終幕 夏の晴れた日に降るは炭酸水

第39話 選択した路の行末

 季節はめぐり、今年も夏がやってきた。

 終業式を終え、夏休みを目前に生徒たちが目に見えて浮き足立っていて、これから先の未来に目を輝かせているようだった。

 そんな生徒たちの前に今、私は立っている。

「はい、静かにして!」

 注意と視線が集まるのを感じる。

「みんなが楽しみにしている通り、明日から夏休みです。夏休みですが、みんなは受験生です。受験生の夏は遊んでばかりいられないのは分かっていることだと思います。

 わざと繰り返しながら教室を見渡す。数人視線を合わすまいとらす生徒がいる。その大半は元気があるというかありすぎるというか――それはまるで、私が目の前の生徒と同じ年だったころに私といつも一緒にいた二人のような快活な子達で――。

「とまあ、先生の立場からすると勉強しなさいとしか言えないのだけれど、私も君たちと同じ年だったころがあるわけだし……勉強ばかりでは息が詰まると思うので遊びすぎないようにしっかりと考えて過ごしてください」

 教室内からはくすくすと笑い声がする。緊張がゆるんだのが分かる。そんな生徒たちの顔を見ながら、自分が同じ教室で生徒だった時のことを思い出してしまう。

「この夏休みの間にもう一度進路についてしっかりと考えてみてください。そして、将来への大きな選択であることを忘れないでください。もし一人では分からない、決めきれないと言うなら、誰かに相談してください。それは保護者の方でも先生でも友達でも構いません。自分のことだから自分で決めろと言われるかもしれませんが、相談すること、頼ること自体は悪いことじゃないです。相談できる相手がいるということはその人のことを信用しているということで、そういう相手の存在は貴重で大事なことなんです」

 教室内は静まり返っている。それを肌で感じながら、一息ついてから続ける。

「これから先、高校への進路の他にも色々と選択をすることになることでしょう。これからの人生で選択を迫られることがたくさん待ち受けているでしょう。分かりやすいところだと、三年後にはみなさんは高校三年生になり進学か就職かという選択をすることになるでしょう。それ以外にも、人生に関わる選択はたくさんあります」

 そこまで話すと、一人の男子生徒が手を挙げ、「例えばどんなことですか?」と聞いてくる。

「そうだなあ。例えば人間関係や恋愛とかな」

 私の回答にざわっとする。

「このクラスのみんなが同じ高校に行くわけではないでしょう? それぞれ選んで高校に行くわけだけど、今みたいにみんながそろう機会って減るよね。もしかしたら、数えるほどしか会えなくなる人が出てくるかもしれない。それが選択した結果なの。恋愛も同じ。誰かが誰かに告白するということも選択だし、それを断るのも受け入れるのも選択。人生は細かい選択の連続なんだよ」

 ピンと来てない顔をしている。それでも私は続ける。

「まあ、この後、学校帰りに寄り道するかしないかも選択よね。寄り道はダメなのは分かってるよね?」

 教室内はまたしてもくすっと笑いの波が起きる。

「だからね、今じゃないとできないことがあること、何かを選んだことで将来できなくなることだってあるということを心のどこかで覚えていて欲しいの。そして、ずっと先の未来の君たちがあの時このみちを選んでよかったと後悔をしないような路を選び取ってください」

 一通り話し終える。きっと私の言っていることは今は半分も理解されないだろう。だけど、数年後に何か選択で立ち止まることがあったら、夏休み前に変なことを言っていた先生がいたなと思い出してくれるといい。そして、前に進むための一つの手掛かりにでもなればと願ってしまう。

「先生、なんか卒業式で話すようなこと言ってない?」

 ある生徒がそんな風に茶化したことで教室はドッと沸き、「確かにそうね」と一緒になって笑った。


 私にとっては大事な出会いも別れの選択も全てが夏だった――。

 だから、今の時期だからこそ伝えたい言葉だった。


 私はもう一度教室を見渡し、

「はい、じゃあ。堅苦しい先生の話はこれで終わり! 休み中の登校日忘れないように気を付けること。それでは中学最後の夏休みを精一杯過ごしてください。日直、お願い」

 と、話を終わらせる。起立、礼の号令の後、教室内は熱気と騒々しさを取り戻す。

 その騒々しい光景を前に、出席簿や余ったプリント類をまとめていると、女子生徒数人が教壇に近づいてくる。嬉しいことに彼女たちは私に懐いてくれている生徒たちで、私のすぐ近くまで寄ってくると、「陽子ようこ先生は夏休みどうするんですか?」と親しみを込めて尋ねられる。

「先生には夏休みはあんまりないからねえ。みんなは休みでも、先生は学校に来たりだとかしないといけないのよね。それに、夏祭りでみんなが変なことや問題起こさないか見回りもしなきゃならないといけないから大変なのよ」

 そうわざとらしく肩を叩きながら話し、「だから、はっちゃけ過ぎないように楽しむのよ? 他の先生よりはある程度は大目に見るけれども……頼むわよ?」と付け加えると、「はーい」という気の抜けた返事と笑い声が返ってくる。

 私も笑顔を向けると、女子生徒の一人が、「陽子先生。この夏、何かいいことあるといいね」と言うので、「そうね。あななたちも何かあるといいわね」と返した。生徒たちと顔を見合わせてあまり声に出さず小さく笑い合った後に、「じゃあ、先生。さようなら」と挨拶をされ、彼女たちは荷物を取りに自分の席の方に話しながら戻っていった。

 私はまとめたプリント類を抱え、職員室に戻るために教室の扉を開けた。


 私が教師になろうと思った一番の理由は、中学三年生の夏に自分のした選択を後悔していたからだった。選択したことは変えられないし、その先どんなに後悔しても受け入れるしかできないことを身をもってよく理解している。

 だからこそ、誰かが選択をする際に後悔しないような選択を選べるように手伝いをしたいと思い、教師という路を選んだ。教員免許の取得過程で高校の教師という路も選択できたのだが、自分の転機になったのは中学生の頃の私の選択だったこともあり、中学校の教師ということにこだわった。

 そして現在。無事に夢は叶い、中学校の国語教師になり、なんとかやっている。大学を卒業して、赴任した学校は今が二校目。二校目にして、いつかはここでと思っていた慣れ親しんだ母校の中学校に赴任することになった。母校に勤め始めて二年目の今年、教師人生で初めて三年生の担任を任された。

 教師になろうと目指し始めた頃から、三年生の担任になったら夏休みを控えたこのタイミングで生徒たちに選択することの重要さを伝えたいと漠然ばくぜんと思っていた。それを今日ついに実行したわけだった。


 毎日が忙しく、自分の時間というものがなかなか取れないが、それでも日々はとても充実していた。そんな生活を送っていると、学校と家の往復以外はほとんどすることもないので、仕事関係以外で出会いというものが一切なく、それゆえに浮いた話もなかった。

 しかし、今はそれでいいと思っている。今は仕事が楽しいし、それ以外に何かをするほどの余裕もなかった。まして、今年は初めての三年生の担任だ。優先すべきは自分よりも人生の岐路に立つ生徒たちだった。


 私の恋愛の歴史は、初恋の終わり以降未だに更新されていない。

 初恋を引きづっているわけでは決してないが、それでも初恋を超えるような、またはそんなことを意識しなくてもどうしようもなく惹かれてしまうような人に私はまだ出会えていなかった。

 だから、今は恋愛はお休み中で――でも、いつかはまた私も恋をするのだろう。


 これは私の選んだ路のたどり着いた先だが、そこで終わりというわけではなく、路はまだ先に続いているのだ――――。

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