Encyclopedia Galactica

阿井上夫

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 仮に「それ」を何か別のものに喩えるとしたら――例えば、絶対に不可能なことではあるのだが、仮に人間が「それ」の姿を適切な距離をおき、「それ」が認識可能な光の波長に変化したところを眺めることが出来たとしよう。


 その見た人間は、「それ」を魚だと思うに違いない。


 本質的には誤った認識であるものの、しかしながら確かに「それ」の外見は魚に酷似している。

 収斂しゅうれん進化といっても良いのかもしれない。

 流線型の白い身体と、そこから流れ出るように伸びる半透明の大きく優美なひだ――身体をくねらせるたびに、それが体幹より僅かに遅れて宙を舞う姿は、大きな池の中をゆっくりと泳ぐ観賞用の金魚に他ならない。


 従って、以下では「それ」が魚に似ているという共通認識の下に、比喩的表現を用いながら語ることにする。

 なぜならば、そうでもしなければ「それ」を人間の言葉で表現することが出来ないからだ。


 なお、「それ」に対する明確な呼び名は存在しないので、やむをえず「それ」と呼称する。

 ちなみに或る種族は「それ」を神の使いとしてたたえたし、他の種族は悪魔の手先として恐れおののいたが、しかしながらそのいずれの陣営の表現や認識は、「それ」の本質とは無関係である。

 なぜならば、「それ」自身は善悪という判断基準を最初から持たないからだ。

 誤解を恐れずに言うと、「それ」は最初から単なる「それ」であった。

 別に言い方をするならば、「それ」は池が出来る時に波打った水面が生み出す泡の一つから偶然生み出された、情報思念体の一種である。


 最初、「それ」はひとりぼっちであった。


 広大な池の中を唯一つの「それ」が遊弋ゆうよくしているだけだった。

 ところが、棲家すみかである池が何度か干上がり、そして再び満たされるということが繰り返される度に、最初の泡の中から「それ」と同じものが生み出されていった。

 最初の存在確率がいかに極小なものであったとしても、「それ」が前例として存在することで次が生み出される可能性が急激に高まるというのは、よくあることである。

 そして、今まで「それ」がなくなることは一度もなかったので、現時点で三千五百二十一億六千三百二十三万九千七百二十四の「それ」が存在していることになる。

 有難いことに、今の池は出来てからだいぶん時間が経過しているため、「それら」が泳ぎ回るための空間は充分に確保されていた。

 しかしながら、それでも時折密集を好む「かれら」の優美な襞が、池の中に浮かんでいる塵芥ちりあくたを偶然弾き飛ばすことがある。


 今しがたも、或る種族が『銀河系』と呼称している地域に含まれていた文明の一つが、そこをかすった襞によって消滅したところである。


 正確には「情報思念体を構成していた濃密な因果律が、数十億とはいえ些細なノイズであることには変わりがない人間の思念を、綺麗さっぱりぬぐい去った」だけのことであるから、たいした話ではない。

 相変わらず「それら」は善悪を超えた存在として、今も池の中で悠々と泳ぎ続けている。


( 終わり )

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