第2話 キャビンアテンダントとの出会い

「おはようございます。」真冬の朝、外はまだ暗い朝の5時に、若い女性の声から始まる職場。それが、ダビンチ航空客室戦略部の職場だ。客室戦略部は客室推進課と客室品質課からなる総勢2000名規模の大所帯です。客室推進課はCA(キャビンアテンダント)1950名なる機内乗務をメインとした職場で、客室品質課は機内の品質(接客、機内用品、免税品等)のサービスをメインの職場です。私(沖田劉生)は、客室推進課に所属していました。客室推進課はCAが働きやすくなる職場環境を作り、結果としてお客さまに対するサービスが満足に繋がることが主な仕事です。しかし、なにせ1950名のCAが所属する職場ですから凄まじい毎日で戦争状態です。

 今日の一日を覗いて見ることにしましょう。CAは出社すると、パソコンで出社入力をして急いで更衣室へ向かいます。出社の時は髪を下して、私服なので誰か解りませんが、更衣室から着替えて出てくると、髪を上げ凛々しい顔立ちになると何故か誰か解る、面白いものです。「沖田さん、本日の沖縄行き77便リマークスは特にありませんよね。定刻予定で同乗するクルーメンバー12名も全員出社完了です。よろしくお願いします。」とチーフパーサーの飯野が私に話しかけた。「飯野チーフパーサー、沖縄天気は良好、ほぼ満席です。途中上空で揺れることが予想されますので、キャプテンと話をしてアナウンスを適宜お願いします。昨日、長崎上空で一部揺れが大きく、たいしたことはありませんでしたが、若いCAは着席が遅れて手をぶつけて怪我したそうです。お客さまは大丈夫だったそうですので、安心ましたが気を付けてください。寒いので風邪が流行しています。ホテルでのウガイ等よろしくお願いします。」「沖田さん、了解しました。行ってまいります。」「行ってらっしゃい。」この会話を簡単に説明しますと、機種によって乗務するCAの数は法律が定めています、今回は大型機で12名のCAが乗務します。飯野チーフパーサーは、12名乗務するCAの責任者で社内資格保持者です。私は、本日早番で5時から出社して羽田から出発する全便のチェック(就航の可否、行先の天気の情報、前日から引継ぎ等)をして、カウンターで毎便毎便の情報の提供と出発を見送る仕事をしています。何か特別に伝える情報があれば、必ずCAに伝えます。本日の沖縄行き77便のクルーのチーフパーサーはベテランの飯野さんで仕事は抜群にでき、美人でスポーツ万能で何も言うことが無い程素晴らしい女性です。

 本日は全国的に天候も良好で、機材も特に問題がなさそうですので安心してカウンターで待機が出来ます。そう思っていたらいきなりカウンターに電話がありました。「すいません。客室推進課の山野です。昨晩から熱があり救急外来で病院に行き注射しましたが、熱が下がらずお休みを頂きたく電話しました。」「少々お待ちください。」出社台帳をめくりながら「一人で大丈夫ですか。食事は大丈夫ですか。山野さんは、明日は公休ですのでゆっくり休んでください。明後日は、遅番で乗務がついていますので、もし回復しない場合は早めに電話ください。お大事に。」すぐに、乗務するメンバーに欠員が出たので補助要員勤務のリストを見て、アナウンスで呼び出し、「木村さん、おはようございます。本日岡山行100便乗務の山野さんから電話があり、風邪で休むので代わりに乗務してください。」「沖田さん、解りました。直ぐ準備して100便のメンバーにと合流します。」と笑顔で返ってきた。その後、木村CAはすぐに100便のメンバーに合流して、事前のブリーフィングを済ませて元気よく「行ってきます。」と言って100便の出発口に向かった。このような状況は、早朝から最終便が羽田に到着してメンバーが帰ってくる迄続く。この日は、全国的に天気も穏やかで、特に機材の不具合があって修理をするのに時間を要したり、空港が閉鎖したりが無いので穏やかな一日が過ごせそうである。例えば台風シーズンに羽田空港が台風の影響を受けると、出発はキャンセルでカウンター前はCAの人だかりで凄まじい状況になり、地方に宿泊しているCAから勤務はどうなるかとかの状況確認の電話が鳴り響き、翌日、翌々日も含めたCAの勤務変更、就航させる為の作業が発生することになり、CA 約2000名の全ての勤務をチェックしなくてはならない。私もそんなイレギュラーな状況に何度か遭遇したことがありますが、仕事が終わらず会社に宿泊することになります。「只今、帰りました。」と元気な声で振り向くと、早朝送りだしたメンバーが帰ってきました。CAの勤務は往復で帰ってくる勤務、1日宿泊、2日宿泊とパターンがあります。今戻ってきたメンバーは往復で戻ってきて勤務終了のパターンで、乗務終了後に月1回の班のミーティングがあります。「岸本さん、ご苦労様でした。特に何かありましたか。」岸本はチーフパーサーに成りたての若手のホープだ。「沖田さん、聞いてください。レポートにも書きますが、到着でドアをオープンしてお客さまをご案内するときに、お客様同士が喧嘩になり大変でした。一方のお客様が大声で怒鳴っていて、地上係員と協議して警察を呼ぼうとしましたが、そのうちに大人しくなり治まりました。良かったです。安心しました。」岸本はチーフパーサーに成って1か月程度しか経過していませんが、頑張りやで後輩の面倒見も良く人望は抜群の女性です。私は心の中で、『彼女だったら少々のことがあっても大丈夫。安心。安心。』と呟きました。「岸本さん、ご苦労様でした。大変でしたね。レポート後で確認させ頂きますので、マネジャーに報告お願いします。」と言うと「ありがとうございます。怒鳴ったお客様の横にいた子は良く頑張ったのですよ。まだ新人なのに。」「そうですか、褒めてあげてください。班会の会議室を2A会議室で予約しています。夕方5時まで使用できますので。」岸本は元気よく「ありがとうございます。報告書を作成してマネージャーに報告して班会に参加します。」ここで言う班会は2000名の組織なので15名程度の班を構成し、そのトップに班長、その班を束ねるのがチーフ、そのチーフを束ねるのがマネージャーの仕事だった。まさに軍隊の組織に近く、それで管理しないと指示命令含めた統率が中々難しかった。

 CAはどの航空会社でも「花形」とされているが、実は上空の空気が希薄な機内の空間で重いカートを押しながら、常に笑顔で機内サービスをする仕事であり、同時に機内の安全を守る仕事でもあります。心技体が充実していないととても出来ない仕事です。特に健康にはみな気を使い、運動系女子が多いのも特徴です。オリンピック候補、現役のビーチバレーの選手等もいて兎に角精神含めて強い女子が多いです。そして昔は兎に角美人が多く、ミス○○が多かったですね。そして心意気は「大和撫子」ではなく「男前」女子ですので、面白いです。歌を歌っても、司会をしても、一流でびっくりするぐらいです。兎に角真っすぐで、納得して貰うためには時間を要しますが、一度理解する(腹に落ちる)と、すぐに行動に映る集団です。会社の考え方を理解して貰う為に、何度飲みに行ったことが解りません。羽田近くの国道沿いの遅くまで営業している店に、何度も何度も足を運んで飲みました。「やはり会社がおかしいですよ。私は納得いきません。皆頑張っているのに、会社は何も理解してくれない。」私が、「そんなこと無いですよ。一人一人の細かいところまでは、理解が進んでいないかも解りませんが、皆さんが歯を食いしばって、ダビンチ航空の為、お客様の為に頑張っていること理解しています。だからこそ、もっと皆さんが働きやすくなるように組織を見直し、その頑張りを評価する制度を導入しようとしているのです。」と言うと、「本当ですか。会社信じて良いですか。」こんな話を何度も何度も別のCAにもしたことか、忘れられません。今思えば時代が大きく変わろうとしていた時で、古き良き時代だったかもわかりません。ダビンチ航空が国際線を就航し路線を、アメリカ、中国、ヨーロッパと拡大していき羽田から成田へ(国内から国際線へ移行)するCAが多くいた時代でした。国際線を就航するからには、今のままの会社の体制では駄目だ、「井の中の蛙」では駄目だと言う話を良くしていました。あの時の自分は人生で一番飲んだかも解りません。兎に角、ほぼ毎日に見歩いていました。羽田空港近くが一番多く、羽田の海老取川近くの居酒屋は常連で、そこの大将が週刊紙に話したのか「CAが来る店」で一時注目されました。大将が朝一の船で、羽田沖合で美味しい蛸を釣り上げて、料理してくれる店でした。時には、中心に出ようと言って六本木とかに行って朝帰りした時もありました。飲み過ぎて、タクシーから途中で降ろされたら、「大丈夫ですか。」の声で目を覚ましそこが工事現場だったこともありました。男性社員はそれぞれ担当があり1人で約100人のCAを担当していました。そのころ私は独身でしたので、自宅に班員約10名位を呼び親睦を深めたりもしていました。今思えば、学校的なところもありました。実際に多くの委員会があり、例えば風紀委員会等でうが、これは全てコミュニケーションを取る手段でした。CAと機内に同乗して機内のサービスのチェック、安全性の確認業務の確認をして気づいたことを、宿泊先のホテルにて同乗者全員で話をしたり、班会で話をしたりと兎に角コミュニケーションをとることが仕事でした。今でも心に残る良き職場で、鮮明にその時の事を覚えていますし、その時の仲間と連絡しています。その中のCAが独立して会社を設立、本を出版しここ数年で華々しくデビューしています。嬉しい限りです。世間では「CA」というとひとつのブランド価値ですが、一人の女性であり、悩みも多い一人の人間です。純粋で、我慢強く、へこたれない、男より「男前」がCAかもわかりません。私の生きてゆく上で非常に勉強になった時期でした。CAの方々には色々と助けられ、元気も貰い、約三年間でしたが安らぎの時間でした。今でも感謝の気持ちで一杯です。



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「破天荒」職場への限りない想い @yoyo5848

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