鬼さんこちら、手の鳴る方へ

まめつぶ

鬼さんこちら、手の鳴る方へ

 ある村の、都の方とは反対のはずれに、小さい森があった。その小さな森の奥に、これまた小さな小さな社があった。社と言ってもそんな仰々しく奉られたものでもなく、大雑把に手入れされただけのものだ。供え物も、村のばあさんが作った饅頭が1つ、だとか、ときには子どもたちが遊びで作ったボロボロの花の冠、だとかで、たいそうなものは置かれていない。普段は子どもの遊び場としてにぎやかではあるが、年に1度の夏祭りをする以外には、社を訪れることを目的とする村人も少なかった。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ……」

 歌うような手拍子に、ケラケラと転がるような子どもの笑い声が響く。子どもたちは元気に草を踏み散らし駆け回っていた。そんな小さな子どもたちの様子を、少し離れたところから見つめる目があった。

「今日は鬼ごっこか」

社の屋根の上に、派手な色の着物を着た男が寝転んでいた。わらわらと駆け回る子どもを気だるげに眺めるその瞳は赤みがかっていて、どことなく常人とは違う雰囲気を醸し出している。いや、常人と言わず、もはや人でもなかった。

 艶やかな黒い髪を押し分けるようにして、額に小さな角を持っていた。彼は、人の言う『鬼』だった。

 こうも毎日よく遊び飽きないものだ、と鬼はぼんやりと肘をついた手に頬を乗せていた。畑の忙しい時期には、村の子どもたちはおよそほとんどがこの社の周辺に集まり、何かと騒がしく遊んでいるのだ。鬼はというと、何をするでもなく毎日毎日、人の子を眺めては観察していた。それこそ毎日、よく飽きないものだと自嘲しているほどに。

 鬼の一日は、まず朝食を探しに森に出かけることから始まる。本来ならば何も食べなくとも鬼としては何の支障もないのだが、長く人を観察してきたからだろうか、その生活は年々人のそれに近づいてきたような気がしている。彼が食べるのは、森にある木の実や虫や獣、ときには川魚など多様で、要するに雑食である。

 森で軽く胃を満たすと、小川でのどを潤し、そばの木陰でしばらく二度寝する。朝起きるのもそれほど早いわけではないため、二度寝から目覚めると、もうだいぶ日は高い。のろのろと足を動かして社へ戻ると、ちらほらと村の子どもが集まっている。昼前のこの時間に訪れる子どもは、まだあまり大きくなく、家の手伝いもそうできないくらいの年齢だ。集まったといってもみんなで何かをして遊ぶという子は少なく、土をつついてミミズを引っ張ったり、草をちぎって冠まがいのものを作ろうとしたり、思い思いに過ごしている。

 彼は散らばって遊ぶ人の子を屋根の上から、時には草むらの陰から眺めているのだ。もっとも、鬼である彼の姿はそうそう人には見えないため、隠れている必要はないのだが。そのうち野犬や何かが、俯いて遊ぶ小さな子どもをねっとりとした視線で見つめ、狙いを定め始める。大きな獣には、動きもぎこちないちっぽけな人の子など襲えば楽々食えるというものだ。そんな視線を感じとり、がさりと草をかき分け鬼は森の中へ入る。

 少しも経たないうちに遠くからなにかの断末魔の叫びが聴こえてくる。子どもたちは少し気になるように顔を見合わせるが、それから森も静かになるため、思い出したように再び遊びに耽るのだった。そして静かになった森からのそりと出てきた鬼の手には、先ほどまで狩人だったはずの獣の血塗れた残骸ががしりと掴まれている。子どもの遊ぶ様子を眺めながらひょいと社の中に入って寝転び、つまみ代わりに血の滴るそれをちびちびと齧り始めた。



 鬼がこの小さな小さな社に居つくようになったのは、それほど大昔のことではない。もちろん、今社の周りで遊んでいる子どもなどは生まれていない頃ではあるが、それでも子どもたちの親世代がここに遊びに来る年頃だったくらいのものだ。

 昔から、この社は子どもの遊び場であった。しかし、今以上に大した手入れもされていなかったその場所には森に住む獣も出る。そして獣に襲われて幼子が怪我を負ってしまうことがまれにあったため、大人たちは心配していた。しかし大人や体力のある少年などは家の仕事に追われて忙しい。それで、成人前ほどの娘を子どもたちの守り役として一人、付いて行かせていた。

 娘の名前は、花と言った。地味で質素な着物を身につけているが、整った顔をした優しそうな娘だ。

「じゃあお花、今日も頼んだね」

はい、と返事をした花は幼子の手を引いて細道をゆっくり社まで歩いた。社に着くと、子どもたちはそれぞれに遊び始める。花は社の外側に近い、木々の茂みの近くに一人陣取り、獣が出るかもしれない辺りに子どもたちが誤って行くことのないように見守る。とは言っても、子どもたちも親に言い聞かされているし、慣れたもので社の石畳の近くで遊んでいる。

 しかし昼前になってふと見回すと、一番小さい弥助が見当たらない。おかしい、さっきまで近くにいたはずなのに、と辺りを探す。よたよた歩きの弥助は、さほど遠くには行けないだろう。ここにいないということは社の裏にでも行ってしまったのかもしれない。子どもたちの中で一番大きい武にその場を任せ、足早に裏手へと回る。

「弥助、どこにいるの?」

 社の裏は表とは違って木々が生い茂り鬱蒼としているため、日がたくさん入らない。薄暗い中見回すと、向こうの大きな木の根元に、小さな子が寄りかかって寝息を立てている。弥助だ。

「全く…こんなところで寝たら危ないじゃない」

弥助が無事であることに安堵して苦笑しながら近づいていく。そのとき…


ガサッ…


弥助のすぐ近くの茂みが大きく揺れて、花は驚いて立ち止まった。ガサ、ガサ…と揺れ続ける茂みを注意深く見つめる。もしも大きな鼬なんかだったら、弥助が危ない。こぶしをぎゅっと握りしめる。がさり、と一際大きく揺れた茂み。

「え……」

 派手な色の着物を着た美青年が、どこか疲れた様子でよたよたと出てきた。青年は荒い息を一つつくと、木の幹に手をついた。ちょうど弥助が寄りかかって寝ている木だ。息をついて俯いた拍子に初めて弥助に気付いたらしく、少し驚いたように動きを止めて根元の小さな子どもを見つめている。

 それにしてもここらでは絶対に見かけない青年だった。着物の色も都で売られている上等なもののように派手だし、そもそもこの青年が醸し出す雰囲気はどこか常人とはずれたような感じがしていた。だからだろうか、花は足が固まったようにその場から動けなかった。知らない男が社の裏にいる。それは弥助を傷つけてしまうかもしれないのに、瞬きもせずに見つめているしかできない。やっとのことで目だけ動かしてじっと見つめていると、男の着物の裾の部分が濡れていることに気が付いた。朝露にでも濡れたのだろうか。それにしては部分的で脛まで濡れている。視線を下ろすと、下駄を履いた素足にてらてらと赤がちらついた。よく目を凝らすと、その赤は血のこびりついたものであることがすぐにわかった。

 何かに襲われたのか、着物の濡れ具合からしてとにかく出血の量が多い。早く手当を、と思い至ると、足がようやく前に出た。

 かさり…

 花の足元が立てた微かな音に、敏感に反応した青年がこちらに鋭い目を向けた。

「あ、あの…」

手当を…と言おうとしたら、青年がすぐに上を仰いだ。

「近寄るな」

静かだが鋭い声音で、まるで突き放されているようだった。その言葉に花は再び足を止めてしまう。

 上を睨んでいる青年につられるように花も顔を上げると、何か黒いものが目に入った。大きな烏がものすごい速さで降りてくる。黒々とした大きな烏は、小さな弥助に一直線に向かっていた。

「……騒ぐな、子が起きる」

近寄るなと言っただろう、と無表情に言い放つその手には…暴れる烏が首を絞められて掴まれていた。そうして暴れて起きた風が、ぶわりと彼の前髪を舞い上がらせた。

 さて鬼はというと、ぐったりと手にぶら下がった死骸を見つめて内心困っていた。子が起きないよう処理したはいいが、どうするか、としばし考えている。足元の子どもはすうすうと寝息を立てたままだ。しかし目を前にやると、可哀想に今にも泣き出しそうになっている娘。

「ぁ…」

可愛らしい唇がおびえて震えている。見開かれた目は死骸ではなく、鬼の方を凝視している。先ほど烏が暴れて起きた風で、額の小さな角が見えたのだろう。姿を見られてしまった鬼は、自らの油断に小さく舌打ちをした。

 本来なら、この鬼は人前に堂々と姿を現すことはない。気配を消して、気付かれないように様々な場所を渡り歩いて暮らしているのだ。そもそも、鬼の存在を信じていない人間には鬼の気配を感じることなどめったにできはしないのだ。こんな風に、目の前に出ない限りは気付くことはほとんどない。もう、関わらない方がいいのだろう。そう思って烏の死骸を手にぶら下げたまま痛む足を引きずって立ち去ろうとする。

「あ、あの…」

小さな掠れた声が鬼の耳に届いた。まさか声を掛けてくるとは。少し驚きながらも振り返る。

「足…手当を…」

そろそろと近づいてくる娘に冷たく言う。

「ぐずぐず居座るのなら、次はそこの子だ」

ギロリと睨めば、娘はびくっと震えて弥助を見る。

「や、弥助を…っ?」

社の裏は薄暗い。昼間といえどこれ以上ここにいたらまた獣がやってくる。村の大人も安易なものだ。こんな小娘一人に世話を任せても、襲ってくるものは襲ってくるのだ。もし自分が本当に人食いの鬼だったならば、社へ遊びに来た子どもなど今頃皆腹に収まっているはずだ。

 鬼は再び歩き出す。少し離れたところで振り返ると、娘が幼子を抱えて急いで表の方へ走って行くところだった。

「あぁ、そんなに走ると子が起きる…」

ぼそぼそと口から出た呟きは、娘には届かない。案の定、大きな振動にさすがの弥助も目を覚まし、ゆられながら不思議そうな顔をしていた。

「……気を当てすぎた」

鬼は手に持つ烏を適当にその辺の草むらに放って、心配そうに社の方を見つめた。




「お、鬼……鬼が……」

 弥助を抱えて社の表側に戻ると、花はへたりこんでしばらく放心状態になった。

終始無表情で冷たい雰囲気だったあの男の額に見えた小さな角が、脳裏に焼き付いている。なにせ鬼という生き物を見たのは初めてである。都の方では陰陽師が活躍しているとは聞いたことがあったが、まさかこんな田舎の森で自分が鬼に出くわすとは思ってもいなかったのだ。だから鬼が人の形をしていることも、疲れたように真っ青ではあったが綺麗な顔をしていることも、知らなかった。

 しかし、あの鬼は、次は弥助だと言っていた。この子を守らなければ…と思うが、鬼から守るなんてどうすればいいというのだろう。ふと背中の弥助を胸の方に抱き直す。

「…弥助?」

大きく揺れたからだろうか、弥助は花の腕の中でぐったりしている。一層心配になり、揺らさないようにして社の陰に弥助を連れて行って寝かせた。ふうふうと荒い息を吐く弥助は、額に大粒の汗をかいていた。

「あつい…」

汗をぬぐってやろうと額に手を当てると、先ほど走って熱くなっている花の手よりも熱を持っていた。おかしい。朝村を出るときは元気だったのに。にこにこと自分を見上げて元気に歩いていたのを思い出す。弥助が突然高熱を出し、しかも鬼が弥助を食いに来る。混乱しているが、自分は一番年上なのだ。子どもたちを任された。しっかりせねばと弥助の傍らにうずくまり、涙を堪えた。



「……」

 鬼は、今度こそ気配を消して、そう遠くない所からうずくまっている娘を見つめていた。やはり具合を悪くしたかと、心なしか眉が下がっている。

 鬼である自分の『気』、つまり覇気は強すぎて、人間ならばまともに当たってしまうと体調を崩しかねないものだ。その気になればあの子らにまとわりついている覇気を払うこともできる。しかし、足の血はなんとか止まっているが多少なりとも弱っている今、気配を消したまま力を使うことは少々辛いものだった。

「…娘」

静かな声で呼びかけると、びくりと大きく体を震わせて娘が振り向いた。不安と恐怖で黒目がゆらゆらと揺れているのが見て取れた。

「お、鬼っ…弥助に近づくな…!」

震える足を突っ張って弥助を守ろうと立ちあがる。しかし、そのままぐらりと体が大きく揺れて再びへたりこんでしまった。

「え、……」

「あまり動くな」

ぶっきらぼうではあるが刺激しないようにと無表情ながらも諭す。鬼の覇気にやられたのは弥助だけではない。加えて混乱と恐怖と不安…精神的にさんざん消耗していたために、娘もまた具合を悪くしていたのだった。鬼の覇気に当てられたからといって死ぬようなことにまでなるわけではないが、見るところ頬もうっすらと赤い。熱まで出ていると辛いだろう。早く払ってやろうと一歩進む。

「こっちに来るな…!」

娘が目に涙を溜めてかすれた声で必死に叫ぶ。弥助をしっかりと抱きかかえてこちらを威嚇している。そんな娘を見て鬼は一度ゆっくりと瞬きする。

「……面倒だ」

一言そう言って、ギロリと娘を睨んだ。鬼の覇気をまともに当てられ、娘はぱたりと倒れ伏した。

 床に伏した娘を見つめ、鬼は小さく息をついた。これで邪魔されずにすむ。

まずは小さい方の子、弥助の傍らに座って目を閉じ、意識を集中する。

「……っ」

動きすぎたせいか、傷口がさらに開いて新しく血がにじむ。痛むはずのそれを放っておいて、鬼は目の前の小さな額に静かに手を当てる。しばらくも経たないうちに、弥助の荒かった呼吸も落ち着いていく。そのまま穏やかに寝息を立てる弥助を見て安心し、同じように娘に纏う気も払ってやったのだった。

 二つの小さな体をしばらく眺め、鬼は立ち上がった。他の子どもが来て見つかると面倒だと、とりあえず外に出て屋根へと飛び上がった。とはいえ、頼りないが見守り役だった娘が寝ているのだ。誰かが代わりに守らねば…。

「…………」

何も考えずに屋根の上から遊んでいる子らをぼうっと眺める。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へー」

ケラケラ笑う声が聴こえてきた。

「鬼…」

鬼は人の遊びを知らなかった。下から聞こえる『鬼』という単語に反応して少しだけ身を乗り出した。

 自分のような、人ならざる禍々しいものを人は鬼と名付けた。呼ばれたことはなかったが知識としてそれは知っていた。人は弱いはずなのに何故、わざわざ鬼を呼ぶようなことをしているのだろう…。見る限り鬼らしき気配はなく、小さな人の子がわらわらとうごめいているだけだ。しばらくそのまま観察して、どうやらあの掛け声は遊びの一部のようだと理解した。鬼は恐れるものであるはずなのに遊びに取り入れるとは…人とはわからないものだ。心の中で首を傾げながら下の様子を眺め、森から邪悪なものが出てきはしないかと気を配った。

 幸い、夕方になり子どもたちが帰る頃まで何も危険なものは出てこなかった。時折子どもにねっとりと絡みつくような視線を送っている気配はしたものの、鬼の覇気を感じてか手を出してはこなかった。

「みんな、帰るよ!」

 いつからか目を覚ましていた娘が子どもを呼び集める。全員いるのを確認する姿を見て、どうやら体調は良くなったのだと分かった。娘と手を繋いでいる弥助も他の子と同じく元気に返事をするのであった。

 人の子は、鬼が想像していたよりも案外弱くないものらしい。鬼は今まで人の近くにいたことがなかった。人がどのような生き物なのか、ただ単に『小さくて脆弱なもの』であるという認識以外は持っていなかったのだ。弥助の手を引き歩く娘を眺める。人の子は責任感というものも強いらしい。震えながら弥助との間に立ちはだかった娘の姿は、鬼の認識していた『人』よりもずっと強かで、それでいてやはりどこか脆い印象を受けた。そうやって、ただぼうっと考えていると、娘がふいに社の屋根を見上げた。

「……!」

一瞬だけ、確実に目が合って、うろたえたのは鬼の方だった。

 娘に、首だけ折って礼をされたのだ。表情はやはりまだ不安そうな、疑っているようなところはあったが、瞳の光は強く、おびえるような気配は随分薄れているような気がした。

 鬼は無表情なまま、歩いていく娘を見えなくなるまで眺めていた。



 翌朝、元気な声が聴こえてきた。鬼は社の屋根の上で一夜を明かしていた。眩しい太陽の光に眉を寄せると、屋根から少し身を乗り出した。

 ケラケラと高い笑い声に、面白そうな、五月蠅がっているような妙な顔をしながら鬼は社の中の陰へと入った。何しろ傷は未だ塞がりきっていないため、照りつける太陽の下にいるのは鬼といえども少々辛いものだった。胡坐を崩して片膝を立て、気配を消したまま陰の中から外を見つめる。走り回る子どもたちは、目まぐるしく、そしてキラキラと明るい。それらを見つめる目があまりにも鬼らしくないことに、彼自身、気付いていただろうか。

 昨日の娘もその集団の端にいるのが見えた。森に一番近い場所で、全体を見守っている。弥助はというと、賽銭の前で蹲って土をつつくことに一生懸命になり、どこかへ行ってしまいそうな気配はない。

「あの娘……」

相変わらず殊勝なことだと思って眺めていると、何を考えたかそのうち娘が立ち上って森の方へと歩き出した。

 鬼は少しだけ憤慨していた。人の子だけで入ると危険だと、昨日散々分かったのではなかったのか。鬼はため息をつくと立ち上がり、気配を消したまま娘の後を追った。

 娘は蹲ってなにかの草を千切っている。おそらく薬草の類だろうが、早く終えて社へ戻った方がいい。何しろ、獣がうようよしている。気付かないのかと鬼は気を揉んでは覇気を放って牽制していた。

 ねっとりと絡みつくような視線、熱い息。良くないものの気配がそこらじゅうを埋め尽くしている。鬼がとりあえず威嚇しているものの、たった一人で彷徨ってきた上等な獲物を、そう易々と諦めてくれはしないようだ。少し経つと、ふぅ、と息をついた娘が立ち上った。その時を狙ったように、がさりと草むらがうごめき、

「え?」

黒っぽい何かが目の端にちらりと見えた、と思うと、反対側から出てきた派手な色が宙を舞った。直後に聞こえる何かの苦しそうな叫び声。

「戻れ」

短く娘に言い放つが、一瞬呆気にとられたような顔で見つめられる。

 分かりやすいほど殺気を送ってくる草むらの向こうの気配を感じとり、鬼は舌打ちする。向こうはもう待ってはくれないようだった。

 この数を相手にするのはいくら鬼にも面倒だった。考えるまでもなく、一番楽な方法をとる。

「すまない」

一言娘に断ると、ドクン、と鬼の周辺一帯の空気が大きく波打った。



 子どもたちは、森から突然姿を現した派手な着物の男を呆然と眺めていた。子どもだけで近づくなと言われている森から、見たこともない大男が大股で歩いてくる。しかもその腕には…

「花ねぇちゃん…?」

さっきまで自分たちが一緒にいたはずの花を抱えているのだ。男の腕の中でぐったりとしたままの花を見て、子どもたちはわらわらと駆け寄った。

「ねえちゃん、どうしたの?ねむってるの?」

小さい子らが心配そうに男に縋る。

「おまえ、だれだよ!花ねえちゃんをきずつけたのか!」

一番大きな武が、少し離れたところから警戒して男を睨み付ける。それらの追及に何も応えることなく、男はそのまま社へと入って行った。そのまま付いて行こうとする子どもたちを威嚇するように男が赤みがかった瞳でギロリと一瞥した。子どもたちは怖がってその場から動かず、心配そうに花を見つめる。

 自分が少なからず焦っていたことに今更気付き舌打ちする。急いであの場を離れることを優先するあまり、子どもたちに姿を見られてしまった。しかし、とにかくこの花という娘に当ててしまった覇気を早く払ってやらねばならない。幸い子どもたちは自分を恐れてか、社の中へは踏み入ってこなかった。

 花を静かに床に寝かせると、他の子らが入って来ないようにとりあえず社の入り口の扉を閉める。そして花の傍らに座り、昨日と同じように意識を集中させる。

「……っ」

 じわり、血の出ている部分が熱くなる。いつになったら自分の怪我は治るのかと自嘲しながら、花の額へ手を向ける。そうしてすぐに覇気は払えたが、昨日に続いて今日もこのような仕打ちをうけたのだから、人の子にはつらいだろう。さっきの残党が来はしないかと森の方へぼんやりと意識をやりながら、静かに息をする花の頬をさらりと撫でる。後は外にいる子どもたちに任せればいいだろうと判断し、閉め切っていた扉を開いた。扉に張り付くように待っていた彼らが恐る恐る顔を窺ってくるのも無視して早々と姿を消した。



花が目を開けると、子どもたちに囲まれていた。

「ねえちゃん、起きた!」

「大丈夫?」

「起きた!起きたよ!」

口々にそう言う子どもたちに戸惑いながら体を起こす。

 がさりと揺れた草むらに気を取られて、気付けば派手な色がすぐそばに来ていた。そして、戻れと言われて何のことか一瞬迷って。「すまない」と言われた後…。

 そこで花はようやく、なぜか自分が気を失っていたことに気付いた。昨日もそういえば、鬼に睨まれたと思ったら社の床の上で目を覚ましたのだった。ふと薬草を手に持っていることを思い出した。そうだ、これを……。悶々と考えていると、子どもたちはまだ具合が悪いのかと心配しだした。

「大丈夫よ。もう平気」

 安心させるようにそう言うと、ゆっくり立ち上がって社の外に出た。それについてわらわらと出てきた子どもたちがいつものように遊びを再開すると、花はちらりと屋根の上を見た。あの無表情な鬼が静かにこちらを窺っている。それを確認した花は、ゆっくりと社の裏へと歩いて行った。


 社の裏手へ消えていく花を見て、鬼は憤慨していた。一人では確実に死んでいたような危機から救ってやったのに、何をしているのだと。痛み続ける足を引きずり追いかけると、暗がりの手前で花が木に寄りかかっていた。鬼の姿を見るとはっとしたように一歩前へ出る。

「お前は…」

花が口を開く前に鬼が問い詰める。

「お前は死にたいのか。何故自ら危ない場所へ行く」

それも一人で。食われたいのか?矢継ぎ早にそう言う鬼に、す、と両手を差し出す。

「これ、を…」

か細い声が何とか鬼の耳に届く。訳が分からず訝しげにその手を見ると、どうやら先ほど千切っていた草のようだ。

「傷に効く、薬草です。傷口に貼ってください」

は、と思わず口に出した鬼に、半ば押し付けるようにして薬草を渡し、元の道を走って戻って行った。



 鬼はと言うと、再び屋根の上に腰を下ろしている。

「放っておいても治るのだが……もらったからには使った方が……」

誰に言うでもなくぶつくさ言い訳しながら着物を捲り、もらった薬草を貼りつける。ひんやりとした葉が、熱を帯びた患部を少しずつ冷やして気持ちがいい。

 それにしても、なぜあんな危険を冒してまで、あの娘は薬草を取りに行ったのだろう。「子を食う」と脅したばかりでなく、二度も鬼の覇気によって気絶させられているのに。

 にやりと、口の端が吊り上る。しかしそこには鬼らしい残忍さなど微塵もなく…。

 そうして、人という生き物に興味が湧いてしまった鬼であった。



 鬼ごっこに冠作り、影踏み。鬼は影の外に広がる光景をぼんやり眺めた。先ほど仕留めた獣も、さほど旨いわけではない。もしも人の子なら……てらてらと光る肌は、鬼の鋭い牙をたてれば真っ赤な温かい血がじわりと滲むだろう。それが喉を潤す様が容易に想像できる。しかし生憎、自分は人食いの鬼などではないし、食うより眺める方が面白い。健康的に日に焼けた小さなものたちがわらわらと駆け回るのは見ていて飽きることがなかった。

「相変わらずお暇な人ですね」

 きらきら甲高い子どものものとは違う、乾いて落ち着いた声が後ろから聴こえた。

「お前も飽きずにまた団子でも持って来たのか」

声のした方を向かずに、そのままぼそりと応える。ふふ、と空気が揺れたのが心地よく、鬼はそっと目を閉じた。

「あなたはずっと、変わりませんね。」

私は随分年をとりました。そう穏やかに囁く声に、少し哀しげな色が滲む。

「人とは、儚いものですね」


ああ。儚いものだ。


 心の中でそう頷く。しかし、儚いからこそ、見ていて面白い。などと言ったら、こいつは怒るだろうか、笑うだろうか。

「何を考えておられるんですか」

目を開けると見えるのは、キラキラと輝く日向に、駆け回り、あるいは蹲っている子どもたち。それを見ているだけで、別段何を思考しているわけでもない。

「何も」

ただ、

「ふふ…、いつだってあなたは不思議な方です」

ただ、

「お前こそ昔から変わったやつだ」

このキラキラとして見える景色も、すぐ後ろに佇む儚い気配も。


永遠に続けばいい。


などと思っているだけだ。

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