第2話
ベッドに横たわる女性は声をかけようと依然として目を覚まさない。
本当であれば体をゆすったりするかもしれないがそれはできない。
彼女は怪我人でありここは病室なのだ。
「有希、もう半年になるな。大学のみんながすごく心配してるよ。早く目を覚ましてくれな」
有希からの返答はない。まるで独り言のように健太の声は響いた。
すると病室の入り口のドアが開いた。そこにはすらりと背の高い栗色の髪を持つ女性が立っていた。
有希の母親だ。
有希は母親に似たんだなと健太は思っていた。
「あら、綺麗なお花」
有希の母親はベッドに近づいてくるなり言った。
この花は健太が用意したものだ。
花が好きな有希はバイト先に花屋を選ぶ程だった。その彼女が一番好きな花を選んだ。
「健太くんだったかしら?
いつもありがとうね。有希とは良い関係なの?」
有希の母親は健太のことを有希の恋人と思っているようだ。
それに対し健太は
「ええ、まあ」
と、なんとも歯切れの悪い返答をする。
実際のところは恋人同士とは遠い関係である。
子供の頃から変わらず人見知りをする健太はそれ以上会話を続けられなく、沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは有希の母親だ。
「もうあれから半年になるのよね」
半年前、有希はバイト先に向かう最中に車に跳ねられた。幸い体に傷が残るほどの怪我はなかったものの脳にダメージが大きく今でも意識が戻らないままだった。
医師からもいつ意識が戻るのか、またこのまま戻らないのかは、はっきりしないようだ。
連日たくさんの友人が見舞いに来ているようだが毎日のように来るのは健太くらいだ。
相変わらず人付き合いはあまりしていない健太は友人とどこか遊びに出ることはほぼ無いので向かうところといえば有希のいるこの病室だった。
「健太くんは有希が小学生の頃からの付き合いなのよね。その頃うちに遊びに来たりしてたかしら?」
いまいち有希の母親は健太の印象が薄いようだ。
少しの間のあと健太は小学生時代の話をし始めた。
●本文2-2
有希が転校した日の朝礼後、普段はほとんど誰も近寄ったりしてこない健太の机の近くには人だかりができていた。
もちろん目当ては転校生の有希なのだが。
「前住んでいたところはどんな場所なの?」
「今度この辺で遊べるところ紹介するよ」
立て続けに色々な口から質問などが発せられる。
少し困惑した様子ながらも笑顔で答えていっていた。
健太もこの輪に入りたいと思いはしたが結局自分の席に腰かけたままでいた。
友人との付き合いは初めの声掛けさえ済ませれば大抵は仲が悪くなることはないのは健太も知ってはいたがそれができなかった。
有希から見たら健太は話しかけにくい暗い人だと思われたに違いないと健太は確信していた。
それからしばらく転校生の人気も徐々に落ち着いてくるまでの間は席が隣同士であるにも関わらず有希とはほとんど会話をすることはなかった。
ほとんど接点のない二人だったがある日意外な接点があることがわかった。
それは昼休みに健太が図書室から借りた本を返そうとしていたところだった。
「あ、健太くんも本読むの?」
聞き馴染みのある声が聞こえたので振り返るとそこには有希がいた。
「う、うん。まあまあ読むかな」
突然だったので健太は緊張してうまく声が出なかった。
「相原さんも本読むの?」
せっかくのチャンスだと思い健太はなんとか話を繋げようとした。
「有希ちゃんでいいよ。他のみんなもそう呼んでるし」
有希は笑顔でそう言った。
健太は有希に認められたように感じた。
聞くと有希は前の学校でもよく図書室で本を読んでいたようだ。
有希のような明るい子が読書をすることを意外に健太は感じた。
「私ね、よく明るくて元気な子って友達から思われるんだけどホントは病気がちで体を動かしたり外で遊んだりするよりもこうやって本を読んでる方が好きなんだ」
意外な共通点が見つかったことで健太も話しやすくなり休み時間の間好きな本について熱く話し合った。
「久しぶりにこんなに本のこと話したなあ。健太くんはいろんな本知ってるんだね。また聞かせてね」
そう言って間も無く鳴るであろう休み時間が終わるチャイムに備えて教室へ戻っていった。
それからは教室では相変わらずそんなに話すことのなかった健太と有希だったが休み時間に図書室で静かに本のこと語り合うようになった。
健太はそれを二人だけの秘密ができたように感じて嬉しく思った。
二人の不思議な関係は小学生卒業まで続いた。
迎えた小学校卒業式の前日。いつものように図書館で話していた健太と有希であったがこの日は本の話以外に健太にとっては衝撃のことが有希から語られた。
「私、卒業したらまた遠くに引っ越すことになったんだ」
有希の父親が仕事上、転勤の多いため引っ越すことも多くなってしまうようだ。
距離も電車だと3時間以上離れたところに引っ越すとのことだ。
健太は当然有希も同じ中学に進学するものと思っていたためこの事実を聞いたときは驚き過ぎてしばらく何も言えなかった。
「他の友達にはもっと前に言ってたんだけど健太くんには教えるの遅くなっちゃってごめんね」
と有希が言う。
他の友達にはすでに教えていたことに健太はショックを受けた。
健太は有希にとって特別な存在になっていると思い込んでいたのに実際は有希の言う『友達』としてすら認識されていなかったのかと思って絶望した。
健太は二重のショックを受け本当に何も言えなくなってしまった。
「あ、そろそろ時間だね。教室に戻ろう」
有希はいつもの調子で話す。
健太はショックを抑えられないままで卒業式を迎えた。
卒業式の日、昨日の事実を知ってしまったため健太は有希と全く会話できなかった。有希の周りには『友達』がたくさんいるから健太が入り込む余地はなかった。
健太は卒業式の余韻に浸ることなく両親と共にすぐに帰宅した。特に泣くことも笑うこともなく暗い表情で、、
あれだけ図書館で話をした仲なのに有希には友達として認識されていなかったのか。あのときなんて返事をしたら良かったのかいろんなことが健太の頭の中を駆け巡った。
当時携帯電話も持っていなく有希の連絡先を控えたりなど出来ず小学校の卒業式を最後に有希とは長い間会うことはなかった。しかし健太の中に大きく彼女の存在は残り続け中学、高校と何かの拍子にふと思い出すことがある程だった。
健太と有希の出会いはとても悲しい結末を迎えたのだった。
しかし大学入学後、健太は目を疑うことになるのであった。
忘れられた男 @yu-rin
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