第30話 いい湯だな

 ついに、石の箱が完成した。殿は自ら、その箱の角に小さな施しをした。すると、そこから水が箱の中にたまるような仕掛けになっていた。

「これはたまげましたな」

「さすが、広和殿は物知りじゃ」

と、家臣たちから感嘆の声が漏れる。


 「殿、これは……」

箱の中に水がたまるのは分かったが、果たして水をためてどうするつもりなのか。広和殿は、満面の笑みでその場にいる家臣全員に言った。

「入るよ!」

殿は帯を外した。と思うと、また締め直した。殿を見つめる家臣たちに、静かに告げる。

「パーテーション、つくらないとね」

家臣たちにとって、また新しい言葉が登場した。パーテーションとは、襖のような仕切りのことをいうそうだ。どうやら、外からこの箱が見えないように目隠しをするようである。


 隅田が原に囁いた。

「これはもしや、風呂ではないか」

「確かに、あまりにも大きいがそのようだ。水も温まっておる」

本間も、その会話に入ってきた。

「これは大きい風呂ですな。殿の御力の現れです」

「力? そんなものに興味がある殿とは思えないが」

「そうだ。皆のためとおっしゃておった」

「何故、大きい風呂が皆のためなのだ?」

「それは……知らん」


 仕切りができると、殿はまた家臣たちに言った。

「入るよ!」

殿は、帯を外し、着物を脱いだ。ふんどし姿になった殿は、構えている家臣たちに驚く。

「ねえ、入るよ」

「はっ」

返事をしても、家臣たちは動こうとしない。

「ねえ、入るよ」

「はっ」

「はっ、じゃなくて、入るよって」

「はい?」

「はやく脱いでよ」

「脱いでと言われましても」

「坂本君と隅田君くん、原君以外みんないっしょに入るよ。わかった? 本間君」

「あの、殿」

「ん?」

「これは、その、風呂……なのでしょうか?」

「そう。大きいお風呂。温泉ね。ほら、みんな早く」


 殿は、温泉に入り、湯船に肩まで浸かった。

「何やってんの。早くおいで」

「お供してもよろしいのですか?」

「当たり前でしょ。みんなで入るものなんだから」

本間も殿についていくように、皆も裸になり湯船に浸かった。

「温かいなー」

全身が温まり、力が抜けていく。湯気に包まれながら、皆、安堵の表情を浮かべた。


 殿は、一番最後に入った熱海のもとに寄り、話しかける。

「温泉ってね、肩こりとか腰痛に効くんだよ。これつくるの頑張ってくれたから、疲れをとってね」

「殿」

「ん?」

「私は……皆のためという殿のお気持ちを……」

「……ありがとう」

「……え?」

殿は、熱海の腰をさすった。

「どう? 熱海君、泥だらけになって穴掘って、腰を痛めるまで頑張ってくれたんだよね。それに、この手」

熱海の手には、水膨れができていた。

「ありがとう。ところで今考えてるんだけど、熱海君に任せたい仕事があるんだ」

「私にですか?」

「うん。――この温泉、大切にしてほしいんだ」

熱海にとっては、殿から直々に頼まれる仕事など、今までにないことである。

「それにしても、いい湯だね」


 本間が殿に寄ってくる。

「殿とともに風呂など、光栄にございます」

「本間くんはかわいいよね。いっつもそうやって褒めてくれるの」

「嬉しゅうのです」

「本当は、本間君とじゃなくて、かわいい女の子と入りたかったんだけどね」

「おな、ご? でございますか。いえいえ殿、女子と風呂など、いけませぬぞ」

「はいはい」

そんな冗談を横で聞きながら、熱海は両手を風呂の中でさすった。


 

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結城殿の一生 柚月伶菜 @rena7

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