終わる世界のハッピーエンド【香耶・充希】

「————さん」

 助手席に座る充希が何か言う。風の音が鼓膜を支配し、充希の声は聞こえない。仕方がないので、愛車のオープンカーを停車させ、首を傾げて見せた。

「どうした、充希?」

「香耶さん、これ、何処に向かってるの?」

「んー? どこだろうね。果てかな」

「いや、何処」

「まあ、良いじゃんそういうのは。どこに行ったって、何があるわけじゃないんだし。気ままにいこうや」

「……私は、時間を無駄にしたくないの。早くあの人のもとに行って……殺さなきゃ。ゆーちゃんの仇を、取らなきゃ」

 充希は握りしめた拳銃を見つめながら、そう言う。もちろん、私が撃たれたら困るので、銃弾は預かっていた。

「……もうあと、二年しかないんだから」

「……」

 二年後に死ぬことが決定しているのだから、もう諦めれば? 

 そう言いかけたが、言葉を飲み込んで、頷く。一人で生きてきた私には、この「人に気を遣う」という行為はとても珍しいことだった。

「そうね」私は言ってから、「じゃあ、充希はどこに行きたい?」

「だから、あの人の元へ。……あの人のせいで、すべてが狂ったのよ」

 充希は顔を歪めて、拳銃を持つ手に一層力を込めた。どれだけ憎らしく思っているのかは、これを見るだけで充分だ。

「……私が元いた場所に、多分、まだいる」

 私が、ゆーちゃんを置き去りにした、あの場所に。

 そう、充希は言った。それから、遠くの建物を指さした。

「だから、えっと…あの建物を目指してください」

「……見えてんのかーい」

 言うが早いか、私はアクセルペダルを踏み込んで、車を発進させる。

「んー……」

「……?」

 唸って頭を掻く私を、不思議そうに充希は見つめる。

 着の身着のまま、旅をする予定が、どうしてこんなアヴェンジャーに付き合っているのだっけな。


『隕石が、大量に落ちてきます。避けられません』

 なんて勧告がされたのは、つい半年前。

『国が、滅びました』

 仕事が生きがいの人間たちが、そう報せたのが、三か月前。

「さて、旅にでも出るか」

 仕事を失くした私が、そう思い立ったのが、一週間前で。

「殺したい相手がいるんです」

 大切な人を亡くした充希が、私にそう言ったのが、三日前のことだった。

 充希は、拳銃を握りしめて座っていた。呆然とした表情で、ただ空を見つめていた。そんな生きる気力をなくしたようなやつを拾ったのは、ひとえに、人が珍しかったからである。話し相手というか、相棒みたいのを探していた私としては、話しかけてしまうのは致し方ないことだった。

「香耶さんが話しかけてくれてよかった……!」

 食べ物をやると、そんな風に笑うので、なんとなく庇護欲が湧いて、今に至る。

 親も兄弟もおらず、いつの間にかフリーの殺し屋をやっていた私は、そんな人っぽい表情みたいなものに慣れていないので、まあ、我ながらちょろいなあ、と思う。

「殺してやろうか、そいつ」

「自分で殺さないと意味がないの」

 事情を聞けば、好きな子を殺されたという。仕事も失くしたし、サービスしてやるかと思ったが、そうやって返ってきた。

 よくわからなかった。そこまでして自分自身で復讐したいのかと、そんなに大切だったのかと、私はピンと来ない。

 私の場合、殺し屋といっても、企業とか政府の、政治的な利権がらみの殺しをしていたので、そんな激情をもった依頼者もいなかったので、見たこともなかった。

 きっと、一生分からないだろう。あと二年しかないし。

 そんなわけで、出会ってから三日間、食料を求めて場所を移動しながら、人の殺し方とか、銃の扱い方を教えていたのだった。

「……ん」

 充希の指さしたその建物は、私の目には新鮮なものに映った。何の変哲もない、わけではない。通常、建物というのは縦長に作るのが王道だろう。数少ない土地を有効活用するために、街を作るときは空をも利用するのがうまいやり方だ。

 しかし、その建物はどちらかといえば横長で、私が見てきたどの建物よりも無駄な部分が多いように見えた。

 なんだかよくわからない建物だと思いつつ、それを目指して走っていると、充希が上着の袖を引っ張ってくる。なんだなんだ、とスピードを緩め、尋ねる。

「どした」

「あの……香耶さんに拾われるまで、私がどんなだったか、聞いてくれますか?」

「ん」

 そう言えば聞いたことが無かったと思い至る。特に興味はなかったが、充希が話したそうにしていたので、

「ああ……いいよ、暇だし」と答えた。

「ありがと」充希は緩く微笑む。私はこの表情に弱かった。「……好きな子ね、女の子だったの」

「ほお」

「……ねえ、気持ち悪いって思いますか? 女の子が好きなの」

 私は肩をすくめて見せて、「いいや。羨ましいね、私みたいなやつからすると」

「そうなの?」

「大切な人がいるの、羨ましい」

「……そっか」充希ははにかんで言う。「その子、私の事、ずっと守ってくれてて……私はずっと、その子に甘えてた」

「ずっと、ねえ。充希はそんなに危険な場所で生活していたのかな?」

「んーん。そうじゃなくて、普通に生活してても、守ってもらう場面は多くて……たとえば、誰かに悪口を言われた時とか、庇ってくれたり」

「いいやつだね」

「優しいんです」

 充希は、弾んだ声で言った。

「……?」

 そのあとに、何故か首を傾げる。

「ん?」

「いや、今一瞬、香耶さんが変な顔したから」

「……」

 そうか、変な顔をしていたか。

「いや、失礼だな。変な顔じゃないわ」

「表情ね、顔じゃなくて」

「そっか。ようわからんが。先をどーぞ」

「うん」充希は頷いて、また、笑顔を作る。「それでね、私、ゆーちゃんが大好きで…いつの間にか、恋してた。でも、結局、告白もゆーちゃんからしてもらっちゃったなあ」

「へえ」

「……その次の日だったの。隕石が落ちてくる、って言われたの」言葉とは裏腹に、充希は悲しんでいる様子では無かった。「それから共同生活が続いて、実は私は楽しくって、ゆーちゃんにいっぱい迷惑を掛けたりしたけど、あの日々は楽しかったんだ」

「結構頭いってんだね、充希」

「違うよ。ゆーちゃんがいたから、私は安心していられたんだよ」

「……ほんとに好きなんだな」

「大好き」

「はいはい」

「……私が言ってる『あの人』ってのはね、私達の担任の先生だったの」

「担任、っつーと、充希は学生だったか」

「うん。高校生。ゆーちゃんと同じクラスだったから、担任の先生も同じ人」

「ほお」

「結構信頼してたの。いい先生だったの……それに、きっと今も良い人」

「……?」

「その先生、暴動の中で、互助団体を作って、そのリーダーをやってたの」

「へえ」

「街のみんなは、その人に従って、団結して生きてた。だからきっと、良い人」

「でも、二人にとっては違ったわけか」

「そう」充希は俯いて、「私達ね、親に捨てられたの。世界が終わるって分かった途端、私の両親はどっか行っちゃったし、ゆーちゃんの家族は、心中した。ゆーちゃんは逃げてきたみたい」

「そいつぁ大変だ」

「だから私たちは、お互いしか信じられなくて、そんな共同体には属せなかった。だって、いつどうなるか分からないじゃない。家族仲が悪かったわけじゃないのに、世界が終わるって分かった途端、捨てられたんだもん。誰かが気をおかしくして、共同体の全員を殺して回ったりしても、不自然ではないでしょう?」

「まあ、あり得るだろうね」

「だから、無理だった」

「そっか。それならそれでいんじゃない? 生活できていたんでしょ?」

「うん。でも、向こうはそうじゃ無かったの。食料とか、飲料とか、尽きてきてね。私達が生活していることを知ってたから、せめてもの足しにって、攻めてきた」

「なるほど」

 それは随分、末期だ。冷静に考えて、子供が二人生活している分の食料なんて知れている。そもそも飢えていないという確証もない。そんな中で、それを充てにしようとしていたのなら、随分追い詰められていたのだろう。

 愚かだ、としか言いようがない。

「……ゆーちゃんは、私を守ってくれた」

「……」

「あの人が金属バットを持って、私達を殺しに来たとき、ゆーちゃんは私を庇ってくれて、それで、私は逃げられた……殴られて、叩きつけられて、殺されてるゆーちゃんを背中に感じながら、私、ずっと走ったの」

「……よく逃げ切れたね。追ってこなかったの? 相手は一人じゃないんでしょ?」

「もう、憶えてない。その次に記憶してるのが、香耶さんに声をかけられたところだったから」

「そっか」

 そんな中で、銃を拾った。

 銃だけは拾った。

 充希の中には憎しみや復讐心だけが残って、それを果たすための道具だけは求めたのだ。

「……」

 殺し屋なんて生き方を選択した私は、悠々自適の旅に出た。平穏な生活をしていた充希は、ピストルを手に取った。

 なんて逆転した世界だろう。

「がんばったね」

 私は充希の頭に手を載せる。ただ、なんとなくである。

「……ありがと。思ったより優しいよね、香耶さんって」

「自分でもびっくり」

 私は肩をすくめて見せた。


 その日は、結局、目的地にはたどり着けなかった。暴動で壊されなかった建造物がある程度残っているとはいえ、やはり見通しは良くなっていて、遠くのものまで見えてしまうのだろう。思ったより遠く、二、三日は見ておいた方が良さそうだった。

 適当な場所に車を停め、テントを張る。外では焚火をしていた。

 これは、外敵がやってきたときのためだ。大きな影ができるので、危害を加えられる前に殺せるのだ。

 一人の時は、こんなことしなかった。死んでもいいし、そうでなければ返り討ちにできるからだ。

 しかし今は、充希を守らなくてはならない。

「……」

 しかしこうして、テントの中で眠っている充希を見ると、そんな思いもなんとなく払拭されるのだった。

 口を少し開けて、心地よさそうに眠っている。

 胸の奥に雑草が生えたようだった。胸に手を当て、それをむしってしまおうと思ったが、そんなに奥まで手が届かなかった。

「なんだこれ」

 充希を見てると、その雑草が風に揺れる。そのせいかは知らないが、呼吸がしづらかった。

「お前のせいだぞ、たぶん」

 充希の頬をむにむにつつきながら、言った。

 それから、考える。

 充希の復讐が成功したら、充希は、ちゃんと生きるんだろうか。

 私なんかに頼るほど、復讐にかけている。しかし、その最大の理由である『ゆーちゃん』はもう、この世にはいない。

 そんな世界を、充希は生きるのだろうか。

「……んあ、かえさん、おひゃよー……」

「まだ寝てな」

「うん……おやすみー……」

 死んでほしくないなあ、と思う。

 そんな人は、生まれて初めてだった。

 

 目的地までは結構あり、充希は少し焦った様子だったが、それでも、空いた時間にピストルの練習や体術を実践したりと、時間を無駄にはしなかった。

 到着したのは、出発してから一週間弱、経過してからだった。距離としてはそこまで離れていたわけでは無い。ただ、瓦礫などの障害物で、直線では移動できなかったのだ。

「……なるほど」

 充希はドアを開いて、そろそろと車を降りる。私はドアを跨いで、車を降りた。

 育ちの違いが出るなあ、と思いつつ、辺りを見回す。

 着いた先は、件の建物以外はほとんど瓦礫で埋まっていた。ついて来て、と充希が言うので、充希の後ろについて、歩き始めた。

 いくら進んでも、景色が変わらなかった。建物が軒並み壊されていて、瓦礫の山が放置されている。私のいたところでは、清掃をしたがる人間がいたので、割と清潔感を保っていたのだが。

「ねえ……充希がいたときも、こんなんだった?」

「いや……もっと、家とか、あったと思う」

「そっか」

「それに、人の気配もない。来る前はもっと、ちゃんと街だったような……」

 まあ、予想はつく。

「餓死だろ、餓死」

「そうなの?」

「わかんないけど、見たところスーパーとかコンビニとかもなくなってるみたいだし、食料の確保も難しそうだ」

「……そう、香耶さん、ガソリンスタンドがあったのびっくりしたよ」

「私のいたところでは結構残ってたけどね。仕事大好き人間が趣味の延長みたいにして」

「結構ちがうもんだね……」

 充希がこちらを向いて困ったように微笑んだ。瓦礫に足を取られ、バランスを崩したので、私は慌てて肩を支える。

「っぶない」

「あ、ありがと、香耶さん……でも、私だって、これで転ぶようなドジじゃないよ?」

「ほんとかね」確かに過剰反応だったかもしれない、と少し恥じ入る。「で、これどこに向かってんの?」私は誤魔化す様に言う。

「……私たちの、アジト」

「充希と……」

「ゆーちゃんの」

「……」

「『あの人』がいる場所の、途中にあるんです。大丈夫、時間は無駄にはなりません」

「……まあ、そんなことを気にしてはないけどさ」

 心配なのは、その心だ。充希の話を聞く限りでは、充希にとって、やりきれない別れになっている。それがフラッシュバックして、不安定になったりしないか、心配だった。

「……」

 人に心があるなんて、そんなことを意識したのは何年ぶりだろう。

 そしてそれが壊れるものだと、そんなことを思ったのは。

 しばらく、私達は黙って歩き続けた。転ばないよう、手を繋いだままだ。

 やがて、充希の息遣いが荒くなっていく。緊張しているのだと分かった。

 充希の脚が止まった。

「……ここ、私達のアジト」

 そこには、民家があった。壊され、瓦礫と化して、見る影もない。足元に、屋根のようなものがあるので、辛うじて分かった。

「どっちの家?」

「私の家。ゆーちゃんの家には死体があるから。……ゆーちゃん家族の、死体があるから」

「なるほどね」

 どういう死に方かは知らないが、首つりだったら見た目が悪すぎる。さらに言うなら死臭もする。そんな環境で生活していたら、死にたくなることは目に見えている。死体のない方に住んだのは、賢明な判断だろう。

「ゆーちゃんの死体……埋葬していい?」

「ああ、良いよ」

 それが目的か、と納得する。私は屋根だったと思しきものを、持ち上げる。ぱらぱら、と瓦礫の音がした。

 その子の死体があるとするなら、下敷きになって、もうボロボロだろう。

「……ない?」

「みたいね」

 第一印象で、予想はしていた。そもそも、家として、パーツが足りていない。

「『ゆーちゃん』の家は、平屋だったのかな?」

「いや……二階建てだった」

「木造っぽいよね」

「そうですね」

「じゃあ、持ってかれたんでしょ……薪みたいに使うんじゃない?」

「……ゆーちゃんの死体も?」

「薪にされたんじゃない?」

「……」充希は目に涙をためる。唇を噛む。立ったまま、全身を震わせ、耐えているようだった。「……なんて……なんて、むごい」

「……」

「……殺してやる……確実に殺してやる」

「……まあ、頑張んなよ」

 私には、そう言うことが精いっぱいだった。

 もしかしたら食べられたのかもね。

 そんな考えが頭に浮かんだが、流石に、言うのは憚られる。予想でしかないし、充希がどうなってしまうか、わからないからだ。

「いこう、もうすぐだよ、あの人のアジトは」

 それを受け、持っていた天井の端を離す。ばん、と一つ大きな音が鳴って、粉塵が舞い散った。

 充希は、早足に進む。前傾姿勢で、感情を隠すように真顔を保っていた。それでも時たま、顔を歪める。憎しみが溢れて、耐えきれないというようだった。

 私が殺した人間の中にも、いたのだろうか。こんなふうに想ってくれる、『大切な人』を持つものはいたのだろうか。

 こんな風に、私は憎しみを向けられる対象になっていたのだろうか。

 そんなことを考えながら、充希の背後を付いて行く。

「……香耶さん、着いた」

 充希が足を止める。そこは学校の校舎のような建物だった。

 『あの人』が高校の教師で、彼が形成していた団体が大人数だったことを考えると、ここを根城にするのも、妥当ではあった。

「充希たちが通ってた学校?」

「そう」

「ふうん」

「……じゃあ、行ってくる」

 そう言って、充希が学校の敷地に入ろうとするので、肩を掴んで、それを止める。またバランスを崩しそうになった。

「なに」

「……私が先に行って、見張りがいないか見てくるよ。『あの人』を殺す前に、雑魚に殺されたくはないだろう?」

「……確かに。ありがと、お願いするよ」

 快活な笑みではない。引き攣った笑い方で、充希は言った。

「……ま、その間に落ち着きな」

 緊張をほぐす意味合いも込めて、充希の頭を撫でた。

 私は充希が入ろうとした門を、ジャンプして跨いだ。開けたら作動するものもあるからだ。まあ、体温センサなどがあったら無意味だが。

 おそらくグラウンドとして使われていただろう場所を、早足で突っ切る。この時点で気付かれたら、セキュリティが飛んでくるはずである。

 が。

「……?」

 特段誰が来るわけでも無く、建物の入口へたどり着く。さらに、その扉は施錠されていなかった。

 直後、その理由がわかる。

「……っ」

 建物の中は、死臭が充満していたのだ。


 一通り建物の中を調べた後、充希の元へ戻った。

「……」何を言うべきか考えてから、「死体は、平気?」

「えっ」

「誰も生きてないよ。すべての人間が死んでる。……その、リーダーらしき人間すらいなかった。もしかしたら、私が入ってきたことを知って、隠れてただけかもしれないけど」

「……それを見逃す香耶さんではないと思うけれど」

「……どうかな」

 よくわかっている、と思った。

「……どうする?」

「そうですね」充希は言ってから、「食料を、調達しよう」

「わかった」

 ないとは思う。しかし、それはたぶん充希も解っていて、本当の目的は別にあるのだろう。

 死体に慣れておく、とか。

「いこっか」

 充希は門を開いて入る。ざ、ざ、と重い足取りでグラウンドを横切る。

 何かを予見していたのかもしれない。充希は、私の方を振り返りつつ、前へ進んだ。

 私に、止めて欲しかったのかもしれない。行かなくていい、とそう言って欲しかったのかもしれない。

 扉はひらっきぱなしである。私が入って、そのままだ。

「……うっ」

 充希は、その匂いで、扉を目前に立ち止まる。

「どうする?」

「……いくよ。いかなきゃ」

 充希がそう決意して、扉の中へ足を踏み入れた。

「……!」

「うあああああああ!」

 中から男が出てくる。一人だけ生きて居る人間がいたのだ。きっと、充希が弱そうだったので襲ってきたのだろう。

 私は充希を手で退かし、その男の首を捕らえ、意識を落とした。

 どさり、と男が倒れ込む。殺すことも出来たが、充希の前では殺すのが躊躇われた。

「……こいつ、頭おかしいんじゃないの。こんな中に、よく住めるな」

「……」

 私に押しのけられ、倒れた状態のままで、黙っていた。

 呆然とし、目の焦点があっていないようだった。

「……なあ、充希、この男? 探してた『あの人』ってのは」

「……違う。全然違う」

「そっか」

「……こんなはずじゃなかった」

「え?」

 充希はゆっくり指をさす。その先は、建物へ続く扉だった。

 今さっき、狂った男の出てきた、死体だらけの建物へと続く、半開きの扉。

「そこ、一番前で死んでるそれ。……その人が、『あの人』」

「……。なんでこんなとこで死んでんの?」

 充希はため息を一つはいた。そんなのこっちが知りたい、と言外に言っているようだった。

 それから、空を仰ぐ。それは、出会った時の充希のように、抜け殻のような表情で。

「……ピストルかして」

「だめ」

「なんで」

「今の充希は信用できない」

「信用って……別に香耶さんを撃ったりしないよ」

「いや、自殺するだろ」

「……失礼な。一区切りつけるだけだよ。そこの死体を一回撃って、はい終わり。私の復讐は、それで終わりだよ」

「……それなら」

 そう言って、私は懐からピストルを取り出し、充希に放り投げた。

 充希の前に転がったそれを受けとると、充希は迷わず、自分の頭に銃口を向けた。

「……いま、行くから」

「……!」

 私はすぐに駆け寄って手を弾こうとするが、それより早く、充希は引き金を引いた。

 が。

 かち。

 そう鳴っただけで、何も起こらなかった。

 充希の手から拳銃を取り上げ、目線を合わせた。

「そうなると思って、弾は入れてなかったんだよ」

「……殺して」

「どうして?」

「生きてても意味ないから……ゆーちゃんもいないし、この人死んでるし、何で私だけ生きてるのか、わかんないよ」

「……意味なんかないでしょ」

「なら死んだって良いでしょ」

「死んじゃ、駄目だ」

「どうして?」

「それは……」私は、真意を伝えようか、迷った。しかし、今言わなければ後悔するかもしれない。そう思うと、感じていた抵抗も、なくなっていく。

 言葉が、勝手に口からこぼれる。「寂しいから」

「……」

「充希がいなくなったら寂しいよ。充希が大切だって、そう思うよ」

「どうして。どうしてそう思うの? たかが一週間くらい一緒にいただけじゃん。私の何が大切なの? どこが大切なの? 私の何を知っているの? 私たちの……私とゆーちゃんの、何を知っているの?」

「……知らない。何にも知らないから、知りたいって思うよ。そんな人初めてだったから、充希は、私にとって大切な人なんだと思う。どこが大切かって、そんなの言葉にできないけど」私は言ってから、「充希が傷つくのは、嫌だ」

「……知らないよ、そんなの。いきなりそんなこと言われても困るし。暇つぶしでしょ、どうせ。なら、私じゃなくってもいいじゃん。香耶さんに、付き合わせないでよ……迷惑だよ」

 充希は目を逸らして言う。後ろめたさが滲んでいる気がした。

 誰に対してだろう。私にこんな事を言っていることにか、あるいは、自分だけ生きていることにか、後者だったら、私は、どうするべきなんだろう。

「……暇つぶしだよ。だけど私は、充希で暇つぶししたい」

「意味わかんない」

「充希が好き」

「やめて」

「初めて、私の隣で、笑ってくれた人だから、好き。一緒にいてほしい」

「やめてよ!」充希は語調を強めた。逸らした目から、涙が零れる。「私に、優しくしないで……! 好きな人を見捨てて、復讐もまともにできない、こんな私を……! なんで、なんで死んでんのよ! こいつが、すべての元凶だと、こいつを殺したらきっと二人で幸せになれると思ったのに! 死んでんのに、何で私は今、こんなにつらいの? ゆーちゃんはなんでここにいないの?」

「……」

「そんなの……決まってんだよ……私が全部悪いんでしょ……? あのとき、ゆーちゃんを見捨てて逃げたから、今、こんななんでしょ? わかってるよ……復讐だって、ただの自己満足だって、自慰行為だって、わかってたよ! でも、しょうがないじゃん。これくらいしか、思い浮かばなかったしこいつが元凶だと思ってたんだから。普通に考えたらそんなわけないのに……ばかだ……私は馬鹿だよ。こんなやつ、生きてても仕方ないじゃん……もう殺してよ、その銃で、私の、脳天を撃って」

「やだよ」

「私の事大切だって言うなら……殺して」

「絶対やだ」

 私は頑なに言う。充希だけは死なせないと決めたのだ。たぶん、たった今。だから私は、絶対に折れるわけにはいかなかった。

 銃を懐に仕舞い、充希の頬を撫でる。それから、頭に軽く触れる。

「充希が自分勝手なのと同じくらい、私も自分勝手だから、それでも生きてほしい。充希はきっと、これから先、後悔と悲しさと罪悪感を背負って生きて行かなきゃいけないだろうけど……でも、そうなったら、私に言ってよ。全部話して? なんにもできないけど、はけ口くらいにはなるし、きっと、どんな充希も受け止めるからさ」

「……」充希は項垂れる。頑固な私に嫌気がさしているのだろう。やがて、ゆっくり口を開いた。「……優しくしないで」

「むり」

「……私を殺して」

「やだ」

「……」少し黙ってから、言った。「……じゃあ、せめて」

 充希は逸らしていた眼を私に向ける。当たり前だが濡れていて、太陽に反射して眩しく光っていた。


「————さん」

 走行中。隣の彼女が私の裾を引っ張るので、私は車を停車させ、首を傾げる。

「どうした?」

「香耶さん、これ、何処に向かってるの?」

「……わっかんないけど。とりあえず、ガソリンスタンド?」

「ああ、成る程。分かった」

「……」

 充希の復讐が失敗してから、もうすぐ一か月近くが経とうとしていた。充希はもう、死のうとしていなかった。復讐なんかももうやめて、殺しのテクニックを教えることも無くなった。

 ただ一つ、変わったことがあった。

 私は車を低速にして、隣の彼女に話しかけた。

「ねえ、充希」

 反応しないことは解っていた。ただ、少しその名前が懐かしくなって、呼んでみただけだった。

 きっともう、口にすることは無いだろう。

「……ねえ、悠」

「なに、香耶さん?」

「どこへ行きたい? 一応、目的みたいなものがあった方が良いと思って」

「あー……」

 首を傾げ、考える彼女は、もう充希ではない。

 『ゆーちゃん』だった。

「……野球が観たい!」

「それは、うーん……球場に行きゃいいのかな……?」

 あの日、復讐に失敗したあの日、充希は言った。

『じゃあせめて……ゆーちゃんとして生きさせて。ゆーちゃんには、生きててほしいから』

 一瞬間、何を言っているか分からなかった。けれど、すぐに『彼女』は立ちあがって、かえろう、と言うので、まあ生きて行くのならそれで良いか、という気分になった。

 そうして、充希は悠になって、私は悠と旅をする。

 きっと、二年後、地球が終わるその時まで、彼女と一緒にいるのだと思う。

「……香耶さん」

「ん?」

「『私』は、香耶さんのことを一生許さないと思う……自分のことも、絶対に」

「……うん」

「でも、最期まで一緒にいたげる。香耶さんに、付き合ってあげる」『彼女』は言って、少し笑った。「どうせ、二年後に終わるんだもんね」

「そうね……ありがと」

「うん」

「……」

 彼女が頷いたのを見て、少し考える。

 たぶん、隕石でも無ければ一生知らなかっただろう感情を知って、私は二年後やっぱり死にたくなくなるのだろうか。もっと生きたいと、彼女と共にいろんなものを見たいと、そんな風に思うのだろうか。

 上手く想像できなかった。

 その時になってみないと分からないけれど。

 けれど。

 もしもそんな感情を抱いたのならば。その感情を持ったまま死ねたのなら、それはきっと、ハッピーエンドということになるのだろう。

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彼女らの秘めた想い 成澤 柊真 @youshi

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