ラストノートまで見通して(後編)
五時間目、昼下がりの微睡んだ空気の中、数学の授業を受けていた。居眠りをする人が続出していた。先生が窓を開けるようにと数名の生徒に言った。
ふわっと風が吹いた。
「良い香り」
隣の席に座る男子が、ふと呟いた。私はこっそり、手首に鼻を近づける。なるほど、確かにそれはフローラルの芳香を放っていた。
なんだか愛美に申し訳ない気持ちになる。彼女の好意を一瞬でも疑ってしまったから。先生にばれないようそっと机に突っ伏しながら、私はいつまでも甘い魔法を楽しんでいた。
部活の帰り道、ロフトのコスメコーナーに寄って愛美に紹介された香水を買った。――これで、私は魔法を手に入れたのだ。なんだか一回り強くなった気分。だって魔法使いになれるのだから。
恋する女子は、時としてこんなにも愚かな妄想をするのだ。
家に帰る頃にはその魔法は甘く、印象的な香りを放っていた。バニラの魔法。なんだか美味しそう。拓也くんに告白したとき、愛美は一体どの魔法を使っていたのだろう。ふと、そんなことを考えた。
翌日も学校に魔法の香水をつけていった。制服の下、胸元に一吹き。ああ、私、ちゃんと女の子してる。なんとなく浮き足立つ。好きな人を見かけても、悲しい気分にならなくて済むのだ。
「愛美、昨日はありがとね。すごく気に入ったから買った」
「わお、なんだか私、化粧品会社の回し者みたい」
朝にかけた魔法はすでにフローラル。愛美とお揃い。
「ところで最近、拓也とどうよ」
「別に……まだ付き合うことになって一週間だし」
「同じクラスなんだし、普通もうちょっと進展有るもんじゃないの? 」
口ではそう言いつつもやはり、といったところ。高校生にもなってまだ手すら繋いでいないなんて、なんてピュアなんだとは思う。それこそまるで、このフローラルの香りのようである。しかしそれが愛美なのだ。
だから。
それなら私は、違う魔法を使ってやる、そう考えていた。
帰宅部の愛美は既に家に帰っていた。私は教室に一人。
「……あ、悠里」
私が好きな人は教室の入口に佇んでいた。部活後の体育着姿で西陽を浴びていた。
そう、ラストノートの魔法の時間。
「部活終わったんだ。私も今終わったところ」
嘘。今日は部活なんてサボっている。だってこれは計画の内、彼とここで鉢合わせたのは作られた偶然なのだ。
「……一緒に帰るか」
「うん」
私は大好きな彼の近くに寄った。どうだろう。
魔法は、ラストノートまで見通してつけていた。甘いような、スパイシーなような、印象的な香り。濃すぎるとむしろ不快。朝のトップノートの時点では大分物足りないと感じていたが、我慢して正解だった。香水は引き算してつけるのがポイント。これはネット情報。
二人で河川敷を歩いた。通学路からは少し外れているけれど、私たちは昔からいつもこうして一緒に寄り道をしていた。
私たちは幼馴染みだった。
「ねえ、どうして愛美と付き合うことにしたの――拓也」
「悪いか」
「……さあ。あんたがあんた自身に素直になっての結論ならそれでいいんじゃない? あの子美人だし」
回りくどい言い方をしてしまった。彼は黙った。
「私は愛美に勝てるだなんて思っていない。――だけどあんたと過ごした時間なら、絶対にあの子に勝ってる」
指を絡ませた。多分愛美はまだ、こんなことしていない。
「……悠里、お前もしかして」
「そう。私ね、あんたのことが好き。ずっとずっと、好きでした」
恋の魔法。それは恐らく男の子にかけるものではないのかもしれない。女の子が、ほんの少しの勇気を出せるように作られたものなのかもしれない。
「知らなかった。知らなかったから――」
拓也は私の肩を抱き寄せた。彼の体から制汗剤の香りがする。これは別に恋の魔法でも何でもないんだろうな。
「でも、今分かったでしょ」
自分の鼓動が速くなるのがわかる。鼓動に合わせて、バニラのちょっと妖しい香りが鼻孔をくすぐる。
『ラストノートまで見通して』――fin.
ラストノートまで見通して まんごーぷりん(旧:まご) @kyokaku
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