第2話 後編
「おまたせしました」
白昼夢のような脳内繰り言から引き戻された。
「ミルク、おまけしといたからね」
彼の言葉に、思わず、ふ、と吹き出してしまった。
「カフェオレみたいな色になってますね」
「ん? ああ。カフェオレの方が値段高いから、構わないでしょ?」
ますます、ふ・ふ、と笑ってしまった。笑ったついでに気になっていたことを訊いてみた。
「ブレイキング・レモネード、って店の名前って、何なんですか?」
「ああ。バンドの名前」
「バンド?」
「そう。僕が昔やってたバンド」
「へえ・・・楽器は何弾いてたんですか?」
「ベース。まあ、もうやめちゃったけどね」
「今流れてる曲ってもしかして」
「ん? いや、これは関係ない。単純に僕の趣味。イギリスのバンドとか、若い頃から好きでね」
「かっこいい曲ですね」
「そう? このヴォーカルはイギリスで一番偏屈な男、って当時言われてたけど」
言われてみたら、何だかお経のような歌い方だ。英語が分からないわたしでも雰囲気が伝わってくる。
「何でバンドやめちゃったんですか?」
「ヴォーカルが就職しちゃったんだよね」
「就職? 会社か何かにですか?」
「まあ、一応会社かな。所属事務所っていうかな。フリーランス、っていうのか・・・」
なんだかやたらと歯切れが悪い。確かに人生の機微情報ってものもあるだろうから、それ以上ツッこむのはやめた。
「まあ、気に入ったらまた飲みに来てね」
バーか何かのような営業文句だ。
彼が席から離れてから、わたしはガラケーのネットをつなぐ。
「ブレイキング・・・レモネード、と」
やっぱり気になったので、通信料金度外視で、つい検索してしまった。
「あ、あった!」
それはあるメジャーレーベルHPのバックナンバー記事だった。
5年前の記事。
「”
「うわ、広田一会のバンドだったんだ!」
広田一会、32歳、男。
芸術性と興行収入を両立させる俳優として、実写でもアニメでも活躍し続ける、才能の塊だ。出演作品の音楽も担当し、そちらでも高い評価を得ている。海外の映画の何かの賞も貰ってたと思う。でも、こんなバンドでヴォーカルやってたなんて知らなかった。本人が語ってるのも見た事ないから、メジャーでやってた自分のバンドすら”黒歴史”ってことなのかな。記事の続きを見てみる。
”ベースの
「野中
ガラケーの画面から目を上げ、カウンターの向こうを見る。ジャー、という水道の音と、カチャカチャとグラスの触れ合う音がする。手元は見えないけれども、洗い物に集中してるようだ。
バックナンバー記事の写真と見比べてみる。広田一会と同年代だとしたら30ちょい過ぎのはずだ。でも、客の少ない喫茶店のマスターとしての彼は、やっぱり、”おじさん” にしか見えない。
「年、とったんだね・・・」
他人事じゃない。
結局、13:30まで粘った。
長居が申し訳ないので、
「ナポリタン」
と、追加注文すると、
「う」
と、かえって面倒臭そうな顔をされた。どういう商売をしてるんだろう。
帰り際、レジで思わず口に出してしまった。
「野中さん」
「ネット、見たんだ・・・」
「はい・・・でも、まだ夢を諦めてないんですね。店の名前にするなんて」
「違うよ」
「え?」
「僕が居たレーベルがこのビルの所有者なんだよ。で、バンドが契約切られた時に、”今までのご褒美と慰謝料だ”ってテナント料月5万円で貸してくれた」
「わ、安い!」
世間知らずのわたしでも、渋谷のど真ん中の賃料として安すぎることぐらい分かった。
「ま、節税対策もあるんだろうけどね」
「ブレイキング・レモネードって、野中さんのバンドだったんですね」
「・・・そうだね。僕のバンドだ」
彼はレジからおつりを出しながらわたしに言った。
「ノート、見せてよ」
反射で、つい彼に渡す。彼はパラパラと真面目な顔でノートをめくる。
「今度何か描いて持っておいでよ。階段に飾ってあげる。
あれ?
慣れない言葉に混じって、”
いっぱしの大人っていうか、プロっていうか、ちゃんとしよう、っていうか。
「ありがとうございます!」
わたしは、にこっ、と会釈してガラス戸をカラン、と開ける。
階段を駆け下りる。
境界線を超えると、みんみんというセミの声と、より高度を増した夏のおひさまの光がわたしに浴びせられた。
おわり
ブレイキング・レモネード naka-motoo @naka-motoo
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