初恋の結末

成澤 柊真

第1話 

 「私さ、あなたのこと好き、なんだよね」

 

 頬を赤らめて、その子は言った。いや、もしかしたら夕焼けが顔に反射しているだけかもしれない。

 大学一年生は、朝から晩まで講義が入っているもので、こんな時間になっても、まあ早いほうなのだ。

 

 方々から声にならない塊のような音が聞こえて、午後五時の鐘のように、ああサークル活動がそろそろ始まってくる時間か、と悟った。

 そういえば、見たいドラマの再放送が今頃の時刻だったことを思い出したけれど、今日の放送はあきらめようか。

 なにせ、時間のかかりそうな案件が舞い込んできたから、今からは帰れない。


 「…へえ。そっか」

 「…それだけ?」

 「いや、ごめん、ちょっと驚いてるだけ。二分くらい待ってもらえると助かるんだけど…?」

 「わか、った」


 本当に驚いているのだ。なんでこの子が、とそんな風に。

 

 私は中学時代、この子にいじめられていた。靴を隠される、なんて古典的なことから、先生に冤罪を報告される、みたいな陰湿なものまで、ありとあらゆる、とは言い難いけれど確実に私を学校から遠ざけるような行為を繰り返し行ってきた。

 幸い、私は家族に相談できる性質の人間だったから、親に言って学校に相談してもらった。

 とはいえ、それでいじめがなくなるなら苦労はしない。

 結局、中学一年生の一年間、学校を丸々休んで家で勉強する羽目になった。

 

 それはそれで充実した日々だった。

 そうして、二年に進級すると、学校側の配慮かなにか知らないが、彼女が率いる集団とは別々のクラスになって、いい友達に恵まれて、再び学校生活を送れるようになった。

 

 だから結果的に、私は中学一年の一時期、少しだけ学校を休んだだけにとどまって、それからはほかの人と何ら変わりない生活をしていた。


 だからと言って、許せるわけはない。

 だからと言って、怖くないわけはない。

 

 彼女がこの大学へ来ることが事前にわかっていたなら、私はほかの学校を躍起になって探したことだろう。

 後悔はいつだって、私を背後から付け狙っていた。

 高校は安心して通っていた。いや、語弊がある。安心しきっているわけはない。また彼女らのような人間が私に嫌がらせをしてきたら、どう対処しよう、とそんなことを毎日考えていたから、人並み以上に神経をすり減らしていたことは事実だ。

 しかしながら、それも高校を卒業するころには忘れかけるほどに、充実した日々を送っていたのだ。


 『あ、あなた、中学校の時の』


 ガイダンスで、そんな風に声をかけられたときは絶望を隠せていた自信がない。その場で吐いてしまいそうになるのを抑えて、返答もせずに立ち去ったのだ。

 それで気付いてほしかったが、その日のうちに、学食で鉢合わせしたときの恐怖といったらなかった。

 

 今度こそ、私は彼女に殺されるんじゃないか、と戦慄したのだ。


 けれど、そんなことは無く、普通の友人関係に落ち着いたことにかなり違和感があったことを否定できない。

 どの面下げてわたしと話しているの、と何度口に出かかったかわからない。だって、謝罪も贖罪もなく、まるで中学時代から親しくしていたかのような、私たちは加害者と被害者だという事実がなかったかのような、そんな振る舞いをするのだ。

 どれだけ腹が立っただろう。どれだけ悲しかっただろう。

 自分の苦悩が忘れ去られるということが、どれだけ堪えることか、ここで初めて知ったのだった。


 しかしそれでも、ずっと一緒にいれば慣れてくるものだ。なにもなかったでいいじゃないか、今彼女と私が友達なのは事実で、かつて抱いた彼女への愛憎には目をつむって、現在を見て生きていこう。

 そう思えてきたのに。


 「……」所在なさげな目配せで私の返答を待つ彼女を、見て。


 なんで、こんなことをいうのだろう。なんで私を悩ませるようなことをするのだろう。

 私にどう答えろって言うんだ。

 

 「女の子同士だけど、私の事好き?」

 「…これでもあなたを男と思ったことないのよ。女の子でも、好き。女の子のあなたが、好き」


 軽いジャブのつもりだったけれど、相手だって並大抵の覚悟じゃなかったみたいだ。


 「…うれしい」

 「ほんとう?」

 

 嘘では無い。好意を伝えられること自体は嫌なことでは無いので、嘘では無い。

 

 「…ほんとだよ」

 

 でもその態度は気に食わない。私が好きだっていうなら、中学校の時のことをなかったことにするのは、不義理じゃないだろうか。あくまで大学生の、今の私が好きってことなのだろうけれど、過去の私も今の私も、結局のところ延長線上にあって、彼女からは別人に見えるかもしれないけれど、私にとっては彼女から受けた言い知れぬ暴力を忘れることなんてできないのだ。

 

 それをいうには引っ掛かりが強すぎる。その延長線上の私は、昔と同じで臆病だった。嫌なことを嫌というには相手の反応が怖すぎる。自分の意見を伝えるには、否定されるのが恐ろしい。

 

 「…それって、付き合ってくれる、ってことでいいの?」

 「……」


 どう答えたら、双方傷つかないで済むだろう。頭を巡らしたが、それは不可能だってことに気付いた。


 「ちょっと、旅に出よう」私は返答代わりにそう誘った。

 「…旅? 明石市でも行く?」


 なんで旅といえば明石市なのかは知らないけれど、私はゆっくり否定する。


 「思い出を巡る旅だよ」

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