第一三章

 夕暮れ時になっても、帝都の大通りの人通りは衰える事を知らない。

昼の仕事が終わり家路を急ぐ者。これから夜の仕事へと向かう者。連れ立って歓楽街へと並んで歩く者達。

様々な服装をした老若男女の群れは大通りの左か右に分かれて歩き、大通りの中央は人力車や小型の馬車などが疾走する。

この帝都では、まだ南蛮の様に車道と歩道を分けて整備されたりはしていないし、こうすべきだという交通法も整ってはいない。

だが帝都に住む人々は特に誰かに教えられたりもせずとも、大通りでの振る舞いを自然と自分達の生きる術として身に着けて暮らしている。


 そんな薄暗くなりつつある帝都の大通りの端を、一人の作業着姿の老人が小さなランプと梯子を持って歩いていた。

老人は街路に並ぶガス灯の一本に梯子を立てかけて上ると、覆いを外して栓を開ける。

そしてガス灯に火を灯して覆いを元に戻すと、また梯子を下りて次のガス灯へと歩いて行く。

 この帝都で夕暮れ時になると毎日の様に見かける風物詩と言っても良い光景だ。


 故郷の猛州を出て来たばかり時は、これらの一つ一つが継守にとっては驚きの連続であった。

一年前の帝都に到着したばかりの頃の継守にとって、ただ大通りの反対側に渡ろうとするだけで恐怖と戸惑いに悩まされる日々であった。

だが一年も帝都に住んでいる今となっては、これらは見慣れた光景であり、特に何と言う事も無い普段の暮らしでの行動である。

 人とは、どんなに不思議であったり奇妙と思える物であっても、いつかは慣れて当たり前のように感じる様になるのだ。


「おい、稲郷。ちゃんと私の話を聞いているのだろうな?」

「大丈夫だ、心斎橋。今夜の見回りの順路は、昼間に話して決めたのとは見回る順番が変わったという話だったな」

「・・・聞いているのなら良い」


 人は慣れれば、それまでは異常と思えた状態にも何も感じなくなる。

 例えば、今の継守と凛の関係もそうだろう。

この心斎橋凛という美しい少女とは、継守は半年前までは全くの無縁と言っても良い間柄であった。

片や政府公認の仕官予備校である新明館の後継者候補として一目おかれる身であり、片や道場内では反逆者の子と呼ばれ差別される辺境出身者。

片や道場では塾生達から注目される文武両道の麗人であり、片や時代遅れの戦国剣法ならば得意ながらも道場の隅で独りでばかりいる落ちこぼれ。

そんな対極であり半年前までは口をきいた事すら無かった二人が、今は共闘を約束した同志となり、こうして二人で夜の帝都を連れ立って歩いているのだ。

 そんな事を思いながらも、ふと心に浮かんだ疑問を継守は口にする。 


「それにしても、おかしなものだな」

「何がだ?稲郷」

「今夜の見回りの順番を変更しようと言い出したのは周防さんだと、そう心斎橋は言っていたな?」

「ああ。私が家に帰り、お爺様への相談をしに行こうとしたら、まるで追いかける様に周防が尋ねて来てな」

「それで、君と周防の二人で洞現殿と今夜の事について話をした訳か」

「そうだ。周防は今夜の私の行動について、お爺様の許可を得る為の口添えに来てくれたらしい。

その説得の時に周防からお爺さまに話されたのが新しい順路での計画だ。だから、その時は話の流れから私が異論を挟む余地は無かった。

まあ、そうでなくとも後から確認して特に問題の無い計画だったからな。どちらにしろ異を唱える必要は無かったのだが」

「それで、その新計画を君に何の断りも無く出した事については、周防は何と言っていた?」

「それについては、周防殿や小吉郎殿の予定を考えての変更らしい。なんでも、この新しい計画の方が途中で互いに連絡を取り易い様になっているらしい」

「ああ。それについては、この新しい予定表にも途中で情報交換する場所と時間が書かれてはいるのだが・・・」

「さっきから、質問ばかりではないか。何が気に入らないのだ、稲郷」

「いや、特に何が気に入らないという訳では無い。ただ・・・何かが、引っかかる」

「その、何かとは何だ?」

「それは、俺にも解らない」

「何だそれは」


 凛は憮然とした表情になり、黙り込んでしまう。

継守は慌てた様に別の話題を持ち掛けようとした。


「だが、それにしても君も大変な事に巻き込まれていたものだな」

「何がだ? この今夜の見回りは私自身の意志で決めた事だ。誰かに巻き込まれたものではない」

「いや、そうでは無い。蛭田が考えていたという、新明館と心斎橋家の乗っ取り計画についてだ」

「・・・有り得ない話だ」


 思い付きで話題を振った継守は、自分の迂闊さを後悔する。

黒髪の麗人の顔が、先程より更に険しく不快感を顔に出したからだ。

しかし、ここで言い出してしまったからにはと、仕方が無く話題を続ける。


「だが、もし断れば新明館や心斎橋家が相手でも蛭田なら何をするか解らなかったのも確かだ。洞現殿は、どうするつもりであったのだろうな」

「それは・・・解らないな」


 それまで怒りの表情を浮かべていた少女の顔が、急に心細く寂しげなものになる。


「お爺様は前々から私には『女のお前が剣を握る必要は無い』とばかり言い、私が剣士となる事も新明館を継ぐことも快くは思ってくれてはいない。

それどころか私が誰かに嫁いで心斎橋家を出てゆく事を、望んでいる様ですらあるのだ」

「・・・」

「だから、もし私を蛭田の嫁にする事で何か新明館にとっての大きな問題を解決できるというのなら・・・そう決めかねないだろうな」

「そう・・・か」

「だが、私が蛭田の嫁になるなど、やはり絶対に有り得ない話だ。

 もし、そんな事が正式に決まりでもすれば・・・・いっそ私が蛭田を斬っている」

「待て、心斎橋。あまり不穏な言葉は街中で言うべきではない。」


 再び怒りの表情を浮かべ始める凛を、継守は慌ててなだめようとする。

だが、その言葉が凛の耳には届く事はなかった。


「何を言っている、稲郷っ! あの男は・・・帝都大火の三英雄”は、私にとっては仇だ!」

「おい。だから・・・」

「そうだっ! あの男さえ・・・あいつらのせいで、私の両親は・・・っ!」


 その場で俯いて涙を流し始める少女と、どう声をかけるべきか戸惑う同年代と思われる連れの少年。

最初は驚いた表情で立ち止まりかけた通行人達も、視線を逸らして足を速める。

少女の言葉の内容が聞こえていた者達にとっては、好奇心で立ち聞きする話では無いと思ったのかも知れない。

また、聞こえていなかった者達にとっては、連れの少年が慌てている様子から痴話喧嘩か何かとでも思ったのだろう。

どちらにしろ、この大都会である帝都の日常では珍しくも無い光景だ。人々は関心を失った様に振る舞い、ただ通り過ぎて行く。

 そんな雑踏の中で立ち尽くしながら、凛は涙を流し肩を震わせる。

その震えは怒りによるものなのか、それとも哀しみによるものか。それは継守には解らない。

ただ解らないなりに、このまま彼女を衆目に曝したままにすべきでは無いと、それだけは確かに思えた。


 半刻後。

場所を変えての桜瀬川の土手沿いの石段に二人は並んで座っていた。何もせずに二人は黙って川面を見つめていた。

だが、暫くしてから凛が、ぽつりぽつりと維新戦争当時の出来事を語り始める。

無論、当時の凛自身は生後二歳の稚児であり、本人の記憶そのものは殆ど無い。

だから語れるのは、おぼろげな両親の記憶と、人から伝え聞いた話を集めたものだけとなる。

 そう前置きをしてから、彼女は一五年前の出来事を語り始めた。


 この帝都は一五年前の維新戦争の時、後の新政府軍こと維新軍に包囲されていた。

後の新政府軍こと維新軍は数の上では総督府軍に勝っていたが、敵側の精鋭である旗本達と帝都の堅牢な城壁を相手に攻めあぐねていた。

この時に城壁の内側である帝都市街に火を放つ事で総督府軍を混乱させ、維新軍による城門突破の隙を作ったとされているのが”帝都大火の三英雄”だ。

 蛭田圭三。犬井蔵人。烏丸勇美。

この三人は維新軍による帝都攻略に大きく貢献した維新志士として、当時の新政府からは大々的に称えられてる。

 だが、彼らによって引き起こされた帝都大火そのものは帝都とそこに住む人々に大きな傷跡を残した。

焼失した家屋は約一万三千戸。死傷者は帝都に住む一般民だけで約四万人。

無論、これは維新軍の帝都突入による市街戦の犠牲者をも含めたものであり、どこまでが大火だけによる被害なのかは明確に線引きする事は出来ない。

だが、その犠牲者の中に、当時は生後二歳であった凛の両親である心斎橋一と心斎橋静香が含まれていた事だけは揺るぎようも無い事実なのだ。


「だから、今でも思ってしまう。

もし、あいつらが・・・”帝都大火の三英雄”が帝都市街に火を放ったりしなければ、私の両親は死なずに済んだのではないか。

私は両親を失わずに済んだのでは無いかと」

「・・・」

「せめて・・・蛭田達のした放火が、この国の新時代を作ろうという志士としての想いからの行動ならば、私も両親の死は尊い犠牲だったのだと納得も出来よう。

だが、奴らのやっていた事はただの火事場泥棒であり、私の両親も死に際を誰かに看取られる事もなく無残に犬死させられただけなのだぞ」

「・・・」

「どうして・・・どうして、私の父上と母上は・・・どうして、こんな想いを私は・・・・」


 黒髪の少女は泣き崩れる。

その普段は凛々しく毅然とした姿でいる少女の、意外にも脆くも儚い姿に継守は戸惑い困惑した。

この様な時に、どの様な言葉を相手にかけ、どの様に振る舞えば良いのかを悟る事は、まだ世慣れていない今の少年には荷が重すぎる課題であった。

だから、馬鹿正直に思った言葉を口にする事しか出来ない。


「その・・・済まない、心斎橋。俺のせいで嫌な事を思い出させてしまった様だ」

「・・・謝るな、馬鹿者。これは、あくまで私の問題だ。お前には関係無い」


 少年の不器用な言葉に対して返って来るのは、少女の不器用な言葉。

そんな少女に少年がかけられるのは、あくまでも、どうしようも無く不器用な言葉だけであった。


「その通りだ。俺は、今の話の当事者ではない。それに、俺には君の気持ちを理解してやる事も、欲しい言葉をかけてやる事も出来ない」

「・・・」

「だが・・・もし君が良ければだが、こうして話を聞いてやることは出来る。

それに、俺などでは役者不足だとは解っているが、もし君が寂しいのならば俺で良ければ君の傍に居てやる事は出来る。だからだ・・・その・・・」

「・・・馬鹿者が」


凛は俯いたまま口元に微かな笑みを浮かべる。


「稲郷。やはりお前は、とんでもない卑怯者だ」

「卑怯? 俺がか?」

「そうだ。こんな時に、その気も無いくせに女に優しい言葉をかけるなど、どうしようもない大馬鹿者だ」

「心斎橋。どうして、その気も無いと勝手に決めつける。付き合いこそ短いが、俺は君の事を本気で、共に剣士を目指す同志であり大切な戦友だと・・・」

「黙れ、大馬鹿者」


 不意に凛は泣き腫らした顔を上げると、その右手を伸ばして継守の胸倉を掴んだ。

己の服の襟元を握る少女の切なげな瞳の輝きの意味が解らないままでいる少年に向け、少女は微かに掠れた声で話しかける。


「自覚が無いのが、一番に質が悪い」

「どういう事なんだ?」

「それを訪ねるか?」

「済まない、心斎橋。本当に解らないのだ。俺は、何を理解すれば良い。俺は、君の為に何が出来る」

「そうだな・・・大馬鹿者である罰として、一つだけ私の我儘を聞いて貰おうか」


 その言葉と同時に、掴んだ服を引き寄せる様にして凛は継守の胸へと倒れ込んで来た。

思わず抱きとめる形となった少年の腕の中で、黒髪の少女は震える声で言葉を口にする。


「頼む、稲郷。今だけ・・・抱き締めてくれ」

「おい、心斎橋。これは、どういう・・・?」

「少しだけで良いんだ・・・お前に、甘えさせてくれ」

「・・・解った」


 少年は己の胸に身を預ける少女の身体を、気遣う様にして抱き締めた。

震える身体と熱い吐息を胸元に感じながらも、自分の胸にすがり付いてくる少女の肢体が今更ながら女性の物なのだと実感する。

その肢体は鍛えられ引き締まったものでありながらも、やはり男の自分とは全く違う柔らかさと華奢さを持っている。

 暗がりの中で二人きり。

かつては、もし望んでも絶対に手が伸ばせない場所に居た美しく気高い少女を、その腕の中に抱いている。

ここ数日で、今までは知らなかった幾つもの可愛らしい姿を見せてくれた可憐な少女が、己の胸に身を任せている。

そんな事を意識した途端に、継守の鼓動は早鐘の様に早まる。

そして、その事は継守の胸に身を寄せている凛にもすぐに伝わってしまった様だ。

 微かな戸惑いに揺れる声で凛が尋ねてきた。


「一つ、質問して良いか。稲郷」

「・・・何だ?」


応える継守の声は、努めて平静さと装うとしながらも動揺に掠れた。

 二人の間の、一瞬だけ息を呑むような沈黙。

再び口を開いた凛の声には、何かを期待して確かめるような響きが籠もる。


「先程から、お前の鼓動が随分と早いと思うのだが」

「・・・仕方が無いだろう」

「何が仕方が無いのだ?」

「それを訪ねるか」

「ああ、是非ともお前の口から聞きたい」

「・・・解った」


一つ大きく息を吐くと継守は、震えを抑えた声で語り出す。


「こうして、君を腕の中に抱いているからだ」

「それで、どうして稲郷が鼓動を早める必要がある」


尋ねる少女の声も抑えたものだが、不思議と嬉しそうな響きを帯びたものに聞こえる。

継守は自分でも訳の分からない緊張に声を震わせそうなになりながら、腕の中の少女の問いに答え続ける。


「それは・・・心斎橋が、良い女だからだ」

「意外だな。お前は、そんな風に私の事を思っていたのか」

「それは、当然だろう。君は・・・、美しい女性だ。

その顔も・・・髪も・・・肢体も・・・真摯な輝きの瞳も・・・懸命に己を高めようとする姿も・・・その清廉な生き方も・・・全てが美しい。憧れに値する。

そうかと思うと、最近はとても可愛らしく思える一面も多く見つけられて驚いている。そうだ・・・少なくとも俺にとっては、君は素晴らしく良い女だ」

「・・・」


 二人の間に流れる沈黙。

覚悟を決めて言い切ってしまった継守としては、その相手の凛が黙ってしまった事に言い様の無い不安を感じる。

耐えられずに再び声をかけてしまう。


「心斎橋」

「何だ」

「もしかして俺は、何か言ってはいけない事を言ってしまったのか?」

「・・・馬鹿者」

「また、馬鹿者か。今回は何が悪かったのか教えてくれ」

「そういう事を平気で尋ねる所だ」

「だが、どうやら俺は本当に馬鹿者の様でな。君に指摘されないと具体的に何を間違えたのかすら解らない」

「じゃあ、教えてやる。世辞を言うにも限度がある」

「世辞など言ってはいない。先ほどの言葉は、全て俺の本心だ」

「何を言う。私も美人だと言われる事は多いし、それが正しいのだろうという自惚れは有る。

だが、その・・・可愛らしいなどと言われる様な女で無い事は自分でも解っている」

「何だ、そんな事か」


思わず小さく笑う継守に対し、拗ねた様な口調で凛が尋ねる。


「稲郷。何が可笑しい」

「君の、そうやって意外と照れ屋な所が可愛らしいと言っているんだ」

「・・~っ!!」


継守の胸の中で身を小さくした少女は、不意に付き飛ばす様に離れると腕を組んで、そっぽを向く。


「フンッ・・・稲郷。お前は随分と女を口説くのが手慣れているではないか」

「何を言っている。俺は別に、そんなつもりで・・・」

「やはり、その気は無いくせに、これなのだな。お前という男は」

「?」


 凛の顔に一瞬だけ、僅かな切なさと寂しさを交えた微笑みが浮かぶ。

だが、その意味を継守が訪ねるよりも先に、麗人の顔には普段の引き締まった表情が戻った。

そして、黒髪の少女は少年よりも先に立ち上がると襟を正し、まだ少しの余韻を残しながらも、やはり普段通りの口調で話す。


「とりあえず、今の事について礼を言おう。お陰で随分と落ち着く事が出来た。迷惑をかけたな、稲郷」

「いや、別に迷惑とは思ってはいないし、礼を言われるまでも無い。もし君が望むのならば、また何時でも頼ってくれて構わない」

「何を言っている。口説くつもりも無い女の世話を焼かされても、本音では面倒なだけだろう」

「そんな事は無いぞ。先程も言った通り、俺は心斎橋を良い女だと思っているからな。

 これだけ可愛らしい美人に頼られて己の胸に抱けたのは、男として儲けものの役得だと思っている」

「本当に何を言っているのだ、この男は・・・」


 ほんの一瞬だけ二人の間に交わされる笑み。

しかし、少女の後を追って少年も立ち上がり服の襟を正した時には、二人の顔には今まで通りの表情と関係が戻っていた。

二人は再び大通りまで出ると、ガス灯の下で凛は紺の稽古着の懐から懐中時計を取り出し、その蓋を開けて時間を確認する。


「済まない。私の個人的な問題で、随分と時間を潰してしまった様だ」

「過ぎた事を言っても、仕方が無い。それより、どう遅れを取り戻すかを考えよう」


 そう答えながら継守も予定表を取り出して広げ、現在時刻と本来の到着地点を確認する。

どうやら二人で河原で過ごしていた時間は一刻にもなっていた様である。

現在、二人は帝都西区の桜瀬川の土手沿いに居るが、本来ならば今頃は帝都北区の工業地区にいる筈の予定なのだ。

 顔をしかめながら凛は継守に提案をする。


「これから、かなり急ぎ足で回る事になるか」

「いや。それでも南区で深夜過ぎに小吉郎殿と合流する予定には間に合わなくなる。残念だが、それよりも今夜は見回り場所を削った方が良いだろう」

「ならば、何処を削る」

「削るとしたら・・・この北区で良いだろう。特に見回るべき重要な場所は無いのだし」

「そうだな。そして・・・やはり”帝都大火の三英雄”である犬井と烏丸の所は外せないか」

「ああ。どいういう訳か周防さんは否定したがっていたが・・・」


 そう話しながらも、やはり継守の頭の中では何かが引っかかる。

どうも周防の話をする時に、自分は何か不自然なものを感じている様だ。

確かに、あの男は曲者だろう。直観で、そう感じる。だが何処がどう変なのかは、いまいち解らない。

 その事について継守達が凛にも相談しようかと考えた所で、不意に横から若い男の声がかかる。


「おい、てめえら。こんな所で、なに油売ってんだ」


 その少しガラの悪い言葉の主は、相変わらずの不機嫌な顔をした小吉郎であった。

昼間と同じ青い警官服で身を包み、その手には六尺棒を持っている。

驚きの表情を浮かべる継守と凛を前に、小吉郎は舌打ちをしながら呟く。


「チッ・・! イチャついているんじゃねーぞクソガキ共が。周防さんも周防さんなら、ガキ共もガキ共で・・・」

「私と稲郷は、別にイチャついていた訳では無い!」


 小吉郎の悪態を相手に、凛が赤面しながら叫ぶ。

そのあまりにも解り易く動揺する姿に、継守は片手で顔を覆い、小吉郎は小さく鼻を鳴らす。


「あぁ? じゃあ、どんな重要な問題が有って、こんな時間に、こんな所に居んだよ」

「それは・・・」

「どうせ、そこらの暗がりで二人で乳繰り合ってたんだろ」

「乳繰りあってなどいない! そんなつもりで二人で河原にいた訳では・・・っ!」

「はぁ? 河原だぁ?」


 このままだと延々と凛が余計な事を言い続けそうなので、仕方が無く継守が横から口を挟んで話題を切り替える事にする。


「小吉郎さん。さっきは周防さんも周防さんとか言ってましたが、あの人も今は予定とは違う事をしているのですか?」

「そっちは知らねえよ。ただ、この茶番に俺を巻き込んだのは、あの人だっつう意味だ」

「茶番?」

「そうだろうが。あの人は本音じゃあ、てめえが犯人だなんて最初から考えて無かったんだからな。その癖に、俺に監視役をやらせてたんだ。

どうせ、これが秘密裏の捜査でも上への報告書は書かなくちゃならねえから、何でも良いから書くネタが欲しくての材料探しだったんだろうよ。

それでも何かの拍子に上手く事が運んで犯人逮捕でも出来れば、俺の出世に繋がるかと思ってたってのによ。真面目にやってるのは俺だけかよって・・・」

「待って下さい。周防さんは、俺が犯人じゃ無いと何時から解っていたんですか?」

「知らねえよ。でも昼間の話っぷりからすると、どうせ最初っからだろ。

この事件の犯人像なんてまともに考えられる代物じゃねえから真面目にやるだけ馬鹿馬鹿しいって、てめえらだってあの人から直接聞かされただろうが」

「・・・!」


 確かに周防は、そう言っていた。だから、いっそ事件を迷宮入りにしようとまで。

だが、そう考えると幾つかの矛盾が出てくる。

もし周防に事件捜査への意志が無いのならば、どうして小吉郎を巻き込んでまで継守の監視などさせたのか。

そして、その事が監視相手に露見した途端に、どうして継守達まで事件捜査に参加させようとしたのか。

そんな事をすれば、それだけ事件の情報が外に漏れる確率が上がるというのにだ。

 そもそも、この事件は所轄の警官達が事件捜査に動き出そうとしたら、本庁が周防を出向させて捜査権限を奪い、箝口令まで布いた事件だ。

それだけ警察上層部が世間どころか警察内に対してすら秘匿したい何かが関わっており、それだけ重要な件を任せるに足る人物だと警察上層部が判断したからこそ周防が単身で出向させられた筈なのである。

それなのに、継守が知る限りにおいて周防の行動は、どれをとっても不自然にまで軽率かつ浅慮なものばかりだ。

 考えれば考えるほど、継守は周防という男が得体の知れないモノに思えて来る。

あの物腰が柔らかく丁寧な口調で話す男の言葉や行動の全てが演技であり、その正体は全くの別人格なのではと思えて来るほどにだ。

 だからこそ、思わずにはいられない。


 この事件には、自分達が知らない裏の”何か”が隠されている。


 この事件を最初に凛に聞かされた時に感じた予感が、継守の中では改めて色濃いものとなっていく。

やはり、周防は継守達に対して”何か”を隠したままにしているか、もしくは、その”何か”から遠ざけようとしているとしか思えない。

 だが今のところ、その”何か”の尻尾をすら継守は掴めてはいない。

今まで継守に与えられた情報の何処までが真実で、何処までが偽情報なのかを確かめる術が継守には無いからだ。

せめて、この事件の真実を隠そうと周防が意図的に情報操作をしている証拠があれば、そこから真実を探る糸口も見つかるというのに。

 そこまで考えたところで継守は、ある事に気付いて小吉郎に質問する。


「ところで、小吉郎さん。今、昼間に決めた時の俺達の見回り予定を見る事は出来ますか」

「あぁ? そんなもん、どうすんだよ。後から周防さんが決めた順番で見回る事になったんだし、もう見る必要なんか無えだろ」

「ええ。その通りなのですが、少し確認したい事がありまして。確か、あの時は小吉郎さんも手帳に書いていましたよね」

「まあな。これで良いのか? 」


 そう言いながら小吉郎は、青い警官服のポケットから手帳を取り出して開くと継守に渡す。

それを受け取ると継守は、手帳に書かれている予定表と後から周防によって作られた予定表の内容を並べて比較する事にした。

 もし、周防が継守が考える通りで、真実を継守達に隠そうとしているのならば。

この不自然なまでに用意が良く、後から凛が断れない形で周防が出した予定表こそが、周防が”真実を隠す為に作ったもの”なのだろう。

だから、この二つの予定表の違いが解れば、それによって周防が継守達に対して誘導しようとしている”何か”の正体が解る筈だ。

 そう考えながら見比べる継守の目の前に、早くも一つの答えが示された。


「・・・心斎橋。今すぐ、戌井の屋敷に行くぞ」


 継守は急いで小吉郎に手帳を返し、後は驚く二人の返事も聞かずに走り出した。

もし継守の読みが当たっているのなら、周防は継守達が事件の真実から遠ざかる様に誘導している。

最初の予定表を作る時には自分が怪しまれない様に口出しを控え、その後に断れない形で新しい予定表を出したのは、この男から遠ざける為だったのだろう。


 戌井蔵人。

一五年前の維新戦争において蛭田達と共に帝都市街に火を放った”帝都大火の三英雄”の一人して、現在は帝都西門における城壁防衛と城門警備の責任者である男。

その職権を乱用し、帝都への密輸や密入の世話を焼いた謝礼として多額の賄賂を受け取り、帝都西門の近くに豪邸を建てて住んでいる悪党だ。


 継守が見つけた、最初の予定表と新しい予定表においての一番の違い。それは、前回の犯行と同時刻である真夜中においての、この男と継守達の距離である。

昼間に決めた予定だと、ちょうど真夜中に継守達は戌井の屋敷を訪れる事になっている。

しかし、新しい予定では東区の新興住宅街に居る事になる。

そして、新しい予定において継守達が戌井の屋敷を訪れるのは明日の明け方だ。

もし今夜にでも大鎧が戌井への襲撃を行うとしたら、継守達の到着は完全な手遅れとなるだろう。


 少年は夜の帝都を走る。

定期的にガス灯が照らす石畳の大通りを、まばらに歩いている人々からの奇異なものを見る目に晒されながらも、ひたすら継守は疾走する。

後ろからは、訳も解らないままだろうに懸命に追いかけてくれている凛の息を切らせた呼吸と足音が聞こえた。

そんな彼女に心中で感謝しながらも、継守は足運びを緩める事無く帝都西門の近くにある戌井の屋敷に向かって走った。


 もし今夜にでも大鎧が戌井を襲撃するとしたらの、犯行時刻であろう真夜中までは、ほんの半刻しかない。

だが幸いにして、継守と凛は桜瀬川の河原で長話をしていた為、周防の予定していた東区からではなく西区から出発ができた。

ここからなら、一刻もあれば到着できる。もし大鎧による襲撃が有ったとしても、継守達が間に合う可能性は充分に高い筈だ。

 無論、これらは全て継守の直観と、少ない状況証拠からの推察によるものである。明確な証拠などは無い。

だが、この時の継守には不思議なまでに、自分の考えている真相と、その判断に対して自信があった。


 まだ、間に合う。

その確信と共に少年は走る。

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