第7話 ~ シ# ~

 彼はその足で、街が一望できる小高い丘に昇っていった。


 春の宵闇に新緑の息吹が溶け込んでいた。風が吹くたびに梢がさらさらと鳴って、耳に心地よいBGMを奏でていた。

 自然の演奏がすばらしい前座を務めてくれていた。見下ろした街にぽつりぽつりと灯りがともりはじめ、まるで拍手をしているように見えたってさ。

 

 コホンとわざとらしい咳払いを一つかましてから、彼は大きく息を吸い込んだ。

 今にも降ってきそうな星が瞬く夜空に向かって、大きく腕を振るった。


 手にはお姉さんがつくってくれた指揮棒タクト

 着ているのはわざわざレンタルしてきたタキシード。

 蝶ネクタイを華麗に揺らしながら、彼は心の底から楽しそうに、音とたわむれた。

 もちろん、躰中が揺れっぱなしの踊りっぱなしだった。


 一等星の瞬きが、その先にへばりついているような指揮棒タクトを、彼が優雅な仕草で振るたびに、夜空は七色に彩られた。


 星も月も七つの色に輝いた。

 これでもかっていうくらい、キラキラと大量に光の粒が舞って、音が幾重にもきらめいた。

 至るところで花火を打ち上げて、世界を祝福しているかのような、最高にすてきなお祭り騒ぎ。

 夜空が観客。そして世界中の人達がオーケストラ。

 空気そのものが、楽しげに踊り、笑っていたんだ。


 それは三分ちょっとのショータイム。

 でも、世界中の人間が参加した、史上初、驚天動地のショータイム。


 覚えているだろ?

 担当したのは、確か『ファ』の音階だったな。

 人前であんなに気持ちよく歌えたのは、後にも先にもあのときだけだ。


 そう、彼は世界を七つに分けて、それぞれに音階を配ったんだ。


 そしてそれを一斉に歌わせるよう、心を操ったんだ。

 あのあたたかくて、やさしい歌をね。


 あのとき、確かに、空はどれ見ても同じだったよ。

 最後のフレーズの余韻が、七色にはじけ輝く夜空に溶けていった瞬間の、あのなんともいえない一体感っていったらなかったなあ。


 みんながみんな、とびっきりの笑顔になって、近くの人達の顔を覗きたくて仕方なくって。その後は自発的に歌い出す人とかもいたりしてさ。

 最高に『ラヴ&ピース』って感じだったよ。


 後はみんなが知っている通りだ。


 まだまだ悪意はそこら中に転がっているけれど、なんとなくだいぶマシになったような気がするのは、みんな同じはずだよ。

 少なくとも、『世界平和』をたとえ三分間だけだったにせよ、実際に体験したんだし。

 また、隣の人の笑顔が見てみたいって、そう思えるようになっただろ?


 能力の副作用で声を失ってしまっていたお姉さんも、一緒に大声で歌うことができたそうなんだ。

 しかも、驚いたことにそれがきっかけで、声が戻ってきたっていうんだから、さすがだよ。小さなハッピーまで、おまけしてくれるとは。


 まったく、本当にたいした奴だよ、彼は。


 彼がその後どうしてるかって?

 決まっている。

 今までと変わらず、友達を驚かせては、腹を抱えて笑っているよ。

 時々、あの歌を聞こえよがしに口ずさみながらね。

 どうも、そうやってひそかに優越感にひたっているみたいだよ。


 だけど、能力使用の副作用で、彼が失ってしまったものがあるんだ。

 どうもあれ以来、あんなに優れていた音感がちょっとおかしくなってしまったみたいなんだ。

 たぶん『シ』の音階じゃないかと思う。見事に半音ずれてしまうんだよ。

 だから、彼がいくら自慢気にあの歌を口ずさんでも、誰も気づいちゃくれないってわけさ。


 まあ、彼自身はとても気持ちよさそうに歌っているから、それはそれでいいんじゃないかなって思うことにしている。

 言っておくけれど、絶対に彼には内緒だからね。

 だって、あんなに楽しそうに歌っているんだからさ。




                          了

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空はどれ見ても 庵童音住 @namegame1114

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