第40話 炭酸水の降る夏の空に

 石畳が敷き詰められた広くない道に今も人が暮らす古民家が立ち並ぶ――そんな古い町並みの中を白いレースの日傘を差した人影が進む。

 燦々さんさんと降り注ぐ夏の日差しをさえぎるその影で、大人になった少女は迷いなく歩を進めていく。

 もう炭酸水が降ってくることもないその道を進み、一軒の古民家の前で足を止める。

 古民家に似つかわしくないインターフォンを押すと、中からゆっくりと足音が近づいてくる。

「はーい」

 その声とともに玄関の引き戸が開けられ、中からお腹の膨らみが目立つようになってきた幼馴染の女性が顔をだした。玄関の脇には『町谷まちや』という表札が掛かっていて――。

 そのお腹の大きな女性は初めて出会ったころのような短めの髪を小さく揺らしながら快活な表情を浮かべる。そこに柔らかさが混じったように思えるのは大人になったからだろうか? それとも彼女がもうすぐ母親になるからだろうか。

「いらっしゃい。上がって」

「うん。身体は大丈夫なの?」

「もちろん。ずっと立ちっぱなしや歩き回るとかはさすがに辛いだろうけど、買い物はお母さんとか代わりに行ってくれたりしてくれるし、むしろ何もすることがなくて暇でさ。そっちのほうが身体に悪そうだよ」

 そう言って笑う顔は昔から変わっていなくて、釣られるように笑う。

「そうそう、頼まれたもの買ってきたよ」

 この家に来る道すがら、足元が石畳に変わる少し手前にある雑貨屋で買ってきたものを机の上に置く。昔はよく飲んだ炭酸飲料を数本に、それとは別にラムネが二本。

「それにしても、この炭酸まだ飲んでるの?」

「まあ、基本的にあいつはずっと子供のままだからね。特に味覚は」

「そうなんだ。相変わらずなんだね。それで、ラムネも?」

 ラムネという単語を聞いて、目の前の彼女はにやあっと何かを企んでいるような楽しそうな顔をする。

「それは決まってるじゃない」

 その一言に昔、一緒に仕掛けた悪戯いたずらの記憶が蘇る。

「でもさ、夏祭りは三日後でしょう?」

「いいの、いいの。ここ最近ずっとその準備とかいろんな名目で毎日のように集まりがあるらしくってね。とはいっても、結局は飲むための口実なんだけどね。それで飲まされたりとかしてるみたいで、なかなか家に帰ってきやがらないのよね。未だにここらの大人からは“町谷のりょうちゃん”って呼ばれながらかわいがられてるのよ」

 その光景は容易に想像できる。困ったような表情をしつつも、結局は楽しそうに地元の大人たちに囲まれている姿が。大人になっても、同じ分だけ歳を重ねた相手からはいつまでもかわいい地元の子供という認識は消えないのだろう。

「ああ……それは、うん」

「それで今日は久しぶりに真っ直ぐに家に帰ってきて、ゆっくりできるそうなのね。それに夏祭りの時にって言ってもさ、この身体じゃあ、人混みはちょっとね。だからさ――」

 そういうと、近くの壁際に置かれたビニール袋を手を伸ばして引き寄せ、中から手持ち花火の詰め合わせを取り出して見せてくる。

「これ。花火楽しみたいじゃない? どうせ私がこんな身体じゃなくても、当日ゆっくり三人で花火見上げるなんてできないんだしさ」

「そうだね」

 そうやって顔を見合わせて笑い合う。


 三人で地元の夏祭りに行ったのは中学三年生の夏が最後で、高校、大学時代は私がいなかった。社会人になってからは、私は教師として会場の見回りに駆り出され、ここにいない彼は市役所の職員として、目の前の彼女も観光協会の仕事で、それぞれがそれぞれの場所で祭りにたずさわり、ただ花火を見上げる側ではなくなっていた。

 幼馴染の二人は私が彼と最初で最後のキスをし、初恋が終わったあの日に無事に恋人関係に戻り、今の状況に至っている。私は二人の邪魔をしたくないというもっともらしい言い訳を二人に、自分には気持ちを整理するためにと目をらそうとするため、再び二人から距離を取ろうとした。

 しかし、一人暮らし先に帰る前に二人に呼び出され、私さえよければまた三人で話したり笑ったりしたいと言われ、断る理由もなくなっていた私はそれを受け入れた。

 それをきっかけに少しずつ関係は修復されていき、私は二人の晴れの日に友人代表としてスピーチをさせらることにもなった。


 尽きない会話に懐かしい思い出話。

 ここは、この二人との関係は、とても居心地がよくて自然体になれる私の大事な場所で――。


 どれくらいの時間が経過しただろうか、ふいに彼女の携帯電話がメッセージを受信したことを告げる。

「そろそろ帰ってくるって」

 そう画面をこちらに見せながら、笑顔を向けてくる。そして、ラムネを手に立ち上がり、階段をゆっくりと上がり、二階の部屋の窓際に二人で身を隠す。身を隠しながら暗闇で息を殺し、顔を見合わせくすくすと笑う。目の前の彼女は楽しそうに笑っているが、私はやるにしても本当にいいのだろうかと前回同じ悪戯を仕掛けた時と同じ心境になる。

 影から様子を伺っていた彼女が、何も知らずに帰ってくるもう一人の幼馴染の姿を確認する。


「せーーのっ!!」

 その言葉とともに炭酸水の雨が降り注ぐ。

「うわぁぁああ! ちょっとまじかよ!」

 そう言いながら見上げてくる彼に私たちは笑う。

 そんな彼に隣の彼女が言うのだ。


「着替えたら、三人で花火しようよ」




 今年も夏の夜空には、夏の大三角が浮かび上がる。

 夏のよく晴れた日に炭酸水で結ばれた関係は、今もこれからも確かな輝きを放っていく――――。

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夏の晴れた日に降るは炭酸水 たれねこ @tareneko

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