしなかった状況に目を見開くアモン。
――――――あと数瞬、僅かでも反応が遅れていたら胴を真っ二つにされていた所だ。
予想外の状況に揺らぐアモンを余所に、ルーフェは再び死角へと体を滑らせ斬撃を放つ。
「フッ!!」
頭、首、左肩、右脇腹と半呼吸の間に四度の斬撃を流れるように放ち、アモンはそれらをミリ単位で躱していく。
「くっ!?」
その身躱しにルーフェは眉を顰めつつも深く踏み、左足を軸に回転――――アモンの足元を切り払う。
が、それも上への跳躍で回避。体を大きく捻り、黒の稲妻を纏った戦斧をルーフェの脳天へと容赦なく振り下ろした。
刹那、ルーフェは横へ大きく跳躍し回避。
振り下ろされた戦斧は容赦なく石畳を砕き飛ばし、ルーフェは臆する事なく飛礫の弾幕を一足でかいくぐり懐へ。
「ハアアアアアアアアアアアアッ!!」
裂帛の気合いと共に太刀を振り下ろし、アモンも地に突き刺さった戦斧を引き抜くと同時に振り上げ――――――二つの剣閃がけたたましい衝突音と共に鮮烈な火花を散らせる。
そのまま二人は競り合いに持ち込み、
「ぐぅ…………っ!!」
「ははっ!!」
苦悶に表情を歪めるルーフェへ、アモンは心の奥底から込み上げてくる感情に声を漏らした。
本来、魔力というものは種族に関係なく普段の日常生活の中で抑えていたとしても僅かながら肉体の外に溢れているものだ。それこそ【魔導術】や【身体強化】といった戦闘術になればその力を増幅させる為に己の身に宿った魔力を可能な限り高め、制御し行使しなければならない。
故に強い力を行使する程、魔力の波動は大きな波として外へ溢れ出る……筈なのだが、
目の前の少年は魔力が尽きたかと思えば爆発的な膂力の上昇――――【身体強化】で私の背後に回り込み、強靱な【物質強化】による太刀で横薙ぎを繰り出した。
それも戦慣れした手練れの兵士達を軽く凌駕する力を振るっておきながら魔力の気配を欠片程も感じさせない――――――無駄など一切入る余地など無い洗練されたな魔力制御。
少なくとも国一番といわれた自分でさえ、ここまでの制御練度はない。それこそ今まで刃を交えた相手の中にも一人としていなかった。
恐らく、今のこの場で少年の成す技巧がどれだけの偉業と酌み取れるのは直接刃を交えている自分と国賓席にいる親友、そしてごく一部の強者だけだろう。
現にこの場にいる審判の女は勿論、剣戟を追えなかった多くの観客達。一部始終を見ていた筈の各国の王族達や、警護の為に脇に控えていた数千の兵士達でさえ、今の攻防に困惑し言葉を失っている。
自分の感情に呼応するように体が燃えさかる炎の如き熱を帯び、切望していたモノとの対峙に戦慄く。
「――――――これが歓喜かっ!!」
アモンの咆哮に困惑に時を止めていた観客達が一斉に我へと返り、
「クハハハハハハハハハハッ!!」
獣じみた獰猛な笑みでルーフェを弾き飛ばすアモン。
「つぁっ!?」
強引には弾き飛ばされたルーフェは即座に体勢を立て直し、
「私は貴様のような強者を待っていたっ!!」
「なっ!?」
迷い無く眼前に振り下ろされる戦斧の一撃を、体を右回転させ回避。
それと同時に石畳が砕けるが構うことなく回避から攻撃へ転じ、回転の勢いを乗せアモンへ太刀を振り払った。
が、アモンは右手で太刀の柄の頭を受け止めると、そのままルーフェを場壁へ向け大きく投げ飛ばした。
「ぐぅっ!?」
馬鹿げた力での投擲。全身を捻りきられるような強烈な感覚に一瞬気が遠くなるが、空中で体を捻り、激突寸前の所で壁へ着地。その際、幾分か殺せなかった衝撃で壁に放射線状に亀裂が入り、脚部にのしかかる莫大な負荷に表情を歪めるルーフェ。
直接攻撃受けたわけでもないのに体力や気力、戦意すらも根こそぎ持っていかれるような虚脱感――――――一度でも攻撃を受けたら終わりだっ!!
ルーフェは唇を噛み切りるとその痛みで全身にまとわりつく虚脱感を払い、
「僕、はっ……絶対に、貴女に勝たなきゃいけないんだっ!!」
胸の奥底から沸き上がる感情に勝利への渇望を吠える。
それが合図だったかのようにアモンの魔力が更に高まり、黒の稻妻が瞬くと同時に二人の姿が掻き消える。
その刹那、闘技場を縦横無尽に駆け巡る鮮烈な火花と数多の閃耀な剣閃。鋭く響く斬撃の音と鈍く重い打撃音。それに合わせ突き上がる土煙と荒々しい轟風。およそ常人では姿を捉える事すらままならず、多くの戦場を戦い抜いてきた兵達ですら目で追うのがやっとの逸脱した豪速の剣戟。
互いに攻撃を仕掛けては躱され、躱しては仕掛けの応酬。
「ぐうぅっ!!」
壮絶な斬り合いの中、一撃一撃が必殺といっていいアモンの攻撃をルーフェは全て躱し、捌き、いなす――――――アモンは瞳に映るその光景に息を呑んだ。
それはあまりにも衝撃的で、どこまでも甘美な情景だったからだ。
舞い上がった土埃を飲み込んだ汗が幾重も頬を伝い、荒い息と共に小さな肩が大きく揺れる。だが、疲労が色濃くなるにつれその太刀筋は鈍るどころか鋭くなり、多少荒削りだった体捌きも驚異的な早さで練度が磨かれていく。
まるで『届き得ぬ相手ならば届かせるまで』という様に。
それを示す様に土で汚れた幼くあどけない表情には覚悟が据えられ、その中で揺るぎない信念を灯す緋色の双眸が鋭く研がれていた。
その瞳にアモンの心が、体が、存在そのものが歓喜とは違う形容しがたい熱に一瞬で煮え滾る。
甘く、
激しく、
心地良い、
痺れにも似た感覚。
――――――この少年は私に届く!!
三分にも満たない僅かな時間。その斬り合いを通して伝わってくる予感……いや、もはや揺るぎない確信といってもいい。
胸の奥で暴れ回る熱にアモンは戦斧を強く握り直し、
「良いぞっ!! もっとだ、もっと私に喰らい付いてこいっ!! 貴様の力をもっと私に見せてみろ!!」
ルーフェをより高みへと引き上げようと踏み込んだ時だった。
――――――ブシュッ!!
何の前触れもなくルーフェのこめかみが弾け、鮮血が飛び散った。
「ぐっ!?」
「なっ!?」
突然の出来事にアモンの足が止まり、闘技場にどよめきが奔る。
ルーフェは不意に揺れる視界と意識に体がよろめくが、典雅な美貌を驚愕に揺らすアモンを半分紅く染まった視界に捉え、そのまま剣を振り下ろす。
「ハアアアアアアアアッ!!」
「っ!?」
ルーフェの切り込みに驚きながらも受け止め、状況を瞬時にくんだアモンの瞳が焦りに染まる。
――――――魔力切れか。
魔力切れ事態特に珍しい事ではない。【魔導術】の扱いに不馴れな幼子が鍛錬中になったり、激戦繰り広げられる戦場にいる腕達者な兵士達とて陥る現象だ。
魔力切れを起こせば肉体は極度の疲労と倦怠感は、生命の危機を回避する為に一定度の休息を求める――――いわば生命維持の安全装置の様なもの。魔力が枯渇した状態で無理に力を行使すれば当然、肉体には莫大な負荷がかかる。
そもそも尽きたモノを無理矢理絞り出し続ければ命そのものを削る事になる。
だが、瞳に映る血だらけの少年はソレを完全に無視し、ただ勝利へと太刀を振るう。
その度に首筋や太刀を握る手を皮切りに、服の下から鮮血が弾け飛び、小さな体が次第に紅く染まっていく。
その悲痛な様にアモンは眉を寄せ、
「太刀を収めよっ!! 魔力切れの状態で戦っては貴様の体が持たんぞっ!!」
「承知の上ですっ!!」
未だ、戦いを求めるルーフェの答えにアモンは苦悶を募らせた。
「少年、貴様は何故そこまでして私に勝ち何を求める? 金か、地位か、名誉か? それともそれら全てか?」
「僕は、そんなもの……要りませんっ!!」
「ならば何の為に私に勝利せんとここに立った!?」
「どうしてもっ、助けたい人がいるんですっ!!」
思いもしなかった少年の告げた言葉にアモンの瞳が大きく見開かれ、
「…………ふふっ」
僅かな間の後、少年の言葉に淡くも煌めきに満ちた微笑を浮かべる。
「それが貴様が望むモノ、か…………ならばもう止めん」
歓喜の咆哮と共にアモンは戦斧を振り上げ、ルーフェを木の葉の様に弾き飛ばし、
「見事、私に打ち勝ってみせよっ!!」
「くっ!?」
ルーフェは宙を舞い朦朧とする意識の中、獣の如く吠え駆けるアモンを視界に捉える。
強い、なんてモノじゃない。明らかに強さの桁が違いすぎる。
試合を始めて五分も満たない時間で自分が姫様に与えられたダメージは皆無。それも相手は全力とはほど遠い…………駄々をこねる子供を諭す程度の力しか出してない。
指を動かすだけで激痛が走るボロボロの体。
痛みと喪失感に擦れる意識と視界。
自分に残された僅かな時間。
その全てが突き付けてくるのは明確な敗北の未来。
「く、そぉ…………」
体と心を容赦なく蝕む無力感に視界が歪み、悔しさに瞳を閉じた時。脳裏に淡い光りと共に浮かんだのは――――――故郷で病に伏した大切な少女の姿。
「っ!!」
瞬間。ルーフェは御瞳を大きく見開きながら宙に舞う体を強引に捻り、石畳を砕き散らし着地。
――――――ここで僕が負けたらあの子が死ぬっ!!
粉塵が舞う中、ルーフェは太刀を鞘へ即座に納刀。情けない悲鳴を上げる肉体を込み上げてくる激情で叩き伏せる。
「そんなの絶対に駄目だっ!!」
「…………っ!?」
苛烈な慟哭にして、凄まじい激情の咆哮を上げるルーフェ。
――――――ドクンッ!!
アモンへ背を向ける程の太刀を深く脇へ構え、
「っ!?」
ルーフェから放たれる魔力の上昇、その制御からなるものとはあまりにも異なる気配にアモンが揺らいだ時。
「――――――この一撃に全てを賭けるっ!!」
僅かな時間、正に一瞬だった。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
決死と歓喜。その二つの咆哮を引き金に、互いに己の間合いへ相手を捉えた刹那。
地を砕く踏み込み、
抜刀の閃き、
黒雷を纏った暴虐な戦斧の振り下ろし、
閃撃と重撃、
二つの影が交差し、場を斬り裂く先鋭の音が響き、猛っていた黒雷が静寂へと還った。
「……………………」
「……………………」
場に残されたのは異様なまでの静けさと互いに背を向け、矛を振り抜いた二人の戦人の姿。
その光景と勝敗の行く末に観客全てが息を飲み、決着を告げる様にルーフェの左肩から大きな血飛沫が舞った。
「…………っぁ」
ルーフェは意識と体を嬲る激痛と虚脱感に膝が落ち、
「ぐぅぅぅっ!!」
咄嗟に太刀を地面に突き立て、震える四肢で血だらけの体を何とか支える。
既に死に体に等しい体に天地の区別が付かない意識と感覚。
太刀を支えに立つだけで僥倖と言える状態でルーフェは消えかけの戦意で呻き、
「ま、だっ…………」
「…………いや、ここまでだ」
それを包み込む様に穏やかな声音で終わりを告げるアモン。
その言葉にルーフェの表情が悔しさに強張り――――――バキィンッ!! と何かが砕ける音が響き渡る。
「…………えっ?」
不意に耳に届いた音にルーフェは呆気にとられ、軋む体でゆっくり振り返ると瞳に映ったのはこちらを満足げに見つめるアモンと柄だけが残された戦斧。
そしてアモンの目元。白く美しい肌に僅かだがハッキリと見てとれる一筋の太刀傷。
アモンは太刀傷から滲む血を右手でそっと拭い、ゆるりとルーフェへ歩み寄りながら賞賛の笑みを浮かべる。
「お前の勝ちだ、少年」
思い描く事さえなかった結末。その結果に静まりかえった闘技場はアモンの一声に歓声が弾け、まるで世界を揺るがす程の地響きが起こった。
耳に突き刺さる程の歓声と熱狂の中、ルーフェは状況を呑み込めていないのか心ここににあらずといった様子で声を漏らした。
「……………僕の、勝ち?」
「あぁ。紛れもなく、な」
「…………ぁ」
そして二度目の勝利通達にルーフェの全身から力が抜け、前のめりに石畳へと倒れ込む。
が、それをアモンは素早く抱き止め、傷を刺激しないようそっと優しく抱き上げる――――立場逆転のお姫様抱っこである。
「ふふ、一気に気の抜けた顔になったな」
「も、申し訳ありません。姫様」
「気にするな。それよりもお前の望むモノを教えてくれ。物によっては少しばかり準備に手間取るかもしれないしな」
「へっ?」
と、呆けた声を出すをルーフェにアモンは苦笑する。
「助けたい者がいると言っていただろう?」
その問い掛けにおざなりになっていたルーフェの思考が明瞭さを取り戻し、体を嬲る痛みと疲労感を押し切るように焦りが顔を出す。
「そ、そうですっ!! 姫様、不躾なお願いと存じ上げますが……どうか『エリクシール』を頂けないでしょうか!?」
「ほぅ、『エリクシール』と来たか…………」
助けたい者、とルーフェが口にした時から予想はしていた。
――――――『エリクシール』
それは【魔神族】の血液を媒介に生み出される、この世のあらゆる病や瀕死の傷をも癒す万能薬。その製法は【魔神族】の中でも王族のみに伝えられ、一般の市場に決して出回る事のない特権階級専用薬だ。
だが、用意していた武闘大会の褒美はそれ以上のモノにもかかわらず、そういった願いを口にすると言う事は余程大事な者が危篤に陥ったのだろう。
「あいわかった。すぐに準備させよう」
と、ルーフェへ答えながら脇に控えていた審判へ目配りし、それに応えるようにすぐ様飛び立つ審判役の女性。
その姿に僅かだが安堵の表情を浮かべるルーフェ。
そしてアモンはどこか惜しそうに眉を寄せ、言葉を続ける。
「それに時間が惜しいと言っていたし、この後予定していた勝者を称える盛大な式典も中止だな…………」
「お、お気持ちを無碍にしてしまい申し訳ありません」
「謝らなくていい。それよりも『エリクシール』が届き次第すぐに発つ。お前の助けたいといった者はどこにいる? ここに連れてきているのか?」
「いえ、故郷に…………というか、姫様のお手を煩わせるだなんて滅相もありません!! 『エリクシール』を頂いたら、僕がすぐに……づぁっ!?」
度重なる王女への無礼にルーフェは慌てて降りようとしたところで体に激痛が奔り、アモンは呆れたように小さく息を付く。
「そんなボロボロの体では王都から出るどころか、精々私が降ろしたここで野垂れ死にが関の山だ。傷の治療もしてやるから少し大人しくしていろ」
「も、申し訳…………」
「だから謝るなと言っているだろう。それにそのかしこまった話し方もやめてくれ、お前は私に勝ったんだ。少しは男らしく堂々としろ」
「あ、いや……姫様に勝ったと言っても手心を頂きました。それに僕は平民の身でありますし、王族である姫様に気安い言葉遣いなど…………」
「……………ん?」
と、アモンの表情が怪訝に染まり、
「お前はこの武闘大会の褒美が何かを知って参加したのだろう?」
「は、はい。この大会に優勝――――姫様に勝てばどんな望みも叶えて頂ける、と」
ルーフェの返答に目を丸くすると暫しの沈黙の後。
「――――――プッ、ハハハハハハハハハハハハッ!!」
突然、堰を切った様にアモンは天高らかに笑い声を上げた。
唐突すぎる現状に戸惑うルーフェ。
アモンは数秒の盛大な哄笑を終え、状況を掴めず戸惑うルーフェへ今度は悪戯っ子の様な無邪気な笑みを向ける。
「お前がいっている褒美は前回までの話だ」
「えっ、前回って…………では、今回の褒美はどのようなものなのですか?」
「――――――私の伴侶だ」
ごく当然に、一切の感情の揺れもなく、ただひたすらに自然体で答えたアモン。
「………………えっ?」
あまりのサラッと加減に血を流しすぎて耳がおかしくなったのだろうかとルーフェは表情を曇らせ、
「も、申し訳ありません。聞き間違いをして」
「聞き間違いではないぞ――――今回の褒美は私、アモン=S=シュトライテンの伴侶になる事だ」
「なっ!?」
驚愕など生温い、かつて無い戦慄に上手く言葉が出てこず、何度も唇をパクパクさせる。
そんなルーフェをアモンは期待に満ちた眼差しで見やり、世がひれ伏す壮麗な美貌を慈しみに煌めく笑みで飾り告げる。
「お前は今、この場から私の婿だ。戦いしか知らん無骨者だが、よろしく頼むぞ――――――ルーフェ」
これが戦いの決着であり――――少年と少女。ルーフェとアモン、二人の馴れ初めだった。
婿様は唯一無二のノベルティ りくつきあまね @rikutukiamane
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