鰮の弔い

阿井上夫

鰮の弔い

 海の中では 何万の

 鰮のとむらい するだろう。

 ~ 金子みすゞ「大漁」より抜粋 ~


 *


 私が生まれた町は、昭和三十年代前半まで港町として栄えていた。

 また、第二次世界大戦以前は漁師町として、戦時中は物資の積出港として、戦後は朝鮮戦争時の輸出港として、時代にあわせて特需のお零れにありついていた。

 私が五歳ぐらいの頃の覚束ない記憶でも、当時の町は全体的に豊かで、賑やかで、活気があったような気がする。しかし、それゆえ、

「次に来る構造変化の波にも、上手く乗ることができるだろう」

 という根拠のない自信が町中に蔓延し、誰もが未来を楽観的に捉えていた結果、実際に波がやってきた時には完全に乗り遅れていた。

 次の波――高度成長期には、道路交通網の整備が一気に進み、物流手段が船から車にシフトしたからである。

 さらには不況の波が押し寄せ、中小規模の似たような積出港は軒並み衰退した。こちらの波には遅れることなく見事に乗ることが出来たから、皮肉なものである。

 そして、今もなお港湾地区の一角には、戦前から戦中にかけて建てられた赤煉瓦倉庫がいくつか残されている。

 それらは華やかだった時代から取り残されて年老いてゆく娼婦のように、過去の煌びやかな日々を夢に見ながら、雑多な品物の安易な置場として細々と息を繋いでいた。


 そして、私がこの話を書いている今現在よりも二年ほど前の話になる。

 赤煉瓦倉庫のうちの一つが、議会が大枚叩いて雇った町興しコンサルタントの眼に留まった。

 彼は議会で倉庫の文化的及び経済的価値を熱弁し、それにより赤煉瓦倉庫を現代的な公共施設に改装して町興しに役立てようという話が盛り上がる。

 そして、具体的には美術館として華々しく再スタートすることになってしまった。

 件のコンサルタントはその当時、頻りに「町興しの起爆剤」という言葉を使っていたが、その後の美術館の衰退を知っている今にして思うと、「誘爆剤」又は「誤爆剤」の聞き間違いではなかったかと思う。

 ともあれ、その当時は町を挙げての一大イベントであり、計画段階での入館者見込数は、開館一年で住民一人当たり三回訪れる計算になっていた。無論、そんなに用事がある施設でないことは明らかである。


 さて、美術館が開館する当時、細やかながら文筆業を営んでいた私は、出版社から開館記念式典への出席を要請された。

 その出版社が開館プロジェクトに一枚噛んでいたためであるが、赤煉瓦倉庫にも美術にも興味があった私は、すぐさま了解した。

 追って、分厚い封筒が届いたので開けてみると、中には式典への招待状と当日の詳細なプログラム、展覧会のチケットが入っており、チケットの表には美術館の完成予想図が印刷されていた。

 チケットを手に取ってしげしげと絵を眺めた私は、

「最新かつ最先端の美容整形を施された老婆が、スポットライトを浴びながら雛壇を降りてくる」

 という姿を想像して、また随分と可哀想なことをしたものだと考え込んでしまった。


 実は、私の実家は赤煉瓦倉庫からさほど離れていない。私が子供の頃は、「急に崩れたら危険だから」という理由で、赤煉瓦倉庫がある一角への立ち入り禁止の通達が、学校から出ていた。

 それにも拘らず、私はその周囲でよく遊んでいた。いや、それどころか、いつの間にか煉瓦が崩れて穴が開いたところを見つけ、積極的に倉庫の中に忍びこんだりもしていた。

 外から壁が崩れていることが分からないように偽装を施して、倉庫内の片隅に成人雑誌を山積みにしておいたこともある。

 それをこそこそ隠れて読んでいたところ、ある日突然に壁が補修されて中に入れなくなってしまった。その時は、お気に入りの女の子が誰かに拉致されたような気分に陥って、大いに慌てたものである。

 そんな硬軟取り混ぜての様々な思い出があり、私はぼろぼろの赤煉瓦倉庫に愛着を感じていた。


 ところが現実は、そんな私の感傷を遥かに超えて、とんでもないことになっていた。

 改装が終わるまで赤煉瓦倉庫はシートで覆われていたので、私が肉眼でその勇姿を改めて拝することが出来たのは、式典当日の朝である。

 少し早めに家を出て、人々が集まる前にゆっくりと再会を果たすことが出来た赤煉瓦倉庫は、まるっきり別人だった。

 私はてっきり、表皮に浸透、沈殿した積年のくすみを根こそぎ剥がすのだろうと思っていたのだが、まさか表皮の上から人工皮膚を全面に貼るとは思ってもみなかった。

 こうなるともう、昔の常連さんが昼間の往来で出会ったところで、

「おや、どこのどちら様でしたっけ?」

 と言う他ない。建物を見上げて、私は茫然としてしまった。


 更に式典の時間となり、来賓控室から取り澄ました格好をした御歴々が現われて、会場の最前列に並んだのを見た時、私は唖然とした。

 そこには、地元選出の国会議員やら、役場のお偉いさんやらが、いかにも文化人でございますという顔つきで並んでいたのである。

 まあ、公共施設の開館式典ならやむをえないが、それが美術館では似合わないことこの上ない。

 また、予算の少ない美術館は常設展示が比較的お安い抽象画中心となりがちであるが、加えて開館記念の企画展示も、難解なことで有名な地元出身の抽象画家であった。

 それでも、手慣れた美術館であれば、事前に画家の基本的な情報をまとめた資料を、少なくとも来賓には配っているはずだ。

 ところが、来賓席の人々にそれが配られた形跡はない。配られていれば、何人かはそれを広げて眺めているはずだからだ。

 美術館の事務方と役所の事務方との間に、意思の疎通が全くなされていないことが分かり、私は内心、

「これは困ったことになったぞ」

 と思っていた。


 そして案の定、開館直後の美術館内は極めて微妙な駆け引きが横行する、伏魔殿のような様相を呈した。

 まず事件は、一番乗りの栄誉に浴し意気揚々とエントランスから足を踏み入れた地元選出の国会議員に起こった。彼の顔は入場と同時に、笑顔を貼り付かせたまま一瞬にして凍り付いた。

(御丁寧なことにこの光景は、外のプラズマビジョンを通じて、毛穴まで高画質に実況中継されている)

 案内役の館長は、意気揚々と地元画家の素晴らしさを捲し立てる。しかし、その内容は画家の美術史的な価値に留まり、目の前の絵画についての説明はなかった。

 実は、館長自身が天下りの人物であったため、昨日一所懸命覚えた人物紹介しかできなかったのだ。

 国会議員はますます笑顔を凍り付かせ、とうとう耐えきれずに口のわきの筋肉をぴくりぴくりと蠕動させ始めた。

 役場のお偉いさんの態度もあからさまである。

 いつもならば国会議員の横に並んで、おのが存在を強烈に誇示するところなのだが、今回は国会議員から距離を取って、その他大勢の中に紛れて細君となにやら会話していた。

 恐らくは、

「お前、たまに絵を買っているよな。これは凄いのか? どうなんだよ」

「私に分かるわけがないでしょ。投機専門なんだから」

 程度の話だろう。

 その後に続く人々も戦々恐々としている。

 眉毛を盛大に寄せて、なんとかその美術的な価値を推し量ろうとしている者がいる。しかし、どう見ても何か描かれているのかすら判別できない。

 楽しそうな顔で絵画を眺め回し、頻りに「これは素晴らしいですねえ」と口走る者がいる。実は彼は、美術鑑賞が趣味だという隣りの男が「素晴らしさ」を自慢げに解説してくれるのを待っていた。

 隣りの男は隣りの男で、頷きながら彼の「素晴らしさ」の説明が始まるのを待っている。隣りの男が言うところの美術鑑賞は写真、それも裸体が中心であって、抽象絵画は専門外だった。

 美術館内のあちらこちらで、このような死屍累々の凄惨な戦闘が繰り広げられていた。


 そして、とうとう最後の作品まで鑑賞し終えて、退館口の前までやってきた国会議員は、そこに待機していた役所の課長にマイクを突きつけられた。

 役所の課長は低姿勢で、

「本日の展覧会の感想はいかがでしたでしょうか」

 と話を振る。

 国会議員は、

「うーん」

 と言ったきり、黙り込む。

 役所の課長は、

「まさか、先生のご機嫌を損ねたのではあるまいな」

 という懸念をその乱れた簾頭から振りほどくことができない。さらに、焦りから、

「先生ともなりますと、軽々しく感想は口に出せないかと思いますが、そこを一つ」

 と、致命的な追い込みをかける。彼自身は美術館の展示物をまだ見ていなかった。

 凍り付く国会議員。

 凍り付く課長。

 茶番劇が最期に悲劇に変わる、と思われた瞬間、


「お母さん、このお魚さん達、とっても仲良しだよね」


 という、一気に闇を消し去る福音が美術館内に鳴り響いた。館内の人々の視線が一斉に、声の方向に集中する。

 そして、声の主は来賓の後に続いて入場していた一般客の中にいた――まあ、お世辞であれば「可愛いですね」と言ってもよいような少女だった。

 突如集中した視線を感じて慌てふためく母親の手を引っ張り、福音の主は続ける。

「いっぱいいるよ。ここにも、そこにも」

 この瞬間、利に聡い国会議員は素早く話を作り込む。課長のほうを振り返ると、彼は毅然とした声で言った。

「私も今回の展覧会では大変な感銘を受けたが、そんな言葉よりもあの可憐な少女の素直な感想のほうが数倍も値打ちがある」

 途端に周囲の有象無象までが、

「仲良しですな」

「確かにそうですな」

 と、ほっとした表情を浮かべながら談笑し始めた。重苦しい赤煉瓦製の建物が、柔らかい雰囲気に包まれてゆく。

 タイミングを計るのが上手い国会議員は、この機を逃がすものかと課長からマイクを奪い取った。中継カメラが国会議員の顔を捉えて、ズームインしてゆく。

 さてここで名演説の始まり始まり――と思われた時、またもや少女の声が館内に鳴り響いた。


「お魚さん、ぜんぶ捕まえてお刺身で食べたいね。新鮮でおいしそうだね」


 場外の観客は、国会議員の顔から血の気が引いてゆくところを、高画質のプラズマビジョンで眺めることになった。


( 終わり )

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鰮の弔い 阿井上夫 @Aiueo

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