第38話 初恋の終わりに

 そして、涼太の顔を正面から見つめ直し、

「涼太くんはこれからどうするの?」

 と、質問する。涼太は状況を把握しきれていないのかほうけているようだった。さらに梨奈の口から間接的に私から告白されたからか視線が合わせることもためらっているようだった。

「どうするって言われても、俺は――」

 その続きの言葉は言われなくても分かってしまう。涼太は私とここで出会う前から結論を出していたのだから。だからこそ、続きをさえぎるように、

「じゃあさ、涼太くん。私と付き合ってよ」

 と、自分の言葉で告白し直す。

「私は涼太くんが好きなの。昔からずっと――たぶん初めて会ったあの夏の日からずっと。私は涼太くんとずっと一緒に生きていきたい。私にとって自然に笑って話せる男の子なんて涼太くんしかいない。私には涼太くんしかいないの――」

 そう伝え、次の言葉を言うために大きく息を吸う。緊張からいつのまにか服の裾を握りしめていた。


「だから、結婚を前提に私と付き合ってもらえませんか?」


 私の告白にさっきまで泳いでいた涼太の視線がばしっと定まり、こちらを正面から見つめてくる。涼太は立ち上がり、私の正面に立つ。

「陽子ちゃんの気持ちは正直すごい嬉しい。でも、ごめん。俺は陽子ちゃんの気持ちには応えられない」

 分かっていた返事が返ってくる。そして、この恋を終わらせるために私は尋ねる。

「――うん。分かってた。それでも……理由、聞いてもいいかな?」

「俺はさ、梨奈が好きなんだ。物心つく前からあいつは隣にいて、あいつの隣には俺がいてさ――それはこれからもずっとそうなんだと思っていたんだ。おかしいかもしれないけど、俺と梨奈は二人で一つみたいな関係で、互いに相手は他にいないんだと思う」

「そっか……」

「うん。だからさ……ごめんなさい」

 涼太の申し訳なさそうに頭を下げる姿に胸が締め付けられる。本当にこんな結末しか私と涼太の間にはなかったのだろうかと思ってしまう。

 もし物語の中なら、私と涼太の出会いは運命と言っても差し支えないものだったに違いない。


 運命なら涼太と結ばれるはずだったのは――。

 だから、もしもあの時――。


「ねえ、涼太くん。一つだけ聞いてもいいかな?」

 涼太は顔を上げ、「なに?」と聞き返してくる。

「もしさ……本当にもしもの話なんだけどさ……私がこっちにある高校に進学して、涼太くん達と離れるということがなくて、そんな状況で涼太くんに告白していたら……それでも涼太くんの返事は同じだったのかな?」

「それは分からないよ。そんなこと考えたことなかったからさ」

「そうだよね……」

「でもね、陽子ちゃんの言うようなそんなもしもがあるとしたらさ……きっと俺は陽子ちゃんの気持ちに応えていた思うよ」

 その応えに私は言葉を失う。そんな私をよそに涼太は続ける。

「だってさ、今だから言えるけども、俺は初めて会ったあの夏の日に陽子ちゃんに一目ぼれしていたんだ。それからずっと片思いしていた――」


「そっか……五年、遅かったんだね。私の告白は――」


 そう呟き、空を見上げる。初めてこの町で見た時と同じ雲一つない綺麗な青が広がっていた。涙が出るかなと思ったがそうでもないみたいだ。今の私の心の中は今見ている空のように晴れわたり、どこかすっきりしていた。

 視線を涼太の方に戻しながら、「それで、涼太くんはこれからどうするの?」と再度、先ほど遮った続きを涼太の口から聞くために尋ね直す。

「もう一度ちゃんと梨奈と話すよ。今度は会ってちゃんと話せそうだし」

「それで?」

「梨奈次第だけど、もう一度やり直そうと伝えるつもりだよ」

「そっか……さっきの梨奈の様子だと問題なく元の関係に戻れそうだね」

「そう……かもね。そうだといいな」

 涼太はまた視線を彷徨わせる。

「なんだかはっきりしない返事だね」

「なんというかさ、正直ちょっと自信ないんだ。今度のことで伝わってると思っていた自分の気持ちが伝わっていなかったことが相当ショックだったんだ。これから先にまた同じようなことがあるかもしれないと思うと不安なんだ」

「きっと大丈夫だよ。梨奈と涼太くんならちゃんと乗り越えられる」

「陽子ちゃんにそう言われると安心できるな。俺らのこと一番見てきたのは親をのぞけば陽子ちゃんだからね。陽子ちゃんの言葉なら信じられる気がするよ」

 涼太は今日初めて笑顔を見せる。やはり笑っている顔の方が安心する。

 私は涼太の笑っている顔が好きだ。私と話すときに少しだけ困ったような表情ではにかむ顔が好きだ。いつでも優しい涼太が好きだ。

 私の涼太への想いはまだこんなにも溢れている。だけれども、もう終わりにしなければならない。

 届かなかったけれど、私の想いを涼太にも覚えていてほしい。私が告白した今日のこともいつかは思い出になる。それを思い出すとき、涼太には私はどのように映っているだろうか? そして思い出もいつかは忘れてしまうかもしれない。

 だから、一生忘れられないように刻み込みたくて、私は――――。

「ねえ、今は誰とも付き合っていないフリーの涼太くんにお願いがあるんだけどいいかな?」

「嫌な言い回しするなあ。いいよ。それで何をさせたいの?」

「じゃあ、少しだけ目を閉じてもらえるかな?」

「なんで? なんか怖いんだけど」

「いいの、いいの。涼太くんに気合いを入れるためにこうね」

 私は手を水平に振って見せる。そうすれば涼太は背中を叩かれるか頬を叩かれるして物理的に気合いを注入されると勘違いしてくれるだろう。だから、少しくらい触れたところで気にはされないだろう。

「わ、わかった」

 涼太は私の言葉と仕草からそうされるものだと思い込んだのか、ぎゅっと目をつむり歯を食いしばる。私は素直で真っすぐで頼みを断り切れないいつもの涼太の姿にくすりと笑みがこぼれた。

「目を開けたらだめだからね。いい?」

 私の念押しに涼太は頷いて見せる。

 涼太に近づき、そっと頬に触れる。ビクッと体を強張らせるのが伝わる。

 涼太が一目ぼれをしたという初めて出会ったあの日と比べると、短くなった髪の毛を耳に掛け直し押さえながら、ゆっくり涼太に顔を近づけ、そのまま唇をそっと重ねた。

 私の初めてのキスは、初めて本気で好きになった人と交わす最初で最後の初恋を忘れるためのキス――。

 嬉しいのに寂しさを感じてしまい、出会ってから育んできた愛情を伝え、それが叶わないと分かっている悲しさに満ちたキスだった。

 今までの思い出が巡り、長くも感じたその一瞬のひとときを終え、名残惜しさを感じながらもゆっくりと唇を離す。

 この忘れようにもなかなか忘れられないであろう瞬間に、涙を涼太に見せたくなかった。

 この瞬間が思い出になったとき、私が涼太に思い出してもらいたい顔は――――。


 未だに驚いた顔をして唇に指を当てて呆けている涼太に、油断すると泣きだしてしまいそうな気持ちを必死に堪えながら、精一杯の心からの笑顔を向ける。

「涼太くんは今はフリーだから、さっきのは浮気にはならないから安心して。涼太くん、ありがとう。好きだったよ。じゃあ……またね」

 いつもの別れのようにあっさりと「またね」と口にし、小さく手を振り、涼太から少しずつ離れていく。

 涼太の姿が見えなくなると、私は声を出さずに泣いた。




 こうして私の初恋は終わりを告げる。

 そして、それは形を変えても、これから先の人生においてずっと心の内で淡い光を放ち続けるのだろう。


 まるで星の光のように何年先でも変わることなく届き続ける、そんな輝かしい初恋だった――――。

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