ミルクティーみたいな貴方

圭琴子

ミルクティーみたいな貴方

 ふうっと一つ、庶務課の沢田さわだは大きな吐息をついた。領収書の整理はあと二枚で終わりだったが、昨日学生時代の友人と『女子会』と称して夜遅くまで呑んだ為、どうにも眠くなる。集まった面子は皆、彼氏が居ない事で固い結束を保っているのだった。


(休憩しようかな)


 沢田の勤める会社には、課を問わず利用出来る大きな休憩室が一階にあり、来客者もちょっとしたコーヒーブレイクに使える為、『出会いの場』としてわざと足繁く通う腰掛けの女子社員も多い。そんなものは幻想だと悟りを開いている沢田には、関係のない事だったが。目を伏せて凝り固まった肩を揉みながら、沢田は休憩室に向かって下りのエレベーターに乗った。


「あれ。河内かわうちさん、何飲んでるんですか?」


 終業間近、ドリンクサーバーのある休憩室で一休みしていた営業課長の河内と鉢合わせて、沢田は隣に座って何気なく聞いた。意外な返事が返ってくるとも思わずに。


「ミルクティー」


「……ミルクティー?」


 沢田はキョトンと、丁寧にアイラインの引かれた大きな瞳を瞬いた。けして顔の作りは地味ではなかったが、奥二重なのがコンプレックスで、アイメイクには時間をかけている。その分、髪はショートボブで、健康的な印象を前面に出していた。


「そうだが、どうかしたか?」


 河内は、整えられた短い顎髭を撫でるのが癖だった。特別いかついという訳ではなかったが、昔取った杵柄の高校野球で鍛えた身体は、程よく逞しくて肉厚だ。二十七歳にして営業課長にまで出世したエリートだが、人当たりは分け隔てなく、社内でも人気の上司だった。


「いえ……何となく河内さんは、ストレートで飲んでる気がして……それかブラックコーヒー」


 ミルクティーに口を付けながら、河内は横目で沢田に問うた。


「どんなイメージなんだ、俺は」


「え……何か、甘いもの食べなさそうな?」


「それなりには食うぞ?」


 相好を崩してショートケーキを食べている河内が脳裏に浮かび、思わず沢田は唇に握った拳を当てて、笑いを堪えた。


(……可愛いかも)


「そういう沢田は、どうなんだ」


「えっ。カフェラテですけど」


「人のこと言えないだろ。甘いの好きなのか?」


「いえ、河内さんだから意外なんです。私は、割と甘党ですけど……」


 すると河内は、顎を上げてミルクティーを飲み干し、また意外な事を言い出した。


「俺の家の近くに、上手いショコラティエがあるんだけど。今日帰りに買って、どっかで食べるか?」


「えっ。良いんですかっ?」


 嬉しさよりも驚きの方が勝って、沢田はやや大きな声を出してしまう。庶務課のランチどきの話と言えばコイバナで、河内に彼女が居ないのは知っていた。下心を感じさせず、しれっと河口が口にする。


「彼氏に怒られるなら、無理にとは言わないけど」


「いえ、彼氏居ないです! 嬉しいです! 一緒に食べたいです、ショコラ!!」


 そして今度は、嬉しさの方が勝って、更に大きな声を出してしまう。河内は、沢田と違って堪えずに声を上げて笑った。


「お前、口説くの簡単だな。俺以外に誘われても、家まで着いていくなよ」


 沢田は、ぷうと頬を膨らませた。


「子供じゃないんですから。上司を信頼してるからです」


「信頼、か。やたら他人を買い被るのも、止めた方が良い」


 膨らんだ頬を、河内の人差し指が突っついた。そこで初めて、自分の直らない子供っぽい癖に気付き、沢田は両の掌で頬を覆って上気した。


「河内さんだから、着いていくんです!!」


「分かった分かった。分かったから、そんなに大声を立てるな」


 河内は、また肩で声なく笑った。気付くと休憩室にいる皆が、何事かといった顔で、二人に視線をチラチラと当てていた。


(わっ。恥ずかしい……)


 ちょうどそこへ、終業のベルが鳴る。天の助けとばかり、沢田は紙コップを捨てて先に立ってそこを出た。河内も倣って、沢田に着いて出る。


「じゃあ沢田、俺エントランスで待ってるから、用意出来たら来い」


「はい!」


 沢田は、あと二枚の領収書を大急ぎで仕上げて管理課に寄ってから、エレベーターで一階のエントランスに向かう。キョロキョロと見回すと、片隅に組まれた喫煙者の為のソファセットに、河内を見付ける事が出来た。


「河内さん、遅くなり……」


 声をかけようとして、河内が手脚を組んで天を仰ぎ、居眠りしているのに気付く。それは、普段の男らしい態度とは正反対の、あどけない寝顔だった。


「河内さん……」


 沢田はつい悪戯に、先ほど河内にされたように、頬を突ついてみる。だが、ちっとも目を覚まさない。


(……やっぱり可愛いかも)


 沢田がふふと笑った時、不意に河内の瞳が開いた。


「……んあ、悪い、沢田。寝てた」


「河内さん、寝顔は可愛いんですね」


「何だそれ。失敬だな。起きてる時は可愛くないみたいじゃないか」


 変顔気味に言われ、沢田はたまらず噴き出した。


「そう、ですね。すみません、河内さんはいつも可愛いです」


「だろ」


 短い顎鬚を撫でながら、いけしゃあしゃあと言ってのける。


「それじゃ、行くか」


 河内は立ち上がって首をコキコキと鳴らすと、出口に向かって歩き出した。


    *    *    *


 くだんの店は、地下鉄で四駅の距離だった。駅前にあるショコラティエに寄って、宝石のようにとりどりに輝く小さなショコラの粒を、ガラスケース越しにあれが良いこれも美味しそうだと選ぶ。そんな暖かなコミュニケーションは初めてで、沢田は河内の懐に入れた気がして嬉しかった。


 その後、食べられる場所を探したが、付近には公園もベンチもなく、結局河内のマンションに行く事になった。一人暮らしの男性の部屋に招かれるという初めてのシチュエーションに、沢田は少し鼓動を速くする。


 外回り中はキビキビと足を運ぶ河内だが、マンションまで十五分の道のりは、沢田の歩幅に合わせるように、ゆっくりと歩いてくれた。一階の角部屋が、河内の部屋だった。西向きと南向きに窓があり、沈んだばかりの夕陽が、カフェラテに浮かんだマシュマロみたいに、微かに山並みに蕩けて見えた。


「ソファにかけててくれ」


「はい」


(思ったより、片付いてる……)


 こういう表現は失礼だと思いつつ、沢田は河内の部屋を見回した。コピーした会議資料を持っていく度に河内のデスクの惨状を見慣れている身としては、思わずあちこちをチェックしてしまう。モノトーンで統一されたインテリアには、散らかすのを自覚しているからか、必要最低限のものしか置かれていなかった。


「沢田、カフェラテで良いんだなー?」


 玄関を入ってすぐのキッチンから、河内が訊いてくる。


「あ、はい! ご馳走になります!」


 やがて河内は、シルバーのトレイの上に、買ったばかりのショコラとマグカップを二つ乗せて戻ってきた。テーブルに置いて、二人掛けのソファの隣に座る。


「美味そうだな。沢田、好きなの食って良いぞ」


 沢山の種類が食べたくて、全部違うものを買ってきた為、河内が沢田に譲る。だが沢田は、両掌を眼前で小刻みに振った。


「いえ、河内さんから!」


「そう言うと思った。じゃ、半分こしよう」


 言うが早いか、表面に金色の花模様がプリントされた綺麗なショコラを、河内が素手でつまんで半分口にする。そしてそのまま、それを沢田へと差し出した。


「ほら。ちょっとビターだ」


「あ、はい」


 掌の上に受け取り、はたと沢田は気が付いた。


(あれ。これって……間接キス?)


 意識した途端、頬に朱が上った。


(そう言えば、昼間、口説くとか言ってたし……。でも、河内さんが私なんか相手にしてくれる訳……)


 ぐるぐると、言葉が頭の中を渦巻く。元々、彼女の居ないイケメンと庶務課で話題の河内と親しくなれたら、というちょっとしたミーハー心で着いてきたのだし、まさか部屋に招かれるとは思っていなかった。その上、間接キスまで。固まってしまった沢田を、河内は不思議そうに覗き込んだ。


「食わないのか? 沢田。美味いぞ」


「あ……は、はい」


 顔は自覚できるほど熱かったが河内が反応しないので、赤くなってはいないのかなと思い、沢田は河内の歯形のついたショコラを思い切って口に含んだ。まろやかに溶けていくそれは、河内の言った通り少しほろ苦くて、美味しかった。


「美味しい……!」


「だろ」


 河内が機嫌よく笑む。そして、マグカップに入った薄茶色の液体を一口飲んだ。


「あ、河内さん。また、ミルクティー?」


「ああ。可愛いだろ」


 見透かすように河内は言って、人悪く口角を上げる。その表情は、『可愛い』とは程遠いものだった。


(わっ。河内さん、格好良い……)


 距離が近い事もあり、また河内の部屋だという事実が、沢田の妄想を逞しくした。触れそうなくらい、近い顔と顔。隠しようもなく、やはり頬に熱が灯った。


 しかしそれには言及せず、河内は次のホワイトショコラを口に放り込んだ。そして、しまったといった顔をする。


「いけね。全部食っちまった。沢田、半分こ、な」


「んっ……」


 沢田の妄想通り、唇が重なった。混乱している内に、ショコラの甘さが口の中に広がる。


「ん、ふっ……かわう……」


 我に返って身を離そうとする沢田の後頭部に河内がしっかり掌をかけ、ショコラが溶けきっても、逃げを許さなかった。やがて、甘い後味を残して、河内の舌が沢田の口内から退く。


「沢田」


 心ここにあらずな沢田のアイラインに、chu、と音を立てて口付ける。


「あっ……」


 ようやく焦点を結んだ、鳶色の瞳を見詰めて言う。


「沢田……好きだ」


「えっ」


 ようやく理性を取り戻し、その言葉に驚く沢田の長めの前髪を、河内は片手でかき上げた。そして、額にもリップ音を立ててキスを落とす。


「河内さん……今、何て……」


「馬鹿。二回も言わせる気か」


 そう言うと、河内は脱力してしまった沢田の身体を、ソファにそっと横たわらせた。そして、一人乱れている沢田を余所に、涼しげにミルクティーを一口含む。


「答えは、二つに一つだ、沢田。俺が好きか、嫌いか。ちなみに俺は、残りのショコラを、全部こうやって半分こしたいくらい好きだ」


「河内さん……私もす、ん……」


(河内さん、ズルイ……!)


 みなまで言わせず再び重なった唇からは、ミルクティーの甘いフレーバーが香って、沢田を甘い罠に陥れていくのだった。次の『女子会』では、裏切り者呼ばわりされるだろう。


End.

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ミルクティーみたいな貴方 圭琴子 @nijiiro365

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