第2話

 始めは、彼女に袋叩きにされた公園へ。


 次に、万引きを強要されたコンビニへ。


 その次は、集団で罵詈雑言を浴びせられ続けた通学路へ。


 私はひたすらトラウマと闘いながら、戦争をしながら、それらの呪縛されているとも言える場所へと足を進める。途中何度も引き返したくなった。途中何度も戻しそうになった。途中何度も、彼女を殺したくなった。

 けれど何とか我慢する。冷汗を放って我慢する。

 彼女が逃げないようにと右手を繋いで、私は歩き続けた。その手には自然、力がこもる。夜だとなおさら思いだしたくもない記憶が呼び起され、その度に恐怖している私は、彼女をこれらの場所へ連れて行って何がしたいのだろう、と頭を過った。


 思いだして、謝罪をしてほしいのか。それとも、もうかかわらないで、と言外に伝えているのか。自分自身ですらわからない行動に戸惑っていた。

 手が震える。

 足は覚束ない。

 膝は笑い転げて。

 声は見事に宙返り。

 そうして私は、いよいよ旅を終わらせようと、自ら悪い記憶の巣窟へ忍び込んだ。


 「ねえ…これは不味くない?」

 

 彼女は怖気づいたように言う。それはそうだ。だって、これは立派な不法侵入。誰かに咎められたら弁明の余地なく、項垂れるしかない状況なのだ。


 「大丈夫。見つからなければ」


 私は彼女をそう焚きつけた。

 そう。

 危険を冒してでも、ここには絶対巡りたかった。彼女に思いだしてほしかった。私たちの関係の、始まりの場所。因縁の場所では無く、思い出の場所になるはずだったそこは、他でもない、私たちの母校である中学校だった。

 夜の学校の貫禄ったらない。いや、貫禄というか、おぞましい感じの、威圧感、とでも言うのだろうか。真っ白いはずの校舎は反射率を失って、真っ黒くなっている。大きな影がそこにある。

 まるで私のトラウマをそのまま現しているかのような、黒い、陰鬱とした大きな影だ。


 無事誰にも咎められることなく侵入に成功した私たちは、正門を潜って少し行った場所に、二人並んで立つ。そこからは、ピロティと呼ばれる場所を通り越して、グラウンドが臨めた。だからなんだというわけでも無い。広い空間があるというだけだ。

 ただ、私の中学生活の空白は、もしかするとあの場所で快活に走り回っていたのかもしれない、と想像した。

 だからなんだというわけでも無い。


 「えっと…ここは、学校だね」


 今まで、どの場所に行ってもなんの感想も口にしなかった彼女が、そう言った。

 その通り、ここは学校だ。私たちの母校だ。私のすべての嫌な記憶の出発点だ。

 

 「そう、学校」


 私は頷いて、彼女を見た。彼女の瞳は、街灯のかすかな光に照らされてギラギラと光っていた。私もそうかもしれない。涙が流れかけていた。

 

 「…あなたが、何を言いたいのか、一応わかったよ」

 「…ん?」


 私は促すように首を傾げる。何を言われても違う、となるような気がした。あなたが思いつける程度のことじゃない、あなたが理解できるくらいの辛さじゃない、とそんな風に。

 

 「…ごめん。都合よかったよね」

 「……」

 「許してなんて言わないから…ごめん…」

 「…じゃあ、なんて言ってくれるの、許してって言わないなら?」

 「…一緒に、いてください」


 その言葉に私はいたく感動した。

 はずはなかった。

 そっちの方がよっぽど都合がいいんじゃないだろうか。許してなんて言わない、許してくれなくても良い、でも一緒に居てほしい、なんて、自分本位もこれ極まれりといった具合だ。

 それで、私が本当に一緒にいるとでも思っているのだろうか。

 仮にそれが実現したとして、今まで通り接するとでも思っているのだろうか。

 私が全部、水に流してきれいさっぱり、あなたと向き合うとでも思っているのだろうか。

 そんな本音さえ言えない関係に、果たして未来はあるのだろうか。


 「……」


 私は、俯く彼女を黙ったままで見つめる。

 あなたが告白なんてしなければ、あるいは先もあったかもしれない。

 私はそれほど、あなたに友情を感じていたのに。

 それなのにどうして。


 しばらくの間二人のとも何も言わないで、ただ沈黙を聞いていた。


 「…でもね」


 あなたは言う。言ってしまう。何を思ったか、最悪なこと口走る。


 「でも、私は最初から、あなたのこと好きだったの…たぶん初恋で…だからあんな意地悪を…本当に、ごめんなさい」

 「…そうなんだ」


 なんでそれを言ってしまうかな、と。

 思っていても言うなよ、と。

 私はこの時、黒い、後ろめたい感情で一杯だった。いっぱいいっぱいだった。

 

 初恋。

 その言葉には、トラウマしかない。


 「…そっか」


 私は言いながら、彼女を抱きしめた。首に縋りつくようにして腕を回し、彼女と強く密着する。

 なんなら、このまま殺してしまえそうな体勢だった。


 「…え」

 「私は…私も、あなたが好きだよ」


 私は耳元で、彼女にしか聞こえない声で言った。息を吹きかけるかのようにして、私は彼女に声を吹きかける。

 戸惑ったような彼女は、しかし、やがて歓喜を自覚しだした。


 「いいの…? 私、あなたに、散々酷いことして…」

 「いいよ。今の私は、そんなこと、あなたと付き合う上では何の障害でもないから。…好きだよ」


 私は言う。

 心にもないことを言う。

 ともすれば、自分に対する裏切りを働くかのような、残酷な言葉を言い放つ。

 自分でさえも自分を傷つけ始めた。

 

 「…大好き。ずっと、ずっと、好きだったよ」


 好きだった。

 そう。私は彼女のことが好きだった。

 初恋というなら、私が先だ。

 中学の入学式の少し前から、私は彼女が好きだった。格好良くて優しくて、私のことを助けてくれた彼女を、同性でも好きだった。好きと言ってはばからなかった。

 同じクラスになれて、奇跡だと思ったのに。

 彼女は優しくなくなって、彼女は格好良くなくなって、彼女は私を助けてくれなくなって。

 私はどんどん彼女を好きじゃなくなっていって、遂にはマイナスになって、嫌いになった。

 なんであんな人に恋をしたのだろう、と。

 自分の初恋を、恨めしいほど悔いて悔いて朽ち果てて。

 最悪の思い出になった初恋に、もう興味すらなくなった。

 

 「ありがとう…! ごめん、ありがとう…本当に…!」

 

 涙を流して喜ぶ彼女を見て。

 

 私の初恋を惨殺しておいて、あなたは良い思い出にする気なの?


 そんな風に思った。


 そんな風に笑った。


 「よろしくね…これから」


 そうはさせないよ。

 

 あなたがもう二度と私の顔なんて見たくないと思うくらいに、あなたの初恋を、最悪の結末で終わらせてあげるから。


 私は腕に力を込めて、彼女を強く抱きしめた。

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初恋の結末 成澤 柊真 @youshi

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