ツンデレ姫とガラスの指輪
春野こよみ
ツンデレ姫とガラスの指輪
彼を視界に入れたとき、ふいに胸が高鳴った。
一目惚れなんてする柄ではない筈だが、それは自分の思い込みだったのかもしれない。
日に当たって光を反射する髪が、さらさらと風に揺られている。
その姿はとても神秘的で、魅入ってしまうほど。
その日、僕―――佐倉由宇は、彼―――結城綾都先輩に恋をしたのだ。
ざわざわとする廊下を歩きながら、僕は入学式の日のことを思い出していた。
僕はあの日、人生で初めて恋に落ちた。
相手は、ひとつ年上の二年生である結城先輩。
彼と言っているのだから、勿論、結城先輩は男性だ。
そして僕も、勿論、男だ。
初恋なのに、その相手が男性だという事実に、僕は一週間程は頭を悩ませていたと思う。
だけどよく考えてみても、僕は今まで一度も男を好きだと思ったことが無い。
だからこれは、結城先輩が特別なのだという結論に至った。
僕は結城先輩だから、恋に落ちたんだ。
「由宇~‼一緒に帰ろぉ♪」
「うわぁ!?」
突然、後ろから誰かに抱き付かれ、僕は前に倒れそうになった。
だが、サッと後ろの人物に抱えられ、事なきを得た。
わざわざ振り向くことをしなくても、それが誰なのか分かる。
僕は溜め息をひとつ吐き、自分に巻き付く手を振り払った。
「いつもいつもうっとおしい。いい加減にしてよ、咲夜。」
優しそうな笑みを浮かべた長身の青年―――天嶺咲夜は、嬉しそうにまた僕を抱きしめた。
何が嬉しいのか僕には理解出来ないが、人に抱き付かれることはあまり好きではない。
といっても、僕に抱き付いてくるのは咲夜ぐらいなのだが。
「早く帰ろう?家まで送ってくよ。」
「咲夜の家は、僕の家の隣だろう?」
そう、僕と咲夜は家が隣同士の幼馴染みなのだ。
小さい頃から僕に引っ付いてくる咲夜のせいで、僕には親友といったものが出来たことがない。
それは恋人も同じだ。
話す程度の友達はいくらでもいるが、仲を深める為に一緒に遊びに行こうとすると、咲夜が僕を引き留める。
それが何回も続いて、今では誰も誘ってすらくれなくなったのだ。
僕が非難染みた目で咲夜をちらりと見ると、咲夜はまた嬉しそうに微笑んだ。
何が嬉しいのかがやっぱり理解出来ないが、咲夜の笑顔は見ていると何となく落ち着いてくる。
咲夜をキッパリと拒絶出来ないのは、幼馴染みとしての情と、一緒にいるときの安心感があるからだ。
別に咲夜のことが嫌いではないことも、理由のひとつだろう。
「僕はこの後、図書室で委員の仕事があるから帰れないよ。先に咲夜は帰っていいから。」
「えー、だったら終わるまで教室で待っとく。俺が待ってたら、由宇は嬉しい?」
「嬉しいわけないだろ!まぁ、別に待っててもいいけど。」
「そっか!じゃ、頑張ってね。」
咲夜はまた嬉しそうに微笑むと、僕に手を振って、教室の方へと引き返していった。
咲夜の後ろ姿を眺めながら、心の内でこっそりと溜め息を吐いた。
図書室へと向かいながら、僕は自分への反省をしていた。
素直になれず、思ってもないことが口からスラスラと出てしまう、可愛いげの無い自分。
咲夜は、どうしてこんな僕と一緒に居てくれるのだろうか。
小さい頃から一緒にいる咲夜には、心にもない言葉をたくさん投げ掛けてしまっている。
自分が咲夜の立場だったら、愛想を尽かして離れるだろう。
それがたとえ、幼馴染みだとしても。
きっと咲夜は、優しすぎるのだ。
ふと気付くと、図書室の扉の前を通り過ぎていた。
慌てて道を引き返し、図書室の前に着くと、深呼吸を一回して、扉をゆっくりと開けた。
何故こんなに緊張しているのかというと、同じ委員の担当として、結城先輩がいるのだ。
いや、図書委員は結城先輩目当てで入ったと言ってもいいくらいだ。
だが扉を開けた先には結城先輩の姿はなく、もう一人同じ担当である、二年の坂本波奈先輩だけが、静かに本を読んでいた。
少し落胆したが、たまたま遅れているだけかと考えて、僕は静かに扉を閉めて、坂本先輩の隣に腰掛けた。
すると坂本先輩は本から目を話し、僕の方へと視線を移した。
「由宇君、久しぶりね。間が結構空いていたから、一ヶ月振りくらいかな?」
「お久しぶりです、坂本先輩。あの…結城先輩はどうしたのですか?」
「綾都?今日は休んでるわよ?」
「あ…そうなんですか。」
久しぶりに結城先輩に会えると思っていたのに、休みとは…。
あからさまにガッカリしていることに気付き、慌てて背筋を正す。
ちらりと坂本先輩の顔を窺ってみると、少し考え込むようにして俯いていた。
そして少しすると、坂本先輩は顔を上げ、僕を真剣な眼差しで見つめた。
彼女が美人なことも拍車がかかり、僕は身体を強張らせて坂本先輩の視線に耐えた。
「由宇君って、綾都のこと好き?」
「へ………えぇっ!?」
坂本先輩の口から最初に出た言葉に、僕は意味が理解出来なくてすこしの間だけ固まった。
でも理解したとたん、顔がカッと熱くなり、僕は情けない悲鳴をあげてしまった。
「え?ぁ、あの……へっ?」
「一旦落ち着いて。ほら深呼吸!」
坂本先輩に背中を撫でられながら呼吸を繰り返し、なんとか落ち着くことが出来た。
でもやっぱりバレてしまったことは恥ずかしくて、顔はきっと赤いままだろう。
顔の熱もやはり取れない。
ちらりと坂本先輩を見ると、未だに真剣な顔をしていた。
まだ何か言われるのだろうかと心配になり、坂本先輩の視線から逃げるように僕は俯いた。
「本当に突然だけど、ごめんね。……あの、私と綾都ね、実は付き合ってるんだ。」
「えっ………?」
一瞬思考が止まった。
付き合ってる…?
坂本先輩と結城先輩が…?
坂本先輩の言葉が頭の中に響き渡り、心臓の音が急速に早まっていることを感じる。
ゆっくりと顔を上げて坂本先輩を見つめると、悲しそうな表情の先輩の顔が目に入った。
どうして坂本先輩が悲しそうなの…?
口に出そうとした言葉は、けれど、言葉にならずに空気中へと消えていった。
呆然と坂本先輩の顔を見つめることしか出来なくて、僕は時間がゆっくりと過ぎる中、ただぼぅっと先輩の顔を見つめていた。
ぎゅっと誰かに抱きしめられたことで、僕は我に返った。
前には、ほっとした顔の坂本先輩。
振り返ると、咲夜が優しい笑みを浮かべていた。
咲夜によって包み込まれることで、僕の心がじわじわと暖まり、安心感に満たされている様な気がした。
図書室にある時計に目を向けると、図書委員の仕事の終わりの時間から10分過ぎていた。
結構な時間が経過していたようだ。
「遅いから迎えに来た。帰ろう?」
「ぁ…う、うん。坂本先輩、お先に失礼します。」
「うん、戸締まりは任せて。急に変な話しをしちゃってごめんね。あの…明日も来てくれると、嬉しいな。」
坂本先輩にペコリとお辞儀をして、咲夜とその場を立ち去った。
視界に入った坂本先輩が、少し寂しそうな表情をしていた気がするけど、咲夜に手を引かれて、振り返ることは出来なかった。
帰り道を咲夜と並んで歩く。
いつもはたくさん話しかけてくる咲夜だけど、今日は珍しく静かだった。
いつもと少し違う雰囲気に気まずくなり、話しかけることが出来ずに僕は俯いた。
どうしようかな、と僕が頭を悩ませてたとき、突然、咲夜は立ち止まった。
僕も立ち止まり、咲夜へと視線を向ける。
「あと一週間で…文化祭だよね。由宇は俺達の通ってる高校の都市伝説って知ってる?」
「僕達の高校の都市伝説?」
「うん。俺達の高校はさ、文化祭って三日間あるじゃん。その最後の三日目に、ホールでパーティーがあることは知ってた?」
「うん、それくらいなら。男子はスーツ、女子はドレスを学校が貸し出してくれるんだったよね。ただの高校なのに、なんな大袈裟だなぁ。」
「まぁ、私立だし、俺達の高校は最難関校だからね。どっかの社長ご子息とかご令嬢も沢山在校してるから、大切なんだよ、きっと。それで都市伝説ってやつがね、“パーティーの終わりの鐘が鳴っている間、同じ指輪を薬指に付け合う男女は、人生を共にする”ってやつなんだ。」
「へぇ、なんかロマンチックだねぇ。」
咲夜は静かに空を見上げていた。
僕も気になり、咲夜と一緒に空を見上げる。
「由宇ってさ、……いや、なんでもない。」
「ん?どうしたの?」
「いいよ。ほら、寒いし早く帰ろう。」
「…そうだね。」
咲夜が何か話そうとしていたけど、途中で止めてしまった。
少し気になったけど、咲夜が言いたくないみたいだから、僕は忘れた方が良いだろう。
それに、さっきまでの微妙な雰囲気がせっかく壊れたのだし、いつもの優しい咲夜のままでいてほしい。
「ねぇ、手を繋ごっか?」
「なななっ!?何言っちゃってんの!?」
「駄目?俺と繋ぐの嫌?」
「べ、別に…嫌だとは言ってない。」
「そっか♪」
恥ずかしくてぷいっと顔を背けたが、なんとか手を咲夜へと差し出せた。
嬉しそうに鼻唄を歌いながら、咲夜が僕の手を包み込む。
咲夜の手は暖かった。
僕の顔が熱いのは、きっと熱が伝わったからだろう。
次の日も、結城先輩は休みだった。
いや、昨日の坂本先輩の衝撃的な言葉を意識して、まともに話すことは出来ないだろうから、まぁ、良かったのか?
でも結城先輩がいないということは、坂本先輩とまた二人きりになってしまうということ。
そして僕は現在、沈黙の状態のまま、坂本先輩の隣で本を読んでいた。
いや、この空気が居心地悪くて、全然本の内容が頭の中に入ってこないが。
図書室にはあまり人が来ない。
だから昨日も生徒は一人も居なくて、僕と坂本先輩の二人きりだった。
そして今日も、二人以外生徒はいない状況なのだ。
話しかけた方がいいのか考えていると、坂本先輩が突然パタンと本を閉じた。
その音に、僕がびくんと身体を揺らして反応する。
いや、静かな状態で物音がなったら、誰でも普通に驚くはずだ。
坂本先輩にクスッと笑われた。
「ねぇ、由宇君。」
「は、はい?何ですか?」
僕が恐る恐る本から顔を上げ、坂本先輩へと視線を向けると、少し困ったように微笑む坂本先輩に、頭を優しく撫でられた。
「私が言うと嫌味に聞こえるかもしれないけど、…由宇君ってさ、綾都のことを本当に好きなわけではないと思うよ。」
「え…?」
純粋に意味が分からなくて、僕は首をかしげた。
「私の考えだとね、由宇君は綾都に対する憧れを好きだと勘違いしていると思うんだよね。私が綾都と付き合ってるって言ったとき、どう思った?悲しかった?」
「……悲しくは、なかったです。ただ漠然と、付き合ってるんだ、って。衝撃的でした。」
「うん、やっぱり。普通はね、その時悲しいって思うんだよ?由宇君ってさ、綾都が初恋だと思ったでしょ?」
「へっ!?なんで分かったんですか!?」
顔に熱が溜まり、恥ずかしくなって俯くと、頭を優しく撫でられた。
それがとても気持ちよくて、つい自分からその手にすり寄る。
「ねぇ、由宇君。本当に大切な人ってね、すぐ側にいるんだよ。当たり前の様に側にいるから、自分では気付けないだけ。失ってから、やっと気付くこともある。由宇君、よく考えてみて。きっと恋ってのはね、自分が気付かない内にしてるんだよ。」
「…僕にはよく分からないです。」
「大丈夫だよ。まだ時間はあると思う。でもね、油断してたら、あっという間に失ってしまうよ。失って悲しい人を探してみて。答えは見つかるはず。」
坂本先輩の優しい声をどこか遠くに感じ、僕は心地よい眠気に身を任せた。
どこかで、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
坂本先輩からの助言についてずっと考えていたが、結局答えは出せずに文化祭一日目の朝になってしまった。
別に締め切りがあるわけでもないが、“油断すると失う”という先輩の言葉が頭に残っていて、どうしても焦ってしまうのだ。
でもこんなに考えても出てこないのだから、もしかしたら僕はまだ恋をしていないだけなのかもしれない。
「由宇!考え事しながら歩いてたら危ないよ。」
「別に、考え事なんてしてないよ。」
「嘘は駄目!ほら、手を繋ごう?」
「な、何言ってんの!?」
屋台などを咲夜と見て回っていたのだが、咲夜が過保護で少し邪魔だ。
手を繋ごうとか阿呆なことを抜かしてくるし。
男同士で手を繋いでも、周りから見たらムサいだけじゃん!
「何か買ってきなよ。僕待ってるから。」
「食べたい物でもあるの?」
「えっと…、たこ焼食べたいな。僕は飲み物買って待ってるから、あっちの日陰で待ち合わせね。」
僕が建物の日陰を指差すと、分かったと咲夜は頷いて、たこ焼の屋台の列の最後尾へ駆けていった。
僕も自動販売機を探しに向かった。
もう半年以上この高校に通っているのだから、自動販売機の位置くらいは把握している。
難なく自動販売機まで辿り着くと、自分と咲夜の分を買って手に取り、来た道を引き返した。
待ち合わせ場所には咲夜が既に居て、僕は走って駆け寄ろうとした。
するとその時、ザアッと強い風が駆け抜けた。
僕はビックリして後ろによろけ、何かに勢いよくぶつかってしまい、転んで尻餅をついた。
いてて、と背中を擦る僕の耳に、「危ないっ‼」という咲夜の鬼気迫る声が聞こえた。
僕は保健室の椅子に座っていた。
先程、僕は大きな看板を支える柱にぶつかってしまい、その看板が僕の頭の上に落ちてきた。
大きくて重量のある看板が直撃すれば、大怪我は免れない。
だけど僕は無傷だった。
それは、咲夜が僕を庇ったから。
そして咲夜は僕の代わりに看板を受けて、まだ意識は戻っていない。
「僕なんか庇わなくて良かったのに。馬鹿…。」
辺りどころが良かったのか、咲夜は打ち身で済んだ。
でも脳震盪を起こしていて、未だに意識が戻らず、もしかしたら記憶が飛ぶなどの後遺症が残るかもしれない、らしい。
僕は心配になって、咲夜の顔を見つめた。
咲夜は夕方に、漸く目を覚ました。
だけど、先生の診断の通り、咲夜は記憶を一部無くしていた。
「君……誰?」
僕の顔を見て、咲夜は不思議そうにそう呟いた。
その言葉を聞き、僕の頭の中は真っ白になった。
次の日、僕は坂本先輩のクラスへと伺った。
坂本先輩はクラスの出し物の準備をしていて、僕に気付くとすぐに近寄ってきてくれた。
因みにそのクラスには結城先輩もいたが、格好良いなと思うだけで、他の感情は浮かばなかった。
「どうしたの、由宇君。何か用事でもあった?」
「実は、咲夜が…。」
人気が無いところまで来て、僕は坂本先輩に、昨日の出来事と咲夜の記憶喪失のことを話した。
「えぇ!?そんなことがあったの!?」
「はい。僕が柱にぶつからなければ…。」
「由宇君!過去のことを悔いていたら駄目よ。今出来ることをしなくちゃ!由宇君はどうしたいの?」
僕は俯いていて、唇を噛み締めた。
自分が何をしたいのか。
そんなの、咲夜が記憶を失っていると気付いたときには既に決めていた。
僕が話すのを静かに待ってくれている坂本先輩の顔を見つめて、僕は口を開いた。
「僕みたいな可愛いげのない奴と一緒にいるよりは、咲夜は他の人達と関わっていた方が良いのかもしれない。でも、やっと僕は気付けたんだ。だからっ、だから諦めたくないっ!咲夜には記憶が戻ってほしいっ!」
僕の声は、僕が思っていたよりも震えていた。
「そうだよね。やっと気付けたんだね。だったら…最後まで足掻いてみよう?ほら、今から出掛けないと!付いてきて!」
「え!?でも、文化祭の準備があるし、坂本先輩にも迷惑が…。」
「そんなの気にしてたら、なんにも出来ないわよ!ほら、早く!」
僕は坂本先輩に連れられて、正門から外へ飛び出した。
学校をサボるのは、今日が初めてだった。
文化祭三日目のパーティーは、二時から始まる。
その時間までは自由時間で、生徒達はのんびりしたり、着飾ったりして思い思いの時間を過ごしている。
それは僕にも例外はなく、坂本先輩に着せ替え人形のごとく色々といじられていた。
「せ、先輩‼これってドレスですよね!?僕、男ですよ!?」
「そんなこと分かってるわ。由宇君って、今から始まるパーティーの都市伝説って知ってる?」
「あ、知ってますよ!指輪がどうとか、恋人がどうとかいうやつでしょ?」
僕が言った言葉に、坂本先輩は微妙な顔をした。
「ん?それって本当に知ってんの?まぁ、多分合ってると思うけど。その都市伝説ってさ、指輪を付けた男女ってところ、ちゃんと意識した?」
「え…あぁ!だから指輪を選んだんですね!」
「そうよ。だから、由宇君が女装しないと、指輪を選んだ意味が無くなるの。」
「あ…確かに。うぅ…、我慢します。」
「そ、良い子ね♪」
僕は坂本先輩に文句を言うのを止めて、大人しく化粧をされることにした。
顔がくすぐったくて、ついくしゃみをして、動いちゃ駄目!と起こられているけど。
「あのさ、私由宇君に嘘吐いてることあるんだ。」
坂本先輩が口を開いたのは、化粧を始めて結構時間が経った頃だった。
僕は少し顔を上げて、坂本先輩の顔を見つめる。
「え?嘘ですか?」
何となく呟かれた言葉だから、それほど意味はないことなのかと思い込んでいた。
次の言葉を聞くまでは。
「うん。私と綾都ね、付き合ってないよ。」
あっけらかんと言い放った言葉に、僕は目を見開いて坂本先輩を凝視した。
「え?で、でも付き合ってるって…えぇ?だって、いつも一緒にいるし…。」
「綾都にね、頼まれてたんだ。彼女のふりをしてほしいって。」
「え…?」
坂本先輩は「ん~っ」と気持ち良さそうに伸びをした後、僕へと視線を戻し、笑みを浮かべた。
それはとても爽やかな笑みで、この嘘は先輩の負担になっていたんだな、と僕はふいにそう思った。
「綾都ね、婚約者がいるんだよ。」
「婚約者?まだ高校生なのにですか?」
「うん。しかも、小学生の頃から。両親の親友だった人の娘さんとね。最初は冗談で言ってただけみたいだったけど、お互い相思相愛で、もう結婚を前提としたお付き合いをしてるよ。」
「そうなんだ…。あれ、でも僕に話しちゃって良いんですか?」
「いいのいいの!私と由宇君の仲じゃない。それに、由宇君には私のこと、嫌な記憶として覚えてもらいたくないな、って。」
えへへ、と少し恥ずかしそうに微笑み、坂本先輩は僕の耳元へとゆっくり近付いた。
「綾都ってね、告白してくれた人とは距離を置くんだ。婚約者を心配させないようにする為に。綾都とは幼馴染みだったから、それで今まで泣いた人をたくさん見てきたの。告白せずに、今までの関係を保てば良かったって。」
「そうなんですか!?初めて聞きました…。」
「うん。高校生になって、私が彼女のふりをしてあげたお陰で、告白してくる人はいなくなったからね。まぁ、たまにいるけど…。だから早めに忠告して、由宇君にはそんな思いをしてもらいたくなかったの。それに…あわよくば、って気持ちもあったかな。」
「え…?えぇっ!?」
僕の耳元でそっと呟かれた四文字の言葉に、僕は目を見開いた。
咄嗟に坂本先輩の顔を見ると、先輩は笑みを浮かべていた。
だけどそれは、無理をして作っているのだとすぐに気付けた。
坂本先輩の瞳が、悲しそうに揺れていたからだ。
「あなたと初めて図書委員で顔を会わせたときから、ずっと見てきたんだ。でもその隣には、いつも彼がいた。いなかったのは、図書委員のときくらい。叶わないって分かってたけど、少しでも仲良くなりたかった…。」
「先輩…。」
「ごめんね、突然こんなこと言っちゃって。でも、記憶の奥底でも良いから、私のこと覚えていてほしいな。大好きだよ、由宇君。だから…頑張って!」
そのとき浮かべた坂本先輩の笑顔は、とても慈愛で溢れていて、僕に前へと進み出す勇気を与えてくれた。
「はい。絶対坂本先輩のことは忘れないです。僕の為にたくさんのことをしてくれて、ありがとうございました。」
ペコリとお辞儀をすると、坂本先輩に頭を優しく撫でられた。
はぁ、癒される…と呟いていることは、聞こえなかったことにしよう。
坂本先輩が出してくれた鏡を覗いてみると、そこには不安げに瞳を揺らす一人の少女がいた。
思っていたよりも普通の女の子で、いや、普通の女の子と比べられないくらいに可愛い美少女に僕は変身していた。
ピキリと音を鳴らせて、僕は固まった。
「あれ?えっ?これって誰ですか?」
「何言ってるの?お姫様の魔法をかけられた由宇姫に決まっているでしょ?」
「ゆ、由宇姫!?」
慌てて鏡を凝視したが、確かにお姫様と言われれば納得するくらいの美少女だ。
それが化粧をした自分ではなければ、だが。
「もう時間も残り少ないわね…。ほら、だったら早く探してきなさい。安静にしていないと駄目だろうけど、パーティーくらいなら、出席を許されて出ているだろうから。急がないと、どこぞの女の子に取られちゃうかもよ?結構あの子って人気あったから。」
「えっ!?行ってきます!!」
僕は慌てて坂本先輩の教室を飛び出た。
後ろから、「頑張ってね~!」という声が聞こえたおかげか、僕には緊張も不安もそこまで無かった。
それは、魔法がかけられたとことも理由のひとつになるだろう。
ただ突き進む気持ちに任せて、僕はパーティーの開かれているホームへとひたすら駆けた。
慣れないドレスのスカートは走りづらくて、思うようにスピードが出せなかった。
でも、早く咲夜に会いたい、という気持ちが僕を突き動かしていた。
ホールの入り口に着いたのは、坂本先輩と別れてから数分後のこと。
開け放たれている入り口からは、男女が楽しそうに踊っている姿を見ることが出来た。
ホール内に入って周りを見渡すと、ダンスの邪魔にならないところで談笑する者、机に並べられた料理を皿に取って食べる者など、生徒は思い思いの時間を過ごしていた。
「ねぇ、あの子誰?すっごい可愛くない?」
「めっちゃ美少女。あんなに可愛い子って居たっけ?」
「ダンス一緒に踊りたい。誘ってみようかな?」
「超可愛い。どっかのお姫様みたい。」
「すっげー。ドレスで歩き慣れてないところもまた可愛い。」
ふと、周りの視線が自分に向いていることに気付いたが、僕は気にせずに咲夜を探すことにした。
化粧をしてドレスを着てるから、そう簡単にはバレないという安心感も大きかっただろう。
ホールの端から端までをよく眺めて、漸く女子が数人集まっている中心に咲夜がいることに気付いた。
その場所にそっと近付こうとすると、咲夜が肩に触れる女子の手を乱暴に振り払い、外に出ていくのが見えた。
付いてこようとする女子に、冷たい視線を向ける姿も。
数人の女子は、咲夜のその姿に愛想を尽かした様で、立ち去った。
優しい咲夜の姿しか見たことがなかったから、僕は少し驚いた。
少し様子を見て、僕も外へと出た。
咲夜が何処にいるのか辺りを見回すと、中庭のベンチに座り、上を見上げて夜空を眺める咲夜の姿が目に入った。
そっと近付いてベンチの真横に着いたとき、ゆっくりと咲夜が夜空から僕へと視線を移した。
僕を見つめる咲夜の瞳は、僕を射るように冷たくて、少し怖く感じた。
「何?ついて来ないでって言ったの、聞こえなかった?一人にさせてくれ。」
「…あの……咲夜、君に、渡したい物があるんだ。」
「はぁ?そんなの、いらないから。あっち行ってくんない?」
咲夜が発する刺のある言葉に、少しだけ怖いと思った。
いつもの優しい咲夜ではない、って。
でもそれ以上に、普段の優しい咲夜に戻ってほしいと強く思った。
「僕、咲夜のことが好きなんだ。」
「はぁ?……んっ!?」
思いを口に出したと同時に、咲夜に抱きついた。
そして…。
驚いて目を見開いた咲夜をじっと見つめて、咲夜の形の良い唇に、自分のそれをそっと押し付けた。
それは、ほんの一瞬の出来事だったと思う。
こんなことで咲夜の記憶が戻るなんて、そんなに簡単には考えていなかった。
でも最後くらいは、自分の想いを伝えて、キスをしてみたいと思った。
好きな人が出来たことがないんだから、勿論キスもしたことがない。
だからファーストキスは…、初恋の人に奪ってもらいたかった。
まぁ、奪うというよりも自分から押し付けたのだが。
咲夜は目を見開いた状態で固まった。
それは僕が離れてもそのままだった。
「渡したい物のことは忘れていいよ。ごめんね、キスなんかしちゃって。」
僕は咲夜を残して、その場を後にした。
ホールへと戻り、僕はホールの隅っこへと移動した。
咲夜に想いを伝える為に来たのだから、もうここにいる必要はない。
でも一人になったら泣いてしまう気がして、この場に留まることに決めた。
僕はひとり俯いていたから、声をかけられるまで、目の前に誰かが立っていることに気付けなかった。
「浮かない顔をしてるね。何か悩みごとでもあるの?」
急に声をかけられて、僕はパッと顔を勢いよく上げた。
そこに立っていたのは、初めて見る人。
…では、ない。
少し前まで僕が好きだと勘違いしていた、結城先輩だった。
結城先輩は、心配そうに僕を見つめていた。
今ではただの憧れだと気付けているから、こんなに近くにいても緊張はしない。
結城先輩は、気配りの出来る優しいお兄さんのような存在だ。
今思えば、何となく咲夜に性格が似ているかもしれない。
「いえ、大丈夫です。少し疲れただけなので。」
「そっか、でも気分が悪くなったりしたらすぐに呼んでね。保健室に連れていくから。」
「分かりました。お気遣いありがとうございます。」
ペコリとお辞儀をして、結城先輩に微笑んだ。
結城先輩も、優しい笑みを返してくれた。
その時だった。
突然手を強く引かれ、驚いてそちらを向くと、鋭い視線を向ける咲夜が立っていた。
その視線は僕には向けられず、結城先輩へと一心に注がれている。
結城先輩は困惑した顔で、僕と咲夜を交互に見つめ、一歩後ろに下がった。
「僕が心配しなくても、君には信頼できる相手がいたんだね。お邪魔みたいだし、ここで失礼させてもらうよ。」
結城先輩はもう一度微笑み、そして踵を返して、ステージの方へと戻っていった。
その後ろ姿に、僕はもう一度お辞儀をした。
そして、僕の腕を掴んだままの咲夜へと視線を戻した。
「えっと、あの…。さっきしたこと、怒ってる?」
「……。」
「え!?あ、ちょっ…。」
咲夜は僕の質問に返事をせず、無言で僕の腕を引っ張った。
そしてそのまま咲夜に連れられて、僕はさっきまで居た中庭に戻ってきた。
ホール内とは比べ物にならない程に静かな中庭に、咲夜と二人きりでとても気まずい状況。
僕は今すぐ逃げ出したい気持ちになった。
せめて、咲夜が怒っていないことを願いたい。
「…ごめん。」
その呟きは、突然僕の耳に入ってきた。
勿論、僕の口から発せられたものではない。
頭にはてなマークを浮かべて咲夜を見つめてみると、咲夜が少し震えていたことに気付いた。
「え、どうしたの!?何処か体調でも…うわぁっ!?」
僕が慌てて咲夜に駆け寄ると、突然咲夜の両手が僕に伸びて、僕は咲夜に抱きしめられた。
突然の事態に、僕は驚いて情けない悲鳴をあげてしまった。
顔に熱がたまるのを感じ、きっと今の僕の顔は茹でだこの様に赤いんだろうな、と心の中で溜め息を吐いた。
「ごめん、ごめん…。俺も好きだよ、由宇…。」
「ん!?」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。
「え?今、由宇って言った!?へ?僕だって気付いてんの!?いや、ちょっと待って!記憶が戻ったんじゃ…!?それに今、好きって……むぐ!?…うむぅ…んっ……。」
僕があわあわとしていると、突然、咲夜の顔が僕に近付き、唇を奪われた。
驚いて僕が少し開いた口の隙間から、咲夜の舌がぬるりと侵入してくる。
顔を反らそうとしたが、咲夜の手が僕の頭をしっかりと押さえていて、少しも動くことが出来なかった。
それに段々と力が抜けていき、僕は身体を咲夜へと預けた。
漸く咲夜が離れたときには、僕はもう息が切れていて、フラフラの状態だった。
でも咲夜が身体を支えてくれているので、何とか立つことは出来ている。
「由宇、俺のこと好きって言ったよね?俺も由宇のこと大好き。たとえ由宇が女の子になっても、犬や猫になったとしても、見つけられる自信あるよ?」
えへへ、と幸せそうに笑う咲夜を見ると、もう記憶喪失だとか女装だとかがどうでも良くなってきた。
僕も、咲夜がどんな姿になったとしても見つけ出せる自信はある。
だけど、離れることはしたくない。
だから…。
僕はドレスのポケットにしまっていた物を取り出して、その内のひとつを咲夜に渡した。
「ん?ガラスの…指輪?」
「そう。この学校の都市伝説を教えてくれたよね?実際にやってみようよ。」
「そう…だね。ごめん。俺、何も用意してない。」
しょぼんとする咲夜の頭を撫でた。
咲夜の柔らかい髪を撫でることが、小さい頃は凄く好きだった。
いつの間にかに僕は咲夜を撫でなくなり、代わりに咲夜が僕の頭を撫でてくれた。
だからこの感触は、凄く久しぶりだ。
「僕のせいで怪我をして動けなかったんだから、しょうがないでしょ。ほら、僕の薬指に付けて。僕も咲夜の薬指に付けるから。」
咲夜の前に手を差し出すと、咲夜は僕の手に優しく触れて、そっと指輪を通してくれた。
僕も咲夜の手に触れて、薬指に指輪を通す。
全てガラスで出来たシンプルな指輪は、しかし、薬指で堂々と輝いていて、見惚れてしまった。
僕が咲夜に微笑むと、咲夜も優しい笑みを返してくれる。
そのいつもの優しい笑みに、僕は自分の心臓の音が早まるのを感じた。
その時、リーンリーンという鈴の音が聞こえた。
どうやら、これがパーティーの終わりの鐘の音らしい。
僕はそっと咲夜に近付き、自分の手を咲夜の手に滑り込ませた。
自分から手を繋ぐことは初めてで少し恥ずかしかったけど、咲夜が優しく握り返してくれて、自分のことを咲夜は好いてくれているということを改めて実感した。
そして手から伝わる温もりを感じて、僕は幸せで満たされていた。
どうかこの幸せな日々がずっと続いてほしいと願いながら、鐘の音が最後まで鳴り終わるのを、二人で静かに聞いていた。
ツンデレ姫とガラスの指輪 春野こよみ @corokun
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます