叙述トリックを教えて

西宮樹

叙述トリックを教えて




「ねえ、叙述トリックって何?」


 放課後の図書室。俺の目の前に座るこいつは、急にそんな事を聞いてきやがった。

 現時刻はもう夕方と呼ぶには遅い時間で、既に辺りは暗い。図書室を利用している人間だって、そんなに多くはない。しかしそうは言っても、図書室は静かに利用するのがルールでありマナーである。にも関わらず、こいつはそんな事お構いなしに大きな声で話しかけてくる。

 しかももっと性質が悪い事が、もう一つある。


「……あのな、年上には敬語を使えっていつも言ってるだろ」

「そんなの今更じゃん。圭にはいつも敬語つかってないんだし」


 そう言って、こいつ――工藤くどう瑞希みずきは、さらに身を乗り出してくる。その時、ボタンをはずしたシャツの隙間から、胸元が見えてしまう。俺はそれに視線を奪われた事を悟られないように、思わず視線をそらしてしまう。

 瑞希と俺――來次きつぎけいは、幼馴染の関係だ。小っちゃい頃からいつも一緒で、そのせいで瑞希は、俺に敬語を使う気なんてさらさらない。まあ今更使われても、くすぐったいだけなんだが。

 瑞希がこの学校に入るとき、てっきり敬語で対応されると思ったので、逆に拍子抜けだった記憶がある。まあ、よそよそしくされる方が、傷つくんだけど。


「……とりあえず、身を乗り出すのもやめろ。周りの視線が痛い」

「ちぇ、はいはい」


 そう言うと、瑞希はすんなりと自分の椅子に座った。なんだ、随分と素直に従うじゃないか。


「それでさ、叙述トリックって何?」


 ……というより、どうやら話の続きがしたくてたまらないようだ。

 やれやれ、しょうがない。せっかく貴重な時間を使って、図書館で調べ物をしていたというのに。しかしまあ、この年下の幼馴染につきあうのも悪くないか。ここはひとつ、一席ぶってやろう。


「それで、一体なんで急にそんな事聞いて来たんだ?」

「いやー、いつまでも漫画読んでる子供じゃいけないかなって思ってさー。それでとりあえず、ミステリ的なやつ読もうと思って。ネットで調べたら『叙述トリック』って出てきてさ。何なんかなーって思って」


 何なんかなーって思ったくらいで、こいつは人に質問するのか。

 はぁと、俺はため息をついた。

 瑞希は、昔っからそうだ。自分で思った事は何も考えずに実行するし、それを曲げようともしない。

 はぁと、俺は再びため息をついた。

 そうは言っても拒めないあたり、惚れた弱みってやつなのだろうか。


「……しょうがない、俺の知っている限りの情報でよければ話してやるよ」

「ほんとっ、やったーさっすが圭!! 話しが分かる!!」

「だから静かにしろって」


 俺の注意もどこ吹く風で、瑞希は満面の笑みを浮かべる。その太陽みたいな笑顔を見ていると、俺の胸も暖かくなるのを感じる。

 こうやってこいつは、いつも俺の心をかき乱す。俺がどれだけお前に心惹かれているのか、ちっとも分かっていないのだ。

 こほんと一つ咳払いをして、俺は話し始める。


「まず、叙述トリックってのは平たく言うと、地の文でミスリードを誘う手段の事だな」

「えっと、さっそくよく分からなかったんだけど……?」

「まあ最初にそう言われても、ピンとはこないだろうな」

「地の文って何?」

「そこからかっ!?」


 おいおい、もしかして小説を読んだ事がないんじゃないか、こいつ。

 えー、もしかして俺、そこから説明しなくちゃいけないの?


「冗談冗談、分かってる分かってる」


 そう言って瑞希は、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。その笑みを見ると、まあしょうがないかという気持ちにさせられてしまうから不思議なもんだ。


「でも実際問題、よく分からなかったんだよね。地の文でミスリードを誘うって、つまり嘘をつくって事?」

「いや、嘘はつかない。まあそれが一人称視点なら嘘をついてもいいけど、三人称視点だと嘘は駄目なんだ。アンフェアになってしまう」


 叙述トリックを語る上で欠かせないのが、アンフェアかどうかでもあるんだよな。叙述トリックって、世界を根本からひっくり返したりするし。

 まあそれはおいおい説明するとして。


「とにかく、嘘はダメなんだ。一人称だって嘘がいいのは、その視点の人間が犯人である場合とか、あるいは誤認したパターンだけだし。それにしたって、あまりにも嘘が多いとアンフェアだしな」

「? じゃあ普通の小説になるんじゃないの?」

「だから、ミスリードなんだよ」


 嘘をつくのは、勿論いけない事だ。それをした瞬間、その物語はアンフェアになりミステリとしての資格を失う。

 でも、嘘をつくのが禁止でも。全ての情報を言わなくてはいけないという事でもない。


「だから、本当の事を隠すんだよ」

「隠す?」

「そう、隠した上で、読んでる人が勘違いしてくれれば、それはもう嘘をついているようなものだろ?」

「あ、そっか!」


 人というのは、先入観を持ってしまう生き物だ。そして思い込みも激しい。

 例えばある登場人物Aを物語に出したとして。Aの服装に対する描写で、ズボンを履いていると記述しよう。そしてさらに、Aが青年とでも描写すれば、読んでいる人にすれば、Aは男の人なんだなと思う。

 しかしAが男なんて一言も書いていない。ズボンなんて女の人でも履くし、青年という単語は性別を問わない。

 実際、Aは中性的な女性なのに、描写によって読者は男性だと思いこむ。これが、叙述トリックという訳だ。


「でもさ、まだ疑問は晴れないよ」

「え、なんでさ」

「だって、犯人のやってることがよくわからないもん」


 あー、それもそうか。叙述トリックが分からなきゃ、そう思うよな。


「ミステリって、犯人がトリックを使うんでしょ。でも圭の説明だと、犯人ってより書いてる人がトリックを使うって感じなんだけど……」

「うん、そうだよ、その通り」

「え?」

「だから、作者が読者に対して行うトリックなんだよ、叙述トリックって」


 まあ作中作だとか色々とあるし、厳密に言えばそうでもないんだけど。一応は、そんな認識で間違いないだろう。

 そもそも俺は、専門家でもないし。


「叙述トリックってさ、その物語の警察だとか探偵だとかを騙すもんじゃないんだよ、基本的に。だからもし、その物語内に入りこむ事が出来たら、犯人なんて一発で分かっちゃうし、その物語の警察だとか探偵だって、普通に謎を解くまでもなく犯人が分かってたりする」

「? じゃあ、ミステリじゃないじゃん」

「でも、読者にとっては謎がある。あくまでも作者が、読者に対して挑戦するんだ。」

「じゃあ、読者が探偵で、作者が犯人。そういう感じ?」

「まあ大まかに言えばな。よくわかったじゃないか」

「えへへ」


 俺が褒めてやると、瑞希は嬉しそうに微笑んだ。ああもう、可愛いな、本当に。すっごく嬉しそうにするんだもんなあ。


「じゃあさ、具体的にはどんなのがあるの?」

「そうだな、やっぱり性別の誤認トリックとかが有名なのかな」

「ああ、実は男だったとか、女だったとか、そういう話?」

「そうそう」


 中性的な描写をしておいて、女と思わせておいて実は男でしたとか。あるいは男と思わせておいて実は女でしたとか。結構あるのは後者の方かな。

 実際、中性的な描写をすると、人は結構男だと思い込む。特に勘違いしやすい描写は、職業だ。政治家だとか、先生だとか、医者だとか、棋士だとか。そこらへんの職業は、どうしても男がまず浮かんでしまう。


「あとはまあ、違う人と見せかけて同一人物とか、あるいはその逆とか」

「同一人物?」

「ああ。例えば同じ人でも、呼称が違うとか。そうすると、違う人のように見えるんだよな」


 例えば、小林青彦という人間がいたとしよう。ある人(あるいはグループ)は、彼を『こーくん』と呼ぶ。それはもちろん、小林だからって理由だ。

 ところが、別の人(あるいはグループ)は、彼を『あおちゃん』と呼ぶ。青彦のあおからとって、あおちゃんだ。

 こうすると、同じ小林青彦なのに、『こーくん』と『あおちゃん』という二つの呼び方が存在することになる。


「でもさ、それだけじゃあトリックにはならなくない? 呼び方違うだけじゃん」


 俺の説明を一通り受けて、瑞希はそんなことを言い出した。まあ確かに、これは俺の説明が悪いかもしれない。


「まあこれだけだときついよ。だからこそ、作家の腕の見せ所なんじゃないか。例えば同時進行で別の物語を展開させて、片方に『こーくん』、もう片方に『あおちゃん』を出す。勿論他の人間に共通している人間はいない。こうすれば、なんかトリックになりそうだろ?」

「おおー」

「しかもだ。『こーくん』は男っぽくて、『あおちゃん』は女っぽい。これで、男女の性別誤認トリックも使えるのだ」

「すごいすごい!!」


 ふっ、俺のトリックに、恐れおののいたか。正直同一人物の叙述トリックはともかく、『こーくん』と『あおちゃん』の男女トリックは偶然だったけど。

 しかしまあ、ここまで褒めてくれると、男冥利に尽きるってもんだ。


「まあ、あれだ。ハンドルネームとか、叙述トリックぽいしな」

「ハンドルネーム」

「えー、そこも知らないのか」


 まあ突っ込んだ解説をしてもいいんだけど、そうするとネタバレになるからな……。

 叙述トリックって人間の他にも、色んなものを誤認させる事ができるけど、そこらへん説明するだけでネタバレだし。


「具体例はここら辺にして。これで大体叙述トリックが分かったろ」

「うん、ありがと」

「本当はここから、叙述トリックがアンフェアかどうかの話をしたかったけど……」


 僕は壁にある時計を見る。午後六時半。もう大分いい時間だ。


「また今度にしよう。俺だってまだやるべき事があるしな」

「ちぇ、しょうがないか」

「まあそういうなって。明日にでも俺の持ってる叙述トリックの本貸してやるからさ」

「本当に!? じゃあ明日、楽しみに待ってるよ!」


 そう言うや否や、瑞希は立ち上がった。

 帰る準備だけは早いやっちゃな、こいつ。


「あ、そういえばさ」

「ん?」


 瑞希は帰り際に、俺に質問してきた。


「男女を誤認させるトリックあるって言ってたじゃん」

「ああ、言ったな」

「それって、の名前でもできるじゃんね」


 まあ確かに、工藤瑞希って名前は、十分通じる。というか、こいつ気づいてなかったのか。あんだけ散々言っていたのに。

 はぁと、俺は本日三回目のため息をつく。


「だからと言って、叙述トリックをする機会はないだろうが」

「まあ、確かにね」

「けどまあ、お前結構女の子っぽい喋り方だしなあ」

「そう? 普通だと思うけど」

「少なくとも、男らしくはない」


 まあ、中学一年生なんて、そんなもんなのかもな。


「それじゃあ、圭。まったねー」

「おい、最後くらい敬語使えよ」

「ちぇ、分かったよ」


 そして、瑞希は去っていく。

 名残惜しい時間は、過ぎ去ってしまう。


「それじゃあ、さようならー!!」




**************************************




「……はぁ」


 図書館での調べものを終えて、俺は理科準備室にいた。机に突っ伏して、リラックスモードだ。

 やれやれ、中学校教師だと、授業の内容も専門的な話だけでは済まないのはつらいな。おかげで、中学生向けの『よくわかる科学』を読む羽目になってしまった。

 いくら雑学を入れつつ面白い話をしろって言われても、難しいだろ。くそ、ちょっと偉いからって人の授業まで命令しやがって、あの教師。


「……はぁ」


 本日五回目のため息をついた後、俺はコーヒーを淹れるために立ち上がる。

 まあ図書館で調べものをした結果、瑞希に会えたんだからよしとしよう。おつりがくるくらいだ。


「……はぁ」


 またもため息が出る。しかしこれは、さっきのため息とは違う。強いていうなら桃色吐息だ。……これ、用法あっているのかな。

 俺は瑞希の事が好きだ。

 僕は年下の幼馴染、しかも男に恋をしている。

 勿論わかっている。こんな恋は決して許されるものではない。中学一年生で幼馴染、しかも男だ。数え役満だ。

 しかし、気持ちを抑えられたら苦労はしない。それで気持ちが落ち着く筈もない。


「……はぁ」


 本日七回目のため息。今度のは、どうしようもない自分への、諦念と失望がドロドロと混じり合ったため息だった。

 




 

 

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叙述トリックを教えて 西宮樹 @seikyuuki

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