死ぬのは彼であり彼ではない
沈降
第1話はじめに
私は今でもあの頃のことを夢に見る。あの頃の出来事は私にとってなんだったのか。あの男にとって私とは何で、あの男にとってあの出来事は何で、そして何か意味があったのか、もしくは意味がなかったのか。男はもういない。直接聞くことで知る機会はすでに失われている。許されるのは自己満足である回顧と想像のみである。
時もずいぶんと過ぎ、あの頃の記憶は薄れてきている。夢に見ることもあるとはいえ、その回数も減った。自らの情念も静かに、海の潮がすーっと引いていくように後退している。また、満ちていくことはないかもしれない。
そのことに気が付いたときに私はひどい吐き気を覚え、嘔吐した。そして、一週間ほど体調がすぐれず、ベッドの上で過ごした。神様が世界を作ってしまうような短い時間の中でこの吐き気とは何なのか。ちっぽけな頭で考えた。そして、何を忘れ何を思い出すべきなのか考え、一つの結論にたどり着いた。
私はあの頃の記憶を文字にしなければならない。
忘れることをしてはならない。
あの男のことも、あの男の発した言葉を、あの男の体臭を、あの男の姿形を。そして、あの男を私の中で永遠にしないといけないのだ。考えたといってもこの結論は私の無意識からくるものである。フロイトが正しいのであれば、私の超自我はそれを欲っし、自我はその欲望を認めたのである。
と私は思っている。
こうして生まれたのがこの記録であり、小説である。そして、これは私の私による私だけのための小説であり記録なのだ。
私の死後この記録を読むものがいるのならば、このことに留意して読んでほしい。見るには堪えぬかもしれぬが、私の気持ちが記されている。もしかしたら面白いかもしれないし、不快感があらわになるだけかもしれない。このことを考慮して読むかどうかは読んでいるあなたに任せる。
ただ、言いたいのはここに書かれていることは私にとってはすべて真実である。それだけは譲れない真である。
死ぬのは彼であり彼ではない 沈降 @Waratop321
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