父と私はウマが合わない
ウマ
第1話 暴れ馬
父はやさしい人だった。
例えるならばヤギ、あるいはヒツジ、もしくはウマ。のんびりとした草食動物。何事も受け入れ、温かみのある答えを返す。仕事もできる。頭もよく、物知りだ。
けれど、誰しもがそういう人とウマが合うわけではないのは——当然のことだと、私は思う。
平成二十九年、四月二十二日。父は怒った。
お風呂に入ることは湯船に浸かることであり、シャワーだけで済ませることではないんだからと。リンゴマークのタブレットで日本人の感性を語るページを開き、いいから読みなさいとバスの中で大声を出す。私はむかつきを覚えると同時に、諦めていた。こうやってバスの中で突然、発作が始まるのは稀ではない。またこれかという、見飽きたギャグを見せられている気分になった。
ことの発端は、父がシャワーを浴びることはお風呂に入るとは言わない、となぜかシャワー派を全否定するようなことを言いだし、私がお風呂に入る、イコール湯船に浸かるではないと語彙を荒げながら申し立てたことだった。と思う。父の地雷はその界隈のオタクよりもよくわからないから、推測だ。というか多分、論点はどうでもいいのだと思う。怒りたいだけ、あるいは私の態度が気にくわなかったかのどちらかだ。今回は後者だろう。その数十分前はゴールデンウィークをいかにして過ごすかを楽しく計画していたのだから。
父は例のごとく、顔を真っ赤にして怒りをあらわにし、駅に私を置き去りにして一人でバス停へ向かった。これも珍しくないため、知っている土地で良かったと呑気に構え、とても隣にいたくはないのでわざとゆっくり後を追った。というか、普段でさえ早足気味の父に合わせ競歩なのに、あれでは、私は全力疾走しなければならないだろう。身長、つまるところの足のリーチ、成人男性と女子高生の体力などを考慮してもらいたい。
とにかくおひとりで帰りたい気分になったらしい父は私を置いていったが、律儀にも乗るバスは同じ、席は隣と、随分気前がいい。かくいう私は、人通りがあるとはいえ真夜中に十六歳を放り出しておいてこういうところだけ気を遣われても、という気持ちであった。そして父は、怒ったのである。
なぜ父はシャワーをお風呂に入ることに含めないのかはよくわからないし、それが大多数の意見だと主張するのはもう好きにしてくれという感じなのだが、私はシャワーだけで済ませることに何の不利益も感じていないのだ。眠れていないわけでもないし、美容に悩んでいるわけでもないし。というか、湯船に浸かろうがなんでもいいのだが、シャワーだけの入浴を否定する理由はどこにもないはずである。だというのに湯船湯船。うるせえ、勝手に浸かってろ。でかでかと書かれている、日本人特有の感性というフレーズが可哀想だった。
もっと理不尽なのが、父は私が夜の風呂をさぼると、父も入らないのである。私は朝にシャワーを浴びるからなのだが、父は日課にしているわけでもない。疲れが取れると声高に主張し、湯船派を貫くのであれば、面倒だからという理由でシャワーで済ます私を非難する前に自分が毎日、風呂を沸かしてほしい。私にさせたいがために、私に湯船に浸かることを強制しないでほしい。そんな願いは、欲深いのだろうか。
まだある。父はある時こういった。シャワーのほうがガス代が掛かると。しかし、私よりも父のほうがシャワーを浴びている時間は長いのだ。以前、計測してみたのだが、私はどれだけ長くても三十分以上は風呂場に滞在できないタイプであり、シャワーを浴びている時間は三分前後だ。ちなみに父は流しっぱなしなので十二分近くシャワーを浴びている。いやいや。いやいやいや。しかも父はさらにお湯を貯めるので、私よりも断然ガス代が掛かっているはずである。
ため息も出ない。唖然だ、唖然。胃が痛み、白髪が増えるのを感じる。齢十六にしながら、髪は段々とはつらつさを失いつつある。縮毛を掛け、染めるまでは元気でいてほしい。心からそう願う。
これは、私が感じている不当さは、思春期故の、子供じみた反抗心からなのだろうか。違うと信じたいのは、やっぱり思春期だからなのだろう。
突然だが、身の上話をさせてもらう。第一話をお送りするに当たって、説明が多くなるのが、覚えなくてもいいのでスクロールバーを適度に動かしながら流し読みするといいだろう。
父と母は十数年間、別居生活を送っており、私が高校へ入学すると共に離婚。親権は父の手に渡った。十は離れている兄と姉は父親が違い、母の連れ子。
父はカメラマンや記者などの遍歴を経て、ナントカ相談事業所を設立。母は通信業で細々と、しかし図太く稼ぎ、兄は工場で指を減らす毎日。姉は家事手伝いという名目で家に引きこもっている。いわゆるニートだ。
私は幼少期から小学生になる間を父と過ごしていたが、その後高校生になるまで母の家で厄介になり、父とはたまに小遣いをせびる程度の関係にまでなり下がった。過去の経験から、父と親しくしても金銭以外で得がないことを知っていたからだ。損得で考えるのは私の癖であり、治したいと常々思っているのだが、こと父に関しては英断だと思う。
それほど珍しくもない家族構成であることは重々承知している。死別しているのでもないし、私自体が、個別に対立関係にあるわけでもない。金銭にも困っていないし、成績も中の下なので焦るほどではない。ご飯は毎日食べている。お風呂だって入れる。お小遣いももらえる。スマートフォンはできるし、パーソナルコンピューターも与えられた。不自由のない暮らしを送っている。しかもちょっと豪華バージョン。愛を感じない、などとのたまうつもりもない。充分に愛されていると実感している。
それはもう、痛いぐらいに。
前提はここまでだ。とにかく私は高校に入学するまで、父を避けて避けて避けまくってきた。その理由をこれまた説明しなければならないだろう。
今度こそ簡潔に要点だけをかいつまもう。
父はメールが大好きな人だった。まだスマートフォンなどがない時代である。とうとう市場から消えたと噂される、モノホンの携帯である。ガラケーである。私は手に入れたばかりであるピンク色の子供ケータイを早々に手放したがっていた。通知が鳴り止まないのだ。一日に二通は届いていた。一ヵ月で百通は越えていた。消すのが大変だったので、よく覚えている。届くのは、わけのわからない怒りメールだったり、不気味にやさしいメールだったり、宗教の勧誘のような哲学めいたものもあった。離れて暮らす娘が心配なのだと、電源を落とすことを覚えた中学生の私は思ったものだが、今ではそれも懐疑的である。実際、疑っていたからこそ父との対面は控えていたのだろう。
次に、突発的な怒りと理不尽な対応である。覚えている限り、初めては四歳の頃だ。歯みがきをするので嫌がりながらもおとなしく待ちぼうけていた私は、運悪く騒音を撒き散らした車のせいで歯みがきに呼ばれたことに気付かなかった。そのことに父は激怒した。厄介なことに、そのときの父は走るのではなく叩いてしまった。もちろん、私をである。父は私を嘘つきとなじり、しばらくして泣きながら抱きしめ、謝罪を繰り返した。嘘の概念もよくわかっていない年頃だった。なぜ怒られたのかも、なぜ泣いているのかもわからず、ただ茫然と、鼻水と涙を垂れ流していた。
とにかく、私は父と、何か、すれ違いのようなものを感じていた。
そのたび父は怒り狂った。箸を折った。風呂で暴れた。床を踏み荒らし、見知らぬ土地に置いていき、物に当たり、怒鳴り叫んだ。父はただただ思いのままをぶつけてくるが、私は自分よりも二十は上の大の大人が感情剥き出しに襲い掛かってくるのを、冷えた目で流すことしかできなかった。
次第に私は父を信用することができなくなっていった。当然の帰結だと思う。
母は言った。お母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも、それからあんたも、お父さんとは違う星なのよと。
兄は言った。あの野郎は、次会うことがあれば一発ぐらいはぶん殴ってやるからなと。
姉は言った。電話帳から消してお母さんに離婚してと頼みなと。
父、大ブーイングの嵐である。
父にもいいところはあるし、いい人だ。でも、家族の間ではそれはもう散々な評価だった。私は幼かったので、すべてを批判することはできなかったが、それでも父は苦手だった。やさしいしぬいぐるみも買ってくれる。
だけど——強いて言うなら、大人げない。
私が父にくだした最終的な評価は、あまりにも子供じみていたが、どうにも的を得ているようだった。
この物語は、父と私の、ウマが合わない話を延々と繰り返すだけの物語である。
父と私はウマが合わない ウマ @uma89
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