Ⅱ ③
夕暮れが真っ赤に染まる。ここからだと、きれいに夕日が見られる。
天月学園はその広大さ故に、山を切り開いたところにあった。そのため、坂道がものすごく急だが、眺めは良い。屋上から見る景色はちょっとした感動ものだ。
場所はグラウンド。普通のこの時間は部活動とかが使用するのだろうが、俺たちがいるのは少し外れのところのある誰も使用していないグラウンドだ。
ここは生徒が能力の練習をするための場所であり、許可を取れば誰でも使用できるのだ。
しかし、周りには俺と舞しかいない。広いグラウンドに二人というのは寂しいものがある。
「じゃあ、もう一回だ」
「うん!」
深呼吸をしてから、舞が目を閉じる。
少ししてから、舞の周りだけが薄暗く光る。その光の中から何個かの球状の光が現れぷかぷかと空気中を彷徨っている。そして、数秒しないうちに消えていく。一つ、また一つと消えそして光が消えた。
ハァと盛大なため息が聞こえる。
「やっぱりダメか……」
舞が明らかに落ち込みながら言う。これで何十回と練習してみたが、一向に上手くいかない。
「だけど、最初の頃よりは進歩してるだろ。そんなに焦ることもないんじゃないか?」
「でも……佐久間くんもるいちゃんも武現化は成功しているんでしょ?」
「まあ……そうだが……」
あの二人はなんというか……非凡なところがあると思う。普通なら二ヶ月ぐらいかかるのだが。
特に久遠は大和が武現化に成功した次の日に武現具を出せるようになっていた。
実習の時間で成功していたので、他の小隊の目を釘付けにしていたが、本人はあまり嬉しそうにしていなかった。よほど、大和に先を越されたのが悔しかったらしい。
ちなみに久遠の武現具は太刀だった。『剣舞』の能力を持つなんともらしい武現具だ。
そして三日前。今度は佐久間が武現化に成功した。
これは放課後の小隊の自主練のときだった。いきなり成功したもんだから、本人もものすごく驚いていた。武現具を出した瞬間、「うおっ」と短く声を上げたとき大和が大笑いしたのを覚えている。
佐久間の武現具は本だった。しかも、ただの本ではなく本人しか読めない魔道書というものだ。曰く、呪文みたいなものがびっしり書かれてあるのだそうだ。
この時、大笑いしていた大和は佐久間の実験台となった。呪文を読み上げるだけで、部屋の中に強い風が吹き大和が飛ばされて、壁に思いっきり叩きつけられていた。
その大和は涙目になっていたが。
ともあれ、309小隊は四人が武現化に成功し、残るは茜と舞の二人だけになっていた。
「ごめんね。もう一週間も付き合ってもらっているのに」
肩を落としながら舞が力なく言った。
「気にするなって。普通ならもっと時間がかかるんだ。焦る必要なんかないさ」
「うん……そうだけど……」
あまり元気のない返事。いつもの舞みたいに明るくはなかった。
「だけど、一週間でここまで進歩したんだ。あと、もうちょっとだ」
実際に舞は本当に進歩した。一週間前までは光すら出せずにいたのだから。
「そうかもしれないけど……悠一くんに特訓をつけてもらっているんだから、やっぱり結果を出したいから……」
「ああ……そうなのか」
そうまで言ってくれるとこっちまで照れてしまうのだが。だが、それが返ってプレッシャーになってしまうのではないかと心配だ。
「でも、あの時は驚いたぞ。いきなり家に来るんだから」
「えへへ……あの時はごめんね」
少し舌を出しながら舞は笑う。
そう、あれは遡ること一週間前のことだった。
一週間前―――
手早く着替えを済ませ、ドアを開ける。
「ごめんね、こんな朝早くから……」
舞はものすごく申し訳なさそうに縮こまっていた。
「いや、別にかまわなけど……とりあえず中に入るか?」
コクリと頷く。
どうも雰囲気的に玄関でするような話ではなさそうだ。
とにかくリビングに通して、テーブルに座ってもらう。
時間が時間なので舞には悪いが、朝食を食べながら話をすることとなった。
「舞、飯はまだか? まだだったら、作るけど」
「ううん。食べてきたから大丈夫だよ」
「そうか。なら良いんだが」
簡単にトーストを焼き、その間に作っておいた目玉焼きを乗せる。
その横にインスタントのコーヒーを並べる。舞もコーヒーなら飲めるということなので同じようにテーブルの上に置く。
ズズッとコーヒーを飲む音だけが響く。二人とも喋らない。なんだこの沈黙は。
舞もいきなり来た手前、あまり迷惑をかけてはいけないと思ったのだろう。ものすごくモジモジとしているが、一向に口を開く気配はない。
仕方ない、ここは俺が聞くか。
「あの……」「それで」
二人の言葉が重なる。
どうやら、舞の方も何か喋ろうとしていたらしい。
少しの沈黙。被ってしまうことがこんなにも気まずものだとは知らなかった。
「あははは……ごめんね。男の子の家に入るのって初めてだから少し緊張しちゃって」
照れ隠しのように笑う。
緊張しているのは俺も同じだ。茜以外の女の子を家に入れるのは初めてのことだ。どう、もてなして良いかわからないし、何よりどうすれば良いかわからない。
「それで? どうしたんだ。こんな朝早くに」
緊張を隠すように尋ねる。
「あ……うん。なんて言うか……こんなこと頼めるのは悠一くんしかいなくて……」
赤い髪のように顔も真っ赤になっている。下を向いていてもわかるほどに。
冷静を装ってコーヒーを飲む。
なんなんだ、このなぜか緊張した空気は。
「あのね……その……私と……」
ゴクリと息を飲む。
舞はあいかわず下を向いたままだが、モジモジとしているために、それが余計にどうしたら良いのかわからなくなる。
「付き合ってほしいの!」
意を決したのか真っ赤になったまま俺の方を見る。その眼差しはとても真剣だった。
「…………え?」
だからこそ、舞が行っていることが理解できなかった。
ちょっと待て。今、何て言った? 付き合って? どういうことだ?
頭の中でさっきの言葉の意味がどういうことなのか思考する。
あまりのも唐突すぎてどう返事をしたらわからない。しかも、舞が言っていることは本気だ。だから余計にわからなかった。
「えーっと……なんだ。でもな、俺たち会ってからそんなに時間たってないよな?」
「うん……だから、私の周りにはそういう人がいなくて……悠一くんなら良いかなって」
入学してからまだ一ヶ月だぞ……それでそういう人がいないと思うのか……。
案外、舞はそういうことはズバッと決めるタイプなのかもしれない。
いや、そんなことよりもだ。会ってまだ一週間とたたないのに俺なら良いという意味がわからない。特に舞に対して何もしていないし、選ばれることがわからない。
「だから付き合って欲しいの! こんなこと頼めるのは悠一くんしかいないと思うし!」
ガタっとイスから勢いよく立ち上がり、前のめりのような体勢になっている。
さっきよりか顔が近くになり、さらにドキドキとしてしまう。
舞は顔が整っているし、俗に言う美少女と呼ばれる部類だと思う。そんな子に付き合ってと言われ、顔を近づけられれば俺でなくても大抵の男は冷静でいられなくなるだろう。
しかも、真剣に言われたらもう、首を縦に振るしかないだろう。
だが、出会ってからの期間が短すぎる。しかもお互い同じ小隊に配属になったというだけで接点はない。
さて、どうするか。
ジッとこちらを見ている。これでは保留ということにもできないだろう。
「…………わかっった、付き合うよ」
苦渋の決断。いや、別に舞が嫌いというわけではないが。
途端にパッと舞の表情が明るくなる。
「ありがとう!」
本当に嬉しそうにしている。
それを見ると、なぜだかこちらも照れくさくなる。茜がこのことを聞いたらどう言うだろうか。あいつのことだから興味がなさそうにするかもしれないが。
「じゃあ、今日の放課後、第二グラウンドね! よーし、やるぞー!」
「え、今日の放課後か?」
「うん! 早いほうがいいでしょ? あ、もちろんみんなには内緒にしたいから小隊練習が終わっってからね!」
「ああ……別に良いけど……」
まあ、小隊練習が終わってからなら良いか。
…………ちょっと待て。
冷静に考える。第二グラウンド? なぜ、そこでグラウンドが出てくるのだろうか。普通に考えたらおかしい。
ひょっして……だが。
「あのー……舞さん? ちょっと聞いても良いか?」
「うん、良いけど? ていうか、なんでさん付け?」」
「あのさ……聞くのを忘れていたんだが……何に付き合って欲しいんだ?」
「え、決まっているじゃん。特訓だよ、武現化の。私、まだ何もできていないから悠一くんに見てもらおうと思って」
それを聞いた瞬間、テーブルに勢いよくひれ伏す。ゴンという鈍い音が鳴った。そのせいで額がものすごく痛いが、それ以上に俺の勘違いが痛々しい。
「ちょっ……大丈夫!? すごい音が鳴ったけど」
「……気にしないでくれ。少し死にたくなっただけだから……」
「ホントに大丈夫!? ていうか死にたいってどうしたの!?」
未だに目の前にはテーブルが見えているが、舞があたふたしているのはわかる。
本当はここで頭を上げて、心配ないと言ったら安心するのだろうが、残念ながえら今の俺にそんな余裕はない。むしろ、今このままいて、学校を休みたいぐらいだ。
結局、俺が回復するまで舞はあたふたしていた。そのせいで学校にはギリギリに到着するし、茜には何も事情を説明していないが、額が赤くなっているのを見られて「ダサっ」と言われる始末だった。
それが一週間前のできごと。以来、俺は放課後に小隊練習が終わったあと、グラウンドに移動して舞と二人で秘密の特訓をしているという毎日だった。
「さて、じゃあそろそろ帰るか」
思いにふけっていたら、そろそろ下校の時間となっていた。
「そうだね……帰ろうか」
本当はもっと練習したいのだろうが、これ以上残ると宿泊とみなされる。
学園に申請書を出すと生徒なら簡単に宿泊することが可能だ。試験前だとかなりの生徒が泊まり込みで勉強をしたり練習をしたりするらしい。なので、それなりに宿泊施設も充実している
309小隊も試験前は泊まろうか、という話が出ている。まあ主に佐久間が言っていることだが。
グラウンドの脇に置いてあった荷物を取り、正門へと向かう。比較的、近い場所だったので五分もかからずに着いた。もう下校時間だというのにけっこうな生徒がいた。
「あ」
舞が何かを見つけたみたいだった。
「どうした?」
「あれ、茜ちゃんじゃない?」
見ると、前の方にたくさんの生徒の紛れて茜がいた。小柄な上に、長いポニーテールだったからすぐにわかった。
「せっかくだし、一緒に帰ろうよ」
「そうだな」
「おーい、茜ちゃーん!」
大声で手を振りながら茜を呼ぶ。近くを通りかかった生徒は何事かと思ったのか舞を見ながら通り過ぎて行く。
茜はその声に気づいたのか足を止めて振り向く。舞の方に視線を合わせると少し微笑むが、俺の方を見ると見るからに嫌そうな顔をしていた。
そんなことは気づいていないのか舞が小走りで駆け寄る。俺もゆっくりとそのあとに続いた。
「茜ちゃん、今から帰るの?」
「うん、そのつもりだけど」
「じゃあ、一緒に帰ろっ!」
ニコッと笑顔で誘う。
「良いよ。それよりも」
ジロッと俺の方を見る。
「なんだよ……」
「あんた、舞に変なことしてないでしょうね」
「してねぇよ!」
「本当? じゃあ、なんでこんな時間にしかも、二人でいるのよ?」
まあ、そりゃ聞いてくるだろうな。小隊練習が終わって他のメンバーは帰っているのになぜか残っているのだから、俺でなくとも気になるだろう。
さて……どう答えたものか。
舞から、特訓のことは絶対に秘密だと厳命されている。特に小隊のメンバーには口が裂けても言うなと。
「えーっと……あれだよ。あれ」
明らかに動揺しながら答えていた。それじゃあ、絶対に何かあると誤解されるだろ。
現に俺を見る茜の視線がものすごく鋭くなっている。これは何とかしないととんでもないことになりかねない。
「あー、帰ろうとしたら黒木先生に雑用を頼まれてな。それを舞が手伝ってくれていたんだよ」
「そうそう、それで遅くなっちゃったんだよね!」
取り繕うように舞が付け加える。これがベストな言い訳だと我ながら思う。
「ふーん……まあ、良いけどね」
明らかに信用していないみたいだったが、茜はそれ以上何も聞いてこなかった。
「あ、そうだ」
茜が元の表情になって、俺の方を見る。
「あんた、これから予定あるの?」
「いや……ないけど」
「そ、じゃあ良かった。園長が連れてこいって言うから、今日は園に来なさい」
「は? なんでだよ」
「知らないわよ。とにかく連れてこいって言われただけだから」
用件を言わない限り何ともあのジジイらしい。
「行かなきゃ、何かされるんだろうな……」
「今日、来なかったら毎日、ピンポンダッシュするって言ってた」
「子どもかよ!」
いい歳してなに考えているんだろうか。
「……行くよ。行けばいいんだろ」
「まあ、それが賢明ね」
というか、今日行かなかったらピンポンダッシュと言っていたが、茜が伝えなかったらどうしていたのだろうか。というか、もっと早く言えよ。
「それじゃあ、帰るわよ」
スタスタと茜は先に歩き出す。
「あ、待ってよー」
舞は慌てて茜について行こうとする。
俺はゆっくりと歩き出し、二人が喋りながら帰るのを見ながら歩いた。
舞とは駅で別れ、電車に乗る。三十分くらい揺られて、そこから歩いて十五分のところにそれはあった。
児童養護施設 あかつき園。
俺が最近まで住んでいた施設だ。
四回建ての鉄筋コンクリートで建てられた、特に何も変わったところのない施設だ。
だが、ただの施設ではなくここの運営は日本支部がしている。つまり、住んでいる者は職員を含めて全員が保有者だ。
玄関から入り、靴を脱ぐ。俺はそのままにしておくが、茜は自分の靴箱へとなおす。
「あ、あか姉とゆう兄だ!」
子ども声がした。見ると小学一年ぐらいの子どもが鼻を垂らしながら俺たちを見ていた。
「よお、健太。元気そうだな」
「うん! 元気!」
子ども特有の純粋な明るい笑顔だ。それだけで。癒されるのは本当にすごい力だと思う。
「健太、園長先生いる?」
茜が健太の目線に合わる。
「うん! なんかね、すんごい怖い顔しながら『あの、バカはまだかぁ!』って言ってた!」
「そうなの。じゃあ、呼んできてくれる?」
うん! と元気よく頷いて奥へと消えていった。
「なあ」
「なに」
健太が見えなくなったのを見計らって口を開いた。
「ものすごく帰りたくなったんだが、良いか?」
さっきの話を聞く限り、嫌な予感しかしない。
「良いけど、どうなっても私は知らないから」
「だよなぁ……」
ガクッとうなだれる。
何を言われるのかわかったもんじゃない。やっぱり来なければ良かったと後悔した。
今からでも遅くない。帰ろうと回れ右をした時だった。
「どこへ行こうとしているのだ。このバカものが」
その声を聞いただけでビクッとなってしまう。
振り返ると、そこには体格が良い爺さんがいた。身長は俺より少し高いくらいだが、顔に傷があるし、スキンヘッドだし、髭が生えているでその風格で実際より大きく見える。
「いや……トイレに行こうかなと」
「そっちは外じゃ馬鹿者。そんなんだからいつまで経っても馬鹿なんだ、馬鹿者」
カチンときた。いくらなんでも言い過ぎだろ。
「おい、せっかく来たのに何だよそれ」
「お前なんか、呼んどらんわ。何しに来たんじゃ、馬鹿者」
「呼んだろうが! 自分で言っておいて忘れてんなよ! 少し見ない間にボケたんじゃねぇのか!?」
「なんじゃと! ボケとらんわ! その証拠に九九を全部言えるそ!」
「アホか! そんなの健太でも言えるわ! やっぱりボケてんじゃねぇか!」
「うるさいわ! こうなったらワシの能力でボコボコにしてやるわ!」
「望むところだボケジジイ! 燃やし尽くしてやるわ!」
距離を取って対峙する。このジジイには先手必勝だ。すぐに決着を付ける。
そう思ったのは相手も同じようで右腕を斜め下、左腕を反対の上にして中国憲法のような構えをしている。お互い、すぐに決着をつけようとしているみたいだ。
右手を構えて、能力を発動させようとした瞬間、ゴンという音ともに頭にものすごい衝撃が来た。すぐに痛みが襲ってくる。
あまりの痛さに思わずしゃがみこんでしまった。
「――――――ッ。なにすんだよ、茜!」
涙目になりながら茜の方を見上げる。当の本人は何もなかったような顔をしている。
「何って、やめさせようと思ったのよ。こんなところでケンカされたらあかつき園が無茶苦茶になるじゃない」
「だからって傘立てをぶつけるやつがあるか! お前の能力でぶつけられたら、ものすごく痛いんだぞ!」
「知らないわよ。ケンカする方が悪いんでしょ」
それはそのとおりだが、傘立てをぶつけるやつがあるか?
ちなみにジジイの方だが、仰向けに倒れていた。そばに置物が転がっていたからあれを使ったのだろう。なかなかに大きいものだから痛みも相当なものだろう。
そしてピクリとも動かない。
「おい……いくらなんでも殺すのはやりすぎだろ」
「何言ってるのよ。気絶しているだけよ」
「いや、それもやりすぎだからな!」
ジジイはマンガみたいなたんこぶを作って、白目を向きながら泡を噴いて気絶していた。
「あー痛い……茜のやついつの間にあんなことを覚えたんじゃ」
「さぁな……」
ジジイが復活してから少したった、園長室。応接室も兼ねているのだろう、高そうな調度品に立派なソファー、奥には大きな机があった。そのソファーに座り低いがこれもまた立派なテーブル越しに向かい合う。
話というのはどうも二人きりでないといけないらしい。
ジジイはタバコを取り出し、それを俺に向けてくる。
「なんだよ……」
「今、ライターが手元になくてな」
「そんなことのために使うわけないだろ! ていうかライターの代わりかよ!」
「なんじゃ、お前も随分とケチになったのう」
ソファーから立って奥の机の引き出しからライターと取り出して火をつける。
そこにあるのなら、めんどくさがらずに行けよ。
ジジイは俺の前に戻ってから、タバコを吸ってはいた。どうも一服しないと落ち着かないらしい。
「お前、学校はどんな調子じゃ?」
「まあまあだ。問題は今のとこないな」
「そうじゃろ! なにせ、このワシがつくったからの!」
ガハハと大きな声で笑う。
いつもなら、うるさいと言うが実際にあの学校には特に不満はない。
このジジイの名前は天月善十郎。バベル機関日本支部教育部と天月学園の設立者であり、初代教育部長と学園長を兼任していた。
俺が中学に入る前に後任に息子を指名して引退し、今はこのあかつき園の園長をしている。65歳でありながら、子どもと対等に話し合えるのは素直にすごいと思えるところだ。まあ、本人が子どもなだけなのだろうけど。
「それで、俺に話ってなんだよ?」
煙の吸い過ぎなのか、笑いすぎなのかは知らないがむせていた。
「ゴホッゴホッ……ちょっと……待て……」
ものすごく苦しそうにしながら、横に置いてあった茶色い少し大きい封筒を俺の前に投げる。
「なんだこれ」
「ゴホッ……本部からのものじゃ。お前、新居の住所を登録してないじゃろ。だから、こっちに送られてきたんじゃ」
「あー……」
そう言えば、引越しに入学なんかでゴタゴタしていたからすっかりと忘れていた。
どうせ住所変更かんなの書類だろうと思って、封を開けた。
だが、中身は違っていた。それも最悪の方に。最悪すぎてその場で紙を破りそうになった。
「なあ、あんた。これの中身知っていたか?」
「いや……知らないが……」
「が、なんだよ」
久々に本気でキレそうだった。
ジジイもそれがわかったのか、タバコを一回吸ったあとに灰皿に置いて姿勢を正した。
「ワシも詳しくは知らんかった。じゃが、あいつが直接に持ってきたからお前さんにはあまり良くない知らせかとは思っとった」
「じゃあ……直接渡しに来れば良いじゃねぇか」
「お前、あいつの電話番号を着信拒否しとったじゃろ? まさか、学園に顔を出せるわけにもいかないじゃろうし、住所もわからん。だから、あかつき園に来たというわけじゃ」
「クソッ……」
思わずテーブルを殴りつけそうになる。だが、痛そうなのでやめておいた。
よりによってこんなものが届くとは思っていなかった。本当に最悪の気分だ。
ジジイが立ち、俺の肩をポンと叩く。
「今日はもう遅い。お前の部屋はそのままにしておったから、今日のところは泊まっていけ」
それだけ言うと部屋を出ていった。
部屋には俺が一人残されていた。出ていったのはジジイなりに気を使ったのだろう。今だけはそれに感謝するべきかもしれない。
「あー……最悪だチクショウ」
ポツリと呟く。
だが、見てしまったものはしょうがない、どうにかするしかない。このことを放っておくほど俺も腐ってはいない。
問題はそれをどうしたら解決できるのかわからない。戦力は整っていると思う、だがその戦力を使うということはあまりにもリスクが大きすぎる。しかも、直前まで使い物になるか……。良く言う、人ではあるがまったく使い物にならないという状態だ。
考えるが、どうも良い案が思い浮かばない。どうすれば良いんだろうか。
そのまま茜が夕飯の時間を告げに来るまで考えていたが、何も思い浮かばなかった。
その日の夜。園長室。
時刻は日付が変わろうとしている時間。明かりは机の上に置いてあるランプ型の電球だけである。そんな時間に受話器を取り、電話番号を押す。
呼び出し音がなり、3コールもしないうちにガチャと電話に出る音が聞こえた。
「もしもし、ワシだ」
できる限り低い声で対応する。表情が伝わらないため、声でわからせるしかない。
『ああ、これはこれは。こんばんは、大佐殿。どうなされたのですかな?』
電話の向こうからが軽快な男の声。何度、その声を聞いても忌々しいと思う。
「その、呼び方はやめんか。今のワシは引退した身じゃ。普通に名前で良い」
『そうですか……では、善十郎さん。こんな夜更けに何の用ですか?』
この男はわかっていて聞いてきている。それが余計に腹が立つ。
「お主……何を企んでおる?」
『何とは? 私は何も企んでいませんよ?』
「ふざけるなっ!」
机を思い切りドンと叩く。その衝撃で何個か調度品が床に落ち、割れる音が聞こえた。
だが、今はそれに構っているわけにはいかない。
「あんな内容、通るとおもっているのか! 下手をすれば死人が出るぞ! わかっておるのか!」
『ほう。一応、機密事項なのにあなたまで知っているとは……これはセキュリティを見直す必要がありますね。ちなみに、その情報をどこで手に入れたのです?』
「そんなこと今はどうでもよかろう! それよりもじゃ! 今すぐ、あの内容を変更したまえ、さもないと」
『さもないと何です?』
遮るように声が割り込む。
それは少しも悪いとは思っていない。いや、むしろ自分自身が正しいと思っているような、そんな感じがした。
『あなたは引退した身なのでしょう? でしたら、その身分らしくしがない施設の園長をしていれば良いと思いますが』
「ふざけるな! あれを知ってしまった以上、黙っているわけにはいくまい! それがしがない施設の園長であってもだ!」
『わかりましたよ……こんな夜更けに大声を出されては血圧に響きますよ』
「やかましい!」
それは最近の懸念の一つだが、なぜこの男は知っているのだろう。
「とにかくこれ以上、その話を進めるようじゃったら内容を公表させてもらう!」
機密ことを進めている奴にとって今、公表するのは大きな痛手だろう。
しかし、その予想は大きく外れた。
『ええ、どうぞ』
「なに……?」
返ってきた答えはまったく別のものだった。
『公表するのは自由ですが……もし、それを公表したとして誰がそれを信じるのです? ただの戯言だと流されるのがオチでしょう。それに、情報元を確かにしないと誰も信じませんよ? いくら、大佐だったあなたの言葉でもね』
「グッ……」
悔しいが、あの男の言うとおりだった。
自分も悠一に見せてもらった時は目を疑い、半信半疑だった。自分でもそうだったのに誰が信じるのだろうか。
それに流れてきた情報元もあいつである以上、正規のルートは使っていないだろう。
それ以上、何も言い返せなかった。電話の向こうでクスッと笑う声が聞こえる。
『用件は以上ですか? でしたら、切らしてもらいますよ。明日の朝は早いのでね』
「待て……!」
『……なんでしょう?』
声が少し不機嫌になっていた。だが、そんなことは関係ない。
「お前は……もし、あれを通したとして何を考えているのじゃ?」
それが一番の疑問でもあった。あの内容をもし、仮に実行したとして何のメリットがあるのだろうか。
下手をすれば、天月学園の信頼性が揺るぎかねない。それは日本支部にとっても不利益なはずだ。
だとすれば、何が目的なのだろうか。
『…………そうですね。まあ、簡単に言っちゃいますと、世界平和のためですよ。では』
それだけ言うと通話は切れた。
仕方なくイスに深く身を沈めるように座る。
どうやら、今夜は眠れそうにない。
ふと、近くの窓を座りながら覗き込むと不気味なほど明るい月が夜空に光っていた。
黒焔の保有者 志馬達也 @sibasiba0721
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