お花見とおべんとう

蒼生真

花見に必要なもの

「今日は花見をしに行こう。」

朝食後にソファでくつろいでいたお父さんが突然言い出した提案は、唐突で強引なものだったが、この部屋にそれを反対する者はいなかった。

桜の下でみんなで仲良く花見をする。

それが毎年行われる伝統行事のようなもの。

花見をしないことには我が家に春は来ない。

しかし、お父さんにとってはさらに必要なものがあるのだ。

「というわけで、弁当を頼む。」

そう。

お父さんはお母さん特製の手作り弁当しか認めない頑固な男だったのだ。

「お父さん。そういうことは前日までに言ってくれないと…色々下準備というものがあるんですよ?」

食器を洗っていたお母さんが呆れたような声で返答する。

それでもお父さんの顔色が一切変わることはなく、提案を通す気満々なことだけは伝わってきた。

「花見をするなら晴天の朗らかな陽気の日に限る。」

「別に今日じゃなくても…。まだ日にちはありますよ。」

「そんなのは分からないじゃないか。これを逃したらいつ次の花見日和が来るか分からないんだぞ?それに俺の休みもかぶるとは限らない。おちおちしていたら葉桜になっちまう。ともすれば、今日花見をしない手はないってわけだ。」

「まったくもう…。」

そう言ってため息をついて見せたお母さんも、この時期になると弁当用のおかずを冷蔵庫に用意していたりする。さすが主婦歴10年以上のベテラン。その辺りに抜け目はない。それとも、お母さんも花見を楽しみにしているのだろうか。

「華。お前も行くだろ?」

お母さんが大きな弁当箱を取り出したのを確認してから、お父さんが華こと私に声を掛ける。ひとりで遅めの朝ごはんを食べていた私は「もちろん」と答えた。

何を隠そう、私もこの季節を待っていたのだ。

満開に咲く花を愛でるという行為は、日本人なら誰もがやりたがることであり、毎年桜の下に集う人々が報道されることも恒例となっている。いつもは忙しそうに仕事をしている人々も、お酒とつまみさえ用意すれば無礼講という言葉の下どんちゃん騒ぎを始める。それによってトラブルになるのは勘弁だが、見ている分には愉快なものである。未成年の身としては、自分はあぁはなるまいと肝に銘じるのも毎年のことだ。

それに、先日部活のために念願の一眼レフを手に入れた。ちょうどその性能を試してみたいと思っていたのだ。良い写真が取れた暁には、新入生に配る新聞に掲載したい。来るべくして来た新学期に、文字通り花を添えてやるという具合だ。

お父さんは「よっこらしょ」と立ち上がり、伸びをしてからテレビを消した。

「母さんたちも呼ぶか。きっと喜ぶ。」

「迎えに行くならちゃんと連絡してから行ってくださいね。向こうにも準備ってものがあるんですから。」

「はいはい。」

「その間に華と2人でお弁当も作っておきますから。行くのはいつもの河川敷でいいんですよね?」

「おう。後はまかしたぞー。行ってくる。」

さりげなくお弁当製作要員に任命されてしまったが、花見を楽しむ代償だと思えば安いもの。ということで、お父さんがおじいちゃんとおばあちゃんを迎えに行っている間、私とお母さんで5人分のお弁当を作る任務が与えられた。

「さて。またお父さんの花見したい病が始まったことだし、すっかり春になったわね。」

「花見したい病って…(笑)」

「あれはもう病的でしょう。」

「否定はできないね。」

そんな会話も、もう何回しただろうか。

こんな恒例の会話ができるのも、私たちが今年も変わらず過ごせている証拠でもある。

さてさて。ここからが本題だ。

お昼ごはん用に炊いておいたたっぷりの白米をおひつごとテーブルにおき、できたおにぎりを冷やかすための大皿を置く。アツアツのまま弁当箱に入れた日には、弁当箱の中が蒸気で水浸しになってしまうのだ。炊きたてのご飯も大変魅力的ではあるが、今回ばかりは冷えたご飯が必要である。お米の粒を潰さないようにしゃもじを操りおひつの中のご飯をかき混ぜる。一方ではお母さんが手際よくだし巻き卵を作っている。フライパンの上で黄色いじゅうたんが四角くたたまれて完成。簡単に見えてあれはプロの技である。しばらくすると、冷凍しておいたおかずを電子レンジに突っ込んだお母さんが加勢に来てくれた。

「ざっとこんなもんかしら。」

その手にはおにぎりに入れる梅干しやおかか、ゆかりに海苔と、我が家のおにぎり製作材料が抱えられている。

私はさっそく塩水を手に取り、まだ少し熱いご飯に手を突っ込んだ。そこまで熱くないことを確認してから、ほどよい量をすくい上げる。これにもずいぶんと慣れたもんだ。昔は手が溶けてしまうんじゃないかってほどの熱さに耐えながら、あぶら汗何だか冷や汗何だか分からない汗をかき、不格好なおにぎりをいくつも製作していた。それを涼しい顔してやってのけるお母さんを何度も恨めしく思ったものだ。

掌にある白米に梅干しを埋め込み、ぎゅっぎゅっと三角形に握ってみる。ほぼほぼ一年ぶりにしてはいい出来だ。

「あら。あんたも上手くなったもんね。」

「お母さんには負けますよ~。」

「そりゃあ主婦を舐めちゃいけません。」

そう言いながら、お母さんも同じように白米を丸めていく。手の中で3回も転がせば、ただの米の塊は一気に『おにぎり』へと変貌を遂げる。スピードとテクニックを兼ね備えた洗練された動きである。

「さすがですね~。」

「はいはい。口を動かすよりさっさと作っちゃおうねぇー。」

「はーい。」

そんなくだらない話をしている間に、お弁当はみるみる埋まっていった。


  ○  ○  ○


 お母さんと一緒に重くなったお弁当箱を持って近所の河川敷へ向かう。既に多くの花見客の姿があり、出店が出るなどいつもと違った賑わいを見せている。この河川敷には遊歩道に桜並木があり、毎年たくさんの花を咲かせてくれる。今日は日曜日ということもあって、お酒が入っている人も多く、誰もが楽しそうに笑っていた。

端末でお父さんと連絡を取りながら桜の下を歩いていく。いつもは全く手に届かない遥か頭上にある桜の枝は花の重みで垂れ下がり、私たちを歓迎するかのように頭を撫でる。生暖かい風が吹き抜けて行く度、桜が舞い散り、人々から歓声が上がった。薄桃色の花弁が一瞬視界を遮るが「花吹雪、とは的を射た表現だな」なんて思っているうちにすぐさま痛いくらいの青空が目に入る。そして散っていった桜は川面と足元に桜色の小道を作り出す。それは言葉では表現しきれない絶景だ。

「「おぉ。見えた見えた。」」

電話口からお父さんの声が聞こえたと思えば、視界の向こうでお父さんが大きく手を振っている。その足元にはすでにピクニックシートが敷いてあり、おばあちゃんとおじいちゃんが飲み物を用意して待っていてくれた。

少し、歩を早める。

「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは。」

「華ちゃん、お母さん、お疲れ様。重かっただろう?」

「毎年ごめんなさいね。先に始めさせてもらってます。」

「いえいえ。夫のわがままにももう慣れました。それに、お二人ともお元気そうで良かったです。」

「ふふふ。それもそうね。今年も元気に綺麗な桜が見られてよかったわ。」

私とお母さんそれぞれにねぎらいの言葉を掛けながら、おじいちゃんとおばあちゃんはジュースの入った紙コップを渡してくれた。ぐいっと飲み干して一息つくと、自分の肌が少し汗ばんでいることに気がついた。ちなみにこの場にお酒がないのはお父さんが車を運転するせいである。

「待ちくたびれて腹が減った。早く食べよう。」

「到着してそうそうの言葉がそれですか。感謝の言葉はないんですか?」

「お弁当を作っていただき、ありがとうございます。」

お母さんの嫌味に素直に従ったお父さんは弁当の入った風呂敷を開いた。量が多いから、今回は重箱に入っているのだ。1段目の蓋を開けると、小さな歓声が上がった。

「おぉ。今年もさすがの出来栄えだな。」

「お褒めにいただき恐悦至極です。」

「ですです。」

満足そうなお母さんに続いて、私もお弁当を覗き込む。

まず1段目には、私とお母さんで作ったいっぱいのおにぎり。うちは海苔はパリパリ派だから真っ白なおにぎりがみっちりと整列している。大きくてきれいな三角の形になっているのがお母さん。小さいくせに不格好なのが私。誰が作ったか分からないようにバラバラに配置したはずなのに、微妙な大きさの違いでどれを誰が作ったか丸分かり。それを家族に見られるのが何となく恥ずかしくて、毎年責任をもって自分のおにぎりを食べているのは内緒だ。ちなみにおにぎりの種類は3種類。1人につき3つの計算だが、毎年いくつか残る。それらは同じく残ったおかずと共に今日の夕飯と明日のお父さんと私のお弁当に入ることになっている。

2段目には狭い箱に敷き詰められた色とりどりのおかずたち。黄色がまぶしい卵焼き、真っ赤に熟れたプチトマト、ゴマの目をつけたたこさんウインナー、から揚げ、フライドポテト、ほうれん草のおひたしときんぴらごぼう…ぱっと見るだけでもそこに考え抜かれた匠の庭があるみたいだ。

3段目には苺やキウイ、夏みかんなど季節の果物が並び、艶やかな光を発している。さらに別の袋には甘い物が大好きなおじいちゃんのために桜餅が用意してある。

突然の提案だったにも関わらず、よくここまで食材が揃ったものだ。

さっきまで散々見ていたはずなのに、こうして桜の下で見て見るとまた違った感動がある。

しかも並べたそばから桜の花びらが入って、さらに色が映えていく。

「さて、それじゃあいただくとするか…。」

「ちょっと待って!」 

私はおにぎりをとろうとしたお父さんを制止した。もう少しで今日の目的のひとつを忘れるところだった。寸でで崩れるところだった芸術品を持って来たカメラで撮影する。こんなに綺麗なものを記録しないなんてもったいないじゃないか。

続いて少し距離をとり、手を振って大人4人に合図する。

「笑って!」

ぱしゃり。ぱしゃり。ぱしゃり。

シャッター音が響く。

目の前に広がる綺麗な風景が、小さなフレームの中に収まると、宝物がまたひとつ、増えた気がした。

「撮りましょうか?」

突然後ろから声を掛けられ振り返ると、隣で花見をしていたらしきカップルが立っていた。普通なら他人に声を掛けられることなんてないのに、これも花見マジックだろうか。みんな、桜色の優しさが移ったように、柔らかい笑顔をしている。

「お願いします!」

私はカメラをお兄さんに渡し、家族の元へ駆けた。

私のために開けてくれた中央のスペースへ座り、両サイドにいたおじいちゃんとおばあちゃんの腕を組む。そうするだけでまた嬉しそうに笑うおばあちゃんと、恥ずかしそうにはにかむおじいちゃん。調子づいてさらに中央に身を寄せようとするお母さんは、さりげなく後ろから手を回し、お父さんの腕を引っ張っている。それがおかしくて、また笑顔がこぼれた。

「じゃあ、撮りますよー!」

「はーい!」

そう言った瞬間、また風が吹く。

パシャリ。

今度は一回だけ、シャッター音がした。カメラを降ろしたお兄さんの顔には満面の笑み。どうやらいい写真が撮れたようだ。

「ありがとうございます。」

そう言ってカメラを受け取る。すると、お母さんがおにぎりを2つ包んで、お兄さんに渡した。

「これ、よかったらどうぞ。2人で食べて。」

「うわっ!いいんですか!」

「ありがとうございます。」

「こちらこそ、ありがとう。」

そう言うと、2人は軽くお辞儀をして元のベンチに戻っていく。桜の下で寄り添う2人はとても幸せそうだった。

私とお母さんがピクニックシートに腰を下ろすと、ようやく花見の始まりだ。

「さてと。…それでは、いただきます。」

「「いただきまーす。」」

お父さんに続いて、みんなが思い思いに箸を伸ばし始める。

待ちに待った宴会の始まりというやつだ。

それを横目に、私は先程撮った写真を確認してみた。

お兄さんが笑う理由も分かる、いい写真だ。

ひとりでにやけていると、おにぎりを携えたお母さんが「あら、うまく撮れたわね」と覗き込んできた。

「親切な人がいてよかったわね。」

「これも縁ね。桜が人を優しくさせるのかしらね。」

おばあちゃんがお茶をすすりながらしみじみと言った。おばあちゃんのこういう考え方は好きなので、何だかほっこりする。

「おにぎりを渡して大正解だったわ。」

「なんで?」

ちょうど話題に上がったおにぎりに海苔をくっつけながら、私はおばあちゃんの話に耳を傾けた。

「これは私のお母さんから聞いた話なんだけどね。おにぎりって『おむすび』とも言ったりするでしょ?人と人を“結ぶ”。縁と縁を“結ぶ”。そんな風に分け合うから『おむすび』って言うんですって。本当の由来とは違うだろうけれど、私はそっちの方が素敵だと思うの。そう思わない?」

おにぎりにかぶりつくと、ピリリとした塩気が走る。おにぎりを覗くと、赤茶色のおばあちゃん特性の梅干しが私を見つめ返していた。酸っぱくて甘い、おばあちゃんの優しさがにじみ出たような味。私はあふれてきた唾液とご飯をゴクリと飲み込んだ。

「そんなこと言われなくたっておにぎりは素敵な食べ物だよ。こんなに簡単で美味しいもの。」

「アンタとお父さんは花より団子よねぇ。情緒ってものが欠けてるわ…。」

「どうとでも言ってくださいな。私は美味しいものが存在してくれるだけでありがたくてしょうがないんだから。」

「華ちゃんは昔から食いしん坊だったからね。元気に大きく育ってくれて嬉しいわ。」

「いっ…今はそこまでじゃないもん!」

「どちらにせよ思考はそうだってことだ。あきらめろ。」

「お父さんには言われたくないんだけど!」

口でそう言っておきながら、私は次の新聞部の記事にそのおにぎりの話を入れようと心に決めた。

自分の家族のことが記事にかけるなんて、それこそ素敵なことじゃないか。

「また来年もお花見しようね。」

私がそう言うと、みんなが頷いてくれた。

来年こそは、私も弁当のおかずのひとつやふたつ作れるようにしたいな。

そしたら、みんなもっと喜んでくれるかな。

そんなことを思いながら、私は桜を見上げる。

青い空、桃色の桜、家族の笑い合う声、美味しいお弁当。

そんな幸せな日々が、ずっとずっと続けばいいと思った。

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